軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最終話:何もお気になさらずに

――かくして、王は今日もそこに在る。

超越者。太古の大悪魔。堕落と怠惰の主。永遠卿。殺戮人形。

邪神。レイジィ・スロータードールズ。私の――仕えるべき主様。

其は堕落の王。

存在それだけで光掲げる万象より忌避される闇の王。

果てなき、遠き過去よりこの世に君臨する悪魔。

「お疲れ様でした……魔王様」

「……ああ」

久方ぶりに眼を覚ましたレイジィ様の様子は何一つお変わりない。

漆黒の玉座。影寝殿が完成した遠き昔よりあるとされる、唯一堕落の王のみがその身を預ける事を許される座で、虚ろげな視線を向ける。

その視線の先にあるのは、一人の少女だった。

鮮やか銀碧の髪と眼。やや幼気な双眸に秘めた確かな強さはどこか危うさを感じさせる魅力に満ち、その背に背負う純白の翼は闇の中でその魂を示すように強く輝いている。

ただし、二度とそれが動くことはない。足元から髪の先に至るまで、透明度の高い氷で覆われたそれは、今ではただのオブジェだった。

戦乙女(ヴァルキリー) 。『銀碧』のセルジュ・セレナーデの成れの果て。

どきっとする程美しいその姿に、悪魔にも関わらず、同性ながらほんの少しだけ心が動かされる。

「……如何でしたか?」

思わず出たその言葉は越権行為だった。

ただレイジィ様を補佐する事をその役割とする私に、レイジィ様の意見を求める権利などない。

例え……レイジィ様がその事に関して何の感情を抱いていなくても。

それは仕える者と仕えられる者、従者と主に対しての明確な線引だ。

私の方をちらりとも見ずにレイジィ様がまるで独り言のように呟く。

「……まぁまぁ、だな……終わってしまえば、こんなもんか、と言った所か……。大体の物事はそんなもんだ……」

まぁまぁ……じゃないです

大きなため息をつくその姿は、本当に何も感じていないかのように見える。

だけど、私にはなんとなく分かっていた。

怠惰を司るレイジィ様がわざわざ玉座で待つ、そして三文字以上の言葉で感想を述べるその意味、を。

勿論、その御心はいくら長く支えようとたかが私程度に慮れるものではなかったけれど……きっとそこには、『怠惰』ではない某かの感情が込められている。

それが何故か苦しい。

その一端でも知ろうなどと、それこそが本当に越権行為だというのに。

「強く……なりすぎた、か……遅かったのか早かったのか……。いや、全ては無駄な仮定、だな」

玉座の横に立てかけていった黒色のブリーフケースがレイジィ様の手元に転移する。

欲する物を引っ張る力。

長年仕えていた私でも見たことのないその力は、レイジィ様がごく最近手に入れたばかりの『魔王を超えた』力だ。

ちゃんと留め金がかかっていなかったのか、ケースの中身が露わになる。

中にはチェスの駒が嵌めこまれていた。それはレイジィ様の数少ない私物だ。

チェスの駒。何時の時代に作られたのかも定かではない、漆黒の駒。

初めは六種十六個、抜けなく入っていたのだろう、台座は既に多くの穴が空いている。

地面に転がっていた真っ二つに割れた 歩兵(ポーン) の駒が転移し、一つの穴に収まる。尤も、死んだ駒は二度と使えないはずだ。

それは武器だった。 虐殺人形(スロータードールズ) の二つ名を持つレイジィ様の大切で特異な武器。

多分私よりも仕えた間よりもずっと長い間側に置いている……

本来ならば私が拾うべきだろう、分かっていた。分かっていたけど近づけなかった。

あまりにもレイジィ様の表情が悲しそうで、沈んでいて……身体が恐怖ではなく動かない。

彼我の存在の力が違いすぎていて、隣に立ちたい時に立てない。

その御身はその他の愚かな魔王から侮られる容姿とは裏腹に信じられないくらいに高みにある。

何年経っても、何十何百何千何万年経っても足元すら見えない程遠くに。

レイジィ様がその右手を緩慢に左右に振る。

「……魔王様、どうかなされましたか?」

「……さっきから……しつこい」

「!? しつこい……ですか?」

一瞬私に向けた言葉かと心臓が止まりそうになるが、すぐにそうではないという事がわかった。

レイジィ様の瞳はここではないどこかを見ている。

私に見えない遥か遠く。レイジィ様のお世話をするためにある。そのための訓練を受け、もうこの生の殆どをそれに費やしてきた。けれど、またそのお役に立てない事があるのが情けない。

