軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

青年期 二一歳の冬 三五

ライン三重帝国に時計は普及してないので――そう、何故か驚くべきことに――時計仕掛けの如く精密といった褒め言葉はない。

だが、アグリッピナ氏の操る術式精度は、正しくそれである。

狂わないはずのものが狂っていた時ほど、人が狼狽する場面もなかろう。

「ど、何処だ? 何処に出た!?」

空間遷移の特徴である、どんな競技であろうが切って捨てられる寸毫の間ではあるが〝異相空間〟を潜った気持ち悪さを感じつつも、私の目はどういう訳か、飛ばされるであろう標が打たれた上等な部屋を映していなかった。

ボイラー室を思わせる幾本もの管や謎の器機が犇めく場所に放り出されるなど、〈常在戦場〉によってもたらされる恒常的な冷静さが乱れるほどの異常事態だ。

少なくとも、人倫やら何やらを質入れにでもしなければ、頭金にも足りない高みにある魔導がスベったとは考えづらい。

普段の足にしている術式をトチる可愛げがあったなら、ライゼニッツ卿も存在しない脳と胃の疼痛に悩まされることもなかったろうよ。

むしろ、失敗したのであれば〝出現地点がズレる〟くらいでは済むまい。

十一次元の狭間に魔力で空隙を作り、局所的に現実解変を行っているなどという、冷静になると宇宙を滅ぼす起爆剤になり得る術式なのだ。私自身が世界中にばら撒かれて、死んだことにすら気づかない内に死ぬくらいなら御の字。かつて渇望の剣を投棄しようとしたように、座標を指定していない永劫の彼方に放逐され、現実と虚数の狭間で削り殺されるのが最悪か。

どうあれ、座標ズレはアグリッピナ氏の腕前、及び術式の本質的に考えづらい。私も曲がりなりに視界内であれば安全に飛べるようになった時点で、少しだけだが本質が分かってきたのだ。

世界の座標を捉えるのは、アドレスを入力するのとは訳が違う。ハイフンとカンマ、ダッシュとアンダーバーを間違えた瞬間、OSが飛ぶ術式に中途半端な失敗はない。

「……様子からするに、ここはクリームヒルトⅡのどこかか」

これは妄想に近い予感だが、何らかの因果が捻れているような気がする。

知覚も認知もできず、思考実験として弄ぶことしか適わない、人間の感覚器であれば実存すら証明できぬ何かが。

腐れ外道の魔導宮中伯閣下は核心の一部に触れているやもしれぬ、世界の内側でも高位の存在のみが触れることを赦される部分が狂ったのではなかろうか。

「おいおいおいおい、ただのお遣いのはずだろ……誰か運が悪い奴がいるな、クソッ」

兜をずらし、苛立ちに混ぜて髪を掻き毟った。

聞いてない、ほんと聞いてない。

そりゃ神器だよ、曲がりなりにも。行って帰って来るだけでも何があるか分からんから、できる範囲で最良の面子を宛がって、能う限りの努力をしたぞ。

ただ、こういった不条理の想定までできるか!!

「あー、クソ、クソ、ド畜生め!! 〈空間遷移〉を介した思念も通らん!!」

その上で、視界の範囲内くらいにしか、何故か魔法を上手く使えない。

座標が術式の上で上滑りしている。まるで住所を知っているのに、標識も何もない街路を歩いているかの如く結果に辿り着けない。そのせいで練った魔力が空回りして、暴発する前に大気中へ逃がしていくほかなかった。

何らかの認識阻害、あるいは概念を置換する妨害? そりゃ流石のライン三重帝国が魔導の結晶たる航空艦でも連絡できんわ。

これは基本的に〝人間と戦争するため〟に設計された船であって、神霊殺しのために作られた物ではないのだ。

戦略的な決戦兵器であることに変わりはないが、さしものアグリッピナ氏も要求 諸元(スペック) に世界概念の局所的改変に対する耐性なんて書かれていたら、皇帝と本気で喧嘩してでも引き下げさせたろうさ。

個人でも絶技なのに船一隻、それもイージス艦よりデカい船全体に行き渡らせる結界を張ろうとすれば、さしもの魔導炉とて飛び立てまい。

となると、こりゃ内側から何とかしてやらねばならんのか。

「あー……惜しいことした。アグリッピナ氏の狼狽顔が拝める可能性なんて、もう次の世紀までにあるかどうかだぞ」

本当に勿体ない。今の状況をちゃんと説明できていれば、いや、手応え的に私の出現位置が逸れたことくらいは察知しているか。多分もう、それだけで今後一〇〇年の内に拝謁できるか分からない、胸がすくような顔をしてくれたかもしれんのに。

