軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第5話 冬を越える準備は、きれいごとでは間に合いません

初雪は、朝ではなく昼過ぎに来た。

最初の一片が窓へ張りついたとき、私は南倉の帳面へ燈油の在庫を書き込んでいた。

白くて軽い、いかにも始まりの雪だ。

けれど辺境では、始まりの雪ほど侮ってはいけない。

あれが降ると、人はすぐに「まだ大丈夫」と思う。

そして、次の雪で慌てる。

「奥様」

サラが扉を開けた。

彼女の頬は少し赤い。

冷たい風の中を走ってきたのだろう。

「北倉の確認が終わりました。毛布の予備は足りますが、子ども用の小さいものが少し足りません」

「数は?」

「村ごとに配る分を出したあと、余りは七枚です」

私はすぐに帳面の端へ数字を書きつけた。

七枚では足りない。

吹雪が二度続けば、どこかで必ず足が出る。

「兵舎側の古い予備は?」

「四枚だけ。しかも端がほつれていて、そのままでは配れません」

「なら繕って回すしかないわね」

私は立ち上がる。

窓の外では、もう雪が斜めに流れていた。

軽い雪でも風がつけば一気に厄介になる。

今年の冬は、たぶん待ってくれない。

「旦那様は?」

「北東の見回りに」

私は頷いた。

なら、その前にこちらで決められることは決めるべきだ。

「サラ、毛布の不足分は村へ出す前に帳面へ印をつけて。七枚は最後の予備として残す」

「はい」

「繕い部屋へ回して、兵舎側の四枚を今夜中に直せるか確認してちょうだい」

サラが頷いて走っていく。

いい子だ。

こちらが決めたことを、決めた順番でそのまま流してくれる。

私は北倉の鍵を取り、外套を羽織った。

雪の入り始めは、帳面だけでは足りない。

現物を見て、通路を歩いて、どこで人が滑り、どこで荷車が詰まるかまで確認しなければいけない。

そういう細かいことが、冬の辺境ではそのまま生き死にになる。

外へ出た瞬間、風が頬を打った。

冷たい。

でも嫌な冷たさではない。

むしろ気持ちがはっきりする。

辺境へ来てから、私はこういう寒さが少しだけ好きになりつつあった。

北倉の前では、倉庫番の青年たちがすでに扉へ板を当て始めていた。

私の姿を見ると、慌てて手を止める。

「奥様!」

「そのままでいいわ」

私は言う。

「板を閉める前に、中だけ確認させて」

倉の中は、昨日整理したときよりきれいに見えた。

札が残っている。

通路も潰れていない。

人は、一度便利さを知ると意外と同じ形を保とうとするものらしい。

少しだけ安心した。

でも問題は、そこではなかった。

入口寄りの棚に置いたはずの子ども用毛布が、すでに半分以下になっている。

つまり、屋敷の中だけではなく、村側の消費が早いのだ。

「もうそんなに出たの?」

私が訊くと、倉庫番の青年が唇を噛んだ。

「……昨日の夕方、北の小集落から子どもが二人、熱を出したそうで」

「薬師は?」

「昨日のうちに呼びました。ただ、家が古くて、夜の冷えが強く」

私は目を閉じる。

やはり来た。

帳面だけ整えても、外の家が寒ければ意味がない。

屋敷の中の在庫は足りていても、村の壁は私の札では厚くならない。

「サラ!」

ちょうど戻ってきた彼女へ声をかける。

「北の小集落、今すぐ家ごとの火床と窓布の状態を見て。毛布だけ渡してもたぶん足りない」

「わ、私がですか?」

少し驚いた顔だった。

でも私は頷く。

「あなた、足が速いでしょう。家の中の顔より、外の家の寒さを先に見てきてほしいの」

サラは一瞬だけきょとんとしたあと、胸を張った。

「はい!」

こういうとき、人は意外なことで頼もしくなる。

彼女はそのまま踵を返し、雪の中へ走っていった。

私は北倉の棚へ手を伸ばし、残りの毛布と補修布の束を数え直す。

数そのものは、ぎりぎり足りる。

問題は、《《どこへ先に回すか》》だ。

「奥様」

倉庫番のもう一人が、控えめに声をかけた。

「これ、去年の控えです」

差し出されたのは、古い帳面だった。

開けば、去年の寒波時の簡単な配布記録らしい。

字は乱れ、数字も雑だ。

でも読む価値はある。

「ありがとう」

私は受け取り、ざっと目を通す。

やはりだ。

北の小集落、川沿いの二軒、兵舎裏の寡婦の家。

去年も同じところから崩れている。

「奥様、もしかして」

倉庫番の青年が、私の顔を見た。

「今年も、あの辺が危ないですか」

