軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

少年期 一三歳の晩春 十五

家令からの報告を受けた時、公は怒りや焦りを覚えることはなかった。

聡明にして怜悧な頭が内容を理解した時に抱いた感想は、「やはり」と「ああ、そうか」との二つ。

あれは曲がりなりに己の子で、妻に似た優しすぎる子だと思っていたが、何処までも“血は水よりも濃い”のだなと公は笑う。

考えてみれば普通どころか、至極当たり前の流れであった。三重帝国史上で数少ない女帝、その内の一人であった親族が当主位の移譲を仄めかした折、周りを見渡せば適任者が己だけなのでは? と悟った時の自分がどうしたか。

逃げだそうとしたではないか。恥も外聞もなく、持てる物持って東方へ亡命しようと八方に手を尽くした。ただ、その全てを木っ端微塵に踏み潰され、縋るように密航した船の荷を暴いて傲岸に笑う“彼女”から、嫌がらせのように当主位の具現たる印章指輪をその場で嵌めさせられた光景は忘れがたい。今でも夢に見るほどに。

結局、自分がやって来た事は子供もやるのだ。

彼はくすりと笑って懐から一匹の蛾を呼び出した。

虫の中でも最も人に依存した虫、家蚕の成虫である。

これは公が数世紀に渡って培養し続けた“使い魔”の連枝、人の手によって最早最低限の生存さえできぬようになった虫が更に成れ果てた姿。偏に使い魔として使われるだけの機能を執念すら感じるほどに詰め込まれた最高傑作。

「探しておいで」

三重帝国において、マルティン・ウェルナー・エールストライヒの名は時にエールストライヒ家当主としてより、そしてかつての皇帝としてよりも中天派に所属していた魔導生命体研究者として知れ渡る。創造した数多の種、とりわけ傑作として全土に広がる“三頭猟犬”の名と共に。

放たれた家蚕の使い魔は必要に応じて分裂、瞬時に増殖し街の各所に散って臭いを辿る。家蚕に斯様な機構はなかろうと、この家蚕は主から「探してこい」と命じられたなら、それに必要な器官を“新しく作り出す”機構を持っている。

万能ツール。ただ元となる個体さえ在れば伝達、探査、防護、攻撃、その全てが能う完成された使い魔。この家蚕は公の望みには全て応える。

彼がメモ書きを望めば上質な質感の翅を伸ばし、言葉を記録し鱗粉の色を変える。

必要とあらば寄り集まって器具となり、時至らば盾にも矛にもなる。

誰かに用事があるならば、音を出す器官を作り呼びつけることも可能だ。

今やっているように、目的の人物の“思念波”を手繰って飛び交いながら。

ただ、使い魔が目的とする個人の思念波は周辺に散っていて掴めなかった。故に過去覚えていた臭いを辿り、その臭いに最も近い人間に辿り着く。ヒトの鼻どころか、犬の鼻でさえ危うい微かな粒子を捕まえて。

結果的に見つかったのは一人の少年。フードを被り逃げ回る姿は目的であった公の娘とは似ても似つかない。その上、それ以外に近い臭いはないのだから困ったもの。

「だが、ここまで我が娘の匂いをさせているということは何かしら知っているということか」

勤めを果たして戻ってきた家蚕の触角を労うように撫で、公は城を抜け出した。そろそろ飛行艇の説明でスピーチが……と五分後に呼びに来た家令や皇帝の配下が絶叫することなど意にも介さず。

なぁに大丈夫、どうせ近しい技術者なども登城しているから誰かに投げるだろう。皇帝も何度も見に来ているのだから、最悪手前でやればいいと勝手なことを考えながら公は飛ぶ。

遠見の術式の向こうで件の少年が水に落ちた。遠方から近衛猟兵が放った一矢を受け、手摺りを越えて水路に転げてしまったのだ。

良い仕事であると褒めるべきだが少々よろしくない。死なれては面倒だし――無論、面倒というだけでどうとでもできるが――手間が増える。

しかし、心配は杞憂であったようだ。水面で微かながら魔法が発動している気配があった。発動を隠すことに無頓着で純粋な式は、魔導戦に親しんだ魔導師や刺客では決して書けぬもの。

何より、一度見て覚えた思念の波長に似ていた。

つまらぬ公務から抜け出して、芽の出そうな新人がいないか入り込んだ実験室。興味を擽られて期待していたが、技巧品評会には結局現れなかった彼のものだと。

あれは実に残念だった。あれだけ薄い魔術の匂いしかないのに、如何にしてブースの障壁を破壊するほどの熱量を生み出せたのか。並の熱や刃物では産毛ほども傷つかぬほど錬磨された、吸血種の身を焼け焦がす炎を産む才能に大いに期待し、見つけたら研究予算をたんと提供したものを。

