軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

青年期 二一歳の冬 二一

薬湯の味は何年呑んでも好きになれないが、今日ばかりは浴びる程に呑まねばならぬかとマルスハイム冒険者同業者組合が組合長、マクシーネは思った。

剣友会が盛り上がっている。密やかに市中に潜り込ませた間者――剣友会に送った者は〝耐えられなかった〟が――からの報告は、とても色よい物とは言えなんだ。

連中が喜び勇んで、総ざらいで具足と槍、剣に弓を磨き始めたら碌なことにならない。

こと、ここ五年、あれらが本気を出して胃に優しかったことがあろうか。

モッテンハイムの戦、カンダーン乾原でやった野党の根切り、ヘリッシュリート小会戦への横槍。

そして、ジークフリートが帰るより前に持ち込まれた〝荘潰し〟を討ったという情報。

「……何が姉上、何卒よしなによ」

姿見から睨み返してくるのは、相変わらず若白髪だらけで灰色になった髪が嫌に目立つ、彫りの深いバーデンの血が流れる顰め面。眉間の皺などほうれい線が浮かぶより先に癖になって、 火熨斗(アイロン) を念入りに当てたって伸びはするまい。

そして、触ってもいないのに髪がはらりと一本落ちた。

初老という歳でもないのに白髪まみれの髪の中、貴重な根っこから先まで黒い髪が落ちたのは、何らかの凶兆か。

「あのイカレ共が何をやらかすか。何をしでかしてくれるか。何をすればよしなになるってのよ」

彼女は公にはしていないし、認知もされていないがマルスハイム辺境伯の姉だ。腹違いなれど、幼い頃は一緒に養育され――バーデンの連枝には、何年か民草と同じ生活をさせるという習いがある――面倒を見てやった愚弟は、いつだってそうだった。

コトが大変なことになってこんがらがって、自分で解くのが面倒になったら「あねうえー!」と泣き付いて来くさる。

靴紐から政争、治安まで全部だ。

彼女はマルスハイムの無頼を束ねる頭領の位に相応しいと、先代マルスハイム伯より信任を受けた才女だけあり、近辺で起こっていることは大凡全て把握している。

有力な一党の頭目が何処の宿屋に何リブラをツケているやら、仲介業者を通して非合法な仕事を片付けさせている馬鹿の帳面まで全部だ。

故にこそ胃が痛む。知らなくてもいいことを知り、そしてそれらを「何とかしなくては」と感じてしまう良心があり、悪いことに〝ある程度何とかできる〟能力があるのが悪かった。

何もできない、担ぐのに易い軽くて大きな神輿であれたなら、生きるのも楽だったろうに。

またぞろ、あのイカレの群れが、五つの子供が寝床で見るような夢を見続け、剣の腕前だけは達人のように磨き上げられた軍集団が動き出す。

そうすると碌でもないことになるのだ。

だからマクシーネは剣友会を使おうとしなかった。

あれは切っ先から柄頭までが凶器の特大両手剣だ。扱いをトチれば死ぬ。片足が落ちれば済むくらいで済んだら御の字の凶刃であることは、土豪の乱が本格化する前から分かっていたではないか。

それを自分なら扱えると勘違いした馬鹿がやらかした尻拭いで、どれだけ面倒臭いことになったか。

あんな厄介な男、放っておけば全てを破壊して回るような、ただ戦うことに、自らと配下の性能を上げることに喜びを見出す狂人に 緑青(上から四つ目) などという、至尊に近い 階(セキュリティ) 級(クリアランス) を与えることになるのだ。

飢えた猟犬の手綱を手放すようなものである。

今やアレは何処にでも行ける。 緑青(グリーン) の階級章となれば、騎士従者と変わらぬ権限があり、マルスハイム内の関など全て素通りだ。彼の軍団も又然りで、剣友会の会員と知れば大抵の門衛が詮議もせず通すだろう。

そして、放っておけば痛みを忘れていられた古傷を強引に治療する。

地方は、ある程度荒れていなければならぬのだ。

ライン三重帝国は地方分権国家のようであって、経済は中央に集約されるような構造となっている。そして、人間というイキモノは誰かが得をするためには、誰かが損をしなければならない。

中央の豊かな富は、地方からの収奪があってこそ成り立つ。

正直な話、彼女も土豪を暴発させるのはやり過ぎではないかと思ったが――流石に彼女とて、中央政界には手が伸びぬ――マルスハイムが十年か二〇年かすれば、穏やかになるのは良い。

公式の場では甥や姪と呼ぶことの許されぬ、小さな子供達の手に楽土が渡るのであれば我慢はできる。

だが、完全に治まるのは拙い。

ここが狩り場である内はいいのだ。衛星諸国家との小競り合いの先鋒になるくらいで終わる。

だが、もしもマルスハイムが豊かになり、盤石となったら?

