軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

青年期 二一歳の冬 九

会長、団長、旦那、師匠、エーリヒ。とりあえず私は色々な呼び方をされているが、この部屋は身内には会長室で通っている。

私は自分で言うのもなんだけど、平成初期の生まれなのに昭和的な古い憧れも持っている。だから自分達の塒を建てるとなった時、一国一城の主になったなと思ったのだ。

故に、こうやって職権が許す限り自分の部屋を多少豪勢に用意させた。人を通して誰にも聞かれないよう話をする必要がある相手の存在もあったが、そこに多少の個人的な意志を挟むことに自分で自分を納得させたのだ。

長く座って、楽しくない部類の仕事、つまり書簡や書類を弄るならば少しでも居心地が良い方がいいと思ったから。

だけど、今、最高に居心地が悪い。

「貴女、とても綺麗な髪ですわね。お手入れは何を?」

「え? あ、いや、あの、櫛を通すくらいで……」

「そうなの? それでこれって、やっぱり吸血種って凄いのね。剣友会にはいないから、実は昔から知り合ってみたいと思っていたの」

なんだか私の幼馴染みがジゴロみたいなことを私の友人に囁いている。

部屋の片隅、普段あまり使うことのない応接用の長椅子の上で。

専ら隣の寝室で寝ると本気寝に突入していかんな、という時の軽い休憩に使っている長椅子で、マルギットがセス嬢に絡んでいる。

多義的に。

「ああ、牙も長いのね。私も人から長いと言われますけれど、この鋭さはやっぱり吸血種特有ですわねぇ……中に管が通っていると聞きましたけれど、本当ですの?」

「いい、いえ、あくまで傷を付けて唇で吸うための……」

足を閉じて楚々として座る尼僧の横に狩人がぴったりと寄り添っていた。髪に手を通し、顔に触れ、異性であれば 顔面だけ秋に戻っても(ビンタを喰らっても) 文句を言えないようなことをしているではないか。

「触ってもいいかしら。私の牙も、ほら、種族によっては毒もあるみたいなんですけれど、ただ鋭いだけでしてよ」

「あっ、あぶ、危ないので何卒……」

「あら、任意で縮めることもできるのですね。とても便利そう」

その何とも言いづらい光景を横目に私が何をしているかといえば、幼馴染みにさっさと働けと尻を叩かれ――比喩表現だ。一応ね――書簡を認めている。

相手はマルスハイムの夜陰神聖堂座主だ。

ヴィリという初老男性の僧とは、仕事の関係である程度の繋がりがある。冒険者の氏族として、学ぶ覚悟がある者は来る者拒まずで採用したので何人か武僧志望が加わったからというのもある。

夜警も司る夜陰神は、慈母の神格なのに配下には脳筋もいる。悪党は夜にこそ動く、と考える者達は夜の静謐を守るべく、聖堂騎士団に名を列することを望んで実戦に身を投じるため在俗僧をやることがあった。

セス嬢とは趣が大分違うが、そういった血の気の多い面子が配下に加わったことで、とりあえずお義理で挨拶したのが友交の始まりだ。

肩を組んで酒を飲む……ような間柄ではないものの、マルスハイムが荒れていることを憂いて対策を考え、お茶を挟んで世辞を挟まず愚痴をこぼす仲間だ。

少なくとも「お歳暮送っといてね」と名簿の中に突っ込んではいるが顔を思い出すのに難儀するような相手と認識されてはいないと思いたい。私と一緒で配下の掌握に苦労しているようで、共通する愚痴が多かったから。

だから一応、助けになってくれると思う。

彼の配下には何人か夜陰神聖堂を駆け込み寺として逃げてきた、愛人や後妻に収まるのが嫌で逃げてきた女性もいるからだ。

潔斎派としては今回の一件に反対していることもあって、いい知恵を授けてくれるやもしれない。

手紙を認め、封筒に術式を込めて蝋印を捺す。剣を斜に咥えた狼の横顔は、配下が「そろそろ紋章の一つも掲げたい」と言い出したので絵が上手い者に声をかけ、人気投票で決めた物だ。

