軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

※少年期 一二歳の春・四

「で、また大層なことになりましたわね」

ここまで刺々しい幼なじみの声を聞いたことがあっただろうか。

時刻は夕暮れ、近所の小高い丘に私とマルギットは訪れていた。

あれからマルギットが荘の顔役を連れてきて、すったもんだがあったのだ。

やれ司祭様にも話を通さにゃならんだの、師弟間契約がどうだのと喧しくやりあって、今頃は聖堂で代書人を交えて契約書なんぞを作っている頃だろう。それに帯同しようとは思ったが、子供は邪魔になるので離れていなさいと追い出されて今に至る。

うん、われ当事者ぞ? 当事者ぞわれ? と思ったが、ここで駄々をこねても面倒臭いことになるビジョンしか見えなかったので、私は良い子ちゃんらしく黙っておいた。多分、同時進行で私の丁稚奉公の契約書も交わされるのだろう。代書人のグラント氏が公正証書を作成し、代官に届け出るので美味しい仕事になるに違いない。

しかし、本当にどうしてこうなったのか。経験表を振るにしても、飛行艇事故にあったとかよりよっぽど酷いぞ。誰だ、私の運命に対して D6(六面体サイコロ) を転がしたのは。

そんな当て所ない怒りを収め、隣で珍しく無表情を作るマルギットを見やる。

この丘に逃げるようにやって来て、事情を説明したらこの表情だ。一切の顔面筋が仕事を放棄したかのような、色のない表情で見つめられると何時もとは違うベクトルでの怖気が奔った。

きっと、彼女に睨まれた今までの獲物達は、こんな気分を味わっていたのだろう。

「……まぁ、永遠ってわけじゃないし。私だって、魔法使いの丁稚として延々仕える気はないよ」

「でも、一年かそこらでは辞められないのではなくって?」

「そりゃあ、ね……」

年十五ドラクマもの大金を稼がねばならないのだ。一年で稼ぎきらねばならないとは聞いていないが、少なくともそれをエリザが安全だと認められるまで続けねばならない。

妖精は私達とは相が異なる生きた現象のような存在故、魔法云々の適性はヒトよりずっと秀でていよう。されど、ヒトでも最低五年は魔導院に通い、ようやく免状を受け取れると聞いた。ならば、仮に家の妹が天才だったとしても、飛び級などの制度がなければ五年は奉公せねばならない計算である。

とんだ丼勘定もあったものだ。どうあがいても、それだけでは足りまい。

私は大学生をやっていた時期もあるから分かるが、学生というのは兎角金がかかる。

制服はあるか知らないが、魔法使いが揃って着るローブを仕立てる必要はあるだろうし、学校という制度を取っている以上は教科書も多々求められるだろう。

そしてこの時代、羊皮紙の本は目玉が飛び出るほど高価だ。私が山ほど買っていたルルブやサプリなんぞ比べ物にならないくらい高い。

一冊で二~三ドラクマは当たり前。金属や革の豪華な装丁が施されていれば数十ドラクマすることも珍しくなく、あまつさえ宝石なんぞで飾った稀覯本は所領に等しい価値を持つという。

そんなものを学科ごとに要求されたらどうなるのか。意識するだけで立ちくらみがした。

ついでに普段の生活をする金も必要だろう。人頭税なんぞは両親が持ってくれるだろうからいいとして、私の分の生活費も含めたら決して安くない金が出て行くはず。幾ら師は弟子の面倒を見るものといっても、あの適当極まるアグリッピナ氏の気質を見る限り、過度な期待はしない方が良いだろう。

ともすれば長命種の価値観で「え? 毎日メシ食うの?」とか言いかねない。

「一〇年? それとも二〇年? ねぇ、何年かかるとお思いで?」

「……五年かそこらで上がれたらいいな」

私もその内に大きくなる。そうすれば副業を合法的に行えるようになるし、収入を学費に充てて繰り上げての返済も適おう。幸いにも前世では国立に通っていたこともあったが、よもや今生の一二歳にして私学に奨学金で通う学生みたいな目に遭うとは思わなんだな。

まぁ、嘆いても仕方ないだろう。全ては奉公先の胸三寸。あとは我が妹がどれくらい優秀かで決まるのだから。

「五年……ね。随分と楽観的ですわね?」

「頑張るつもりだよ。それくらいでさっさと上がれるように」

「それでも、五年も経ったら私、一九歳ですわよ?」

行き遅れと笑われてしまいますわ、とマルギットは唇を尖らせた。確かに帝国での結婚適齢期は一五~一七で、遅くとも一八には結婚するのが殆どだ。それを越えて相手がいなければ、行き遅れか行かず後家の誹りを受けても仕方がない。