ただの私のエゴだとわかっていても――

「ああ……はぁ……術があるというのも、面倒なものだ……無視しても問題ないのだろうが、どうしても気になってしまう」

「……私にできる事はありますか?」

「ああ……いや、もう失せた。よは」

大きなため息をつくと、レイジィ様が顔を上げ、緩慢とした動作で氷像を指差す。

「それは俺の寝室に運んでおけ」

「寝室……ですか?」

「ああ」

「承知致しました」

何も聞かず深く礼をする。腰を折り、エプロンに両手を当て。

自らが玉座に座ってまで待った相手。思う所があるのだろう。

私を、ミディアを追い出して、たった一人相対することを望んだ相手。思う所があるのだろう。

氷像に近づく。そっと指先で触れる。

そこに温度はなかった。冷たくも熱くもない。氷に見えて氷ではないそれはきっと封印だ。つい一年程前に大地の全てを閉ざした氷の力の一端。

その結果で、少しでもレイジィ様が救われたのならばそれでいい。何も考えない。

その手に持っていたブリーフケースが消える。本来あるべき場所――レイジィ様の寝室に送ったのだろう。ついこの間までは私の役割だったけど、スキルで一瞬で送るという選択に私は文句を言う権利がない。

ただ、氷像を持ち運ぶ大役を与えられた事を喜ぶだけだ。

レイジィ様のお世話をし、同時にレイジィ様から与えられる。それは遥か昔、レイジィ様に仕えた最初のご先祖様から脈々と受け継がれてきた関係だった。

「駄目だ……何かもう――疲れたな」

ふと、幽鬼のような凛々しい表情で足元に視線を彷徨わせていたレイジィ様がこちらを向く。

視線が合う。あまり人の眼を見て話さないレイジィ様と視線が会うことは滅多にない。

電撃に似た衝撃が足元から背筋を駆け上がり、ただそれだけで身体が硬直する。それは快感にも似た衝動で、とても名誉な事だった。怠惰を司るレイジィ様から認識されるというのは、滅多にある事じゃない。

その唇が私の名前を呼ぶ。心臓が熱く震える。努めて顔色が変わらないように注意する。ただ忠実な使用人である事を。

「ローナ」

「……はい……」

だが、その次の瞬間に出てきたレイジィ様の言葉は完全に私の想定外だった。

何気なく、本当に何気なく出された『宣言』

「お前に暇を与える」

「……え……?」

何を言われたのかわからなかった。

数秒の後、理解すると同時に感じた頭ががんと殴られたかのような衝撃。

今まで感じたことのない激しい目眩。目の前が真っ暗になる。

蝋燭の火はちゃんと灯っているのに、世界全体が重く沈む。

自然と耳に手を当て頭を振っていた。心臓が一瞬止まり、しかる後、今にも破れそうな程に鼓動する。

聞き間違え……いや、私がレイジィ様のお言葉を聞き間違えるわけがない。

戦慄く唇。落ち着かせるべく呼吸をしようとして息が詰まる。

数秒の時間を置いて出てきた言葉は、私の意志に反してぶつ切りだった。

「わた、私が……何か……粗相を、しましたでしょ……うぐっ……か?」

涙の混じったその言葉は完璧なレイジィ様の従者に相応しくないものだった。

湧き上がってくる感情の波を前に、今までの訓練など意味がなかったことを実感する。

いや……泣き喚かなかっただけまだ……いい方、か。

今にも消えてしまいそうな程鳴り響く私の心臓にも気づかず、レイジィ様が答えた。

「いや……違う。俺の未練は……薄れた。次の見込みも未だ見えない。ただ寝て待つだけ、だ……」

「……お食事などは……どうされるのですか?」

「不要だ。そもそも、俺に食事など必要ない」

「……お部屋の、お掃除は――」

「どこでも寝れる」

「……お、お召し物は――」

「……よは」

面倒になったのか、最後は二文字だけだった。

だけど、その表情には冗談を言っている雰囲気はない。そもそも、レイジィ様は冗談なんて面倒な事を言わない。

私に与えられた役割はレイジィ様の御心に沿うこと。私の前任者も、そのまた前任者もずっとそれを至上として生きてきた。レイジィ様が本当にそれを望むのならば、私を邪魔だというのならば……私は涙を飲んでレイジィ様の御前から去らなくてはならない。

