軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

穴の底

迷宮の深淵に向かう階段は、炎災の賢者の言う通り悪夢を紡ぐ回廊の終点に開いていた。

死人たちを何とか振り切り、爆風に押されるように降り立った迷宮第59階層は真っ暗で、何が潜んでいるのかレオンハルトの目ではとらえることができない。

58階層の死人たちは、駆け抜けていった迷宮討伐軍には興味を失い、上の階層に向かって移動しているようだ。外に這い出ようとしているのか、それとも58階層中を爆風が吹き荒れるほどの大魔法にも関わらず、フレイジージャが健在で彼女の炎に惹かれているのか。レオンハルトらには知る由もない。

この階層に続く階段は、これまでは階層 階段(・・) と表現するのにふさわしい、一定の段が形成された人工的な物であったのに、岩や土くれが積み重なった坂道に変わっていて、階段と呼べるほど作りの良い物ではなくなっていた。

階層の天井は高く、数十メートルはあるだろうから、斜度のきつい丘と言ってもいいだろう。

足元も石や岩が混じった土壌で、草の一本も生えていない様子が、この場所を掘られたばかりの穴倉のように思わせる。砂質ではなく粘土質の土壌のようで、地下水はしっとりと冷たく地面を湿らせる程度だ。粘土質といってもぐずぐずと足元のおぼつかない緩んだ状態ではなくて、細かい粒子が固まった柔らかい岩という感触である。

「《ライト》。これでは何も見えん。明かりを灯し、被害状況を確認せよ」

レオンハルトの命令で、兵士たちは次々に明かりを灯して隊列を整える。

通常、迷宮には照明石や月光石と呼ばれる、光る石が壁面や天井に埋め込まれていて、昼間と変わらぬ明るさであったり、薄暗い階層であっても 暗視魔法(ダークサイト) を使うことで十分な視野が確保できるのだが、この階層には照明石も月光石もなくて、まさに深淵と呼ぶべき暗い穴の底であった。

光もなければ音もない、しんと静まり返った階層に、点呼の声と迷宮討伐軍の灯す明かりだけが生命の存在を主張している。

被害状況の確認は驚くほどに迅速だが、点呼の声も報告も囁くような静けさだ。

この階層に魔物がいないなどと、誰も考えてはいない。

声を潜めるのは、近づいて来るであろう魔物の足音に耳を澄ませるためだろう。

この階層の魔物たちはこの明かりを 導(しるべ) に、今もこちらに向かっているのかもしれない。

この暗がりで明かりを灯すなど、魔物に位置を知らせるようなものではあるのだが、真っ暗では魔物に近づかれても感知することはできないし、何よりも本能的な恐れがレオンハルトらに照明の魔法を使わせていた。

(200年前の 魔の森の氾濫(スタンピード) の悪夢の後に、こんな穴の底に着くなんて……)

マリエラは、死の恐怖に怯えながら仮死の魔法陣を使った、魔の森の小屋の地下室を思い出していた。

(あの時は、一人ですごくすごく怖くて……。こんな所で一人ぼっちで死にたくないって思ったんだっけ……)

マリエラの不安を感じ取ったのか、ラプトルの頭の上に乗っかった小さなサラマンダーがマリエラを振り返って「キュウ?」と小首を傾げる。このサラマンダーは師匠の魔力で受肉し実体があるのだが、発火し炎を出して光っている。けれど熱くはないようで、ラプトルも頭に乗せたままだ。ゆらゆらと揺らめく炎が、あの日のランタンの 灯(あか) りを思わせる。

魔の森の氾濫(スタンピード) のあの日は、うっかり消し忘れたランタンの炎がマリエラを200年後の世界に導いた。そして今、サラマンダーの 燈火(ともしび) はマリエラをどこへ導くのだろうか。

