軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

少年期 一二歳の初夏・三

幽霊(ガイスト) という物がこの世界には怪談の種としても、実在する物としても知られている。

厳密な幽霊が発生する理由とやらを私は知らないが、強大な存在が末期に膨大な意志を持ってこの世に存在を焼き付けることによって発生するそうだ。

そして、往々にして最期の力を振り絞り、もし“今後普通に生き続けたら生み出すであろう魔力”を一瞬にして作り出すため、強大な存在になりやすいらしい。

最初は与太話だと思っていた。

だが、魔法使いでも何でもない農民の娘が、自分を弄んだ男の一族郎党を呪いで滅ぼしたり、勢力争いに負けて失意の内に死んだ貴族の無力な娘が城一個を呪って誰も住めなくしたという“証拠付きの実話”が存在していると、与太話だと馬鹿にできないなと適当に思っていたものだ。

それが実際に目の前に現れるまでは。

冷えた風が巻き起こり、彼女が姿を現した瞬間に全ての熱ある存在が悲鳴を上げた。温まっていた初夏の空気が冷気に震え、凍り付かぬはずの無機物でさえ凍結し、マスターの“概念を形にする”とかいうもうどんな理屈で何があって引き起こされているのかすら意味不明な障壁にまで霜が降りる。

そは正しく女性の形をした死であった。

震え上がるほどの――多義的に――美女であることに相違はない。柔らかで女性的な弧を描く輪郭の内で、優しそうな目尻の下がった大きな瞳が輝き、鼻梁がはっきりしているものの大きくはない鼻と、ぽってり肉感的な唇が精緻なバランスで配されており、輪郭を飾る豪奢なまでに豊かなブルネットも貴種らしく宝石飾りで彩られていた。

掠れて背後が透ける姿は、一〇代の後半か二〇代の前半といった所か。すらりとした長身を隠す、ゆったりしたガウンのせいで体形がぼやっとしているが、もし生きていたなら世の男は彼女を放っておかなかっただろう。

この震え上がるほどの強大さと、腰から力が抜けそうになる膨大な魔力の発露がなければだが。

障壁を上手く展開できなかった聴講生や、逃げ遅れた役人が腰を抜かして失禁している様には同情を禁じ得ない。

しかし、私が正気を保てているのは偏にエリザの存在があったからだ。彼女は最初はあまりの唐突さについていけず呆けていたのだが、障壁を侵食する寒さで恐ろしさを遅れて実感したのか泣きだしてしまった。

私は兄として彼女を抱き留め、必死に宥めた。マスターが仰っていたのだ。魔力に目覚めたこの子を刺激し過ぎれば、魔力が暴発して酷いことになると。なら、何に変えても私はエリザを護らねばならない。どれだけ怖かろうが、寒さに身が震えようが。

ぎゅっと顔を胸に押し当てて視線を遮り、体で冷気を遮る。真冬と同じくらいの寒さに夏の装いで立ちはだかるのはかなりキツイのだが、ほんと何したんだこの人。学閥の長とかいう激烈に重そうな役職の人が、恥も外聞もなくキレるとか普通ありえんだろ。

「おやおや、これほどに荒ぶって……如何なさいましたか? 何かよいことでもおありで?」

この期に及んで煽らないでくれ! この三ヶ月は熟練度をかつてないほど貯金して――悪い癖が治ったとはいっていない――使い道を慎重に考えてるんだ! まだ<見えざる手>を<巨人の掌>で拡大する物理障壁しか張れないんだぞ!!

たしかに過去のセッションで圧倒的格上を煽りに煽り、凄まじい譲歩を引き出したり、マジギレさせて全滅し、暫く笑い転げたこともあるが、残機がない状態でやられたら笑えないんだよ!

「人の手紙の内容を無視した返事を何度送りつけてきたと思っているのですか……」

完全にブチ切れている美人というのは、顔の造りが綺麗なせいで尚のこと恐ろしく映るから始末に悪い。泣き黒子が映える優しそうな外見なのに、まるで夜叉ではないか。

久しぶりに泣きそうだ。初期スクラッチが終わったくらいのキャラに――個人的な自分への評価――上級ルルブのハイレベルエネミーを叩き付けるような所業ばかりで本当に辛い。せめてあと四人くらいスクラッチさせてくれ、そうしたら何とか囲んでボコるから。

二人は暫く無言でガンを付け合っていたが、ぼちぼち私が熟練度を使って何かしらの障壁を取るべきかと真剣で考慮し始めるだけの時間が経った後、不意に寒さが和らいだ。

いや、和らいだどころではない。あっと言う間に霧散し、まるでシーンが切り替わったかのように先ほどまで感じていた心地良い初夏の気候が帰ってきたのである。凍り付いた調度が何事もなかったかのように元の姿を取り戻し、障壁に張り付いていた霜も消え失せる。

