軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

21.猿の降る夜

「ウッキー、ウキキー、《ウキッ》!」

「ええええぇ!?」

「……ついに野生に還ったし?」

上空から、正確には北東の塔からおそらく外壁を伝って降ってきたのは、猿……ではなくて人間であったはずのエドガンだった。

「なんで、ウキウキ言ってるの?」

「恐らく、記憶を失い過ぎて、人から猿に戻ったんだし!」

なんということだろう。記憶を、言葉さえも失ってしまうと、人は猿に戻るのか。それともエドガンだけなのか。

おそらく今もエドガンは、種族分類上は人族なのだろう。少々汚れているけれど、見た目はエドガンで相違ない。少し鼻の下が伸びているのは、猿化が影響しているのではなく、ヤツの視線の先にあるラミアの胸元のせいだろう。

猿と化してもエドガンは、ちゃんと愛用の双剣を手に、左腕に炎、右腕に風を宿した 双属性剣(デュアル・エレメンツ・ソード) で黒の戦禍に切りかかっている。

「エドガン、詠唱の短縮を身に付けるとは、さすがですぞ!」

「いや、驚くのはそこじゃねぇだろ」

エドガンが正気であったなら鼻高々に喜びそうなフレーズで驚いて見せるグランドルと、冷静に突っ込むドニーノ。

「ふぅむ。詠唱とは言語ではなく唱えたという認識が重要ということですな……」

「そうかもしんねぇけど、そこでもねーだろぉーよぉー! 《メェ・ハンッ》!」

ツッコミながら《メガ・ハンマー》をネイティヴなのか訛っているのか分からない感じで略して発音し、見事発動させるドニーノ。黒鉄輸送隊の装甲馬車のメンテナンスを担当しているだけあって、なかなかに器用な様子だが、この詠唱は傍から聞くとなんだか少し恥ずかしい。

本人もこれはいただけないと思ったのか、2撃目からはいつも通りの「《メガ・ハンマー》」に言い直している。

「むむっ。これは負けてはいられませんぞ! 《ウォール・シールド》」

グランドルはグランドルで、土魔法の《アース・ウォール》と盾スキルの《シールド》を合体させて詠唱し、見事土の盾を形成している。ここまでくると、新しい複合技と言っていいかもしれない。流石は、でんせつのゆうしゃ。潜在スペックが半端ない。

人語は全く話していないが、Aランカーの登場は一同にとって心強いものらしい。ひょいひょいと人とは思えぬ跳躍力で黒の戦禍をかく乱しながら、ズバズバと切り裂いていくエドガンに、一同は力を取り戻したようだ。

マリエラに「さっきは攻撃してごめんね」と、ポーションを振りかけられて傷の回復したラミアは、水に流してくれたのか、単にそれどころではないのかは分からないが、再び黒の戦禍に挑みかかり、ラミアを襲う攻撃はグランドルが捌いていく。ドニーノとユーリケが迫る歩兵をなぎ倒し、そこへマリエラが火炎瓶を投げ込む。

形成は逆転した。

「ウキッ!」

攻撃の合間を縫ってエドガンがラミアに向かって投げキッスを飛ばし、ラミアが6本の腕をうねうねと動かしながら本気の威嚇を返す余裕すらある。

「ウッキウキ!」

まさに、気分はうっきうき。

ご機嫌パーリー状態だ。

「違うし! 敵が、黒い魔物が雪崩れ込んでくるし!!」

流石は調教師。ユーリケはエドガンの猿言語さえ理解できるのか。

ユーリケの指差す先、崩れ去った北の防壁付近に目をやると、夜の闇よりなお黒いものが津波のように盛り上がり、マリエラたちのいる中庭に雪崩れ込もうとしていた。

マリエラやユーリケという二人の少女と黒鉄輸送隊の仲間たちの危機に駆け付けたのか、それとも単に女性的なフォルムのラミアとお知り合いになりたかったのか、エロガンの分かりやすい行動原理など理解したくは無いけれど、そのおかげで助かったのは間違いない。けれど、北を守るエドガンの不在によって、この中庭を、恐らくは中央の神殿を目指す黒い魔物は堰を切った洪水のように、雪崩れ込もうとしていた。

