軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

十三歳の晩春 二十二

後はお若いお二人で、なんて言葉と共に投げ出されても大分困る。

特にあんな気恥ずかしいやりとりの後では。

まんじりともせず顔を真っ赤にしてうつむくツェツィーリア嬢から一旦視線を外し、私は慰めるかのように暖かな湯気を立てる黒茶を手に取った。

この状態で何を話せというのだ。

居心地が悪いとまではないかないが、もじもじした気恥ずかしい時間だけが過ぎていく。お茶のポットの中身がなくなり、茶菓子がつきかけた頃に掠れるような声が一つ。

「……指しませんか?」

「え?」

顔を上げれば、朱が失せやらぬ顔をうつむけたまま、彼女は再度一局指しませんかと言った。馬鹿みたいに考える事もせず頷いてみれば、彼女はテーブルの下に手を差し込んだかと思えば兵演棋の一式を取り出したではないか。

なにやらテーブルの下に薄い収納が一段隠れていたらしく、そこに収まっていたようだ。

重厚な寄せ木細工の板は月光の下で美しく光りを照り返して舞台の如く映え、箱に収まった美麗な駒は白が御影石、黒が黒曜石で作られた最高級品であった。震える手で取ってみれば、私が扱っている内職で作った物とはレベルが段違いの職工の作であると一目で察せられる。

何より驚くのは、美術品の造詣を深める<観察眼>のおかげで分かった、駒が“この場に誂えて用意された品”だということ。月明かりの下でこそ映えるよう、角度から何から完璧に計算しつくされているのだ。

これが噂に聞く、所領に等しいとされる逸品なのかと確かめるまでもなく確信できた。本当に凄い家のお嬢様だなぁ。

「次の先手は確か……」

「私の番でしたね」

触れることさえ躊躇われる美しい駒に手を伸ばし、私はしかつめらしい顔で玉座に座する白の皇帝を盤上に配した。先手は白で、共に第一の駒は皇帝で次いで皇太子を置くのが兵演棋のルールだ。

一つの楽器もかくやの麗しい駒音を発する盤へ配下達を並べること暫し、毎度の如く一手五秒の早指しで盤面を作り上げたが、今日は何時もと風情が違った。どちらも臨機応変に動けるぼやっとした陣を作ることが多いのに、今日の彼女は実に攻撃的な布陣を作り上げているではないか。

愛用の女皇は勿論、攻撃的な駒が前方に集中し早期に入玉して大駒で殴り倒すことを前提にしているかのよう。中盤以降、彼女の配置に合わせてある程度は防御寄りの配置にしてみたものの、これは上手く流さないと一瞬で蹴散らされるな。

小気味良く駒が飛び交い、戦陣が有機的に移り変わる。駒の位置一つ一つの意味が瞬きに間に塗り替えられ、さっきまで死に駒だった物が利いてきたり、有効的だった駒が意味を喪っていく様はこれぞ兵演棋といった光景。

配置が終わる頃には薄れていた気恥ずかしさが五手も交わせば完全に忘れ去られて、十手を越えて 序盤(ギャンビット) の要訣が姿を現す頃には完全に霧散していた。

差し込むような一手一手が、自分はこういう者ですと改めて自己紹介してきているようで、ご丁寧にどうも私はこういう者ですと返すつもりで指していく。

何時もと違う場所で違う立場になって、違う駒を触っているのに本質は何も変わってはいなかった。彼女は良い指し手で、実直な人だ。

歩卒を捨て駒として切り開いた穴を騎士がこじ開けてきて、私が苦し紛れに置いた魔導師を回り込んできた竜騎が断固として叩きつぶし穴を広げて行く。まるで感情で殴りつけてくるような隙が無く重い指し筋。的確に大駒が叩き付けられる度に私の陣形は軋み、古くなった櫛の歯が欠けていくように駒が落ちる。

駒に篭められた言葉を受け止め、私も変わらぬよう駒を叩き付ける。こじ開けられた穴を無理に防ぐのではなく、駒をずらし、時に取って攻勢の頭を挫いて受け流す。

言葉の代わりに駒をぶつけ合う対話は、彼女の攻勢が一旦途切れた頃に終わりを見せ始めた。大駒の速度に小駒が追従しきれなかったが故、私が合間に竜騎をブチ込んでかき回したせいで攻めを続けられなくなったのだ。

退路は一マス先の駒しかとれない弓箭兵が防いでいるので重要駒も引きづらく、竜騎を守るか騎士を守るかのどちらかといった状況。ついでに逆撃を浴びせた勢いのまま決着まで持って行けそうでもある。

「……届きませんか」

空間に反響し鐘の音のような音が鳴る駒を置き、ここ数十分で始めて彼女が口を開いた。場所と駒の大きさで独特の音階を作る駒、その中でも一際重く美しい音を作る皇帝が最後の突撃を目論んで前に出て来たのだ。

