軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

エリクサー

今ならば、伝説のポーション、エリクサーを錬成できる。

マリエラは今度こそ自分がエリクサーを錬成するすべを得たと確信した。

ちなみに完成した特級ポーションは、ボロボロになったジークに飲ませている。

精霊眼を最大まで利用して、立ち上がれないほどに疲弊し、恐らく筋もいくつか千切れているだろうに、「俺は大丈夫だから」などと変な遠慮をしだしたので、「えい」とばかりにポーションをジークの口に突っ込んだら、むせながらも飲んでくれた。

(初めて会った日もこんなやり取りしたかもしれない……)

リンクスがくれたペンダントに始まり、昔を思い出してばかりだ。

目覚めてからの日々を懐かしく思い返しながら、マリエラは迷宮の核をジークから再び受け取る。

エリクサーの作り方は《ライブラリ》には記されていない。

けれど作り方など必要ないのだ。

どうすればいいのか、今のマリエラには理解できる。手にある迷宮の核が教えてくれる。

「始めます」

宣言し、ゆっくりと《錬成空間》を展開するマリエラ。

迷宮の核は純粋で高密度なエネルギーの集合体。そこに迷宮の主たる魔物の瘴気が浸み込んで、黒く穢れてしまっているのだ。まずはこの穢れを取り払ってしまわなければ。

(穢れを払う……? 違う、還すんだと思う)

魔物を魔物たらしめる世界の穢れが人から生じる物ならば、それは自分たち人間の一部でもある。ならば還すことができるはずだ。

《命の雫》

迷宮の核を閉じ込めた《錬成空間》内に《命の雫》を満たしてやれば、まるで飢え乾いた獣が水を飲み干すよう迷宮の核が《命の雫》を吸い込んで、その飲み込む量に見合わぬほど僅かずつではあるけれど膨張していく。

迷宮の核が《命の雫》を吸収するよりずっと多くの《命の雫》を汲みだしながら、マリエラは圧力と温度を少しずつ下げていく。

少しずつ、少しずつ。

滑らかな線を描くような緻密な錬金術の操作は、迷宮の核を扱う者に相応しい精密で高度なものだ。定められた温度や圧力から少しばかりの逸脱も許されない。

けれどマリエラにはどうということもない。このような作業など、幼い頃から何千回、何万回と繰り返してきた。

世界で最も高い山よりもさらに低い圧力と、北の果ての空気より冷たい温度になった時、迷宮の核が突如として真黒に染まった。そしてその次の瞬間には、黒白が反転しかき消すような勢いで迷宮の核は真っ白に変わる。

その後も、充分に《命の雫》を吸って膨張した迷宮の核に、温度や圧力、雰囲気を次々に変えていく。工程の数は星の数ほどで、どれ一つとして間違うことができない。緻密で精密で基礎的な術を無限に組み合わせた錬金術の技。ただひたすらにポーションを作り続けた者だけが行える、錬金術の頂。

熱い熱い溶岩躍る、火山の火口の奥の奥。

辿り着けない海の亀裂の、潜り沈んだ海溝の底。

深い深い大地の底の、熱く重く押し込められた太古の地点。

そんな世界の果ての果てまで巡り廻るかのように、 錬金術師(マリエラ) は《錬成空間》を、彼女の世界を変えていく。

その度に迷宮の核は色を変え、大きさを変え、いつしか《錬成空間》の中で浮び漂う液体へとその形を変えていった。

血液の赤、沈む夕日の茜、ひた紅に燃ゆる秋の木々の色。

春の若葉の萌黄、翡翠の球の光る碧、魔の森の深い森の緑色。

夜が近い空の藍、果ての見えない海の青、ジークの瞳の蒼い色。

マリエラの扱う迷宮の核は、まるで雲のように薄く大きく体積が広がったかと思うと、その膨張のベクトルは突如として反転し、急速にその体積を減じて結んだ木の実のようになる。

そこにあると感じられた質量が光と共に消えてなくなり、かと思えばなかったはずの質量が新芽が萌えるかのように増していく。

月の銀色、炎の黄金、蛍の燐光、闇夜の雷光。

淡く、激しく、やさしく、厳しく。色も光も移り行き変転として定まらない。

それはまるで、世界の移ろいゆくさまを早回しで見ているようだ。

迷宮の核、もはや地脈の核と言うべきそれの変貌していくさまは、この地の記憶なのかもしれない。

「あぁ、豊かで綺麗だね。この地脈は」

愛弟子の成長を、エリクサーの錬成を見守る師匠・フレイジージャは地脈の核のたどる変遷に感嘆の呟きを漏らした。

その声が完了の合図であったかのように、錬金術師マリエラの手の中で、伝説の秘薬エリクサーは今ついに完成した。

「でき……ました」

はぁ、と大きく息を吐き、マリエラは錬成空間の中で輝く液体を精霊エンダルジアへと差し出した。

「これが……エリクサー」

「まるで地脈の輝きだ」

レオンハルトやジークが見守る中、精霊エンダルジアはエリクサーを、そしてマリエラやレオンハルト、ジークたち人間一人一人に目を向ける。

――ほんとうにいいのですか? 私を助けてしまえば、エリクサーという稀有な秘薬は消えてなくなる。

例えエリクサーで長らえたとして、衰弱したこの身ではもはや地脈の管理はできません。

もはやただの精霊たる我が身は、現世に顕現する力も持たず、あなた方を見守り照らす僅かな力しか残されていないのです。

エンダルジアの問いかけに、マリエラはレオンハルトを、ディックやニーレンバーグ、迷宮討伐軍の兵士たちを、ジークとそして師匠フレイジージャを振り返る。みんな、マリエラとエンダルジアに穏やかな顔で頷いている。

