軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

25.いまは待つ時間

ロゼワインのお代わりを貰って、ゆっくりとポトフを楽しむ。

色々考え事をしている間に、ポトフもホットワインもすっかり冷めてしまったのは迂闊だった。それでも美味しさが損なわれる事はなかったけれど、温かいうちに頂いた方がやっぱりもっと美味しいとは思うのだ。

ゆっくりと食べて、ゆっくりと飲んで。また少し考えて。

漸くポトフを食べ終えたと思ったら、わたしの肩をぽんぽんと叩く人がいた。

「大丈夫?」

片手に持ったトレイに空いたお皿を器用に積んだ、エマさんだった。

エマさんの向こうにテーブル席を見れば、そこは既に誰もいなくて。帰った事にも気付かないなんて、少し没入しすぎたみたいだ。

「ええ、大丈夫。少しぼんやりしていたみたい」

「疲れてる? 悩みごと?」

「ううん……」

どう答えたものかと言葉を濁すと、エマさんは笑みを浮かべながら小さく頷いた。待ってて、と短く告げると足早にカウンターの向こう──厨房へと消えていく。

その背を見送ったわたしは、スプーンを使ってグラスの中のいちごを潰していく。今度はもっと潰して飲んでみたけれど、これも美味しい。いちごの風味がもっと広がって、お酒というよりもジュースのようだった。

慌ただしく厨房からホールへ移動したエマさんは、そのまま扉を開けて外に出てしまう。どうしたのかと思うと同時に、明るく雪道を照らしていた看板がふっと消えてしまった。

「え、閉店?」

「今夜はもう、他のお客さんはいいかなって。それで……良かったら私も隣で飲んでいいかしら」

「それはもちろん構わないけれど……お店は平気なの?」

「いいのいいの」

からからと明るく笑ったエマさんは、わたしの隣の椅子を引いて腰を下ろす。それを待っていたかのように、マスターがわたしとエマさんの前にシュークリームを出してくれた。それからわたしの前には、ロゼのホットワイン。

エマさんの前にも湯気の立つグラスが置かれたけれど、中身はどうやら白ワインのようだった。

「これは私からの奢り。さぁ召し上がれ」

驚いたわたしの顔が可笑しかったのか、エマさんはくすくすと笑みを漏らす。それからナイフとフォークを持ったエマさんに促され、わたしも同じように両手にカトラリーを持った。

シュークリームはカスタードクリームと生クリームの二層仕立てだ。こんもりと盛られたカスタードの上に、生クリームがぐるりぐるりと綺麗に巻いてある。

クリームの境目には半分にカットされたいちごが埋められていて、灯りを映して艶めいている。

「美味しそう。いただきます」

ちょこんと乗ったシュー生地がまるで帽子のよう。蓋にも見えるそれをナイフとフォークで持ち上げて、お皿の空いた場所へ移動させる。一口大にしようとナイフを入れると、驚くくらいに軽かった。

生クリームを載せて口に運ぶ。サクサクのシュー生地に、程好い甘さの生クリームが溶けていく。

「すっごい美味しい。え、待って。こんなのいくらでも食べられちゃいそう」

「ふふ、良かった。まだあるからいくらでも食べて大丈夫よ。ね、あなた?」

エマさんの言葉を受けて、マスターがひとつ頷く。そしてひとつの箱をわたしに見えるようにしたかと思えば、中にはこのシュークリームが六個も入っていた。

「この他にまだ二箱ある」

そう言うマスターの向こうに見える調理台には、同じ箱が二つ並べられていた。

「どうしたの、そんなに。買った……わけじゃないわよね?」

「面白くなって作りすぎちゃったんですって」

答えたエマさんはあっという間にシュークリームを食べ終えてしまっている。何も言わずともマスターが、箱から出したシュークリームをエマさんのお皿に載せた。

「だからいっぱい食べて。お土産にも持っていってね」

「ありがとう。みんな甘いものに目がないから、喜ぶわ」

上のシュー生地を食べ終えたわたしは、下のシュー生地に取りかかる。端から一口大に切り分けるとたっぷりのカスタードが溢れてしまいそう。口に入れると、上側よりもずっしりとした生地が、これはまた美味しい。カスタードに触れている分だけ水分を含んでいるのか、上側程の軽やかさはない。だけど、しっとりとしてカスタードやクリームとのなじみがいいのだ。

