軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

青年期 二一歳の冬 四一

仄白い夜陰の女神と対になる、深淵に開いた穴のような 隠(なばり) の月。双子の月と星辰の位置や魔力の揺らぎ、惑星から放たれ乱反射した魔力が微かに照り返して生まれた空隙に生まれた地から、その塔はのっそりと生えていた。

何と呼ぶべきか、前世今世含めて数多の詩劇に触れて来た私の感性や語彙力を以てしても、神々の逆鱗に触れ、基底現実空間から滅却された塔の形容は困難極まる。

形状自体は然程奇異でもないというのに、この奇妙さは一体何なのか。

正に名状しがたい、この世に合ってはならぬ異物であるという印象を受けた。

「何だアレ……」

その塔、〝弄月の迷宮〟は満ちかけた月の光を浴びて、厳かに、しかし悍ましく輝いていた。

壁材は複雑な縞模様を描く大理石のようであるが、月光を浴びた表面が粘液を浴びたかの如くぬらぬらと不気味に光を照り返している。本物の大理石では、表面をどれだけ磨いてもああも悍ましい真珠色にはなるまい。

天を突く威容は巨大としか言いようがなく、直系は軽く五〇〇mを上回るであろう。

太さと同じく、高さも凄まじい。

塔が発する何らかの効力で航空艦に影響が出ぬよう、近場に下ろされて歩いてきたのだが、正に見上げるような高さだ。一瞬、マンチキン思考で〝塔の上に下ろして貰えば 時間短縮(ショトカ) できんじゃね?〟などと思ったが、この異様な雰囲気からして、その類いの外連は一切通用しないであろうと本能で理解できた。

ずっと見上げていると首が痛くなりそうな高みには、幾つもの尖塔が枝分かれして伸びており、想像を絶する高さと太さから明らかに物理法則に反していることが分かる。普通の建築であるならば、この巨大さと自重に負けて直立することはできないはずだ。

また、よくよく見れば側面には無数の凹凸が開いており、それらの一部は採光用の窓なのか格子が嵌められて眼球のようで気味が悪い。今にも暗い窓穴が虹彩に変わって、ぎょろりと睨んできそうなくらい。

しかし、この意匠は……。

「鍵……」

まるで虚無の月に向かって聳える鍵のようではないか。差し込んで〝開いてはならぬ物を開こうとする〟ため作られたかのような……。

いや、待て、今誰が口ずさんだ?

私はハッとなって周りを見れば、逆に選抜された斬り込み隊の仲間達から奇妙な表情で見つめ返されていた。

つまり、無意識に結ばれた思考が、反射的に口から溢れてしまったのだろう。

脳裏に過るのは巨大な、ほぼ球体に近しい一〇〇面体、或いは二つの一〇面体。

ああ、私はナニカよくないものへ、直感的に触れてしまったのか。

いわゆるアイデアチェック。

「エーリヒ!?」

「大丈夫、大丈夫だ……少し吐き気がしただけさ」

不意にこみ上げてくる猛烈な吐き気に体を小さく折ると、マルギットが心配そうに駆け寄ってきたので、手を上げて制しておいた。

大丈夫、ちょっと 正気(SAN値) に罅が入りかけただけだ。

クソッタレ、こういう時、無駄に聡いのが命取りになりかねない某の呼び声における鉄則を忘れていた。

阿呆ならばボーッと通り過ぎて終わりだが、なまじっか知識があると〝世界の真相〟とやらを知って死にかける。

ああ、嫌になるね。

「なるほど、精鋭たる聖堂騎士が敗れるだけはあるな」

こみ上げてきた酸っぱ苦い液体を嚥下して、私はちと拙いかもしれんと思った。

「どうしたエーリヒ」

「ジークフリート、何かあったら、というか誰であっても変な素振りを見せたらぶん殴って気絶させてくれ」

「はぁ?」

この一党、さりげに全員の 教養(EDU) が高い。つまるところ既知の現実に対する思い込みが強固なので、さっきの私の如く要らんことに気付いて正気を確かめられる機会も多いと思うのだ。

その中で頼もしきは、不運と幸運を占う判定に殊の外強い我が戦友である。

彼ならば知らずにいた方が幸せだったことに気が付いて、ハゲ上がるようなこともなかろう。

中にはいるんだよな、嫌らしいGMが。判定基準が三段階あって、二段階目くらいの成功なら有益でも、成功しすぎると正気度をゴッソリ持ってくようなギミックを仕掛けるようなの。