三重帝国は今、行政能力のギリギリを見越して拡大を止めている。

帝国はじわりと触手を伸ばすだろう。もうちょっと食える、次のマルスハイムにあたる辺境を食えると。

貧しい地方がなくなったら、新しい貧しい地方を造らねばならぬ。

枯れ野に野火を放つように、また戦となろう。東方の交易路を再打貫し、経済的、そして軍事的な小休止を終えた帝国なら動ける。

それに皇帝は内政に向けて無血帝が着いたが、最早その名は形骸に近しく、後世には新しい忌名が語られよう。

ナイトゥーア湖畔会戦では両軍合わせて一〇万近い軍隊がぶつかって、たったの四刻程度の戦争で二万からの人間が死んだのだ。

彼は自分を〝見せ札〟とした。諸国から、あの吸血種が王座に就いたなら、暫くは東と懇ろするのに忙しかろうと気を抜かせるため。

だが、彼は吸血種。そして帝国は官僚制の国家だ。

持久戦には何処より強い。

気が長く、命に頓着せず、研究肌で軍権になんぞ大して興味がない皇帝は、軍隊という痩せた飢え犬の群れの使い方を熟知していた。首輪の紐さえ握っていれば、勝手に飯を食ってくれる楽な飼い犬だと弁えているのだ。

仮令それが、放っておいたら〝地の果てまで届くような長い紐〟であったとしても、最後の最後に掣肘できれば良しとする合理の極み。

生中なことでは死なぬ、と無意識に考えている非定命共の驕りそもののではないか。普通ならおっかなくて仕方がなかろう。中途半端な軍権を得た連中が、地方でちょっとした勢力として独歩を気取りはしないかと。

紐が繋がる先が、どうあったって親戚だろうと普通は怖い。地方で勝手に新しい帝国をブチ立てよう、なんて短慮の懸念は無用にしてもだ。

第一、ライン三重帝国自体が分家筋の傍流だった開闢帝の反逆から興ったことを、誰もが忘れすぎてはいないだろうか。

一度やったことは、二度でも三度でもあるというのに。

今、無血帝の下には東方征伐戦争を戦い抜いた猛者が揃っている。東方から流れ込む莫大な富を軍事力に変換して、戦うことを得手とする寿命が短い連中が幾らでも時を待っている。

譲位の噂が出ているグラウフロック公とて、まだ一戦くらいなら現役でやるだろう。五〇年生きれば、かなりの長命と呼ばれる人狼なのだから、もうちょっと大人しくなってもいいものを。

竜騎帝が愛し、鍛え抜いた竜騎兵隊は大飯ぐらいなのに、軍縮を噂されて久しくとも竜舎が畳まれたなんて話は全く聞こえぬ。

帝国はまだ、満身の握り拳を解いていなかった。

敢えて挑発的に顎を見せ付けて、さぁ殴りかかってこいと挑発しているような節がある。

帝国そのものは土豪が潰えれば得をするような絵図が描かれているのだろう。

ただ、マルスハイムにおいては、その限りではない。

「あの愚弟、本当に分かっているのかしらね」

アレはアレで見るべきところもあるが、と苦労慣れした姉は溜息を抑えられなかった。

確かに父の血を引いて現辺境伯は政治が上手い。されど、のほほんとし過ぎているきらいがある。

平時の能吏といえば聞こえもいいが、平時とはまた別の意味での乱世なのだ。

乱れ具合と〝敵方〟が違うだけで、戦争をしていなかろうと、何時だって世は荒れているのだ。マルスハイムが辺境から中央政治に呑み込まれるようになれば、今までのやり方では何一つ通用しない。

マルス=バーデン家は、この等閑な辺境政治に浸かりすぎた。

今までは辺境伯が倒れれば帝国全体が損をするので背中は安全だったろう。ここが潰れれば、誘ったのとは別で弱みをつけ込む形で諸国がやって来る。だから誰も脅かそうとは思わぬ。

