軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

少年期 一三歳の晩春

三重帝国の良い所はウザったい梅雨が無い所だ。カラッとした気持ちいい夏を目前とした今、私はもうクライアントの心配を殆ど止めていた。

便りはあるのだ。エリザに自習のカリキュラムを伝える伝書術式は絶えず、生活費や必要経費もきちんと机の上に用意されるので生きてはいるのだろう。

生きてはね。

どうなっているかは未だ不明のままだが。ただなんつったって、あのライゼニッツ卿がご機嫌に良い空気を吸ってらっしゃる、それはもうハチャメチャに大変な目を見ていることだろう。

私の中で勝手に想像したアグリッピナ氏の現状と、実現可能性を加味して勝手に開催しているダービーは次の通り。

ⅰ.何か偉い人に捕まって奔放過ぎる振る舞いの説教を喰らっている。1.12倍。

ⅱ.お国から親族がやってきてお家騒動(結婚とか)に巻き込まれている。1.75倍。

ⅲ.国家的なプロジェクトの打診を受けて缶詰にされている。3.6倍。

とまぁこんな所だが、私の一押しはⅱだな。是非ともあの厄介な生物に結婚という首輪を嵌めて、誰か大人しくさせてもらいたいところである。ほら、苦虫をグロス単位で噛み潰した顔で婚姻装束着せられてる姿は、絶対に記憶から褪せない笑いと脅しのネタになると思うから。

まぁ、アレを御せる旦那ってのがこの世に居るか大変微妙な所だが。

頭の悪い冗談はさておき、駒の在庫が尽きたので暫く御用板の仕事ばかりしていたが、やっとこ駒の在庫が復活してきたので久方ぶりの開店と相成った。

ただ、ちょっとした茶目っ気で作ったお色気軍団シリーズ――単に扇情的なポーズの女性駒ばかりにしてみただけ――が一瞬で完売した挙げ句、この種族で作ってくれという要望が山のように来たので「野郎というヤツはドイツもコイツも……」という女性陣からの視線がちょっとばかし痛かった。1D4を踏んづけたぐらいには。

精神ダメージ、若しくは社会判定攻撃による被弾はともかくとして商売の滑り出しは順調。毎日やる訳にはいかないが、これで月収二〇リブラほどに達するのだから芸は身を助くという格言の正しさを思い知るね。前世でも学歴が重荷になる事なんてないんだから勉強だけはしなさい、と耳にたこができるほど父から言われたのを思い出す。

対局を六つほどこなして脳味噌が疲れてきた夕方、うんと伸びをして固まった筋を伸ばしていたが、店じまいを目前としても彼女はやってこなかった。駒目的というより、一局指しにきていた彼女は。

別に個人的な親交があったわけでもなし、暫く店をやっていなかったこともあるから来なくなって当然ではあるのだが、あの歯ごたえのある指し筋を少し期待していた私がいるのも事実。成果は上々だったが――お色気軍団だけで五リブラ近く稼いだからな――少しだけ残念だ。

やはり帝都とはいえ昼間に動く種族の方が多いため、日が傾くと三々五々に散っていく露天市の商人達に倣って私も店じまいとした。簡単な机と椅子、あとは兵演棋一式を詰めた箱しか持ってないので簡単なものだ。

さて、とりあえず稼ぎと道具を家に置いたら、エリザと一緒に公衆浴場にでも行くか。今日は良い稼ぎがあったから、少しお高めの風呂に行っても良いな。

小銭の心地良い重さを懐に感じながら、近道となる小道を歩いていると耳慣れぬ音が耳朶を打つ。雑踏から離れた通りは静まりかえっており、音源はここから離れた……上の方であった。がしゃがしゃと騒がしく擦れあい、時に割れる音が混じるのは屋根に葺かれた瓦が踏みにじられる音か。

言うまでも無いが帝都で屋根を歩くのは一般的ではない。身軽な鼠人や生まれ持った魔法で空を飛ぶ有翼人が不精して屋根を歩くことはあれど、余所様の家の瓦を傷つけることもあるので基本は衛兵から降りろと怒られる。

確かに背が高い住宅が密集していることもあってフードの暗殺者めいたショートカット移動に使いたくなるのは分かるが、実に迷惑な話なのでよい子のみんなは真似をしてはいけない。屋根瓦ってのは意外と高価で、高所作業の特別費とかで修繕も高く付くから財布がリンチされてしまうぞ。

ただ、慌てて屋根の上を行く者なんて厄介の種しか抱えていないので、絶対にお近づきになってはならない部類。チンピラの抗争にせよ密偵同士の殺し合いにせよ、関わり合いになって得なんて一欠片もしないだろうからさっさと離れるか。