「それで、十分なんです。立ち止まったり間違ったりもするけれど、そんな時にほんのちょっと先を照らしてくれるだけで。私たちはきっと、自分の力で歩いていけるから」

そう言って、マリエラは《錬成空間》ごとエリクサーをエンダルジアへと差し出した。

――ありがとう――――。

エンダルジアがエリクサーに触れた瞬間、マリエラたちのいる迷宮第60階層に優しい光が溢れかえった。優しく温かな光の奔流。

エンダルジアから溢れかえったその光が、マリエラたちの視界を埋め尽くす前に、マリエラはエンダルジアが誰かを見つめ微笑むのを見た。

――子供たちを導いてくれて、ありがとう。

エンダルジアのその声を聴いたのは、その感謝を向けられた本人と、エンダルジアの一番近くにいたマリエラだけだったろう。

(誰に……、ジーク? 違う……)

マリエラがエンダルジアの視線を追うよりも早く、周囲は光に包まれた。

まばゆい光が治まった後、迷宮第60階層は、何もないただの洞窟と化していた。

あれほど近くに感じられた地脈も今は感じられない、暗い、ただの穴の底。

真っ暗な洞窟で、ラプトルの頭上に陣取るサラマンダーだけが、まるで小さな燈火のようにマリエラたちを照らしていた。

「終わった……のか?」

レオンハルトは誰に問うでもなく呟く。急に暗くなった中、唯一明るいサラマンダーとラプトルに自然と皆の視線が集まって、急に注目されたラプトルは「どうしよう?」とでも言いたげに「ギャウ―?」と鳴き声を上げる。

その可愛らしい鳴き声に頭上のサラマンダーが鳴いて応じた。

「キャウゥ、――カエロウ!」

「サラマンダーが……、しゃべった!?」

急に人の言葉を発したサラマンダーに驚くマリエラ。

「そうか……、ここは人の領域に、我らの大地に戻ったのだな……」

200年にわたる宿願が今叶ったのだと理解したレオンハルトは、この地まで共に至った兵士たちを振り返ると宣言した。

「帰ろう、諸君! 我らの宿願は今果たされた! この地はすでに我らのものだ!

我らの、我らの勝利だ!!」

「おおぉ!!」

「帰ろう! 凱旋だ!!」

「凱旋だ! 戻ったら祝宴だぞ!」

「酒だー!! 酒蔵ごと飲み干すよ!」

「……ししょー、なに混じってんですか」

「ギャウ!」

*****************************

その日から、勝利を祝う祝宴は三日三晩も続けられた。

レオンハルトの勝利を伝える伝令は、直ちに迷宮を駆け上がり迷宮都市が正しく人の領地に戻ったことを街中の人々に伝えていった。

迷宮の主が斃されたことで、迷宮内に新たに魔物が生じることも、魔物たちに魔力が供給されることもなくなったけれど、既に充満している魔力については自然に拡散していくのを待つ必要があるようだ。階層ごとに異なる気候を維持する迷宮の機能も魔力の減衰と共に失われていくのだろう。

統率されたように地上を目指していた魔物の群れは、バラバラにもといた階層に戻っていった。これまでは何も食べずとも存在できた魔物たちも、魔力の薄まりと共に存在を維持できなくなるだろうから、受肉できた個体は魔の森の魔物のように餌を喰らって長らえるだろうし、そうでない個体は自然に消滅していくだろう。

迷宮内部の気候の変動に適応できない個体も多いだろうから、数年から長くとも十数年の内にほとんどの魔物は死滅するのではないかと、意見を求められた炎災の賢者は語ったという。

迷宮の深層は、気候の維持だけでなく構造さえ迷宮の主の魔力で支えられていた部分が多かったから、50階層より深い層は地下水の流入や岩盤の崩落によって危険な状態にあるらしい。深層の崩壊の影響が地上に及ばないように、ウェイスハルトら魔導士たちは忙しい日々が続きそうだ。

しばらくは気の抜けない日々が続きそうだが、迷宮の崩壊も魔物の減少も、迷宮内に残る魔力の減衰と共に次第に緩やかに、時間をかけて進行していき、いずれは迷宮都市も魔の森のほとりにある他の領地と変わらない、普通の街になるのだろう。