いや、いっその事……死んでしまった方がいい。そうだ。死んでしまったほうがマシだ。他に生きる道も知らない。やりたい事もない。

分かっていた。とっくに気づいていた。気づいていないわけがない。

レイジィ様にとって私の献身など――いや、ご先祖様の献身も合わせて、全ては塵芥に満たないものなのだと。レイジィ様はたった一人で生きていける。

その偉大なるお力に頼っていたのは私の方だ。

もう一度確認する。

「……私は……もういらないのでしょうか?」

「よは」

レイジィ様が本当にそっけなく答える。

思考を全力で回転させる。いらない……いや、どうすれば。

……

そして、私は初めて恣意的な解釈を行った。

よは……

余は満足だ……いや、良きにはからえ。

「……魔王様……いや、レイジィ様……私は、どうしても、お仕えしたいのです……その、なんでも……します。……今まで通り……お側に置いて頂けませんか?」

「よは」

レイジィ様がそっけなく答える。

よは……

余は満足だ……いや、良きにはからえ。

私の良きにはからえ……

私の好きにしていい……

「あ、ありがとうございます、レイジィ様……寛大なる沙汰、感謝致します」

おずおずとダメ元で申しだした私に、レイジィ様は面倒くさいなこいつと言わんばかりの視線を向け、しかし何も言わなかった。

滲む視界。頭を深々と下げる。

顔を上げた時には既にレイジィ様のお姿はなくなっていた。恐らく自室に戻られたのだろう。

ボロボロになった絨毯、罅の入った壁を見る。王の間でこのような破壊の跡は許されない。直さなきゃ……

後はレイジィ様とついでにミディアのご飯を作って――レイジィ様の御髪もそろそろ整えたほうがいいかもしれない。

勿論、今のままでも特に問題ないけれど、見捨てられないようにちゃんと役割を果たさないと――

頭の中でこれからすべき事を順序立てて整えながら、ふとセルジュ・セレナーデの氷像に視線が行った。

憤怒も悲しみも戦意もない静かな表情。彼女がその瞬間、何を思ったのかはわからない。

レイジィ様の未練が何だったのかも、予想は出来ても真実は不明。聞くことは出来ないし、聞いても答えてくれないだろう。

でも、きっと――

「レイジィ様、貴方の未練はきっと――なくなりましょう……」

私は戦人ではない。ただの女中、レイジィ様の身の回りの世話をするだけ。

だが、情勢は全て頭にあった。

私の一族。レイジィ様に仕える影の一族は何も私とヒイロだけではない。遥か太古の昔、死者の多い魔界でレイジィ様の庇護のもと、順調に拡大した一族は魔界屈指の規模を誇る。それらは、魔界各地に散っていた。

各地から集めた情報が物語っている。

ハード・ローダーの反逆から始まり、今までずっと止まっていた魔界の情勢は既に大きく動きつつある。

そして、力はより力あるものの側に自然と引き寄せられる。

そう。まるで……トーチの光に魅せられ群がる蛾のように。

ヴァニティ・サイドスローンの動き。

天上より降り立った戦乙女と天使たちの動き。

大魔王軍が看過出来ない情勢の変化に加えて、更なる

何よりも一番面倒くさい――『教団』の動き。

きっとまだ知っているのは私だけ。お慕いしている私だけだ。

色欲(ルクセリア) の力が教えてくれた愛おしい君の『力』

怠惰を司る『 邪神(イービル・ゴッド) 』

その名はきっと魔界の支配階級である『 魔王(デーモン・ロード) 』と比較しても、途方も無く重い。

力が強いだけではなく、『神』の名を冠するその意味。

魔界の二大勢力。

第一勢力、『大魔王軍』

第二勢力、『邪教神団』

しかし、そのパワーバランスはカノン与する魔王の減少で崩れつつある。

その『教義』の元、欲望を抑え規律を重んじる『教団』はこの地では特に異質だ。強いわけではなく、ただ――異質。

『邪神』を崇め奉るそれらはきっと、不相応にも御身を狙ってくる事でしょう。

私にできる事はレイジィ様のお側に居る事のみ。だが、それで十分であると思いたい。

「おやすみください、レイジィ様。何もお気になさらずに……」

堕落の王。その名は遠きに近く、実態を知るものは口を噤み知らぬものはただ慄く。

嘗ての栄光は悠久の刻の狭間で少しずつ色褪せ、しかしその神威は脈々と受け継がれる。

その無聊を慰めるなど傲慢を抱くつもりはないけれど、願わくはいつまでもその御身のお側に。

氷像を担いで、王の間を後にする。

さて、この王の間に、その玉座に、再びレイジィ様が身を置く事は果たしてあるだろうか。

とりとめのない思考を消し去るように、扉がぎぎぃと軋んだ音を立てて閉まった。