幸い音は一ブロックほど先で聞こえている、この距離であれば息を潜めていればさっさと過ぎ去ってしまうはず。私は道端に積まれていた木箱の影に隠れ、足音が去って行くのを待つことにした。

念のため顔だけ出して様子を窺っていると……ぬ、足音が近づいてきた。我ながら運がないというか……。

こっちに来るなという祈りは中途半端に通じ、斜向かいの建物から足音がまっすぐに響いている。この調子だと私が居る路地を飛び越え、向かいの建物に飛び移るつもりなのだろう。いいぞいいぞ、どうあろうと知ったこっちゃないから、このまま行ってくれれば……。

その時、瓦が割れる破滅的な音が響いた。帝都の建物は景観を気にして公費でマメに手入れされているのだが、表通りに面していない建物の屋根は予算の都合上放置されがちで、経年劣化で脆くなっている所も一定数存在する。

屋根を行く誰かは、私以上に運が悪かったのだろう。飛び越えるため一番大事な踏み切り、その一歩が捉えた瓦が劣化で割れかかっていたなんて。

砕ける瓦、飛び散る破片、そして薄暗い路地に差し込む夕日をバックに墜落する影。

あっ、あの体勢は死ぬやつだな。

真っ逆さまに落ちて行く――ヒトは頭の方に比重が寄っているので、意図せねば頭から落ちる――影を見て、私は反射的に<見えざる手>を練っていた。目測距離は三〇メートルかそこら、十分に射程距離圏内。使える手を総動員し、体を痛めぬよう肩、膝、腰を支えて受け止め、一気に減速させるのではなく地面につくまでに減速しきれるペースでブレーキをかける。

擬似的な触覚から伝わってきたのは、柔らかく蠱惑的な手触り。気を抜けば指先によからぬ動きをさせたがる欲求が湧く感触は、正しく成熟しつつある女性のそれであった。

仕方ないだろ! 肉体年齢は中学二年生だぞ!

いや、雑念雑念、それより何をやっているんだ私。確かに墜落死体なんて清々しい仕事上がりに拝みたい代物ではないが、明らかな厄介ごとに手ぇ出すこたないだろうよ。良い加減自分が手を出したら些細なイベントも碌なことにならないというのは、魔宮の一件で嫌と言うほど思い知っただろうに。

「え……なんで……」

地面に優しく降ろされた影は、自分の体を探って無事であることに戸惑っている。

そして、私もまた驚きと戸惑いを得た。

聞き覚えのある声、見知った装束、きらりと輝く月の飾り。

空から落ちてきたのは、常連である夜陰神の僧だったのだ。

「な、何をしておいでで……?」

思わず私は物陰から姿を現し、彼女に声をかけていた。

「貴方は駒屋の……こんな所でなにを」

「それは此方の台詞ですよ。何だって屋根の上なんぞを。危うく墜死するところだったではないですか」

「それは……それより、助けて、ええ、助けてくださったのは貴方なのですか?」

少し引っかかりながらも彼女は私の姿を観察していぶかしげに問うた。

確かに私の外見は離れた場所から落ちる人を助けられるようには見えない。実家から持ってきている麻布のチュニックとズボンという簡素な平民の装いで、一目で魔法の発動体となるものを持っていないのだから。

しかし、詳しく説明している余裕はなさそうだ。遅れて瓦を踏む音がやってくる。彼女を追ってきていた何者かが追い付いてきたようだ。

さて、ここで私がとれる選択肢は三つある。

一つ、全てなかったことにしてダッシュで逃げる。きっと彼女との縁は切れるだろうが、一番波風がなく穏当ではあるだろう。

二つ、追っ手に彼女を差し出して小銭を稼ぐ。縁が切れるどころではないが、命の危険は一番目についで低いだろう。目撃者は生かしておけん系だったらえらいことだが。

三つは……ああ、もう! ロマン云々抜きにこれしかないだろ! 追われている女の子を助けないで何が男か!