「ええ」

私は帳面を閉じた。

「だから順番を変えるわ。配る毛布は、人数ではなく《《冷えの強い家》》から先に」

「でも、それだと不公平だって」

「不公平で結構」

思ったより強い声が出た。

私は自分でも少し驚く。

でも、ここで曖昧にしてはいけない。

「公平に配って、先に誰かが病むほうがもっと悪いでしょう」

倉庫番の二人は顔を見合わせ、それから小さく頷いた。

分かる人は、ちゃんと分かる。

そのとき、表から馬の足音がした。

アシュレイ様が戻ってきたのだとすぐに分かる。

彼は足音まで無駄がない。

「雪は思ったより早い」

倉の前へ来るなり、彼はそう言った。

「ええ」

私は頷く。

「子ども用毛布が先に足りなくなりそうです」

「数は」

「繕いを回しても、余りは十一枚程度。ただし、家の状態次第ではもっと削れます」

彼はすぐに北倉の中を見た。

視線が早い。

数字だけでなく、現物を見る目だ。

「北の小集落だな」

「はい」

「やはり」

それだけで話が通じる。

私は少しだけ、救われるような気持ちになる。

王都では、こういうとき「大げさでは?」から始まることが多かったから。

「屋敷の予備布団を回します」

私は言った。

「客間は今使っていませんし、南棟の来客用もひとまず削れます」

アシュレイ様が一瞬だけ私を見る。

「お前の分は」

「あります」

私は即答した。

「けれど《《私の部屋だけ十分》》でも意味がありません」

そう言うと、彼の目がほんの少しだけ細くなる。

たぶん、またあれだ。

褒めるより先に、納得したときの顔。

「ハロルド」

アシュレイ様がすぐ後ろへ声をかける。

いつの間に来ていたのか、老執事が雪の向こうで一礼した。

「客間の予備を出せ。エレミアの指示で配る」

私の名前で言われたことに、胸の奥が少しだけ熱くなる。

奥様ではなく、代わりの花嫁でもなく、《《エレミアの指示で》》。

それはたぶん、思っていた以上に重い言葉だった。

午後は、まるで戦だった。

帳面をつけ、毛布を割り振り、繕い部屋へ布を回し、北の小集落へ追加の火床石を送る。

サラは外から戻るなり、頬を赤くして報告した。

「奥様、北の二軒、本当に窓布が駄目でした! しかも床板の隙間が大きくて……」

「火床石と一緒に、藁も回して」

「はい!」

彼女はもう、私の指示へ迷いなく頷くようになっていた。

昨日までは“王都から来た花嫁”を見る目だったのに、今は明らかに違う。

たぶんそれは、この屋敷全体で少しずつ起きている変化なのだろう。

暗くなるころには、ようやく一番危ないところへ必要なものが渡った。

足りないところは残っている。

でも、今夜凍える家を減らすことはできたはずだ。

私は帳面へ最後の印をつけ、そこでようやく肩の力を抜いた。

疲れている。

でも、嫌な疲れではない。

何をどこへ回したか、自分で分かる疲れだ。

「今日はここまでだ」

アシュレイ様が、私の机の横へ立つ。

「まだ配りきれていない家があります」

私が言うと、彼は短く首を振った。

「今夜の分は足りる」

「でも」

「お前が足りない」

一瞬、意味が分からなかった。

でも、そのあとでようやく気づく。

私が、足りていないのだ。

休みが。

「まだ動けます」

「そういう顔をしていない」

彼は言う。

静かな口調のまま、でも反論の余地がない。

「今日は終わりだ。続きは明日やる」

私は反射的に言い返しかけて、やめた。

たしかに、指先が少しだけ震えている。

帳面の字も、最後の二行だけわずかに荒れていた。

「……分かりました」

私がそう答えると、アシュレイ様はそれで満足したらしい。

余計に言葉を重ねることはなかった。

部屋へ戻って椅子へ座ると、ようやく全身の疲れが一気に押し寄せてきた。

王都の母なら、こんな姿を見て「だから辺境なんて」と言うのだろう。

でも私は、ここで働いた一日の疲れのほうが、王都で愛想笑いだけして終わる一日よりずっとましだと思っていた。

そこへ、夕方まで見ていた母の手紙がまた目に入る。

《《やっぱり、あなたはそういう地味な実務が好きなのでしょう》》

私はしばらくそれを見て、それから手紙を裏返した。

好きなのかもしれない。

でも、それは《《華やかな妹には向かないから押しつける》》とは、まるで違うはずだ。

好きだからやることと、好きそうだから押しつけられることは、きっと違う。

その夜、初めて私はそうはっきり思った。