後に残るのは、冷え切った後に常温の部屋に戻った時に感じる、耐え難い痒みくらいのものであった。

現象に付帯する結果が消える……つまり、今使っていたのは魔法なのか。

魔法は魔術と比べて軽自動車とスポーツカーくらいの燃費差があるが、あんな天変地異に等しい現象を魔法で一息に起こすってどんな怪物だよ。熟練度をどれだけ積めばソロで勝てるんだ。

「……失礼しました、幼い子達。つい、この阿呆に腹が立って。驚かせてしまってごめんなさいね?」

やっとこ私達の存在に気付いたらしい死霊は、マスターの横をするりと通り抜けるとしゃがみ込んで目線を合わせてくれた。そして、不思議と温かい半透明の体で抱きしめられる。エリザを抱きしめた私が彼女ごと、触れれば相当に豊かであったと気付く胸に埋められた。

え? 何? 物に触れるの? というか何で暖かいし、あまつさえやわらかいんだ!?

「ははは、阿呆とはお手厳しい」

「貴女は黙っていなさい」

混乱して頭の中を色々な思考と考察が飛び交い、そこを全部“おっぱい! おっぱい!”との喧しいコールで塗りつぶされて頭が完全にバグった私を抱き上げ、幽霊の美女はお茶にしましょうと宣言した…………。

【Tips】帝国戸籍法において幽霊は“故人”として扱われ被相続人となると同時に、以後相続人となる権利を失うが、死後手に入れた財産や権利は保障される。

数分後、私達は魔導院の何処とも知れぬ部屋に通されていた。

写実的で品の良い絵画などの落ち着いた調度品に囲まれ、見るからに良質な詰め物たっぷりのソファーだの、それと揃いで無駄に精緻な彫刻が施されたテーブルが並ぶ部屋は、明らかに貴人を歓待するための貴賓室である。

そんな所に田舎出しのカッペがブチ込まれて落ち着けようはずもなかった。

それも、ただの歓待っぷりではない。

何故かエリザ諸共、この建物における階級で確実に五本の指に入るだろう人と同席させられて、何をどうすれば平静でいられるのか。たのむ教えてくれ。

ここに通された理由はいい。あのまま散々迷惑をしでかしたホールに陣取れば、鬼のような顔をしてこっちを睨んでいた受付係諸氏がブチ切れていただろうからな。

あの顔付きは仕事を滞らせるヤツは爵位を持っていようが教授だろうが殺す、そう雄弁に語っていた。

だが、ホストであるはずの彼女がエリザを膝に乗せて頭を撫でくり倒し、私を左側に座らせて肩を抱き胸に顔を寄せさせる意味は一体?

そしてマスター、あんた私の雇用主でエリザの師匠だろう。ニタニタ笑ってないで何とか言ってくれ。お茶のんで「あら、おいし」じゃねぇよ。

「で、説明なさい」

「そうおっしゃいましても、何を説明すればいいのやら」

さも何も悪いことなんてしてませんが? と言いたげなマスター。人がこれだけ怒るには、何か理由があるとしか思えないのだが。一体何をやらかしてくれたんですかね。ついでとばかりに油ぶっかけるのも止めて欲しい。

帰参に三月もかかった理由です、と低い声が溢れて、膝に乗せられていたエリザがビクッと体を跳ねさせた。握らせている手がぎゅっと絞まり、一応大人しく膝に乗せられていたとしても、さっきの光景を忘れてはいないようだった。

「あらあら、教授ともあろう方が旅程の計算もできないとは……」

この御仁、日頃の対応が割と軽かったこともあって本当に貴族令嬢なのかと疑ったこともあったが、間違いない、こうやって全力で慇懃に人を煽っている様は貴族以外の何者でもあるまい。悪徳商人でももうちょっと悪びれるぞ。

とはいえ、旅籠を厳選するというクソムーブが入ったのは事実だが、別に妙な回り道もしていないし、天気による足止めを加味しても、三ヶ月の旅程は激怒するほど法外ではないと思う……。

あ、まてよ、そういえばこの人、クッソ下らないことに空間移動系の魔法を使っていたよな。まだロックされているから詳細は分からないが、あの館から私を引っ張り戻し、ついでにしっかり旅籠に向かって走る馬車でも支障がなかったということは、超近距離オンリーという訳でもなかろうし……。

「貴女こそ、研究者として正式な免状を持つ者が……よもや自分が免状試験の突破に使った、空間遷移術式の特性を忘れたとでも言いますまいね?」

やっぱりか! 馬車で移動するには相応の理由があって、きっと長距離では使えないんだろうなとか思ってたけどブラフかよ! たしかにできるかどうか聞いたことはないが、態々あんなめんどくさい旅程を旅嫌いが辿るんだから、疑うという発想にすら至らなかったわ!

