軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

少年期 一二歳の春・六

エリザはとても悲しかった。何故なら、ここまでお願いが通らなかったことはなかったからだ。

それも、彼女としては我が儘など言ったつもりはまるでないのにだ。

お父さんといたい、お母さんといたい、ハインツ兄さんやミナお義姉さんから離れたくない、ミハイル兄さんとハンス兄さんとも遊びたい、荘のみんなと会いたい。

それがそんなに悪いお願いなの?

彼女は理解できずに泣いた。今まで当たり前だった生活が全部なくなってしまうのが嫌で嫌で、怖くて怖くて涙が止まらなかった。

大好きなエーリヒ兄さんが一緒なのは嬉しい。ずっとエリザに付いてきて、守ってあげるからと抱きしめてくれるのはよかった。

でも、それはお家でもできるじゃない。

魔導院なんて嫌だった。変な事ばかり言う赤い服の人も嫌だった。魔法になんて興味はなかった。ただ、仲良くみんなで暮らしたかったのだ。あの素晴らしいお家で。

お父さんは強くて優しくて、お母さんは綺麗で料理上手で、お兄さん達は面白くて楽しくて、最近は沢山オシャレを知ってるお姉さんもできて。

暖炉に潜む小さな赤いトカゲや、庭でネズミを捕ってくれる大きなワンコ、お部屋の隅っこで何時も見守ってくれる優しそうな女の子、納屋でたまに会う真っ白なおじいさん達とも離れるのは嫌だった。

だって彼等はみんなエリザに優しかったから。

そんな家族や彼等と引き離されるのはエリザにとって耐え難いことであった。幾ら大好きなエーリヒ兄様が一緒だとしても、幾ら父に聞かされて興味があった都会に行けたとしても、幾ら初めて見るくらい立派な馬車に乗れても嫌だった。

だが、エリザがどれだけ泣き喚いても、出立の日は来てしまった。

そうなると、あれだけ嬉しかった母が縫ってくれたおしゃれ着を着ても、滅多に食べさせて貰えない氷菓子を食べさせて貰っても、憧れていたミナお義姉さんの櫛を貰っても駄目だった。

「エリザ、大丈夫だ。私が一緒にいる」

「やだ、あにさま、いきたくない。ここがいい」

「エリザのためなんだ」

エリザのため、とここ数日で何度も聞かされた言葉をお約束のように言って、初めて見る旅装に身を包んだ兄は彼女を抱きしめる。リネンの丈夫な旅着はゴワゴワして顔に痛かったが、兄の優しい体温だけが彼女の頼りだった。

でも、エリザのためというのなら、どうしてエリザがこんなに嫌がることをするのか、全く理解はできないままであった。

「いつか必ず、ここに戻ってこられるようにする。兄様が嘘をついたことがあるかい?」

そして、小さな彼女は兄と、その言葉に縋ることしかできなかった…………。

【Tips】妖精や精霊と呼ばれる肉体を持つ生命とは“相”が異なる存在は、目に見えないだけで世界中に遍在する。

魔法使いの弟子といったら格好はつくが、魔法使いの丁稚となると一言違うだけで何かガッカリ感が凄い。

私はそんな下らないことを無駄に豪奢な部屋の一画で、泣き疲れて胸の中で寝入った妹を椅子に寝かせてやりながら思った。

「んー、変よねぇ、普通子供っていったら、魔法を覚えられるっていったら目ぇ輝かせて喜ぶのに」

そして、そんな様を眺めるのは、これまた上等そうな藍色のローブを着込んだアグリッピナ氏である。自分の弟子だというのに、何とも他人事のような感想だ。

「七つの子供が親元を遠く離れると言えば、不安がるのは普通かと思いますが?」

「都市部じゃ五つで商家の丁稚になるのも珍しくないわよ? お兄さん?」

からかうように言って、魔法使いは沢山の詰め物がされ、装飾まみれの一目で豪華と分かる椅子に腰を落とす。下手すると、あの椅子一つで我が家一軒分くらいの価値はありそうだった。

