作品タイトル不明
3-31.エミル
残されたわたし達はソファーへと腰を落ち着けた。
テーブルを挟んで向かいに座ったエミルの背中側に扉がある。座る位置を指定したのはノアだった。何かあればすぐに兵士が飛び込んできやすいようにだと、そう思った。
とても静かだった。
扉が開いたままなのにも関わらず、廊下は静まり返っている。部屋の中にも、暖炉の火が爆ぜる音しか響いていない。
ソファーに座り、膝の上で両手を組んだエミルは口を開いては閉じる事を繰り返している。何から話せばいいのか分からないと、そう悩んでいるようにも見えた。
「話って、なに?」
切り出したのは、わたしだった。
このあと、エミルもマスターの元に行かなければならないのだろう。それならいつまでもこうしているわけにはいかないと思ったからだ。
でも、話を聞くのが怖い気持ちもある。
そんなわたしの不安を感じ取ってか、ノアが手を握ってくれた。そちらを見ると大丈夫だとばかりに頷いてくれた。
エミルへと視線を戻すと、彼もこちらを見つめていた。
ふっと笑ったその表情は、何だか昔に一緒に遊んでいたころを思い出させた。
「時間を貰ってすまない。たぶん、もう会えないだろうから……ちゃんと話しておきたかったんだ」
静かな声で話し始めたエミルは一度言葉を切って、大きく息を吸い込んだ。ゆっくりとその息を吐き出してからまた話を続ける。
眼差しは真剣で、わたしとノアを真っ直ぐに見つめながら。
「俺がやったのは、さっきヨハン殿が言っていた通り。陛下の飲むワインを手配した事だ」
「エミルはそれが何に使われるか知っていたの?」
「いや、宰相閣下に指示された時は分からなかった。スカビオサ家の伝手を使って販路を拡大してくれるからと、店で取り扱っている幾つかの商品を持ってくるように言われて。商品はすべて指定されていたが、こんな事になるとは思わなかった」
上司からの言葉だもの。善意だと信じて疑わないだろう。
それなのにこんな事に巻き込まれるなんて。
エミルはわたしを見て、困ったように笑った。
「そんな顔をするなよ。同情してほしいわけじゃないんだから」
返事に迷って、わたしは眉を下げる以外に出来なかった。
同情と言われたらそうなのかもしれない。でも、それに加えて……怒りもある。エミルを巻き込んだ、宰相に対して。
「閣下の企みに加担してしまったのは事実だし、その後に色々知らされて……告発する事もなく指示されるままに動いていたんだから、紛れもなく犯罪者だ。罪が明らかになってほっとしてるくらいだ。陛下の容態も良くなるなら、それが一番いい」
吹っ切れたように笑うエミルの顔色は、先程よりも良くなっている。
罪の意識に苛まれ続ける日々は、きっと辛いものだったのだろう。でもどうしてエミルは、宰相の指示に従い続けていたのだろう。
「どうして告発しなかったの?」
「店に迷惑をかけると思ったのと……俺の願いを叶えてくれるって甘言に乗ったんだ。だから俺も悪いんだよ」
溜息交じりに紡がれる言葉は、自嘲の色が濃いように思う。
ソファーの背に体を預けて天を仰いだエミルは、ゆっくりと深呼吸を繰り返してから姿勢を正した。
「お前の願いとは何だったんだ?」
「アインハルト殿は気付いているかと思ったけど」
「アリシアだな」
唐突に自分の名前が出てきて、驚いてしまう。
ノアとエミルに目を向けても、その表情からは何も読み取れない。二人は真っ直ぐに視線を重ねていて、わたしを見る事はなかったから。
「どうしても外務担当になりたかったんだ。ルガリザンドに行ってアリシアに会えると思ったんだけど、まさか結婚しているとは思わなかった。クラウスも教えてくれたらいいのにと思ったけど、あいつは……きっと気付いていたんだろうな」
「ずっとか」
「いや、会いたかったのは事実だけど……実際にそういう気持ちが強くなったのは再会してからだね」