今では会員なら誇るように装備の一つに刻印してある紋章が封筒に封印を捺し、余人が開けば中身を燃え上がらせる錠となった。

手に持った人間ごと概念的に燃やし尽くす、凶暴な狼の顎型の錠に。

本当は内容本体を概念的に暗号化したいところだが、流石にそれは大量の熟練度を消費するので諦めている。個人を特定して、あるいは鍵となる術式の標を持っていないとSANチェックを強いるような秘匿度の高い術式は、記述の時点で術式を噛ませないといけないので難しいのだ。

その点、これはアグリッピナ氏に手間賃さえ払えば束で売ってくれるので、お安く済んで助かっている。

とりあえず、誰かに遣いを頼んで届けさせればいいとして……。

「あら、でも肌に塵が……髪も少し埃っぽいですわね」

「そ、それはすみません。何分、ここに来るまで強行軍で……」

ちょっと人を呼ぶのを躊躇う光景だなぁ。

何と言うか、若い会員の性癖を滅茶苦茶に歪めそうなので。

「ねぇ、エーリヒ。お風呂の支度はしているのかしら」

「ああ。やらせているよ。ここに来る前に頼んでおいたから、もう四半刻もすれば入れるんじゃないかな」

「そう。なら、着替えも用意させているでしょうし、丁度良いですわね」

何が丁度良いのかは聞かなくてもいいだろう。

私が仕事上がりのひとっ風呂が大好きなように、マルギットも風呂が好きなのだ。

彼女は狩人なので、自分の匂いを偏執的なまでに消す習性がある。元々蜘蛛人は種族柄体臭が薄いのは知っているが、ご婦人が好む香水や服に焚きしめる香へ一切興味を示さないあたり、職業病なのだろう。

彼女が相手にする獣は大抵の人類より鼻が利く。風上に立った瞬間に存在を察知されるようでは、とてもやっていけない。

「なら、お風呂に参りましょうかツェツィーリア嬢」

「え、いや、その」

「安心なさってくださいな。高貴な方に自分の髪を洗わせるようなことはいたしませんから」

「高貴……という程ではありませんよ。私はただの在野に身を置いた凡僧で……」

「徳の高い僧に奉仕するのが下々というものですわ」

彼女の意図を図りかねてじとーっとした目線を向けていると、まるで追い払うように手を振られてしまった。

ここは乙女の聖域でしてよ、とばかりに。

彼女が何を目論んでいるかは分からないが……まぁ、私が尼僧の風呂を介助する訳にもいかぬし、相方が隣に張り付いてくれれば安心もできる。

じゃあ、手紙をもう一通書いたら、部屋への案内は彼女に頼もう。

机の引き出し。普段は鍵を掛けている重要物保管用の棚を開け、あまり見たくない便箋を取りだした。

嫌というほどに覚えがある魔導波長の術式が、圧着された二枚の紙の間にびっしり刻まれたそれを見て溜息を一つ。

今回は手助けの代価として何を要求されるのであろうか…………。

【Tips】手紙の秘匿度を保つ方法は、専用の用紙を使う、蝋印に術式を刻む、封筒に細工をするなど色々あるが、一番は〝空間を飛び越えて〟本人に届けることだ。

騒がしい空間だった。

無数の計器が並び人々が忙しそうに自分の座席で仕事をしている場所は、窓の外が夜闇に沈みつつある中でも魔導照明で煌々と照らされて眠る気配がない。

「刻限だな。主機始動前 点検(チェックリスト) を実施せよ。略式ではなく全点検だ」

「諒解。各部署、点検実施。状況報せ」

「航法、警告灯無点灯」

「操舵、同じく警告灯よし」

「船体管制、こちらもよし」

「魔導管制、問題なし」

「偵察艦橋、上部、下部共に配置完了」

合板が剥き出しで、帝国的な価値観に則れば実用的過ぎて品がないと評価される空間にいる者達は揃いの制服を着ていた。黒い詰め襟は近衛府の所属であることを意味し、同時に胸元で閉じる二つボタンの細身な意匠により他部署との区別を付けている。