だが、最も良く斬れねば困る部分の刃以外が多少曇っていようが、気にならないのと同じようで、何時までもマルスハイム辺境伯位が安泰とは限らぬ。

曲がりなりにも、暴発寸前で御せていたマルス=バーデン家がいなければ困る。その図式が壊れれば、あっという間に別の解法が姿を表しかねない。

だから、ある程度の治安悪化はむしろ、政治的に必要なのだ。

土豪が倒れきると損をする者がいる中で……率先して潰して回る剣友会は危険に過ぎた。

ただ、背後にチラチラと見えている長衣の影が、貴族でもないマクシーネに手を出させることを躊躇させる。

しかも、金の髪自体が政治を如才なく乗りこなすのが腹立たしい。

評判が良すぎるのだ、アレは。ケチを付ける余地がない。

どこでいい金蔓を掴んだのか分からないが、同業者組合側からの操縦が全く効かぬ。

普通、もうちょっと調子に乗るか欠点があるものなのだ。琥珀階級以上の冒険者に登れるような者は。

緑青ともなれば表道具を堂々ぶら下げて歩いたって、立哨が文句を言うなくなろうに、規則を守って都市内では鞘を空にするか、出陣前でも柄袋で覆ったまま。大路で配下を引き連れて横並びで傲岸に笑うこともなければ、ツケという言葉を彼の口から聞いたことのある酒屋も宿屋もないときた。

大酒カッ喰らって野良犬に餌をやりもしないし、花街で遊び歩くこともなければ、酒屋の女給の尻を触ったなんて色話もなし。

剰りにも可愛げがない。

冒険者同業者組合の長として操りきれぬ冒険者なんぞ、フィデリオやロランス、他の不逞氏族諸氏だけで腹一杯なのに。

心底から冒険以外に興味が薄い、いやさ、ないに近しい怪物を放し飼いにされては困る。

神代なんぞ明けて久しかろうに。問題があるからといって、片っ端らから片付けられては治まる物が治まらなくなる。

「人の庭で好き勝手してくれてからに」

既に騎士階級からの突き上げも厳しい。フィディアのエドゥアルドは、いつか自分達が挙げる首だったのになんて言われても、マクシーネからすると知るかと唾の一つも吐きたい気持ちだった。

だったら冒険者如きに解決される前に、さっさとやっとけという話だ。半刻後に首実検を兼ねて――後で魔導的に本物か確認する。偽首で小銭を攫う阿呆は多いのだ――面を合わせる予定の悪党なんぞ、苦情を寄越す時間を使って自分達で探せば良いのだ。

さすれば、巡察吏よりも剣友会の旗の下の方が安心できる、なんて余所の領地だと所払いになりかねない醜聞も立つまいて。

「ああ、嫌だ嫌だ……」

どうせなら、もっと南でやればいいものを。空飛ぶ船なんて迂遠な物を作らないで、南内海に面する衛星諸国でも併呑した方が話も簡単だ。さすれば不凍港なんぞ簡単に手に入って、あんな壮園何十個もの税収を費やしてやっとこ飛んでいるような代物を、火車を回す勢いで用立てる必要なんてなかろうに。

マルスハイムから見える絵図では全体が分からないのは当然だが、果たして帝国の大戦略が何を求めているのか。

不凍港が欲しいだけなら、半ば属国化している南内海の都市連合を地続きになるよう占領し、併呑した方が遙かに効率が良い。セーヌを初めとする西の大国と殴り合うより簡単な筈。