「いえ、まだ分かりませんよ」

世辞ではない。詰みに持って行ける段階に入ってきているが、このゲームの妙は優勢側こそ手を抜けないところにある。たった一つ駒の位置がズレただけで、間に合わなかったはずの致命の一手が間に合ってしまう。故に勝利に手をかけた者は最後まで精神を削り続ける定めを帯びていた。

時に何かを賭けた試合であれば、勝者の方が余程憔悴しているということがあるほどに。

生き残った駒を率いて遮二無二突っ込んで勝機を拾おう等する捨て身の軍に対し、私は粛々と駒を捌いて致命の一打を差し入れる。突撃に追従しきれなかった騎士が斃れ、竜騎が堕ち、近衛が皇帝の盾となって果てる。

「……ありません」

何処までも技巧を凝らされた駒と盤は、行く手を喪った皇帝が倒れる音さえも劇的に響かせる。討たれることより自裁を選んだ皇帝の駒を見つめ、大きく嘆息した。

「やはり貴女は貴女でしたね」

この疲れる一局のおかげで漸く安心することができた。

最初、私はちょっと不安だったのだ。彼女に助けられた事実、短いながら今までの付き合いが全て嘘でなかったことは分かっていたけれど、違う世界の住人であると思ってしまったから。

今まではなんだかんだ言いながら、私対彼女という二人の付き合いだった。

だけど、これからはツェツィーリア・ベルンカステルとして彼女を認識し、同じベルンカステルの血脈である彼女の伯母との縁もできた。

縁は人を紡ぐが、遠ざけることもある。こと高貴な血と平民の間では。

倒れた皇帝、それが暗示することは多い。けれど分かったことは一つ。

彼女は今まで私と触れあった中で、自分を偽ることはなく、今も尚変わることはないのだと。

数手前に譲位して軍勢を多少なりとも退き、持久戦に持ち込んで私がトチるのを待つ戦法も考えられた。だのに彼女は勝ちを目指して前に突き進み、最後には皇帝を自ら倒して幕を引いてみせる。

彼女らしい指し筋は一つも変わっちゃいなかった。つまり、どうあっても彼女は私が知っているツェツィーリアから変わってはいない。

なら腹を括ろうか。気遣いつつも、私も変わらぬ接するために。

「……だというなら、貴方も貴方ですよ、エーリヒ」

意思の強そうな鳩血色の瞳の目尻が笑みに下がった。力のない笑みというより、安堵が滲む笑みは私と同じ事を感じ取ったのか。

思ったとおり、この一局は改めての自己紹介。駒を介して交わした再度の自己紹介は、最初から揺らがぬ印象を返してくれる。

私は私、貴方は貴方。これだけ分かれば私達には十分だった。

「ほんと、ここの夜警がずっとずっと鬱陶しくて」

「ええ、途中で失敗したかなと思いましたけど、ここ……この辺から流れが変わって、しめた! と思いましたね」

敢えて何もいうことをせず、私達は笑みを交わして感想戦に入る。

ま、これからもいいお友達でいましょうねってことで…………。

【Tips】公式ルールではないが、負けた側が敗北を宣言するのが兵演棋のマナーとされる。

泣く子にゃ勝てんと昔から相場が決まっている。

なんてことを前にも言った気がするな。ちょっとしたデジャヴを感じながら、私はさめざめと泣き続けるエリザの頭を腹に抱えて嘆息した。

兵演棋の後、四頭立ての馬車という平民としては心臓が縮み上がる代物で魔導院まで送ってもらった。一応の所、三重帝国では多少の遠慮は美徳としてみられるものの、貴人からの施しを頑なに断るのは無礼にあたるのでやむない事態だ。

幸いなのは到着したのが夕方頃で教授方が退勤する刻限であり、贅沢な馬車が何台も正面のアプローチに止まっていたため混雑に紛れて目立たなかったことか。

そして、こっそり戻ってきたらご覧の有様だ。

アグリッピナ氏の工房に入ると同時に腹に強い衝撃を受けた。<雷光反射>によって引き延ばされた体感時間と<観見>による対象を見る判断能力の助けがなくとも、私にはロケットみたいに突っ込んで来たのがエリザであることが分かっていた。

だから下っ腹に受けると辛いだろうなぁ……と思う衝撃も黙って受け止める。泣きじゃくる妹を避けて、壁にぶつけさせる兄貴なんて世界の何処にもいないだろ?