「……しかし、凄いですね、これ」

揶揄を躱すために話題を変えてみる。里心で丁稚先から出奔する童子の心境を語った所で、彼女には理解できまいて。

今私が居るのは、小さなサロンを思い起こさせる一室だった。白い壁紙と洒落た丸いガラス窓、毛足の長い絨毯が敷かれ、揃いのテーブルと椅子が並ぶ様は“ここが馬車の中”だと言われても信じられないだろう。

街道の轍が切られた道と車輪が擦れるロードノイズはおろか、凹凸に乗り上げる不快な振動すら届かない。言われなければ、ここが代官館の喫茶室と紹介されて疑いを抱く人間がどれほどいるだろうか。

「そりゃあね、気合い入れたもの。なんで私がフィールドワーク如きで生活レベルを落とさないといけないの? ま、これでも随分墜ちてるほうだけど」

さも当然、とのように言い切って長命種は口の端を上げた。うん、何となく嫌われる理由が分かるね、ほんと。

「空間拡充の術式は構築が大変で、今は殆ど使える人間がいないから自分で覚えるのは苦労したわ。ま、維持費があんまりかからないのは、流石昔の長命種が考えただけはあると思うけど」

この馬車はどうやら自慢げに語るアグリッピナ氏の手製らしい。なんでも七つの部屋を一つの馬車に同居させており、気分一つで切り替えられるそうだ。本当に魔法使いというのはおっかない存在である。技術を飛散させまいとする理由がよくわかった。

まぁ、私の妹は、その技術を覚えるために家を出るのだが。

出立の日、私達は仕入れのため地方へ旅立って行く隊商から離れ――隊商主は貴重な随行魔法使いを必死に引き留めていたが、残念ながら実りはしなかった――アグリッピナ氏の不思議な馬車に乗って、一路帝都へ向かっている。

ライン三重帝国の首都たる帝都ベアーリンは三重帝国最大の都市……ではない。

確かに帝城や魔導院を初めとする三重帝国の中枢機能が集中してはいるのだが、定期的に主たる皇帝が入れ替わる都合も相まって商業と金融以外の産業は貧弱。主に参内するため別邸に住む貴族や彼等の下で働く使用人達、後は魔導院関係者を目当てにした商家が人口の多くを占めている為である。

三重帝国においては、大きな権力を持つ三皇統家と七選帝侯家が政治を動かしている。当然彼等に縄張りである所領があるのなら、一局集中型の都市が不要であると簡単に想像がついた。

各領邦の都市が領主の都合や土地柄に合わせて特化させられるなら、その権益を損なわせかねない一局集中の大都市など求められようはずもない。帝都はきっと、各々の力を削がないような生臭い政治的な理由を踏まえて造成され、今も聳えているのだろう。

そして私達は、そんな帝都の魔導院に向かって仕入れのために地方へ散って行く隊商に逆らって進む。途中で旅籠を経由しながら進む旅程故――夜に無理矢理旅籠に寄る予定を立てているため、殆ど進めない日もある。ふざけんな――到着までは三月もかかるそうだ。

着く頃には夏になるのかと考えると気が重いばかりであった。

「ま、窮屈だけど我慢なさいな。私がこれを何年我慢したことか」

これで窮屈とか言われたら、ベッドでギチギチの四人部屋で寝ていた私は一体。本当に生まれの理不尽ってのはあるものだな。

「さてと、で……エーリヒだったわね?」

「……ええ」

因みに顔を合わせて四日目だが、名前を覚えて貰うのに結構時間がかかった。人の顔と名前を覚えるのが苦手と彼女は公言していたが、多分根本的に他人へ興味がないだけなのではなかろうか。

「丁稚として働いて貰うわけだけど、今のままだと大分不便だと思うのよ」

「……はぁ」

「ってことで、ちょっとこっちにおいでなさいな」

ちょいちょいと手招きされたので寄ってみると、彼女は器のように丸めた右手へ呼気を吹き込み、何かぶつぶつ呟きだした。

そういえば、長命種は人間と違って魔法を使うための“ 焦点具(スターター) ”が必要ではない種族だったか。

なんでも聖堂にあった数少ない魔法関係の本を読み解くに、体内の魔力を放出する器官を持つ生命と持たない生命が存在するらしく、ヒト種は後者であるため“焦点具”なる魔力を引き出す道具が必要になるそうだ。対して長命種は前者で、言葉や呼気に混ぜて魔力を放出できるため、焦点具なしで魔法が使えるそうな。