「全部署、問題ありません艦長」

「よろしい。次だ」

「諒解。通信確認……こちら〝クリームヒルト Ⅱ(ツヴァイ) 〟より管制塔、感度よろしいか」

『こちら管制塔、感度良好』

この空間に詰めているのは、全員が秘匿度の高い情報を扱うに足ると認められた忠臣ばかりであった。宮廷では専ら〝技研〟と呼ばれる航空艦開発を担う組織へ近衛府から出向した者達だけで固められており、全員がとある人物のお眼鏡に適った何らかの天才だ。

むしろ、その規模の天才でなければ、技研が考えた従来の船とは全く異なる運用法を学習してついて行けなかったから集められた、可哀想な人々と呼ぶべきか。

「管制塔、外観点検を頼む」

『諒解……地上作業員、目視確認完了。主機吸気口、及び排気口は異物なし。推進口も……よし。全体に目に見えた異常はない。以上』

「クリームヒルトⅡ、諒解」

実用実験段階にある〝魔導伝声機〟――尤も試験段階で通信範囲は極めて狭いが――による外部との通信を行っていた近衛が振り返り、部屋の中央部で仁王立ちしている人物を振り返る。灰色の体毛を持つ巨躯の人狼は、満足したように頷いて手元の点検表に目を落とした。

他の要員の制服を縁取るのが銀糸であるに対し、彼は金糸で飾った少し華美な制服を着ている。胸元に揺れる勲章と〝月食み大狼〟の家紋からして三皇統家、グラウフロック家の出身であろう。

「主機始動」

指揮官にむいた戦場でも良く通る重くて太い声。貴種らしく堂々とした立ち振る舞いの彼は、初の〝戦闘を運用の前提に据えた〟艦の艦長に任命された男なのだ。

「主機始動諒解。主機室、実施せよ」

『こちら主機室。一番から四番炉まで全て〝船体〟との接続解禁……魔力流路正常』

伝声管を用いた船内からの応答に伴い、部屋が揺れた。どくんと生命が脈打つような大きな振動の後、まるで船体に血が巡り始めたように微震が続く。

『今日は機嫌が良さそうです。多少振り回してもいけますよ』

「とのことです、艦長」

「夜間だ。無理はせん。気嚢へ浮遊ガス注入準備。離陸濃度まで上げろ」

「注入準備諒解。気嚢部、点検実施」

『こちら気嚢部。内圧正常、異常なし。いつでもいけます』

「気嚢、問題ありません」

「結構。浮遊ガス注入」

「浮遊ガス生成術式起動。注入開始」

指示に従って船体管制席に着いたヒト種が操作盤を弄り、船体に刻まれた術式が励起。注ぎ込まれた大量の魔力に〈転変〉の魔術を行使させることで、有り触れた大気を〝空気より何倍も比重が軽い〟気体へと変質させ、気嚢へと流し込む。

船体の震えはいや増すものの、それでも窓外の景色は変わらない。大勢の作業着を着た人間が動き回り、物資を集積した露天の乾船渠は幾つもの作業灯で照らされたままだった。

当然である。魔導合金で構築した巨大な船体の内側にある気嚢へガスを送ったとしても、流石にそれだけで浮遊することは適わない。気嚢が本体の何倍も大きくなって、やっと実現可能な設計である。

だが、機体が幾分か軽くなるだけで十分だった。少なくとも、乾船渠に座するか大仰な降着脚の扶けなしで地面に下りた瞬間、船体構造が悲鳴を上げるような巨体の重みが何分の一にも軽減されるのだから。