どうあれ、余所でやってほしいものだ。謀略や政争なんてものは。

自らの居住まいに隙がないことを確認したのち、マクシーネは客が来るより前に貴賓室へ行って時を待った。

彼女はいつも、重要な案件を持ってくる冒険者を先に部屋に入れるのではなく、部屋で待つことにしている。

空気を作っておくのだ。相手に合わせると同時、自分がやりやすいようにコトを運ぶべく。

「や、どうも組合長。ご無沙汰しております」

大抵は空気で〝呑める〟。この貴賓室の調度は、そのために設えているし、彼女自身もそのように振る舞う。

されど、この金髪相手には上滑りするだけで上手く行かぬ。

「……頭目御自らとは。些か心配性が過ぎるようで」

「いや、ちょっと私からしておきたいお話もありましたので、同席させていただこうかと。お茶の添え物くらいに思っておいてください」

「お前なんぞ囓ったら胸焼けしそうだがな」

部屋に通されたのは平服姿の冒険者二人。昨晩の内に届けられた時間を請う手紙のまま。

要件も表向きから変わらず、ジークフリートの手には箱がある。

流石に会館の前までそっ首ぶら下げて歩き回るのも剣呑に過ぎるので、態々整えて箱に入れてきたのだろう。

荘潰し、フィディアのエドゥアルドの首級を。

「ご確認を」

ジークフリートが断って箱を開き、中から絹の布に包まれた塊を取り出す。無骨な指が解いて露わになるのは、死化粧を施された小鬼の痩せ首だ。

「これが荘潰し……」

瞑目させられた首は洗い整え、魔法薬で腐敗を抑えられているのだろう。討たれてから時間も経っていように、皺が寄った平原系の小鬼らしい緑色の肌は、死化粧によって眠っているかのよう。

「我等が麗しの、若草の魔法使いによって加工されております。何もせずとも半年は腐り落ちませぬ」

「そう。それは晒すのに労がなくて魔導院も助かるでしょう」

しかし、それをして抑えきれぬ怖気がある。死体が発する怖気ではない。死して尚、邪悪を食み、数多の屍を拵えて、その山の上で笑ったという逸話のある怪物が発する威圧。

たしか、子供を脅しつけて寝床に入らせる類いの話では、死なぬ程度に首を斬り、そこから垂れる血を酒杯に溜めて嗜んだという話もあったが、強ち嘘でもなさそうだとマクシーネは思った。

形だけ、見たままを絵にすれば、ただの痩せた小鬼だが、首だけでも人を殺してきそうな気配が耐えぬ。これならば、魔導的に本人だと確認せずとも、碌な人相書きも出回っていない――それだけ生還者が少ない――悪党でも疑わずに済む。

見せて回るだけで、行政府もすぐ納得しよう。無論、法規通りの本人確認はするけれど。

「千人から殺してる徒党の親玉にしては、まぁ呆気ない様ですな」

自分が討った皺首の頭をポンと叩くジークフリートに組合長は叫びそうになった。

よくぞ、こうも恐ろしい物をそんな気軽に扱うものだと。

もし禿頭を叩かれたことに怒り、目がカッと見開かれたらどうするのか。

「たしか、首だけで五〇ドラクマでしたっけか。生きてたら倍は堅かったろうに」

惜しかったなぁ、とでも言いたげなジークフリートにマクシーネは訂正を入れた。

「いいえ、有志からの追加報酬を攫えば一〇〇にも達しましょう」

この小鬼に恨み骨髄で個人的な懸賞金をかけている者は、貴族平民問わず多い。懸賞金とは法典で幾らまでと規定されているため、何もその地の領主が気分で値付けをしている訳ではないのだ。

「これではおちおち、二才衆を集めて新規壮園の開拓もできぬと、投資家気質の貴族家が殊更疎んでおりましたので」

ひゅう、と小さく口笛を吹く戦友の脇腹を、頭目が肘で打った。気分がよくなる金額なのは確かだが、喜ぶのは後にしろと。

「幾つかの名家、それと大路の大店が商業同業者組合経由でお触れを出していたはずです。此方で請求して回りましょう」

行政府が出せる額には限界もあるし、割に合わぬと首を狙う者が減ることもある。数年前、目の前の二人がひっ捕まえてきたヨーナス・バルトリンデンのように。

地方で領主の裁量で懸けられる、賞金の最大額が五〇ドラクマだ。首だけでに付けられる懸賞金の最大額で、これ以上となれば一々議会を通さねばならぬので、ただの悪党か、最早対処し難い〝災害〟に近い存在なのかの線引きともされる。

ただ、相手が強くなればなるだけ、都市戸籍を買って余りある金でも、頭割りを含めるとどんどんと割に合わなくなる。

熾火に風を送るよう懸賞金を上乗せして、割に合うようにするのが個人による有志の献金や報酬金。面子のためさっさと殺して欲しい面々もいたので、それらが掲げていた懸賞金を全部小まめに攫っていけば、首だけでも倍にはなろう。

この制度をエーリヒは後から知ったが、別にヨーナスに対して方々へ寄越せと言って回らなかった。一度、渡そうと態々訪ねて来た商家もあったのだが――身内でも襲われたのだろう――その金で慰霊をと頼んで受け取っていない。