彼女が掌に吹き付けた呼気は、呟きに合わせて渦を巻いて光り輝き始めた。そして、一瞬収束したかと思えば、光の粒となって人差し指に集まったではないか。

「じゃ、ちょっと痛いかもだけど我慢ね? 男の子でしょ?」

はえー、きらきらしてきれい、みたいな頭の悪い感想を抱いていると、急にドキッとする言葉が跳んできた。何事かと真意を問う間もなく指が額に触れ……。

世界が割れた。

端的に言おう、地獄だ。

私はエーリヒとして生きてきて、結構な苦痛を味わったことが何度となくある。鉄の模擬剣でぶん殴られたり、高い木から落っこちたり、機嫌が悪かったらしいホルターに蹴っ飛ばされたりと農家の小倅が味わえる痛みの大半は経験していた。最近だと歯で耳たぶに穴をブチ開けられる鮮烈な痛みというのが記憶に新しいか。

だが、これはそんなのが“蚊に刺されたような”ものに思える苦痛だった。

頭蓋に金具がブチ込まれて強引に拡張される感覚と逆しまに、脳には万力で締め付けて圧縮されるような痛みが襲いかかる。同時に目の奥が赤熱して、意識できないはずの神経索であやとりでもされるような不快感までやって来た。

世界が回る、痛みが躍る、感覚が捻られる。自分という存在がミキサーと圧搾機に同時にかけられ、ついでにコンプレッサーで世界中にぶちまけられているような、最早苦痛と形容することすら生ぬるい何か。

永劫にそれに苛まれるような錯覚に陥りながら、しかして現実では一瞬すら過ぎていないのだろう。私の<雷光反射>が激痛で誤作動したのか、眼前のアグリッピナ氏がみせる瞬きは驚くほどスローだ。

そして、この世全ての時間を濃縮したと思えるほどの瞬きの後、私を苛む全ての感覚が失せた。

「かはっ……!?」

ただし、その残滓で肉体は痙攣し、胃が蠕動して中身をぶちまけそうになった。人様の家の――馬車だが――床を汚す訳にはいかないので気合いで嚥下したが、あと少しで別れの前に母が気合いを入れてくれた朝食と再会するところである。

「はい、おめでとー、目ぇ開けたでしょ?」

苦痛が治まってきて、何をしたと抗議しようとした所、彼女の台詞に合わせて視界の端っこになれたポップアップが浮かんできた。

魔力資質に開眼しましたと。

「え……? な、これは……」

慌ててステータスに目をやれば、<魔力貯蔵量>と<瞬間魔力量>の何れにも開眼という追記がされており、今までうんともすんとも言わなかった魔法関係の特性が多々開放されていた。使うためのスキルはロックされている所が多くも、こちらまで開放されている。

これは、これは一体……。

「魔力に目覚めたのよ。ようこそ、 魔導師(マギア) の世界へ」

胸を張り「さぁ、褒め称えよ」とばかりにドヤ顔を決めるアグリッピナ嬢。

……え、ちょっと待って……いいのこれ……?

【Tips】教練によって熟練度が蓄積することと同時に、人の手によって特性やスキルを開放されることもある。それによって熟練度は消費されない。

さて、痛みの名残と何をされたかよく分かっていない私に対し、アグリッピナ氏はさも当然の様に内輪、つまりは魔法使い界隈のことを説明し始めた。

本来は外様に教えることではないが、丁稚であれば当然知っておかねばなるまいと。

“ 魔法使い(ツァオバラー・ヘクセ) ”とは市井での呼び方であり、彼等にとって正しい呼称ではないらしい。

正式に彼等は“ 魔導師(マギア) ”を自称する。常ならざる術を広く学ぶ者として、三重帝国の魔導院に属する者はみなこう名乗るとのこと。

何故なら彼等は、必要とあらば魔法も魔術も場によって使い分けるからだ。その呼び方では、まるで魔法しか使えないようではないかと魔法使いあらため魔導師は憤った。

そして、魔法と魔術は秘匿され秘蹟として扱うべき手段であるが、全く世に広がっていないわけではない。

魔法を使う才覚とは、基本的に“一定の魔力量”を内包すれば勝手に目覚めることが多いらしいからだ。そして彼等は往々にして独自でコントロールする術を身につけており、それを使って商売をしていることは珍しくない。