泣き疲れて尚も泣き続けたのか力なく涙をこぼす彼女を連れて長椅子に向かい、横抱きにエリザを直して抱きしめた。私の上体をかき抱く力は荘を出る前と比べるとずっと強くなっており、彼女の成長を感じさせて密かに嬉しくなる。

しかし、彼女はどうしてこうも泣いているのだろうか。譫言のように私を心配する言葉や不安だったと嘆く言葉には連続性がなくてよく分からないのだが、今回は然程長く空けた訳でもないし、大怪我も――治しただけだが――していないのに。

抱きしめ、背中を撫で、あやしてやること暫し。鍛えていても少し腕が怠くなるほどの後、ようやく落ち着いてきたのかエリザは私の膝に座り直して鼻を啜った。

ああ、もう、目と鼻が真っ赤じゃないか。泣きながら何度も擦ったね? 肌が荒れてしまう前にアグリッピナ氏の薬箱から乳液をくすねてこないと。

泣きすぎて腫れぼったくなった瞼に氷をあてがってやりたいなと思っていると、エリザは辿々しく私の目を見て話し始める。

「あのね、あにさまがね、けがしちゃったっておしえてもらったの」

「教えてもらった? 誰にだい?」

「おともだちにおねがいしたの……あにさまがしんぱいだから、みてきてねって……そしたらね、そしたら……うう……」

また泣きだしてしまったエリザを宥めつつ話を聞き出し、切れ切れのパーツをつなぎ合わせてみると彼女が周りを漂う妖精に助けを借りて、私の戦闘の一部始終を知ってしまったことが分かった。

彼女は半妖精。肉の殻である肉体こそ持っていても精神は妖精のそれ。私達ヒトが成長するに伴って妖精との絆を喪っていくのに反し、彼女の絆は永遠に続く。

むしろ気に入った者に対し過剰な施しや致命的な“いたずら”をしてしまう種が、別種の世界に生まれてしまった子供を構わないはずもないか。妖精達にも何らかのルールや柵があるのか、黙っていても何とかしてくれるということはないけれど、助力を請われれば並の魔法使いが裸足で逃げ出す力が存分に振るわれることとなる。

エリザは私が心配で妖精に頼んで様子を見てきてもらったようだった。そして、離れた場所で何もできぬまま私の危難を知ってしまった。

それでこれほどに悲しんだのだ。

「でね、わかったの……」

止まらない鼻水と涙を拭ってやっていると、途切れるように言葉を挟んでくるエリザ。

「あにさまは、どうしたって、どれだけエリザがしんぱいしたってあぶないことをしにいくって」

言葉と涙が胸に刺さるようだった。以前彼女から投げかけられた疑問に私は開き直ったが、待たされる側がどう考えるかと思いはしなかった。

待つが辛いか、待たせるが辛いか。どこぞかの文豪の言葉――たしか凄いクズだった気がする――が重みを持ってのし掛かるかのように脳裏で響く。

「だからね、エリザは…… 私(わたくし) はね、お師匠様から強くなって兄様を守れるようになればいいよって教えてもらってたの」

ふと彼女の舌っ足らずで子供言葉混じりの三重帝国語に冴えが産まれた。滑舌とイントネーションがしっかりしたものになり、一所に定まらず適当だったアクセントが正しい箇所に収まり、正しい三重帝国語へと変貌する。

「兄様が勝手に危ないことをしにいって、それを止められないのは私も分かっちゃったからいいの。きっと何をしたって、兄様はまた今回みたいなことをするから」

「え、エリザ……?」

背筋に走るぞわりとした感覚。マルギットに囁かれる時とも戦闘の時に感じる命の危険とも違う怖気は何か。今まで一度として味わったことのない、形のない蟲が背を這うような違和感に汗が噴き出す。

「だから、 私(わたくし) も頑張るから。もっと魔法を覚えて、兄様が危険な目に遭わないよう隣にいられるよう強くなるから。そうしたら、兄様が危ない目に遭うことなんてないでしょう?」

じぃと私を見つめる父親譲りの茶褐色の目が揺らいでいる。色が淡くなるようでいて、時に月のような金色に輝くようでいて……見つめていても、見つめられても不安定な心地にされる目。

愛おしくあどけない顔の中で月のような目が二つぼんやり浮かんでいるようで、私は言い知れぬ不安に駆られ、悲鳴を上げそうになった。

まるでエリザがエリザでなくなってしまったような。そんな“ありえるはずがない”よくない妄想に取り付かれたのだ。

果たして彼女を強く抱きしめたのは、揺れる彼女を元のままに押し止めたかったからなのか。

それとも、私が私自身の頭に浮かべてしまった悪い妄想を否定したかったからか。

説明の付かない愚かな衝動を誤魔化すよう、強く強くエリザを抱きしめる私。

「強くなるから。そうしたら、おいて行かないでね、兄様」

そんな私の悪い妄想を染み込ませるように、同時に削り取るように彼女の聞き慣れたはずの、始めて聞く声が鼓膜を低く震わせた…………。

【Tips】人類と精神性が大きく異なる種は、その成長の方法と機会も人類とは大きく異なるものである。