人生で一回くらい、あのクソ外道の顎を落とさせてやるという私の大望が……。

ここまで意味不明な不運が重なったら、アグリッピナ氏とて言ってくれると思うのだ。

そんなことある? って。

「やだー……解決して帰ったら、私の不運話として消化されるだけだろ……」

下手をすると今世紀最後かもしれない好機が、知らぬ内に指の間からすり抜けていった寂寥感を引き摺りながら、とりあえず通路に出るかと歩き出す。

ここで私が死んでクリームヒルトⅡが未帰還に終わったら見られるかもしれんが、私自身が観劇できなきゃ意味がないし、キリキリ働くとしましょうか。

門外漢故に――そういえば、そもそもどうやって推進力を稼いでいるのだろう――この船の構造は全く知らん。そもそも通して貰ったのは貴賓室と船底の兵員待機室くらいのもので、機密の塊である船内には案内表示すらないのだ。

精々、避難時の誘導経路が書いてあるくらいで、部署ごとに扉が生体認証の結界を噛ませてあるらしく、勝手には往き来できないと来ている。

ただ、ここがコトの中心でないのは確かだな。工学noobには構造から重要な部分か否かは察せないが、雰囲気が普通すぎる。

多分、アグリッピナ氏が開発した閉鎖循環魔導炉とやらは、かなり禍々しい外見をしているだろうから近づいただけで分かるだろう。

だって疑似第一種永久機関なんだぞ。こんな普通の配管と機械の塊であったなら、拍子抜けもいいところだ。

「とりあえず、外に……」

通路に達する扉を探して歩いていれば、違和感が一つ。

眉尻が無意識にピクンとあがり、私の中で 二つの十面体(D100) が転がる音がした。

アイデアロール。些細な異変に気付けるかどうか、感性を問う瞬間。

「迷っている?」

その事実に気付くのは、然程難しいことではなかった。私が飛ばされた部屋はさして広くもないし、細く長い通路でもない。

つまり、十歩以上歩いても通用路に出られない時点で、直ぐに気が付いてしまうのだ。

そして、分割して併存する思考が警鐘を鳴らす。体を動かしている思考の中枢たる私が、外に出ようとしているのに〝扉を探そうとしていない〟矛盾的な陥穽に陥っていることを報せるべく。

今、私は意味もなく機械の前を彷徨いていた。

そうだ、部屋から出るには扉を探さねばならない。だが、扉を探しても外に出るには?

割った思考の一つが、取っ手を引くのだと冷めた答えを寄越す。

「なんてこった。思考すら迷わせるのか」

ただ道に迷うなんて物じゃない。望む現象への過程すら眩ませるなど、精神魔法に長けた東雲派や結界術と混ぜて使う中天派の魔導師でも困難なはず。

ふと冷静になると、こんな事態に近衛が対応していない訳がなかろう。試験艦の乗組員に値すると評価された人員だけあって、彼等は上から下まで忠誠心の塊にして玄人意識を持ち、アグリッピナ氏が教育を施した面々。

百戦錬磨の精鋭が異常事態に何もできずにいるはずがない。

たしか、異常があれば各所の警告灯が回って一瞬で船全体に警告が行くはずなのだ。

だが、船内の全員が〝迷い続けている〟と仮定すれば。

「マジか……人間じゃ対応が難しすぎるぞ」

部屋を出るためには扉を開けねばならぬ当然の因果にさえ迷わせ、警報の釦を押すだけの簡単な結果にすら到達させぬ混迷の靄。原則として思考が一本しかない普通の人類であれば、日常的な行動すら自動失敗させるなんて悪辣が過ぎる。絶対にPLだったら使わせてもらえないヤツじゃないか。

私は辛うじて〈多重併存思考〉にて別の思考がツッコミを入れてくれているので、到達点に辿り着けない試行を繰り返さずにすんでいるが、これは船内の人員は阿鼻叫喚だろうな。