「マリエラ、大丈夫だ。俺が必ず守るから」

きっと不安げな表情をしていたのだろう。ラプトルの手綱を取るジークがマリエラを安心させようと声を掛ける。

「うん、ありがとう。怖かったし、今も不安だけど、でも大丈夫」

マリエラは何とか笑顔を作ってジークに応える。

200年前のあの日は、一人で魔の森を駆け抜けて逃げたのだった。けれど今は、一人ではない。迷宮討伐軍が、何よりジークがマリエラの隣で一緒に走ってくれている。

だから、きっと大丈夫だ。

ここは一人で逃げ込んだ地下室ではなくて、皆で辿り着いた場所なのだ。

改めて見渡すと、ここは随分と広い階層だ。

階層の暗さが、果ての見通せない暗黒がこの階層を実物よりも広く、得体の知れないものに感じさせているのかもしれない。

照明に照らされた範囲には、土くれを握ったような巨大な土塊がぽつぽつと立ち並んでいる。土塊と言っても数メートルの物から十メートルを超えるものまでさまざまで、どれもこれも人間に比較するとひどく大きい。これを岩と表現しなかったのは、どれもこれもが子供が土遊びで作り出したような、歪な形をしているからだ。

サイズもバラバラ、形も粘土を適当に握って並べたような不格好さだ。

マリエラがあたりをぐるりと見渡している間に、被害状況の報告が終わったようだ。

階層階段から少し奥へ入った場所で、レオンハルトと彼を守るように立つ各部隊長を前にして、部隊ごとに整列している。ニーレンバーグら治療部隊とマリエラと彼女を守る第6部隊は隊列の中央部だ。

迷宮に潜った時は200名ほどもいた迷宮討伐軍は、『多脚の刃獣』の討伐で損耗し、ウェイスハルトらと共に地上を目指すために分かたれ悪夢にさらに削られて、100名ほどに減っていた。減少した人数の半分ほどは地上へと帰還しているのだが、“随分減ってしまった”という印象をぬぐえない。

それは誰もが感じていることだろう。『多脚の刃獣』との戦いは、戦力も物資もありったけをつぎ込んだ総力戦で、その後も死者の群れを身を削りながら駆け抜けた。 錬金術師(マリエラ) は健在でポーションはまだ尽きてはいないけれど、半減した戦力で十分な対策もなされないまま、この階層を抜けることができるのか。

果ての見えない恐ろしい暗闇は、この階層だけでなくここにある迷宮討伐軍の心さえ呑み込んでしまいそうだ。

右手十数メートル先にある巨大な土塊が、行く手を遮る壁の高さを思わせる。

「キャウッ!」

ラプトルの頭上に鎮座しているサラマンダーが一声鋭く鳴き、それに応じるようにラプトルが、手綱を握るジークや周囲の兵士たちごと押しやるように左方向へ大きく飛んだ。

「きゃっ、クー!?」

「うわっ、おい!」

急に動いたラプトルにマリエラやジークは声を上げ、隊列を乱された兵士たちの視線が集まる。

「何事か」

そんな当然上がりうる声がかけられるより早く、マリエラたちがいた場所より右手方向の兵士たちが、何ものかの巨大な一撃によって、木っ端のごとく吹き飛ばされた。

*****************************

迷宮都市は騒然とした空気に包まれていた。

迷宮から魔物が地上へ向かっているとの情報が流れているのだ。無理もないだろう。

冒険者ギルドの周辺は、迷宮のそばに立地していることもあって、冒険者たちが続々と集結していて熱気に満ちている。魔物が襲撃してくると聞いて、逃げ出すような人間はそもそも冒険者などになってはいない。稼ぎ時、名を売るチャンスと飛びつくような者どもばかりなのだ。

勿論、生き残り、金と名誉を手に入れるためには何より情報が必要で、無鉄砲に迷宮に突入するのが得策でないと分かっているから、皆、冒険者ギルドに詰めかけている。冒険者ギルドの職員たちは総出で現状の魔物の発生状況と、階層ごとの適性ランクを開示したり、ポーションなどの援助物資の配布場所を案内したりと対応に追われている。