私は発言の真意を敢えて問うような真似はしなかった。だって、無粋じゃないか。

分かっているさ、コネクションのベクトルが何処を向いているかなんて。とある東京なら、間違いなくハートマークだということくらい。

「……頑張るから」

「冒険できるような年で戻って来られて?」

「努力する」

「そう……」

彼女は呟くと、音もなく下肢を複雑に蠢かせ知覚する間もなく私の膝に乗り上げた。そして、夕日を剣呑に反射するヘーゼルの瞳で射貫くように睨んできた。

「誓えますこと? きちんと丁稚を上がったら、冒険者になると」

硬い言葉だった。何時もの言葉が愛撫のように脳味噌を触る声だとすると、これは心根に突き込まれる楔のような声だ。ただ問うのではない、私の本意を取り出そうとする刃物のような言葉。

「ああ……誓うよ。折角準備したんだ。それなら、きちんと冒険者をやる。エリザも生きていけるように魔導院を出させる。どっちもやるよ」

なればこそ、私は真摯に答えた。刃を潜り込ませるまでもなく、ただ心の深い所から言葉を引っ張り出す。

私は決めていた。折角何にでもなれるのだから、なりたいものになろうと。

惰性で冒険者になるのではない。それを決めて、皆がよいと思ってくれたから私は冒険者になろう。

そして、よい兄でもありたいのだ。エリザにとって、今までと同じく胸を張って兄だと呼んで貰えるような兄に。

これは私の素直な言葉だ。一二年、ケーニヒスシュトゥール荘のエーリヒとして生きた人間としての言葉であり決意。

私はこの決意と心中しなければならない。育てて貰った、愛して貰った一二年を無為にしないため。私として生きてきた七年を嘘にしないために。

その為なら、ストックしてきた熟練度だって惜しげもなく差し出そう。求められるなら家事炊事に全部振ってもいい。今のままでも、私は何とか剣士としてやっていける技量はあるのだから。

遠回りにはなるだろう。だが、私は私に嘘を吐かない。

成りたいようになるのだ。かつて憧れ、耽溺した遊戯の英雄の如く。

セッションの後は何時も気持ちがよかった。物語が形となり、生み出した人物に決着が付くのは何より楽しかった。たとえそれがバッドエンドであろうと、友人達と小汚い部室に集まって作ったものだから、楽しかったのだ。

だが、やっぱり一番気持ちいいのはキャラクター全員が目的を達し、大団円を迎えた時だ。その為に私達は顔を突き合わせて何時間も相談し、貴重な青春の時間を費やしてきた。

それと同じだ。生きるということにおいて何も変わらない。だから私は、為すべきを為し、なりたい姿を追いかけるのである。

それに菩薩も仰ったではないか。

汝の為したいように為すがよいと。

どっかの慣れ親しんだ邪神の物言いだが、これほど神からかけられて有り難い言葉はあるまい。有り様を定められるでもなく、魂に従って好きに生きる赦し、なんと開放感を覚える福音か。

ああ、そうだ。だから私はなってやるとも、冒険者に。

そして、エリザにとっての英雄に。

私はそれを証明するかのようにマルギットの瞳をじっと見返した。

どれほど見つめ合っていただろうか。夕暮れの優しい赤が薄らんでいき、曖昧な紫に変わりつつある。宵と昼が混じり合う時間、星々が勢いを取り戻しながら、弧を描く月が顔を出す。

ああ、あれは更け待ち月だ。私の前の家名と同じ、満ちていくのを待つ月。あの月のように、私も何時か丸く輝ければ良いのだが。

「そう……でも、貴方らしいわね」

宮廷語ではない、自然な言葉で彼女は語った。決して目線は外さず、しかしてこわばっていた顔が色を思い出したように笑みを作った。

「なら、信じてあげる。他にいないわよ? こんな優しい幼なじみ」

「ああ、分かってる。ありがとう、マルギット」

きっと彼女は待ち続けてくれるのだろう。冒険に出る日を。

何故なら、彼女は私に嘘を吐いたことはないからだ。ただの一度も、つまらない冗談であったとしても。

彼女は不意に体を擡げると、首の後ろに手を回した。何時もやっているような体勢に移り、顔を鼻と鼻が触れあうほどの距離へ近づけた。

「じゃあ、約束を忘れないようにしてあげる」

甘く耳を撫でる言葉に馴染んでしまった怖気が奔った。彼女の何時までも変わらない童女の声は、本当に脳味噌を擽られているような錯覚を覚えてしまう。

「目を閉じて……」

ああ、これはアレか、あのイベントか。マジか、マジなのか私。こんな甘ったるいイベント、前世ではなかったぞ。これはアレか、誇って良いのだな? リア充の仲間入りだと誇ってよいのだな? やったぜ今日はお赤飯だ。