こんな形で再会することになろうとは。ああ、いや、これも考え方によっては僥倖かと公は手を打った。

別に術式が欲しいわけではない。彼が魔導に傾倒するのは自己の栄達や名誉のためではない。

ただ一心に未知を既知に塗り変える愉悦。そして己からでは絶対に出ぬ発想を見る喜悦。

公が長く、四〇〇年に及ぶ生を倦まずに生きて来られた理由はこれに尽きる。

そして、あれほど愉快な術式を練り、娘の逃走に関わるような酔狂な人間であれば、きっと自分が腹を抱えて笑えるような未知を作ってくれるだろう。

娘の行き先を知っていて、今後の永く努力しなければあっと言う間につまらなくなる人生を彩る個人を捕まえられるとなれば気合いも入ろうというもの。暫く無聊を託っている“可愛いペット”も公は呼び出すことにした。

優れた魔導師を相手にするなら、前衛は必須なのだから。

さて、対象は下水に逃げ込んだ。暫くは衛兵もドブさらいに忙しいだろうが、そう時間もかからず溺死していないことには気付くだろう。普段は城の堀となっている湖に住む、水棲系の近衛が捜索に乗り出せば発覚は早い。

ならば邪魔が入らないようにしなければ。

公は一つの点検口から下水に入ると、誰にも知られていない深層域へ通じる縦穴へ向かった。下水は帝都のインフラの中でも重要な部分を占めている。なにせここに工作をすれば、都市一つ陥穽に落とすことが能うのだから。

故に地下の重要地は常に秘匿される。帝城から通じる逃走路や、清浄さの根幹たる魔導生命体“汚濁の主宰者”の中枢が鎮座する最終浄化槽などは特に重要度が高いため、国においても知っている人間は両手の指で足りてしまうほど。

そんな重要な道を使い、公は浄化槽に降り立った。

数多の支柱が神殿の如く並び立つ数十立方メートルの空間は、強アルカリの粘液生命体で満たされていた。夜の海の如く暗い肉体がのたうつ度にさざめきが反響し、断末魔の呻きのように歪んで耳に届く空間は地獄の如く在る。揮発した強塩基の気体が大気を侵す死地にて、何の障害もないかのように浮遊する吸血種は微笑みかける。

“汚濁の主宰者”と名付けられた、彼の薫陶を受けた後輩の子供に。

「やぁ、久しいな卿よ。といっても、我の言葉など分かるまいが、我は卿が実験室のシャーレに入っていた時から知っていたのだ」

別に公は粘液体の開発チームに加わっていた訳ではない。チームを集める音頭を取った首魁たる長命種のパトロンを一時期していたため、意見を求められて顔を出し、幾つかの手伝いをしたに過ぎない。

その折りに聞いたのだ。この場所も、彼の性質も、特性も。

そして、少しお願いを聞いて貰う方法も。

ともすれば都市を滅ぼせる尋常ならざる知識を用い、公は洪水に備えて作られた玄室へと少年を追い込んだ。きっとこの事実を帝室行政院の治水部に属する官僚貴族達が知ったなら、さぞ顔色を悪くしグロス単位での抗議文を認めたことであろう。三重帝国においては、下が上を罵る自由も大いに認められているのだ。

まぁ、その殆どはノータイムでくずかごか、気が向いたら処理すると書かれた箱へ永劫に放り込まれることとなるのだが。

かくして、理不尽と悪ふざけ、ついでに面白半分を携えて四〇〇年の永きを趣味に費やして生きてきた吸血種は少年の前に立った。

良い魔法の使い手だと言える。式の実直さは褒められた所ではないものの、剣を振る補佐や動きを助ける足場、緊急の防御用に練ったものばかりだとすれば理解はできなくもない。もう少し冗長性と遊びがあれば、妨害式にも強く評価できるのだが、きっと彼の本分は此方にないのだろう。

むしろ、滅多にないほど研ぎ澄ました剣士としての技量が公の歓心を十分に買った。

魔法はあくまで補助と割り切り、軽い術式を連発しながら致命の一撃を叩き込みに来る様は、下手な魔導師よりもよっぽど効率的に魔法を使っていると評価できる。

ただ前へ、ただ斬るため、ただ命へ向かって剣先を奔らせる姿は目映いばかり。尋常の剣士であれば一層たりとも抜けぬ障壁を七層ブチ抜いてきた時は感嘆すら覚えた。これほど綺麗に頭部と心臓を断たれたなら、“転びたて”の吸血種であれば再生が追い付かず一撃で灰に還っていただろう。

一体どんな動機があれば、あの若さであれ程に練り上げられるのか。儚く、脆く、たった一度心の臓腑が止まっただけで神の下へ召されてしまうヒト種でありながら。

「素晴らしい」

血を吐き出しながら公は呟いた。未知の術式をぶつけられたので、黙って受けてみたが想定以上の一撃。いや、あれ程に“軽い”術式の連続詠唱であれば、一つ二つ過程となる術式を妨害した所で何度でも何度でも再構築できるという一種の冗長性があるのだから、ともすれば触媒らしき器具を根本から処理せねば妨害できたかは怪しい。

結局は積み重ねてきた種族の強みでのゴリ押しか、と些か自嘲気味な笑みが零れる。

それはさておくとして、本当に素晴らしい術式であった。軽く魔法を走らせて肉体を調べれば、臓器はもれなく拉げて潰れているし、肉にかかった圧力も凄まじく、辛うじて原型を保っているだけで“ヒトの形をした肉袋”と言った風情のダメージ。