そんな人の流れに逆らうように、エルメラは『木漏れ日』へと急いでいた。商人ギルドに任された仕事の内、物資の運搬・供給に関する職務は自分よりリエンドロの方が適任だ。彼ならばうまく仕事を振り分けて、滞りなく万事進行してくれるだろう。

この火急の状況でエルメラがなすべきは『雷帝』として迷宮の30階層以深に潜り、少しでも魔物を間引くことだ。魔物を一体でも多く倒せば迷宮の体力を削ぐことができるし、強力な魔物の進行を妨ぐことが、戦えない人々が逃げるための時間を稼ぐことにもつながる。

そのための準備を整えるために、エルメラは『木漏れ日』へと向かっていた。

彼女が戦うのは、子供たちの為である。

まだ幼い子供らが、無事に逃げおおせるために、彼女は戦地に赴くのだ。

だから、彼女は子供らが確実に脱出できるように、手はずを整えなければならない。

彼女の大切な子供たちは、ヴォイドやガーク爺と共に『木漏れ日』の入り口で母が来るまで待っていてくれたようだ。

「やぁ、エルメラ。ここで待っていれば会えると思って待ったいたよ」

迷子と合流できたような口調で、エルメラの夫、ヴォイドがにこやかに声を掛ける。その横には二人の息子、パロワとエリオ、そして祖父のガークが立っている。

「あなた。それにパロワ、エリオ、お爺ちゃままで……」

エルメラが困惑したのはパロワとエリオの出で立ちだ。二人とも学校で戦闘訓練をするときの防具をまとっていて、避難するための荷物などは持っていない。エリオは魔法で戦うタイプだから武器がないのはいいとして、パロワが持つ盾と剣は実戦用の本物だ。

付き添うガーク爺も使い慣れたダブルアックスを担いでいて、老人とは思えぬ覇気を放っている。

「かーさま! ぼくも迷宮にいくの!」

年相応の可愛らしい仕草でエルメラに抱き着くエリオは、年不相応な物騒な発言をしている。

「まぁ、何を言っているの、エリオ? 魔物は母さまに任せて、あなたたちはお爺ちゃまと避難するのよ」

母親として当たり前のことを言うエルメラ。本当ならば自分が子供たちを連れて避難したいのだが、そういうわけにはいかない。

「母さん、衛兵さんたちは言ってたよ。『戦える者は迷宮へ、戦えぬ者は避難せよ』って。だから僕たち、迷宮に行かなきゃ。学校で戦い方は習ったんだ」

自分たちは戦えるのだと主張するパロワにエルメラは困ってしまう。確かにエルメラとヴォイドの血を引く二人なら、戦士としての資質は十二分にあるだろう。けれど彼らはまだまだ子供ではないか。

「深入りはしないよ。危なくなったら絶対に逃げる。それが一番難しいことだって、師匠先生に習ったから。母さんたちと一緒に行きたいなんて我儘は言わない。自分たちに見合った場所でちゃんと戦う。戦えるんだ、僕たちは。だから信じて。母さん」

師匠先生とはフレイジージャのことだ。いつも子供たちと一緒に遊んでいるようだったが、大切なことを教えてくれていたらしい。

それでも戸惑うエルメラに、ヴォイドがそっと寄り添い声を掛ける。

「行かせてあげよう。大丈夫、僕たちの子だ。お爺さんも付いて下さるし、この子たちの立ち向かおうという気持ちを、僕は大切にしてやりたい」

「あなた……、分かったわ」

頷くエルメラに優しく微笑みかけるヴォイド。

丁度、そこへ待ち合わせをしていたシェリーとエミリー、『木漏れ日』の戸締りを終えたアンバーが集まって来る。全員が軽装ながらも急所を覆った防具を身に着け、アンバーは箒ほどの長さの棒を、シェリーは調理刀を二本腰に差している。エミリーが背負っているのは、魔除けや眠り、目隠し等様々な効果を持った煙玉だろう。

