軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3.婚約解消とチョコレートケーキ

すっきりと晴れた日だった。

色の薄い青い空に、細い雲がたなびいている。

待ち合わせ場所のカフェに、先に着いたわたしはケーキと紅茶のセットを注文した。フェリクス様が到着するまで待っていたのは前までのわたしだ。きっとフェリクス様は遅刻をしてくるから、その間にケーキを楽しんでいたっていいだろう。

テーブルに用意されたのは、飴細工の薔薇が飾られた、チョコレートケーキ。食べてしまうのが勿体ないほどに美しいそれを、少しの間眺めてからフォークを取る。

フォークを差し込むと、パキリ……と小さな音を立てながら飴細工がひび割れていく。割れた飴がケーキにまぶされて、まるで星を落としたよう。

一口分を切り分けて、口に運ぶ。──思ったよりも苦い。苦味の強いチョコレートに、飴の甘さがとても合う。今度はウェンディを誘って来ようか。そう思うくらいに美味しいケーキだった。

あっという間に空になったケーキの皿を下げて貰って、紅茶をおかわりする。フェリクス様はまだ来ないけれど、それもいつもの事だ。

はじめの頃は家まで迎えに来てくれていたけれど……こうして遅刻をするようになったのは、いつ頃からだったか、もう覚えていない。こういった点からも、フェリクス様がわたしを軽んじているのは分かる。

わたしはバッグから本を取り出すと、栞を挟んでいたページを開いて本に没頭する事にした。

「なんだ、もう来ていたのか」

不躾な声に顔を上げると、わたしの婚約者がそこに立っていた。焦茶の髪はうなじで一つに纏められて、青い瞳は不機嫌そうに細められている。眉を寄せていても美しい男性だとは思う。

わたしは本に栞を挟んで立ち上がると、膝を折って礼をする。

ちらりと腕時計に目をやると、約束の時間から一時間が経っている。もう来ていたのかだなんて、よく言えたものだなと内心で感心してしまう程だ。

「ごきげんよう、フェリクス様。……そちらの女性は?」

フェリクス様の後ろには、蜂蜜色の髪が特徴的な令嬢がいた。ウェーブのかかった腰まである髪には、瞳と同じ緑色の宝石が飾られている。不安そうに眉を下げて、わたしと目が合うとフェリクス様の後ろに隠れてしまった。

フェリクス様はわたしの問いには答えずに、椅子を引いて彼女を座らせる。その隣の椅子に自分も座ると、彼女の髪を指先に絡めて愛しげに微笑んだ。

彼らが座るのを待って、わたしも椅子に腰を下ろす。これは──婚約解消だな、と思いながら。

「アリシア、君との婚約を破棄する。そしてキーラ・フリッチェ嬢と新たな婚約を結ぶことにしたのだ」

「左様でございますか。その件は子爵様もご存じで?」

「まだ話してはいないが、父が拒むことはないだろう。たかが裕福な商人の娘と、貴族であるキーラと、どちらを選ぶかなど分かりきっているからな」

「ごめんなさい、アリシアさん。わたくしが悪いのです。婚約者の居る方と知っていながら、フェリクス様に恋をしてしまったわたくしが……!」

「ああキーラ、泣かないでおくれ。君は何も悪くない。君のおかげで真実の愛を知ることが出来たのだから」

……わたしは一体、何を見せられているのだろう。

気が遠くなりそうになるのを堪えつつ、わたしはにっこりと微笑んだ。

このキーラ・フリッチェという令嬢が、フェリクス様の噂のお相手なのは間違いないだろう。そしてフェリクス様はわたしとの婚約を破棄して、キーラ様と婚約を結ぶとおっしゃった。

正直なところ、ふざけるなと言いたいところだ。激昂して罵ってやりたいのに、なけなしの自尊心でそれを抑え込む。だって婚約を解消するのに、わざわざ浮気相手を連れてくる事なんてないじゃない。

この婚約解消をトストマン子爵が知ったら、一蹴されるに違いない。何としてでもここで、フェリクス様が不誠実であったという証拠を貰わなければならない。ここまで蔑ろにされて、わたしだって婚約を続けようとも思わない。