「降着脚の圧力軽減……規定値到達」

「よし、航法、各機能点検」

「諒解。操舵版を操作します……各方向舵試験駆動。管制塔、実働の視認を頼む」

『こちら管制塔、各舵、正常に動いている。以上』

「視認点検を感謝する。艦長、いけます」

「うむ」

重々しく頷き、人狼は隣へ目線をやった。質素で急激な機動を行う際に体を固定することだけを目的とした椅子の隣に設置された、不相応に豪奢で華奢な椅子に腰掛けた人物へ。

足が多い者以外は、皆揃って黒の詰め襟と脚絆を着込んだ黒喪が蠢く中で、その人物だけが異彩を放つ。夜会服を思わせる奢侈なローブは魔導師の証であり、見る者に畏怖を抱かせる紺碧と薄柳の金銀妖眼は億劫そうに眇められていた。

「発艦可能です、魔導宮中伯」

「ん、大変結構よ艦長」

「許可を」

「許可します。第二回、夜間飛行実験を開始なさい」

「はっ。抗重力術式起動! クリームヒルトⅡ、発進せよ」

「諒解、抗重量術式起動」

『こちら主機室。出力正常、流路安定』

「魔導管制室より報告。術式正常起動中」

「降着脚への圧力、順調に下降中……圧力計、零。船体、浮上します」

窓の外の景色が下へ流れていく。気嚢によって重みを軽減された巨大な船体、上から見れば扁平な鏃のような姿をした全長二〇〇mは下らない、最新型魔導炉と新型理論、及び新型装置を詰め込んだ実験艦、クリームヒルトⅡが大地の頸木から解き放たれたのだ。

「降着脚を収納後、高度一〇〇〇まで上がるぞ」

「諒解。降着脚収納」

「収納、及び固定完了」

「よし、垂直上昇。微速だ」

「微速、垂直上昇諒解。推進器、出力を上げろ」

指示に従ってクリームヒルトⅡは姿勢を維持したまま上昇していく。重力から解き放たれた船体底部の推進器が熱を帯び、熱せられた空気がごうと音を立てて、不運な最期を遂げた船と同じ名を与えられた実験艦を高みへと運んだ。

地上ではことの推移を見守っていた作業員達が、無事飛び立ったことに喜んで帽子や手ぬぐいを振り回している。

この名も最初は竜に絡まれて沈んだ試験艦の名前を流用するのは如何なものかと周囲から苦言が湧いたが、今では順調さによって誰も文句を言わなくなった。

一部の者は魔導師流の冗句であろうと思っていたようだが、試験に挑む――つまり事故で沈む可能性もある――船に乗船しているにも拘わらず、一切の不安を感じていないような魔導宮中伯が不運など自分の下にはないと表明したいのだろう。

彼女の弟子が同乗していたなら、不穏な名前に脅える船員達に「考えるのが面倒くさかっただけですよ」と愛想もへったくれもない真相を暴露してくれただろうが。

「高度一〇〇〇に到達」

ちらりと責任者へ目線をやる艦長へ対し、アグリッピナは火の付いていない煙管を動かして「良きに計らえ」と命じる。繊細な部品が多いので、ここでは誰であっても禁煙だった。

「……では、第一地点へ向かう」

艦長は隣で目を光らせている上司の意向を重んじようとしたが、彼女は出発前に委細は全て艦長に任せるので、実験開始と中止の命令以外は出さないと伝えていた。

普通なら色々と五月蠅そうなお貴族様が、飛んでいる間は置物になっておく、という約束を守ってくれることに感謝しつつ艦長は次の指示を出すべく配下に問うた。

「航法、現在位置、ズレはないな。前は空に上がったら 一町(約100m) はブレがあったぞ」

「今回は二度計算し直しています。確実です」

用心深く計算に誤りがないことを確かめていた航法担当の仕事に満足した彼は、この夜闇にて寄る辺なく漂う船が迷子なのではなく、目隠ししたまま進める達人なのだと証明するべく前進を命じた。

以前の船は下に煌々と灯りを焚いて現在位置を教えてやらなければ、夜間の航行が不可能だったのだ。帝都でのお披露目は半ばハッタリに過ぎず、帝城という昼間のように照らし出された〝灯台〟が視認範囲にあったからこそ、辛うじて飛べていたに過ぎない。