彼女らも迷宮に行くつもりなのだろう。長らく酔っぱらった冒険者たちを客としてきたアンバーがか弱いただの女性である方が不自然であるし、迷宮都市が開いた学校では子供たちに戦い方を教えているから、子供たちも協力すればゴブリン程度は倒せるほどには戦い方が身についていた。

宿屋の娘であるエミリーまでもが当たり前のように迷宮に向かおうとしているのだから、迷宮都市の子供たちの大半が、“戦える者は迷宮へ”という衛兵の指示に従って、迷宮に向かおうとしているのだろう。

その様子を見たヴォイドは、しゃがんでパロワと目線を合わせると、その手を取ってこう言った。

「パロワ、君がみんなを守るんだよ」

「うん、任せて父さん。力の使い方なら師匠先生に教えてもらったんだ。

父さんは吸収した攻撃の力で傷を治しているけど、僕に特別な回復能力はないから“虚ろな世界”に呑み込ませなくていいって。

大切なものを傷つける力だけ、“隔絶”すればいいんだって」

力強く答えるパロワの返事に、ヴォイドは少し目を見開いて、

「そうか……、そうなのか」

と、フレイジージャがパロワに伝えた秘密に、真実を得たとばかりに頷いた。

「私もフレイ先生に教わりました。解体のスキルは鍛えれば生きたままの魔物も“解体”できるって。

そんなこと、学校の先生も教えてくれなかったのに。

危なくなった時以外、話しても使っても駄目だと言われていましたけれど、今なら使っても怒られないわ」

「ぼくもならったー!」

「エミリーもー!」

どうやらフレイジージャ師匠は『木漏れ日』で子供たちと戯れながら、いろいろ仕込んでいたらしい。特にシェリーの発言が怖い。生きたまま解体するとかどういうことか。これほど愛らしい少女であるのに、ニーレンバーグの血、というより性格をしっかりばっちり引き継いだ上、さらなる進化を遂げようというのか。

『余計なことを教えないで下さい』と保護者会からフレイジージャに苦情が上がりそうなものだが、ここはそんな知識さえ役に立つ迷宮都市だ。未だこの事実を知らないニーレンバーグや『ヤグーの跳ね橋亭』のマスターも、ちびっ子殺戮戦隊の結成をエルメラ同様微妙な表情で祝福してやるのだろう。

「まぁ、ガキどもは任せとけ。老いぼれたとは言え、オレも元はAランカーだ。きっちり面倒みとくからよ」

そう言って、異常な頼もしさを醸し出すガーク爺。七十歳。迷宮都市はいつから百歳現役の街になったのか。

「お爺ちゃま、年を考えて無理はなさらないでね」

「お爺さん、お願いします」

そう言って揃って頭を下げるヴォイド・エルメラ夫妻の横を、

「おー、ガーク爺、先いくぞーい!」

と、これまた老齢の域に差し掛かったゴードン、ルダンが元気はつらつ武器を担いで迷宮に向かって駆け抜けて行き、その後をゴードンの息子ヨハンが、遅れ気味に追いかけていった。

「僕らも行こうか、エルメラ」

「まぁ、あなたも来て下さるの?」

世界と隔たり虚ろを渡ったSランカー、ヴォイドもまた妻エルメラと共に迷宮に向かうことを選んだようだ。子供たちを信じると決めた二人の意識は切り替わり、既に迷宮の深き場所に向いている。

「君の全力をフォローできるのは、僕くらいのものだからね。じゃじゃ馬なお嬢さん」

「あなたと二人で迷宮なんて、出会った時以来かしら。久しぶりの迷宮デートね」

彼の背負ってきた運命、そして彼らの向かう先とは程遠い仲良しぶりを発揮しながら腕を組んで歩きだす二人。

いつもの調子で二人の世界に入りながら、迷宮に向かっていく両親を見送りながら、「妹か弟が増えるかも。次は妹がいいな」などと、おませなパロワは考えた。