「どうしよう、本当に二つ目を食べられちゃいそう」

飾られたいちごもカスタードクリームに絡めて食べる。

酸味が強いいちごは、甘くなりすぎないように計算されているのだろうか。

そんな事を考えているうちに、わたしのお皿は綺麗になっていた。

もう一つ、なんてお願いをするよりもマスターが動くのが早かった。わたしのお皿にはまた、可愛らしいシュークリームがちょこんと鎮座している。

ワインを飲んでいたわたしは、そのあまりの早業に思わず噎せてしまいそうになった程だった。

「いつものアリシアちゃんね。全然食べてくれないんだもの、うちの人が心配していたわよ」

「味を間違えたかと思った」

わたしは隣に座るエマさんと、カウンターの向こうにいるマスターの顔を交互に見る事を繰り返した。

この人達は本当に優しくて、それを改めて実感すると何だか鼻の奥がつんと痛む。

「ごめんなさい。もちろん今日のポトフも美味しかったんだけど、最近、胸が苦しくてあんまり食べられなかったの。食べられないって言っても人並み以上には食べているって、兄には笑われているんだけどね」

「胸が苦しくて食べられない……アリシアちゃん、それは恋ね?」

恋をすると食べられなくなるのは、皆一緒なんだろうか。わたしの読んだ恋愛小説にそんな記述はあったか、帰ったら調べてみないといけない。

「恋をしているとそうなのよね。相手の事が好きで、だけど不安で、考えるだけで胸が苦しくなっちゃって……」

大きく頷いているエマさんは三つめのシュークリームに取りかかっている。

わたしもシュークリームに向き合おうとカトラリーを持ち直すと、カウンター上にシュークリームの箱が乗せられた。

「奥で仕込みをしているから、何かあれば呼んでくれ」

そう言い残して厨房の奥へ去っていくマスターは……きっと気を遣ってくれたんだろう。

わたしが先程までよりも落ち着いてシュークリームを切り分けていると、視界の端でエマさんがにこにこ笑っているのが見える。

「アリシアちゃんは、何が不安なの? 想いが重なるかどうか? それとも、お相手に難ありとか?」

「相手は何も。その人を好きだって気付いたのも最近なんだけど……でも、そうね……わたし、彼にわたしを好きになってもらいたいのかもしれない」

「そりゃそうよ。好きになっただけで満足なんて出来ないもの。想いを重ねて、自分の事だけを見ていてほしいなんて、当然でしょ」

「そうよね。でも……わたしは婚約解消をした身だし、言葉を選ばないで言うと、傷物でしょ」

「傷物だなんて。傷になるほどの事じゃないわよ」

顔をしかめたエマさんがわたしの頭を小突いてくる。その頬はうっすらと赤くなっているようで、もしかしたらもう酔っているのかもしれない。

「ありがとう。それにね、想いを伝えて今の関係が壊れるのが怖いの。それと同じくらいに、何もしないで彼が他の誰かと恋人になって……そのまま会えなくなるのも嫌。でも分かっているのに動けないの」

「現状を変えるのには勇気がいるものね。恋でも、他の何かでも。でもきっと……その時になったらちゃんと動けるようになると思うのよ。最適な時期とか瞬間とか、今だって思って踏み出せるようになる時が必ず来るから、いまはそれを待つ時間でいいんじゃないかしら」

柔らかな声が心に響く。

目の奥が熱くて、視界が滲んで、浮かんだ涙を指先で拭った。

「……無理して今すぐに何かをしなくてもいいのね」

「ええ。だってその気持ちはまだ芽生えたばかりなんだもの。ゆっくり育てたら、きっと勇気になってくれるわ」

そっと差し出されたハンカチを借りて、涙を拭いた。意識して深呼吸を繰り返すと、先程までのもやもやとしていた漠然な不安が消えていくようだった。

「ありがとう、エマさん」

「どういたしまして。さ、食べて食べて。まだいっぱいあるんだから!」

笑いながらエマさんが四つめのシュークリームに手を伸ばす。

その様子を二度見した後に、わたしは笑いだしてしまった。

だって、四つ!

美味しいけど、いくらでも食べられちゃいそうとは言ったけど、まさか四つめだなんて!笑うわたしの事は素知らぬ振りで、エマさんはぱくぱくとシュークリームを食べ進めていく。

それからマルクが迎えに来るまでの間、わたしはエマさんとマスターの馴れ初めを聞いたりと楽しい時間を過ごさせて貰った。

最終的にシュークリームは残すところ一箱にまでなって、その一箱はお土産にと頂いたので、明日の朝食後にでも皆で食べよう。

一ヶ月が経つまで、あともう少し。

いつ会えるかわからないけれど、それでも会えた時にはきっと、いつものように笑えると思った。