管制塔が篝火を焚いているものの、集落から離れた試験艦の乾船渠以外に何もない大地はあまりに暗く、月と星々だけが頼りの空も人を拒むかの如く蕩々と闇を湛えていた。

しかし、今までの実験艦と違ってクリームヒルトⅡは優雅に舞える。この闇の中で、灯台から離れてしまったとしても。

魔力で空気に微細な波を生じさせ大地との距離を探る計器や、船体が水平かを教えてくれる計器で空飛ぶ令嬢が身を飾っているからだ。空を飛ぶ種族や幻想種が生理的にやっているようなことでさえ、地べたを這っている人間には領地が一つ二つ運営できそうな巨費でご令嬢をめかし込ましてやっとの難事とは、それに身を委ねている人間からすると空恐ろしくてかなわなかった。

「……視程が思ったより短いな」

「雲が垂れてますね。今日は夜目が利く種族を見張りに集めているので、いけると思いますが」

「いや、大事をとろう。計器飛行にも慣れねばならん。半速前進」

「諒解。半速前進」

「半速前進、主機出力を前方推進機へ」

夜の闇は深く、暗視を持つ人狼であっても全てを見通すのは難しい。低い山々の頭を越える工程が最初の目的地までの間に横たわっているとあれば、夜目が利く種族が前方や上方の見張り台にいても注意が必要だ。

何せ、このクリームヒルトⅡは加減しても馬に近い速度が出る。出力を燃費重視の規定速度より更に半分に絞ったとして、ヤバいと思った次の瞬間には減速が間に合わないこともある。前進するための推進機関は四発あるが、後進用は一発だけしかないのだから。

なら、夜間戦闘が可能かを調べる実験航行である此度は、まず夜に船員を慣れさせるのが大事だと判断した。

速度を出すなら、雲より上の高度に出てからでなくては。少なくとも、雲海を見下ろしていれば顔面をぶつけるような心配はない。

逆に目印となるものがなくなり、雲に探知術式が阻まれて〝迷子〟になる可能性はあるけれども。

順調に辺境域の空を飛び、篝火を焚いて――それでも単眼境で探す必要があったが――待っている中継地点を巡る。現在位置と測量位置の誤差を殆ど出さず飛べていることに艦長が自信を付け始めた頃、不意に視界を何かが掠めた。

蝶だ。

よもやこんな場所に? と目を疑った彼であるが、白いそれはふわふわと優雅な機動で飛び、アグリッピナの煙管の先にとまってみせる。おっかなびっくり飛んでいる彼等を嘲るかのような身軽さで。

「気にしないでちょうだい艦長。ただの私信よ」

「……はっ」

竜種などの空を飛ぶ生き物を刺激しないように高出力の魔導は封止中だったはずだが、そう思いつつも艦長は無視をすることにした。航空艦は魔導宮中伯が責任者というだけではなく、設計にも深く関わっているため自分だけが使える裏道でも用意してあるのだろう。考えるだけ無駄だと経験が囁いた。

大儀そうに実験の行く末を見守っていたアグリッピナは、空間を裂いてまで届けられた私信に目を通した後、それを思わず握り潰した。

怒りのためではない。堪えるためにだ。

場所が場所でなく、あと五〇年若ければ人目も気にせず笑い転げていたであろう。

あの子の〝運の悪さ〟も行き着くところまで行き着いたものだと。

試験航行は日の出前には終わる。送り主は返事を待って悶々とすることになろうが、返信は終わってからでよいかと機嫌良さそうに煙管をひくつかせつつ、アグリッピナは足を組み替える。

楽しい話題はすぐ反応したくなるが、寝かせた方が面白い物もあるのだ。

特に彼は、 拙(まず) い事態を更に拙くした上で正面突破してねじ伏せる、悲劇作家も匙を投げるような運の持ち主なのだから…………。

【Tips】クリームヒルトⅡ。技研の開発した航空艦の実験艦。試験運用により蓄積した実験結果を用い、量産型を作成するための 叩き台(テストヘッド) 。

過去に沈んだ二番目の試験艦の名を冠したのは、自分の下では二度と悲劇など起こらぬとウビオルム伯が他に知らしめるためだと宮廷では噂されている。