「ま、まぁ良いけどよ……」

「頼むぞ、君が結構な命綱だ」

口をぐいと拭って正門へ向かえば、そこには旧い文字の看板と共に両開きの扉があった。

看板の文字は掠れて読めない。

しかしながら、門扉にある〝今し方塗られたような血文字〟は、嫌なのに妙にハッキリと見える。

「これは……何語だ?」

「旧い南内海の言語ですね」

私の知識に引っかかる所がなかったので首を傾げれば、ツェツィーリア嬢がそう言った。

「虚無の前に何があれり……帝国語に直せば、荒漠なる無の前に何があったか、でしょうか」

呟きくように読み上げられたのは一つの問いかけ。これ単体では帝国語に変換して貰ってもピンと来ない。

しかし、神学者であらせられる彼女には分かったようだ。

「ああ、神学論争の一つですね。全き善の神と全き悪の神が彷徨っていた虚無の砂辺は、さて誰が作ったのかという」

ああ、そういえば、こんな本を読んだことがあったな。帝国の神群も自分達を世界の創造主であると自称しているが、陽導神と夜陰神になる以前の虚無は誰が作ったのかを問う、既存の神学に意見を投げかけるものが。

無とは何か。

考えるととてつもなく、そして途方もない命題。暗い荒漠とした場所でさえ闇があり空間があったように、既に何かがあったではないかと詰るような論調の本であったが……。

小さな鼻で笑う声。神の寵愛篤き乙女は、心底下らなそうに普段はしないような所作をしてみせた。

「陳腐な二元論的神学批判……まさか、これに挫けた騎士がいたのですか?」

実に馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに尼僧は門扉に手を掛ける。すると、浄化の奇跡がもたらされたのか、おどろおどろしい血糊の文字は水になって溶け去った。

「神は虚無の寄る辺と共にお生まれになった。そして、纏まらぬ虚無に形をもたらしてやっと世界になった。全く、何千年前の命題だというのですか」

彼女にとっては信仰心を揺らがせる何物にもならなかった問いかけなれど……それは、洗練された現代の神学論争に造詣が深いからこそ無効になっただけで、神代の者達にはとてつもなく悪辣な問い掛けだったのではなかろうか。

神代に近く奇跡も魔法も強大だった時代であるのならば、魂も、命も、精神への議題もより複雑であったに違いないからな。

って……待てよ? もしかして、今回ずっとこんな精神責め系の迷宮?

嫌な予感に冷や汗を垂らしながら、扉が開いて立ちこめる埃っぽい臭いを嗅いだ。

「……スゲぇ。世界中の本を集めて来たみてぇだな」

隣で思わず呟くジークフリートに全く賛同だ。

塔の第一層は凄まじく巨大な書架であった。

膨大な本棚が渦を巻くように配置されている様は帝都の魔導院、その地下に設置された大書庫を思い起こさせるが、その浅い層とは比べものにならない邪悪さを感じる。

「汝、欲するがままの真実を手にせよ」

ツェツィーリア嬢の呟きは、書庫の入り口に掲げられた看板を読んでの物だった。

こちらは帝国語の前身たる上古語で書かれているから、私もちょっと読める。

「えーと、なんだ、本を読みながら進めってことか?」

「いや、多分逆だジークフリート。ほら、あそこ……」

謎掛けめいた言葉ながら、これは罠の誘いかけだ。

私が指さしたのは、塔の外側を縁取る本棚の影。

そこで本に顔を押しつけながら事切れた、屍蝋化した遺骸だ。

「うぇっ……」

「気を付けろ、距離を密に。多分だが、本に興味を惹かれて手に取ったらああなるぞ」

くそっ、だから欲するがままの真実か。真なる真ではなく、自分にとっての真。哲学が未熟な時代の人間に掛けるには最悪過ぎる罠だろう。何食ったら初手でコレをブチかませる脳味噌ができるかね。