「こいつぁ、やべぇ」

「一旦引きますぞ!」

「ウキー」

ウッキウキなのはエドガンの鳴き声だけで、エドガンも含め皆の顔は深刻だ。

一同は踵を返して、外壁の南側、エントランスへと走り出す。

けれど押し寄せる波濤から逃れられる者がいるのだろうか。

扉はそこに見えるのに、距離が無限のように感じ、湿気た中庭の空気さえマリエラたちの動きを阻んでいるように感じる。

これほどの大波の前では、マリエラたちなどちり芥のごとく呑まれ、記憶も存在も散り散りに消し飛んでしまうのではないか。

迫りくる真黒な絶望に、マリエラが塗りつぶされそうになったその時。

「グルオオオオオオォッ」

ワイバーンかドラゴンか。

北西の方角から響く咆哮。その方向に招かれたように生じた竜巻に、押し寄せる黒い波濤は呑み込まれ、渦を巻いて遥か上空へと巻き上げられていった。

ゴウゴウと、横殴りの風が吹く。

竜巻の起こした暴風が遠く離れたマリエラたちまで吹きつける。

風は強く、どんどん重さを増していく。

まるで水に呑まれたように、呼吸さえままならない。

竜巻が含む水の気配に誘われるように、濃霧のように大気は湿度を増し、闇に光が差し込んでくる。

「朝だ、水が来るぞ!」

ドニーノはそう叫ぶや、黒の戦禍に腰に差した火炎瓶をありったけ投げつけると、グランドルをひょいと担いで外壁のエントランスへと走り出す。

「急げ、戻るぞ!」

「ギャウ!」

ドニーノの呼びかけに呼応したのは、竜巻を見つめたまま呆けた様子のユーリケではなく、二人が乗ったラプトルのクーで、マリエラたちを落とさないよう気を付けながらも黒い魔物を蹴散らしながら、エントランスへ駆けていく。

「ウッキー、ウキウキー、《ウキッ》」

最後まで黒の戦禍の足止めをしていたエテコウ違ったエドガンも、止めとばかりに 双属性剣(デュアル・エレメンツ・ソード) を叩き込むと、なぜか壁を駆け上がり、マリエラたちとは反対側の北東の塔へと戻って行った。

夜と朝が入れ替わり、世界が水で満たされる、それはとても短い時間。

満ちる水から逃れるように、外壁のエントランスへ急ぐ一同。

体力の尽きたグランドルは、ドニーノに担がれながらも顔を上げラミアの方に目を向ける。その視線に気が付いたのか、ラミアは黒の戦禍を攻める手を一瞬だけ止めると、去っていくグランドルの方を振り向いた。

グランドルは見た。白く密度を増していく霧の向こうで、ラミアが己を見つめる姿を。

そして、ラミアの注意が削がれた隙に、無防備に逃げ出すグランドルたちを獲物と定めた黒の戦禍が突進してくる様子を。

「いかん、ヤツがきますぞ!」

「くっ、戦ってる時間はねぇ、全力で走れ!!」

火炎瓶で焼かれ、エドガンの攻撃で削られたぶん、身軽になったとでも言いたげに、異様な速さで突進してくる黒の戦禍。

痛みも恐れも感じぬものをいかに止めればいいのだろうか。

「《ウォール》、《ウォール》! ダメですぞ!」

グランドルの《アース・ウォール》は、《シールド》との複合技だからこそ、黒の戦禍を制止しうる。そして彼の盾スキルは、体から離れた場所では効果を発揮しないのだ。

ただの脆弱な土の壁など、紙の目隠しほどの役しかなさず、黒の戦禍はみるみる距離を縮めて来る。

「泳ぎは苦手なんだがな」

「同じくですぞ」

「ドニーノさん!? グランドルさん!?」

マリエラたちを逃がすため、黒の戦禍を足止めするために、ドニーノが立ち止まってハンマーを構える。担がれていたグランドルは着地して、黒の戦禍の突進を止めようと、残りの魔力をつぎ込んで、《アース・ウォール》を構築し、《シールド》スキルで強化する。