あれほど頑強に練り上げ、高い環境適性を持たせた三頭猟犬の シュフティ(おちびちゃん) と ガウナ(いたずらっこ) がひっくり返って泡を吹いている。強靱な呼吸系に重大なダメージを負い、昏倒しているのだ。死にはするまいが、暫くは空気の良い高原の別邸で療養させながらたっぷり可愛がってやる必要があろう。

調べるまでもなく使い魔たる シュネーヴァイス(しろいゆき) は全滅している。異相空間に隠れた本体は無傷であろうが、呼び出して活動させるには数分の回復は必要か。

さて、一体如何なる原理にしてあれ程までに単純な術式の多重発動だけで積層の物理障壁を砕き、長命種の中でも相当に頑丈であると自負する肉体を破壊できたのか。全く以て興味は尽きない。

ただ、悦楽の追求は後にすべきだろう。

立ち込めた粉塵を振り払い、トドメを刺しに来た少年を何とかしてから。

肉体の再生を全力で開始、しかしながらそれを前にして少年は別の触媒を放り投げてきた。投擲された瓶は空中で独りでに割れ、粘性の高い液体を散布しながら炎上。

他愛のない炎熱術式かと思ったが、ふと疑念が湧く。

今し方、自分が呼吸できぬほどこの空間の酸素は薄れていた。では、この炎はどうして燃えている?

酷く粘つく液相の炎と言うべき魔術は体に絡みつき、酸素を断つシンプルな消火式では全く勢いを衰えさせない。炎が痛めつけられていた肉体を灼き、耐え難い苦痛が全身の神経を這い回る。

炎、忌まわしき火は未だ吸血種を憎む太陽神の眷属にして長子。火は殊更に吸血種の肉体を傷つけ、深い痕を残す。生理的に拒絶反応を示す銀への反応よりは緩やかなれど、通常の手傷の数倍は治りが遅いほど。

熱に肉が燃え立ち、眼球が沸騰して爆ぜる。消えにくいだけではなく、かなりの熱量を秘めた炎。

痛みは死を想起させるほどに深いが、耐え難いほどではない。公は伊達に永く生きておらず、いっそ賞賛してやりたくなるほどの手間をかけて殺しにかかる刺客に今まで何度も襲われてきた。刺し貫かれ、水没させられ、鉄の棺へ封印されかけたことすらある。

そんな公が火に巻かれた事が一度や二度である筈がない。概念的に物を燃やす魔法さえ凌いできたのだから、これくらい些末なことだ。

即座に自身の血を操り、全身を爆ぜさせる。

肉が飛散し、飛び散る肉に巻き込まれて炎が散った。筋繊維が露出した痛々しい肉体が晒されるが、燃え続けて再生を阻まれるよりはずっといい。

最初に感覚器が再生される。ここを直さねば他の術式の起点に乱れが起き、何より外界の状況を把握できなくなる。煮立って飛び散った眼球が、逆回しの如く再生され、仮面に覆われていた煌めく銀の瞳を甦らせる。

そして、真っ先に戻った瞳が捉えたのは剣を肩に担うように疾駆し、左手に光る何かを握りしめた少年の姿。

瞬間的に経験と本能が叫ぶ。彼は“吸血種の殺し方”を知っていると。

渋い顔をさらしたランペル大僧正の横顔。神学的に高度な視点で吸血種のあるべき姿について語った“受くる者の誓約論”で一躍有名となった、夜陰神を崇める吸血種の僧。禿頭のランペルが描かれた銀貨は、特に銀の含有量が高いため吸血種の護符として名高い。

吸血種がその身を守る物としても……吸血鬼と嘲られる、堪え性の無い下賤に対する護符としても。

あれはいけない。あれを心臓に叩き込まれてしまえば、数百年を生きた旧き吸血種であったとして耐えられない。

日の光と神の加護、そして銀は永遠の命の代価として架せられた重き枷。日の光は掠め取った者への懲罰として、銀は自らを庇護する神から増長せぬよう与えられた戒めとして。

これだけは耐えられないようできている。世界が斯くあれと命じているから。

故に公は本気になった。たった一瞬、制御できぬ本気の魔法が荒れ狂う。ただ死なぬため、生きて享楽に浸るため。

倦もうにも楽しもうにも、このちっぽけな命が心臓で脈打っていなければ、世界は台無しになってしまうのだから…………。

【Tips】ランペル大僧正。我らは伏して愛を請わねば、ただ賊徒に堕ちねばならぬ一匹の鬼に過ぎない。この一文から始まる吸血種の有り様について語り、後の世に現在の吸血種文化の基礎を築いた三重帝国成立以前の僧会に属していた僧。

既に鬼籍に入っているが、吸血種の守護聖人として僧会に列されており、夜陰神の信徒からは深い尊敬を向けられている。その魂は夜陰神の御許に留まり、吸血種を見守り、同時に戒めているとも伝えられる。