定石では斥候のマルギットに進んで貰って安全を確保しつつ行くことだが、今回ばかりは密集していく方が良さそうだ。

幸いにも我々は各々趣味が違っている。一冊の本に群がって、誰かが静止できず全滅なんてこともないだろうよ。

「うーわー、こわ……見ろよあの連中、並んで死んでら」

「えっ、まさか順番待ちでしょうか」

趣味が悪い悪辣なる、偽の真実を詠う書架の間には無数の遺骸が散らばっている。

手にしているのは全土にあるとされる珍書・禁書の群れであり、思わず欲したくなる真実を表した表題ばかりだ。

「しかし、俺みたいに興味がない連中には、ただのカビ臭い場所だな」

「ほんと、君がいて良かったよ戦友。私はさっきから好奇心が疼いて疼いて」

「嫌味か?」

「えっ、灰色の王述懐録!? 犬語改訂版ってことは……」

「だっ、ダメですよマルギットさん!!」

各々注意し合いながら興味がある本から意識を散らしつつ進む。

理性が働いて一切反応しないのはツェツィーリア嬢とカーヤ嬢くらいで、あのマルギットでさえ反応してしまう本を用意する術式の凄まじさに舌を巻くばかりだ。

ま、まぁ? 私はこういうの強い方だから。見るなって言われたら絶対に見ない気質だし、真実は自分で……。

地図を書こうと目線を落としたその先、月明かりが明かり取りから差し込んで絶妙に照らし出されたのは本棚の再下段で目立たない場所。

そんな場所に収まっているのは、古びた革の本が目立つ中で、ビニール装丁のこの場に相応しくない本の群れ群れ。

細い背表紙に踊るのは、どんな古い言葉でも最新の帝国語でもなく、紛れもない日本語。

「ソードワー……ビーストバイン……」

「正気になれエーリヒ!!」

「おわっ!?」

後頭部を引っぱたかれて、やっと自分がしゃがみ込んでいることに気付いた。指は本の下段を押して頭を列から引っ張り出させ、傷付けないよう取り出そうと気遣いまでしているではないか。

「えっ!? わ、私……」

「あっぶねぇな!! 引っこ抜く寸前だったぞお前!!」

いや何だ今の!? 狡いだろ!? 二〇年近く取り上げられていた趣味を餌にするとか、この迷宮半端じゃないぞ!!

「よ、よし、全員手を繋ごう。これから先、下手すると〝ちょっと気になる〟程度の本じゃ済まないぞ」

「お前のそれ、ちょっと気になるどころじゃなかったぞ。酒を取り上げられた酔漢みたいにフラフラしてた」

欲した物を当人の脳から読んで偽書に仕立て上げる悪辣なることよ! そら興味が神学の一点に集中している聖職者だけの一団だったらポロポロ引っかかるわな!! 歴史の中に埋没した聖典や外典の何と多いことか。

かなり力業ではあるものの、我々はお互いの両手を取って歩き出す。即反撃できなくなるのは博打的だが、掛かったら最後、正気を喪った仲間が引っぺがせるか分からない本を無意識に取りだしてしまう罠よりかは幾分マシだ。

隊列を組んで本棚と熱中しすぎて果てた死者の合間を潜り、時に互いの欲望を打ち払いながら進む。

本棚は迷路のようになってはおらず、渦を描く貝の如く中央に向かっているので欲望にさえ打ち勝てれば大丈夫だ。

しかし、途中で血糊まで散っているあたり、本当に一つの興味で結成された一党だったら危なかったんだな。中には本を奪い合って殺し合いをしたような痕跡までありやがる。

人間の抑えがたい好奇心をぶら下げた罠とは、初っ端からおっかないったらありゃしねぇ……。

螺旋の中を様々な誘惑を退けつつ進めば、やっとのことで中央に辿り着いた。

そこに鎮座するのは一つの荘厳な台座。苦悶の表情を浮かべた三人の人間が絡み合いながら掲げ持つ本には、こう表題が記してあった。

〝剣友会の行く末〟と。

将来が書いて有るかもしれない、読むことができれば圧倒的なアドバンテージを得られる本に好奇心が擽られたが、そこは全員で手を強く結ぶことで耐えきった。

そして、誘惑にトドメを刺すべく放り投げれば、ズンと低い音が鳴る。

台座の周りには円形の斬り込みが入っており、本を投げ捨てることで何らかの機構が発動したのかゆっくり上昇し始めたのだ。

「やっと一層攻略か……」

じわじわ上がって行く光景を見下ろしながら、溜息を一つ。

くそう、こういった搦め手に我々はまだ弱いんだよな。それこそ今まで、最終的に斬り捨てたら何とかなるやろの精神で戦って来たもんだからなぁ。

滑らかに音を立ててせり上がる中央の円座で落下せぬよう密集していれば――丁度、六人も入れば満杯だ。補充の後続がいなくてよかった――足が竦むような高さの末に第二層へと至る。

そして、その光景を見て私は思わず呟いた。

延々と続く上への回廊。見上げてば果ては無く、無窮の空を思わせる闇が広がるばかり。

しかも外壁をぐるりと回る階段の連続。結構な急角度の上に手摺りもない、物理的にどうやって成立しているのか疑問に思うような構造をしている。

ここで唐突に肉体的な試練を課すのは止めて頂いてよろしいですかね…………。

【Tips】真に悪辣なるは人間の知識欲求を擽ってくる罠であることに疑う余地はない。知ることを欲する強さは、人類をおいて他に勝る存在などないのだから。