黒の戦禍の衝撃は、すぐに訪れるはずだった。

「何が……?」

「おい、グランドル、ありゃあ……」

急に止んだ追撃に、グランドルが土壁の向こうを覗いてみると。

「お……、おぉ、ラミア……」

この数日を共に過ごし、先ほども共に戦ったラミアが、黒の戦禍に巻き付き締め上げて、その動きを封じていた。

もっとも黒の戦禍もラミアに巻き付かれた程度でその動きを止めたりはしない。

ズクズクとラミアの蛇体を貫いて、黒の槍がラミアを内側から貫き通す。

「シャアッ、シャアァッ」

血を流し、針山のようになりながらも巻き付く力を弱めないラミア。

「なにを、ラミア。やめるのです」

グランドルの言葉はラミアに通じなくとも、案ずる心は届いたのだろうか。

ラミアは顔を上げ、グランドルを見つめると、そのまま上半身をくねらせて、6本の腕で巻き付いた己が体を封じ込めるように抱きしめた。

「シャアアアアアアアアアッ!!!」

天に向かってラミアが叫ぶ。

その声は、蛇の威嚇というよりは、死にゆく乙女の断末魔のようであったと、グランドルは思った。

「ラミア!」

進化した蛇の魔物は時に石化の呪いを持つ。

人を呪って石に変え、飾る種族もいれば喰らう種族もいる。

けれど人を助けるために、己が体を石に変える蛇が存在しただろうか。

「行くぞ、グランドル。水が来る。時間がねぇ」

ドニーノは呆然とするグランドルを再び担ぐと、外壁のエントランスに駆け込んだ。

中庭には水が満ち、黒い魔物は溶けるように消えていく。

もうじき優しい光の中で、魔物が新たに生まれるのだろう。

幾度も繰り返された朝。

グランドルが何度もラミアと見た光景。

外壁に囲まれた中庭に朝日は未だ射し込まず、けれど白んでいく空の光が濃密な霧に反射して、この限られた中庭の世界は、夜の穢れを祓うかの如く、一瞬、白く輝くのだ。そして、霧は水に変わって、すべてを呑み込み静かに世界を満たすのだ。

その静かな水の世界の中で、黒の戦禍に巻き付いたまま、石と化したラミアが物言わず佇んでいた。

「感傷に浸ってる暇はねぇ、“首飾り”が目を覚ます前に退却するぞ!」

ドニーノの号令でエントランスを離れ廊下へと駆け込むマリエラたち。さきほどからユーリケは押し黙ったまま心ここに在らずといった様子でラプトルの進むに任せている。

何とか南東の塔1階に辿り着いたマリエラたちは、つかの間の安全にようやく深く息を吐いた。

「よかった、グランドルさんが助かって……」

マリエラはグランドルの生還を喜ぶけれど、グランドルの顔色は優れない。

確かにグランドルは助かった。けれど、ポーションで多少回復したものの、衰弱した体は完全とは言えないし、魔物であるラミアが自分を助けるために犠牲になったという事実を消化できずにいる様子だ。

エドガンが肉体的に無事であることは、偶然確認できたけれど、記憶のほとんどを失っているようだった。

それでもエドガンはエドガンというか、なんだか楽しそうだから深刻なイメージは受けないけれど、言語を忘れて猿化するなど、看過できる状況ではないだろう。

そして。

「あの竜巻……。あれは、フランツだし」

北西の方向を見据えたまま、つぶやくユーリケ。

竜巻を呼ぶように上がった咆哮は、人の放つそれではなかった。

フランツに一体何があったのだろうか。

Aランカーで攻撃力の高いエドガンでさえ、記憶を全て失って、猿のようになっていたのだ。

フランツは一体どうなっているのだろうか。

「二人を放ってはおけない」

少しでも、二人の記憶を取り戻さなければ。

「おう、そうだな。ここは二手に分かれるか。嬢ちゃんとユーリケ、ワシとグランドルであいつらを助けに行くとしよう」

マリエラの提案にドニーノが同意する。

けれどマリエラは知っている。もう、気が付いてしまっている。

二人同時に記憶を取り戻すことなど、できはしないということを。

エドガンか、フランツか。

片方の記憶を取り戻している間に、もう片方はどうなってしまうのだろうか。