二人は理解しあっているようだけど、わたしだけが置いてけぼりになっている。
たぶん、わたしもその話の中心人物ではあるはずなのに。
「ねぇ、どういうこと?」
問いかけると、二人はようやくわたしの方へと目を向けた。
エミルは笑っているし、ノアは不服そうに眉を寄せている。その対照的な雰囲気に戸惑いを隠せない。
「アリシアに会いたかったんだよ、俺は。思い出すだけで幸せになる、可愛い子だったから。七年間ずっと想ってたとかじゃなくてさ、心にずっと残ってる子だった。懐かしむ気持ちも強かったし、ただ会いたかったんだ」
紡がれる言葉は優しい声に載せられていた。
「再会したのは本当に偶然だったんだけど、綺麗になってるお前を見て……好きだと思った。まさかすぐに失恋する事になるとは思わなかったけど」
予想もしていなかった言葉に、瞬きさえ忘れてエミルを見つめてしまう。不意にぎゅっと手を握られた事で我に返った。
「宰相閣下からの見返りは、外務担当になること。その他にも色々便宜を図ってくれるって。ワインを手配して、他にもリガス殿下と外部の連絡を遮断させるとか指示に従って、その願いは叶ったんだけどさ。アリシアと俺が再会した事を知ったレイラ様は、俺がもっと食いつく餌をぶら下げてきた。それが、アリシアとアインハルト殿を別れさせる事だった」
「そんな……!」
なんて事を願われていたのか。それを見返りとするレイラ様にも怒りがわく。
繋ぐ手に力が籠められたのを感じてノアを見ると、眉間には深い皺が刻まれている。怒りの気配を全身に纏い、夕星は鋭く眇められていた。
「アリシア達をリガス殿下に近づけないように言われてたんだけど。俺がそれをうまく出来なかったから、レイラ様が直接兵士を動かしてしまった。アリシアにも怖い思いをさせてしまって、本当に申し訳なく思ってる」
そう言ったエミルは深く頭を下げた。その謝罪を素直に受け入れる事は出来なくて、わたしは何も言えなかった。
顔を上げたエミルは、わたしに何かを促す事はなかった。受け入れられないわたしを理解しているかのように。
「本当に、その願いの為だけにレイラ嬢に協力したのか?」
「……レイラ様は、リガス殿下を忘れられなかったんだ。ずっと想っていて、諦める事が出来なかった。俺は自分を重ねていたのかもしれないな」
そう呟いたエミルはゆっくりと立ち上がった。
中の様子を窺っていたらしい兵士が二人、応接室に入ってくる。エミルの両脇に立って、それぞれが腕を掴んだ。
「さよなら、アリシア」
「……さようなら、エミル」
別れを告げるエミルは、思い出の中の彼と同じ笑顔だった。
領地での休みが終わり、お別れをする時と同じ──眉を下げた少し悲しい笑みを浮かべていた。
いつもは「またね」でお別れをしていた。でも、それはもう叶わない。
エミルが兵士と共に応接室を後にするのを見送って、わたしは深く息を吐き出した。
隣に居てくれたノアの肩に頭を預け、繋いだ手にぎゅっと力を込める。わたしの傍にノアがいるのだと、確かめたくなったから。
「お疲れさん」
「……ありがとう」
「泣きたかったら泣いていいんだぞ」
「そうね……きっと泣きたいんだと思うけど、でもそれもよく分からなくて」
「色々あったからな」
繋ぐのとは逆の手で、ノアがわたしを抱き締めてくれる。
されるままにノアの胸元に顔を寄せながら、わたしは何度目になるかも分からない溜息をついた。
「アリシア、俺はお前の傍にいる。不安も痛みも……俺と分け合ってくれるんだろ? 辛さも悲しみも一緒に抱えたい。お前の心は俺が守りたいんだ」
「……バカね。いつだって、ノアはわたしを守ってくれているのに。心も、体も何もかもを」
知らず内に、涙が浮かんでいたらしい。一筋が頬を伝ったのが分かった。
一度零れた涙は止まることなく溢れていくばかりだ。
ノアは何も言わず、わたしを抱き締めてくれていた。
それがひどく嬉しかった。