それにしても、普通に外出も旅も嫌いだというのに、どうしてこの御仁は三ヶ月もえっちらおっちら街道を辿ったのだろうか。

「のみならず、態々手紙で私を挟まずに弟子の届け出を出し、あまつさえ御父君の名前までちらつかせて早期に処理させるだなんて」

「おほほ、書類手続きは煩雑でございますでしょう? なればこそ、早めに済ませてきちんと体裁を整えて提出したかったのです。さ、ご査収くださいまし?」

マスターが手を差し出せば、何もなかった空間に証書挟みが現れた。服の生地にもできそうな仕立ての布で覆われたそれはテーブルの上を滑るように進み、ライゼニッツ卿の元に辿り着く。

彼女は憎々しげにそれを見つめ、認めたくないという強い意志を篭めて開き、何か一つでもアラがあれば徹底的につっついてやろうとばかりに視線が紙面を切り刻む。柔らかな感覚を側頭部で愉しみながら――もう開き直ってやる――挟まれた書類を覗き込んでみた。

……難解だ!

私の帝国語の読文はきちんと<宮廷語>が<熟達>まで達しているが、それをして頭の中で滑りまくる。婉曲表現、詩的表現、歴史の引用、慣習がどうのこうの、何十家と名前を連ねた誰それ 縁(ゆかり) の 某(なにがし) と旧約聖書も真っ青の家系引用、これを全部文章の中にブチ込まれると訳が分からなくて脳味噌が死ぬ。

あー……行政向けの代書人って凄い仕事だったんだなー、とか思ってると乱暴に挟みが閉じられた。どうやら学閥の長になるほど優秀な魔導師をして、書類に瑕疵を一つたりとて見つけられなかったらしい。

なるほどね、これ作るための時間稼ぎで馬車を使ったのか。

「たしか仰いましたよねぇ、何時だったか。ああ、二一年前の夏でしたっけ。あの日は大変暑く、部屋から出るのが本当に辛い日だったのをよぉく覚えておりますわ」

ねっとりした嫌味が垂れ流され、おっかない女性二人に挟まれた私達は縮こまるばかりである。嫌味を脳味噌にねじ込まれても――そも、どうやって思考してるんだろうな、この人――理性がまだトんでいないのか、ライゼニッツ卿が再び冷気を放つことがなかったのは幸いだった。この至近距離でさっきのをやられたら、兄妹揃って凍傷になる。

「責任を持たねばならないような弟子でもとれば、戻ってきてもよいですがと貴女が……ええ、確かに貴女がおっしゃいましたよねぇ? まさか、お忘れですか?」

あれあれー? 学閥を二〇〇年にもわたって維持するお方がー? と口に扇子を添え、畜生全開で煽るマスター。頼む、もうやめてくれ、なんだ、私に何を望む? 今の精神状態なら、止める代わりに誰か殺してこいってんでも二つ返事で受けてやるぞ。

「こっ、この子は……?」

絞り出すような声。何かと思って顔を上げれば、おっとりした美貌の 死霊(レイス) が私を見つめていた。

「この子は何です!? 百歩譲って弟子を取るのと、教育のため工房に戻ることは許可しましょう! ですが、この子は書類にないです! ずるい!」

ずるいって何が。

「こんなに可愛い子を二人も独占するなんて、ずるいです!! しかも一人は半妖精! わたし、そんなの弟子にとったことない!! ここ最近、クソ生意気なデブとか、歳考えろよっていいたいオッサンばっかりなのに!!」

あっ……ふーん、そういう……。

色々と察しながら、私とエリザを抱きしめるライゼニッツ卿の評価を改めた。ただの偉い人じゃなかった。

滅茶苦茶えらい生命礼賛主義者とかいう、この世界でも指折りに始末が悪いアレだった。何でこの人、今日もお天道様の下を歩いてられるんだ?

まぁ、私は<母親似>と<心和らぐ風貌>を幼き日に取ったこともあり、細面の可愛らしい顔付きだということは分かっている。前世の顔を何故かまだ覚えているので、水に映る自分の顔をある程度客観的に評価できている自信はあった。

流石に“乙女と見まごう”とまではいかないが、お稚児趣味の人に気に入られそうだなぁと思った事はあったが、よもやこんな所で妙など真ん中をブチ抜いてしまうとは。

女児なら今頃第二次性徴が始まるが――どうしてこんな時に幼なじみを思い出したのか――私はまだ子供体型から抜け出しきっていなかった。肩幅や体型がシャープになってきたと喜んでいたが、世間様からするとまだ“かわいい”ものだったのだなぁ。

「この子、私にくださいな!」

いやです…………。

【Tips】残念ながらライン三重帝国には青少年保護条例は存在しない。生命礼賛主義が糾弾されるのは、それが“行きすぎた”場合のみである。