たとえば癒者とは異なる、魔法使いの薬師という存在がいる。彼等、或いは彼女らは魔法を使った薬草士として活動しており、普通の薬草よりよく効く薬を作る医者として重宝され、荘や街、時には森や旧い塔に住み畏敬を集めている。いわゆるウィッチドクターというやつだ。

また、商売に魔法を使う者もいる。隊商の屋台で氷菓子を作って売っているような、ちょっと魔法が使える程度の使い手がそれだ。

彼等の区分で言うと、そんな市井で研究ではなく実生活のため魔法を活用する者達を魔法使いと呼ぶのだという。だが、一般人にその違いを説明しても理解を得るのは難しいと諦めており、結果的に魔法使いと呼ばれるのを容認しているらしい。

「……あれ? ということはつまり……」

「別に専門で魔導院が認めないと、魔法を使って商売しちゃ駄目ってわけじゃないのよね。第一、その程度の魔法を使える人間を檻にブチ込んでたらキリがないし、かといって全員に年三〇ドラクマの聴講料取って、奴隷労働を強いることもできないから」

もしかして、全ての隊商に付いて回る魔法使いが魔導院所属だと思ってる? と額を突っつかれ、私はもうトータルで四〇過ぎてても無垢だったのだなぁ、と恥じ入るばかりであった。そりゃそうだわな、農民の二〇年分の可処分所得をブチ込んでやっと一年入れるような所に全員いってるわけないわな……。

「魔導院を卒業して免状を掲げる必要があるのは、君の妹さんみたいなのと、街で正式に工房開いて商売する時だけね。ああ、あと魔導院に届け出もして、お金とって正式な弟子にするとか。そうじゃなきゃ、よっぽど壊れた魔力の持ち主じゃなきゃ野放しよ」

魔法に目覚める人間は少ないが、学ぶ手段もそれに応じて薄く広く存在する。ただそれだけの話らしい。要は私が“効率悪っ”と諦めた<独覚>カテゴリの魔法使い達が市井で活動しているのだ。

そして、エリザほど強引な手を取るのは、それこそ“教えねば周囲が危険になる”レベルの素質の持ち主だけ。

一応、私が出会った老翁の言葉に嘘はあるまい。きちんと学ぶなら“魔導師”に弟子入りするか――つまり、あの老翁は魔導師だったわけだ――魔導院に行くしか公式の方法はない、という言葉に偽りはなかったのだから。

ということは、私は……。

「なんで、君は私の丁稚だし。学費が必要ない程度に仕込んで色々やってもらおうかと」

「ああ、なるほど……そういうことなんですね」

丁稚労働をするため、正しい意味での“魔法使い”にされた訳だ。魔導の深奥を探索する魔導師ではなく、技術として運用するだけの使い手に。

「ってことで、これ読んどいて」

パチンという指を鳴らす音と共に手の中に出現した本に驚く暇もなく、私は鉛のように重い吐息を零した。

この五年と、あの老翁が立てたイベントフラグはなんだったんだと…………。

【Tips】市井の者が認識するより“魔法使い”と“魔導師”の差異は大きい。勝手に名乗れる自称“食事療法専門家”だとか“○○療法専門家”と同じく魔法使いを自称するだけなら資格は不要であるが、魔導師は魔導院が認定する国家資格であり“研究家”以上の身分でなければ名乗れない“医者”や“弁護士”と同じものである。代官から直接依頼を受けるのは、専ら後者であり、屋号に魔法の文字を掲げられるのも魔導師のみだ。