あの時はまだ、名が売れる方が大事だったからだ。

「骨折りでしょうから、感謝いたします」

「あー、とりあえず、じゃねーや、えーと、子細はお願いいたします」

二人揃って礼をする冒険者――黒髪は、今のあってるか? と相方に聞いていたが――に組合長は、今回は受け取るのかと少し残念に思った。

今や剣友会は十分過ぎるだけ名を売った。ここから更に名が欲しかったなら、晒した首の外に被害者の慰霊碑でも実費で立てた方が効率も良い。

マクシーネとしては自分の財布が痛みはしないが、時間という金を積んでも買い戻せない手間がかかる。

義務ではない。かといって、剣友会相手とあれば、もう勝手にやったら? とでも言えない程度には不義理でもある。

「どうか組合運営のため、有志からの賞金は二割ほど、心付けとしてお納めください」

「……ええ、謹んでマルスハイムのため、使わせていただきましょう」

「後進、そして我等を筆と紙で以て支援してくださる職員方、その労に報いるには些少ですが、皆様へよしなにお伝えください」

のみならず、相手が流儀を弁えているから困る。横車を押そうにも、荷台が重すぎて車輪が地面にめり込んでいると、どうにもならぬのだ。

「で、金の髪殿が態々いらした理由は?」

もう面倒だと、マクシーネは迂遠な会話を打ち切って、黒茶の代わりに持って来させた薬湯を啜った。

〝コレ〟は敵にさえ回さなければ、生み出す混沌はマシな方なのだ。良かれ悪しかれ、余波によって乗っている船は大きく揺れることになるのだが。

既に胃はしくしくと痛み、老齢からか、あるいは膨大な書類仕事からか手首の関節がみりみりと疼痛を訴える。この感覚からすると、半刻もすれば雨が降るだろう。

厄介な案件には、さっさとお引き取り願いたかった。

「いえ、大したことでは。剣友会で軍を挙げ、ヘイルトゥエンを討とうという話になりまして」

ことり、と薬湯の器が受け皿へ置かれる。

盛大に噴出しそうになった薬湯の代わりだ。

「それはまた、遠くまで行かれるのですね」

「たまには遠出させぬと足が萎えますのでね。若い内から散策の趣味を持つのは健康に良いとか。開闢帝も徒歩移動を好まれたそうで」

これまたしれーっと宣っているが、それがどれだけのことかは、マクシーネだからよく分かる。

今、冒険者が功名の種として好むのは落人狩りだ。名がある土豪側の騎士を狩れば、それだけで位を一つ上げる会議に名を出せる。

ただ土豪も組織的抵抗力の過半を粉砕されたとして、楽な的ではない。解れつつも紐帯を保ち、帝国への嫌がらせがしたい連中からの支援を引き続き受けていて、枯死するには程遠い。

だが、その連絡網の中継点が一つ崩れれば。

ヘイルトゥエンの城館が落ちると、孤立する土地が幾つもある。長躯敵の懐に潜り込んで、少数精鋭にて手柄首を掻き取る手法もやりやすくなろう。

彼女が束ねている無頼は、元来そういった連中なのだ。

また、絵図に歪みが一つ。

治安は良いに越したことはない。ただ、軍事機構や民兵組織が無駄飯喰らいに成り果てるだけボケるのも拙い。

最早、自分の櫂で水面を漕いでも、進みたい方向に進むことはできぬのではないかと思い、マクシーネは座っているのに頭が眩んだ。

政治とは海のようなものなのだ。凪いでいるかのように見えても、目に見えぬ海流に流されて直進できないこともあれば、何千ドラクマも投じたような巨船が一揉みで沈むようなこともある。

「まぁ、手柄首の一つ二つかっ斬ってきますので、同輩達に発破の一つもかけてやってください」

「……ええ、心得ました。で、いつ頃のご予定で?」

「冬至を過ぎることはありませんよ。絶対に」

ここで、もう全部擲って「やだ! ちやない! あたちわるくない!!」と暴れ回れたら良いのに。そんな詮ないことを考えながら、とりあえず次に私的な場で出会えた時、弟は物理的にも口舌でもとっちめてやると、組合長マクシーネ・ミア・レーマンは心に堅く堅く決めた…………。

【Tips】慣例という程ではないが、大捕物をやる時に組合へ一言報せておくのが高位冒険者の作法である。

もし帰って来なかったら来なかったで、それを伝え報せる者は必要だからだ。