人の領地に戻ったこの街の周辺は、以前のように頻繁に魔物が現れることは無くなったけれど、かつてのエンダルジア王国のように決して魔物に襲われない安住の地になったわけではない。人が魔物の巣窟にむやみに立ち入らないように、魔物も人の住処から距離を置く。獣どうしに縄張りがあるように、ここが人の領地だと住み分けられるようになったに過ぎない。

脅威と共に貴重な素材や資源をもたらした迷宮が失われたぶん、迷宮都市の人々は、魔の森を切り開いて農地を獲得し、魔の森の魔物から生活の糧を得る必要がこれから高まっていくのだろう。

迷宮の危機が去った今、今までのように帝国から格別の配慮を得ることも敵わなくなるから、この街は今まで以上に自分たちの力で生きていかねばならないのだ。

(望むところだ)

祝いの酒に酔いしれる迷宮都市の人々を、ともに戦ってきた仲間たちを見つめながら、レオンハルトは自信を深める。

この街は、自分たちは、己の力で進んでいけると。

聞けば此度の迷宮討伐には、老人から子供まで街中のほとんどの住人が参加したというではないか。

なんと頼もしい事よ。

なんと誇らしい事よ。

こんな民と共になら、どれほどの苦難であろうと乗り越えていけるだろう。

希望に輝く人々を見ながら、レオンハルトは新しい時代の訪れを確かに感じ取っていた。

三日三晩にもわたる祝宴に、人々は酔いしれ共に祝い合った。

怪我人も少ない数ではなかったけれど、治療より酒が先だと祝宴に出ては、ニーレンバーグやロバートに手荒い治療を受けていた。

師匠はシューゼンワルド辺境伯家の酒蔵を本気で空にする勢いで、じゃぶじゃぶお酒を飲みながら、こともあろうにレオンハルトに、

「らから~、《命の雫》は地脈と命を廻ってるんら~。らから、ほんっとーに必要な時には、ぜーんぶ整うもんなんらって~、昔っからいってるらろ~」

などと言って絡みまくっていて、師匠係のミッチェル君に引きはがされている。

ヴォイドとエルメラのシール夫妻はいつものことだが、人前でいちゃつかない派のアンバーさえもディックの無事を人目もはばからず喜んでいたし、なんとあのエドガンまでもが迷宮で助けた女性冒険者たちにキャーキャー言われてだらしなく鼻の下を伸ばしていて、黒鉄輸送隊の面々に冷ややかな目で見られている。

いつもは冷たくあしらわれているハーゲイまでもがギルドの幹部に囲まれて、何度も酒を酌み交わしているし、キャロラインはウェイスハルトと微笑み合い、エミリーやシェリー、エリオにパロワら子供たちも、この日ばかりは夜更かししても怒られない。

木洩れ日の常連であるガーク爺やゴードンたちドワーフ3人組、メルルさんに薬師たち。みんなみんな楽しそうで、まるで夢の中の光景だ。

「リンクスのお陰だな」

マリエラの隣でジークがつぶやく。

「うん、いいところ、持ってかれちゃったね」

マリエラが見上げるジークは今まで通りリンクスに貰った眼帯をしている。

特級の リジェネ(再生) 薬の影響は人それぞれだけれど、ジークの場合は精霊眼を中心に影響を受けているらしく、かつての強い力を失ってしまった。エンダルジアが地脈の管理者でなくなったため、ジークの精霊眼を依り代にして街を守ることはもちろんできないのだけれど、精霊眼自体も弱くなってしまったらしく、目を開いているだけで精霊に力を与えることは無くなってしまった。

それでも精霊に愛される体質はそのままで、精霊眼を通じて魔力を与えれば、姿を現し矢を強化したりして助けてくれるのだそうだ。もちろん今までのように、地脈と一体化したエンダルジアから無尽蔵に《命の雫》がながれてくるわけではないから、ジークの魔力の範囲でとなる。

今はまだ、精霊眼の制御が難しく、精霊眼を開いているだけでどんどん魔力を消費してしまうから、こうして眼帯をしている。

「リンクス、もう還っちゃったのかな……」

胸元のペンダントを握り閉めながら、ぽつりと呟くマリエラ。リンクスの声が聞こえた気がしたのはあの時の一回だけだった。リンクスに貰ったペンダントは、チェーンを直して再び着けているけれど、複雑な細工ものの鍵はあの時落ちた衝撃で壊れてしまったようで、今ではボタン一つで開閉できるただのロケットになってしまった。

その事実が、リンクスがすっかり地脈に還ってしまってこの世のどこにも残っていないのだと、マリエラに告げているような気がした。

「マリエラ、俺がいるから」

「うん。ジーク。ずっと一緒にいようね」

祝宴の夜は、迷宮都市の人々の明日への期待そのものに、夜を徹して行われた。

そして、やがて夜は明ける。

祭りの後の静けさと、酔いの名残を滲ませて。

静かな夜明けだ。まるで街中が騒ぎつかれて寝入ったような。

朝もやに煙る路地には人影はなく、夜明けを告げるモルゲナさえも今日は鳴き声を潜めているようだ。

そんな静かな早朝に、『木漏れ日』の裏口が音もなく開かれて、炎災の賢者・フレイジージャが一人家の中から現れた。