下手をすると異常事態に対応するには、椅子から立ち上がらねばならないことにも気付けずにいる要員もいそうだ。

緊急事態であると認識しているのに、指示通りの行動ができないなど近衛にとってはケジメ案件。彼等が恥のあまり陰腹を斬って元上司に詫びを入れに行く前に解決せねば。

早々に片付けるべく扉に手を伸ばしたが、私が握ったのは取っ手ではなかった。

『~~~~~~~~~~~~~!!!!』

軋り叫ぶ、割れた硝子と金属を擦り合わせるような悲鳴を上げる渇望の剣、その柄であった。

途端に頭の中が明瞭になった。ぶつ切りにされて全体像がボケていた組絵が、有るべき形に配置されたような爽快感。

私は、自分の脳がかくも散り散りにされていたことにさえ認識が及んでいなかったのか。

「なんだ、ここに来てお前か……」

「~~~~~~~~!!!!」

赫怒の思念を軋む絶叫として撒き散らしている、私が強い限り私を好きでいる拗らせた厄物は、無理矢理に引っ剥がされたのが相当に気に入らなかったのかお冠だ。

むしろ、もうここまでくれば何があっても喋りはしないし、人間の体を得ようともせず王道を徹底的に拒否する、存在骨子の硬さに尊敬の念すら抱いてきた。

「そうか、斬りたいのか。なら、教えろ、ここまで来ることができるお前なら、大本の場所くらい分かるだろう。褒美に斬ってやるから」

呆れつつ〝殺し〟にだけ特化した狂犬の手綱を離せば、刀身が微かに震えを帯びた。

異様な静けさに包まれた通路に出て左右に向けると、右の方に指せば振動が強まる。

斬り殺したい相手のところまで導いてくれているのだ。

複雑な迷路めいた通路を幾つも通り抜け、扉を潜り、封鎖されていた扉は幾つか斬り捨てる必要はあったが、四半刻ほどかけて一際頑丈に閉じ込められた一つの道へと辿り着く。

ああ、そこまで造詣が深くない私にでも分かる。この通路の向こうに深く、暗く、人類のままでいたいなら触れない方が良い物があることが。

四機の並列し相互補完する閉鎖循環魔導炉が放つ魔力は、通路を隔てて尚も肌が粟立つような気配を放っていた。

船のボイラー室は熱中症になるくらい暑いというが、この重々しさと比べれば格段にマシな環境かもしれぬ。少なくとも私はどれだけ高給を提示されようと、あの中を職場にはしたくない。

だが、入りたがる奇矯な存在もいるものだ。

相応に巨大な炉を搬入出するため広大な通路の向こう側、扉に手を掛けてアグリッピナ氏が施した封印を――整備中以外開けられないよう、部屋ごと 気密処理(ブラックボックス化) しているようだ――維持する術式陣に指を掛けている。

それは、五つか六つくらいの童女であった。月夜の光で塗られたように艶めかしく白い肌に、満月を思わせる黄金と新月の虚が如き黒の 金銀妖眼(ヘテロクロミア) 。髪は月の表面を覆うとされる砂もかくやの淡い灰色で、足下に引き摺る長さは神秘的であると同時に生活の便を考えぬという一点において人外の雰囲気を醸し出す。

顔は均整が取れているなんて言葉では足りないくらい、童女であることを加味しても酷薄なまでに麗しかった。その美貌のあまり、可愛らしいとか綺麗などといった形容より先に恐怖がわき上がる。

「……不敬なるぞ、ヒトの子。狩りの夜に何故惑わぬ、何故蹲わぬ」

術式陣にかけて埋まっている右の手とは逆の手にあるのは、古式ゆかしい長弓。滑車も複合材も使っていないが、猛烈な神秘を宿した武器は狩猟の象徴であると私に直感させた。

傍らには熊がいる。童女と同じく幼い小熊は、灰色熊であろうか。

甘いような、酸いような、得も言えぬ芳香を〝月の臭い〟と感じた理由は何か。

何かは分からないが、あれは神格だ。

それも、堕していない、今だ権勢を持つ本物の。

「頭を垂れよ、平伏し月夜に 紕(まど) へ。 吾(あ) が姿を直視する無礼は許さぬ。吾が誰であると心得る」

しかし、言葉一つで頽れるまでの圧はない。

本物の神格が軽々に地上へ降りてこられないことは、神器集めによって重々分かっている。

だとすれば、可能性は一つだ。

伝え聞く使徒よりは強力そうであるならば、あれこそが化身。

第一世代、神の劣化複写品。

「ああ、大体分かった」

大方、トリーノの方で何らかの信仰に纏わる政治的陰謀が蠢動しており、我々の到来を機に捲土重来と博打にでも出たか。

化身の降臨なりを願い〝閉鎖循環魔導炉から漏れる無尽蔵の魔力〟を吸い上げさせて、何らかの儀式で地方の趨勢を代えようとしているのだろう。それと、あわよくば邪魔な神器の破壊か奪取でも狙ったかな?

信仰の食い合いは兵演棋にも似ている。大事なのは大駒の居所と、どれだけの戦域を占有できているかだ。その前提が変わらない限り、我々が存在している基底現実でさえ、上位存在にできることは有限。

あらすじだけ分かれば、それでいい。

なに、簡単な話じゃないか。態度がデカいガキは小突いて分からせるに限る。

こちとら信仰は全盛の上、西方大陸有数の人口を持つ国家で主神を張ってる野郎の孫に喧嘩を売ろうとしているのだ。地方で燻って、食うに困り本来は拒絶せねばならぬ魔導に縋るような〝残り滓〟にビビっちゃやってられんのだ。

朝日の先駆けに喧嘩を売ることを考えれば、鬱陶しい残業の範囲内で助かったよ。

それに、渇望の剣の夜泣きが酷くなりそうだったのだ。寝付きを好くするため、斬っても怒られない敵がいるのは、今の私にとって大変有り難いことだった…………。

【Tips】雌熊大神、あるいは月湖神。トリーノ近辺でかつて信仰されていた地母神にして月の女神、更には夜闇を支配する獣の女王。三重帝国の伸張に伴って、半ば属国に近い形に置かれたこともあり神群に取り込まれつつある地場の神格。

かつては南内海にも影響を及ぼす強力な神格にして、幾つもの神格を取り込んだ強大な神であったが、因果は巡り今は自分が夜陰神に月湖神として貶められ神格が揺らいでいる。