「おめでとうございます、フェリクス様。わたしも勿論祝福致しますわ」

「そうか、分かってくれるか。平民風情が貴族である私に嫁ぐなど、夢物語もいいところだ」

婚約を請うたのは、貴族であるそちら側ですが。なにが平民風情だ。

「しかし婚約とは家と家を結ぶもの。わたし達だけで解消する事は難しいかと思われます」

「ふん、そんな事を言って私との婚約を維持しようというのだろう。浅ましい」

「アリシアさん、貴族は貴族と結ばれるのが正しい形なの。あなたがフェリクス様の妻となって貴族になりたいのも分かるけれど……世界が違うのだもの、難しいと思うわ」

腹立つ。

フェリクス・トストマンの物言いも腹立つけど、さも心配していますみたいな言い方をしながら平民を見下しているキーラ・フリッチェにも腹が立つ。内心でならいいでしょうと、わたしは二人を敬称付きで呼ぶのをやめた。

「いえいえ、重々承知しておりますとも。婚約解消に向けて、わたしもお二人の為に働きたいと思っています。真実の愛ですもの、応援しないわけがないではありませんか。それでですね、お二人が真実の愛で結ばれたという事、アリシア・ブルームと婚約を解消するという事を、一筆書いていただけないでしょうか。それを持ってわたしは父に、フェリクス様は子爵様に説明をすれば、きっと婚約解消に向けて動いて下さいますわ」

言いながらわたしは、バッグからノートと万年筆を取り出した。ノートから紙を二枚、丁寧に破り取ると浮気男が書きやすいようにテーブルの上に準備する。

「そうだな。私の妻に相応しいのはキーラであるとはっきり伝えた方が、ブルーム商会長も諦めるだろう」

フェリクスは横柄に頷くと万年筆を手に取った。すらすらと書いていくのはいいけれど、この人は字が汚いな。婚約当初に送られてきたプレゼントについていたカードは流麗な文字で書かれていたから、誰かに代筆を頼んでいたのかもしれない。

『フェリクス・トストマンは、真実の愛の相手であるキーラ・フリッチェと婚約を結ぶ。それによりアリシア・ブルームとの婚約を破棄する。この婚約破棄以降、アリシア・ブルームはフェリクス・トストマン並びにキーラ・フリッチェの前に現れない事。──フェリクス・トストマン』

婚約破棄じゃなくて解消なんだけど。

婚約を新たに結ぶから、それまでの婚約を破棄するって浮気してましたって言っているのと一緒じゃない? 兄ではないけれど、本当にこの人って馬鹿だったんだな。

内心で悪態をつきながらも、わたしは笑みを絶やさずにいた。彼は同じ文面をもう一枚の紙にも認めていく。

「キーラ様もフェリクス様をお慕いしているという事を、お書きになってはいかがでしょう。そうすれば子爵様も、キーラ様がフェリクス様のお相手だと認めるでしょうし」

「そうね、そうするわ」

万年筆をフェリクス・トストマンから受け取った浮気相手は、いそいそと二枚の紙に向かう。そんなキーラ様を愛しげに見つめる浮気男は、お相手の髪を手に掬って口付けている。

『キーラ・フリッチェはフェリクス・トストマン様を心からお慕いしております。婚約者として、いずれは妻として、フェリクス様を支える事を誓います。──キーラ・フリッチェ』

丸みを帯びた可愛らしい文字で紡がれた文字達に、フェリクス・トストマンが嬉しそうに破顔する。

わたしはもう二人を放っておく事にして、紙の一枚を取ると丁寧に畳んでから万年筆と一緒にバッグにしまった。

「それではわたしは失礼致します。婚約解消の手続きを父と進めなければなりませんので。どうぞお幸せに」

これは紛れもない、わたしの本心からの祝福だった。まさかここまで簡単に婚約解消出来るだなんて、有り難く思える程だ。

「ふん。貴族の後ろ楯が無くなって残念だったな」

「あら、トストマン様はご存知ありませんの? わたしの母は伯爵家の出身ですし、姉は子爵家に嫁いでおります。トストマン子爵家の後ろ楯は必要ありませんのよ」

「は……?」

唖然としている元がつくであろう婚約者に、わたしはにっこりと最上級の笑みを向ける。

「では、ごきげんよう」

わたしは席を立つと足早にカフェを後にした。怒りのせいか足取りは早い。終盤なんて走り出していた程だった。