「ちょっ、なっ」

私は彼女の手を取り、手近な扉に取り付いて<見えざる手>の術式を起こす。

多数噛ませた“手”のアドオンで<三本目の手>なる、普通は触覚を持たない<見えざる手>に触覚を与えるアドオンは、個人的な感想ではエラッタかけた方が良いのではと思うくらい便利だ。

なんといっても、手探りでドアの向こうの閂程度なら外すことができるのだから。

「はやく、入って」

「え、ええ……」

急に開いたドア、説明してもいないのに妙に物わかりの良い駒売り、そして原因不明に助かった我が身に困惑しながら僧は人気のない暗がりに入り込む。私は念のためドアの前に陣取り、追っ手がどこへ行ったかを見届けよう。

彼女と比べると随分と軽やかな足取りと、瓦が擦れる小さな音は追っ手が素人ではないことを報せていた。屋根の上を走るプロ……ではなく、不整地を安定して走る訓練を積んだ人間なのだからカタギではないよな。

「割れた瓦の跡がある! こっちだ!」

「姿が見えないぞ! 路地に降りたかもしれん、丁寧に探せ!!」

「くそっ、広がれ! 分担して囲い込むぞ!!」

追っ手は複数、耳を澄ませば足音が五つは聞こえる。手練れが五人とか一体何をやったのだろう。いや、彼女が何かをやったのではなく、彼等が望む何かを握っている可能性もあるが。

足音の一つが割れて脱落した瓦を頼りに此方へやって来て、屋根の縁から追っ手が軽やかに飛び降りた。追っ手は見事なことに壁の出っ張りや装飾、庇などを経由して殆ど無音で小路に降り立つ。

翻るしなやかな長身、質素ながら仕立ての良い装束、帯刀厳禁の帝都にも関わらず腰帯に備えたシンプルな短刀。身に纏う全てが彼女の身分を表している。

貴人の側仕えに相違ない。それも給仕から護衛まで幅広くこなせる上級の使用人だ。

うるさくない程度に焚きしめた香を漂わせながら、追っ手はドアの前でぼんやりするフリをした私に近づいてきた。栗毛を短く整えた彼女は何の変哲もないヒト種のようで、飾れば光るだろう鋭い顔付きを更に険しくしていた。気が弱い子供なら泣くぞ。

「そこの君、少しいいかな」

「えっと……なに?」

突然空から降ってきた女性に困惑する通行人の演技は完璧だ。私がロールプレイヤーだったから云々ではなく、実態としてはガチで通行人Aだからな。宮廷語を崩して話せば、演技するまでもなく真意を隠すことができる。言いくるめではなく、説得で判定してもGMから補正を貰えただろうな。

「誰か通りかからなかったか。教えてくれたなら、少しだけどお礼ができるのだが……」

平民に対する典型的な交渉術だな。ちらりと銀貨を見せるあたり相当慣れている。自分の財布に見合った金額をちらつかされた時、人は一番素直になるからな。小銭過ぎればやる気をなくし、大金過ぎれば焦って要らないことまで言おうとする。急いでいる時には一番いい手といえよう。

「今、お姉さんみたいに誰かが上を飛んでったんだ、凄くびっくりしたよ。ぼく、青空市で露天出した帰りだったんだけど、近くに瓦が落ちて来て死ぬかと思った」

嘘と真実の割合は半々に。実際、折りたためるテーブルと椅子を小脇に抱え、駒一式を納めた箱を抱える姿は完全な通りすがりだ。たとえ通りすがりが「親方! 空から女の子が!」という展開に憧れを持つTRPGプレイヤーだとしても気付くまい。

「そうか、助かったよ。これはお礼だ、何か美味い物でも食べるといい」

彼女は私が抱えていた駒の箱に銀貨を置くと、降りてきた時と同じ軽やかさで木箱や庇を踏み台に屋根へと戻っていった。

……すごいな、魔力の発散が一切ない。単純な体術だけでやっていたのか。あれ、私にもできるようにならんかな、シティーアドベンチャーパートで凄く便利そうなんだが。

ちょっとゲーム脳も大概にしとかないと拙いか。実際に屋根の上なんて走ったら、特権身分の遣いでもなきゃ衛兵案件不可避だし。

私は気配が十分に遠ざかるのを待ち、先ほど開けた建物へこっそりとお邪魔した。

小さな明かり取りの窓しかない、<猫の目>をして薄暗い部屋は何かの倉庫だったらしい。沢山の袋が積み上げられた空間で、かくまった僧が心配そうに佇んでいた。

「追っ手は……」

「行きましたよ。別の小路に飛び込んだと勘違いさせました。暫くは安全でしょう」

では、お話を聞かせて貰おう。貴人の従者が追っ手として差し向けられるなんて、彼女は普通の僧であるはずがない。

しかし、TRPGに関わらず古来より決まった“おやくそく”は存在する。

追われている女性は助けろ、と…………。

【Tips】帝都の屋根事情。三重帝国帝都は外交用の都市でもあり、見栄えを気にして整備されているため屋根の高さが区画毎均一になるよう整えられているので、ちょっと脚力のある面子には便利な通路扱いされることもある。ただし景観維持法なる法律に触れるため、捕まったら一ヶ月の無償奉仕活動か二五リブラの罰金刑に処されるため軽々に屋根へ登ってはならない。