などと錯乱していたのだが、一度唇に触れた吐息が何故か左に移動している。気がつけば、頬に顔の熱が移り、吐息が耳に触れた。

え、ちょっと待ってくれ、一体何が……。

「いっだぁぁぁぁ!?」

何の脈絡もなく激痛が耳を襲った。体を跳ね上げてもマルギットは首にしがみついて離れず、痛みの元に触れようにも彼女の頭が邪魔で触れない。

というより、激痛の源である耳たぶが唇にホールドされていてどうしようもない。

何? 何コレ、私何されてんの!?

混迷と激痛に彩られた数十秒の後、彼女はやっと私の耳を開放してくれた。そして、何事かと触れれば、耳はぬるりと唾液と血で濡れている。

指先に感じるこの小さな凹凸は……穴か?

触れれば分かった。小さな穴が左の耳たぶを貫通しているのだ。

「ごちそうさま」

ぺろりと彼女が舐め上げた唇には、私の血が付いていた。そして、殆ど沈みかけた陽光の残滓でヒトよりずっと長い犬歯が煌めく。

どうやら、彼女は器用なことにアレで私の耳たぶに穴を穿ってくれたらしい。

「な、な……何!? 何で噛まれた!?」

「言ったでしょ? 約束を忘れないようにしてあげるって」

言って、彼女は耳たぶを庇う手を強引に払いのけると、未だ痛みを訴える耳たぶに異物を挿入してくる。一瞬手の中に見えたそれは、昼間に購入していた桜貝の耳飾りに相違なかった。

「外しちゃだめよ? これが約束の証拠……見る度に思い出して」

なんてことしやがる、そう思ったが……満足そうに微笑む顔を見て、怒りは一瞬で霧散した。満ち足りた顔を見ていると、いっか、別に千切られた訳でもないしと思えてくるから不思議だ。

うん、狡いよなぁ、顔が良いって……。

世の不条理に思いを馳せていると、今度は別の何かが私の手に握らされていた。

みれば、それは細長い針だった。布ではなく革を加工する時に使われる太く長い針。一度強い酒精に付けられたのか湿ったそれは、消毒用の蒸留酒の臭いがする。

「じゃあ、お返しをちょうだい」

「は?」

そういって彼女は右耳を差し出してきた。

……ん? ちょっと待て、おかえしというのは、もしや、私にもピアス穴を開けろと?

いやいや、あまりに倒錯的すぎるだろう。どんなプレイだ。

「はやく空けて? 貴方が私を忘れないようにしたのと同じで、私が貴方を忘れないようにするために」

髪を片手で掻き上げて留め、耳を晒したまま流し目で誘われると何故だか抵抗する気力が一瞬で失せてしまった。若干狂気を感じる誘いなのにこれほど艶っぽいのは、いくら種族差があるにしても狡いだろう。

「……我慢してよ。多分、めちゃくちゃ痛い。というか私は痛かった」

「ええ、いいわ。痛みを教えてくださいな?」

意味深すぎて心臓に悪いなぁ、おい!

乱打される警鐘の如き心臓をなんとか押さえ込み、私は彼女の耳に針をあてがった。そして、一息に押し込めば、柔らかな耳たぶをあっさりと針が貫いて、緋色の血液がぱっと宙に舞う。

それは、混ざり合った陽光と月光を反射して、例えようもないほど美しいものだった。

「んあっ……」

これまた悩ましい声を上げ、マルギットは針を抜き取られた後を慈しむように撫でてみせる。流れる血液を留めるでもなく、彼女は私に付けたピアスの片割れを手に握らせてきた。

これも一つずつ、ということだろう。

似たような儀式を去年の秋に見たが、だとしてもちょっと倒錯的に過ぎるよなぁ、ほんと。

まぁ……我が幼なじみが幸せそうだからいいか。

私はきっと、この曖昧な朱の中で微笑む、血染めの笑顔を忘れることはないだろう…………。

【Tips】男性が左だけを飾るピアスには“勇気”と“プライド”の意味があり、女性が右だけを飾るピアスは“優しさ”と“成熟”の意味を持つ。また、ピアスを分け合うことは“別ちがたい絆”を示す。