軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第四話:――なんという幸運だ

「カノン様、ご無事ですか!?」

「ああ」

飛竜から下りると、続いて地面に降り立ったリーゼが駆け寄ってくる。

足元はふらついているが問題はない。若干能力を使いすぎたが、時間がそれを回復させるはずだ。一晩や二晩で回復するような量ではないが、致命的な量でもない。

今から戦争を開始することだって可能だ。

どうやら気づかぬ内に予想外にレベルが上がっていたらしい。

身体を動かすのにも特に支障はない。氷で閉ざされた世界を解放した時の方がよほど力を使っている。

「天使共は全て消滅したようです」

「ああ、そうだろう」

空には何一つ残っていない。王領からも消えている。

リーゼの表情は何か言いたげだったが、結局何も言わなかった。

渇望とは即ち、我を通すこと。我を通せば通す程に力は行使しやすくなる。

そして、それ故に例え力を使いすぎて自滅したとしても私は微塵の後悔もしない事だろう。

何故か無性に影寝殿が気になった。

荒い息を吐き、整える。魔杖――ヴェイドで地面をぐりぐりと踏みにじった。

自身の王領の領域の狭さが憎い。

私の感知能力は影寝殿までカバーできていなかった。この場では兄様の動向はわからない。

「ハードに加勢しますか?」

「傲慢の悪魔に加勢などできるものか」

そのような事をすれば――ハードの力を下げてしまう。

ともすれば、奴を敵に回しかねない。助力を試みて敵対される事程詰まらないものはない。

私にできることは後始末だけだ、

遥か地平線の彼方にあがる土埃――走竜を駆る軍勢を見る。

「リーゼ、ヴァニティの軍に停止を伝えろ。奴らの追っているであろう敵はもはやいない」

「はっ、承知致しました」

リーゼが私の命を受け、飛竜を駆って再度空に飛び上がる。

ヴァニティの命だろうが、奴らの目的は天使の群れに違いあるまい。

地を走る竜をもって天を駆ける天使を追うなど、無意味な事をしたものだ。

陸上を移動するための走龍は飛竜と同等の速度と、飛竜の倍以上の数が存在する極めて優秀な移動手段だが、空を駆ける者を追うのには全く相応しくない。

対ゼブルには力不足に過ぎる以上、奴らの出番はもはやなかった。

念の為目をつぶり、もう一度王領内部を隈無く探す。

やはり領域内に居る魔王は私とハード、そしてゼブルの三人だけだ。間違いない。

ヴァニティの奴……一体何をしている。

姿が見えない。それがなんとなく胡散臭い。

父様の警告の言葉が思考の中を反響し、楔のように私の心を蝕んでいる。

「……臭いな。卑慢が意味のない事をするとも思えん」

予感……いや、予感と呼ぶほどのものでもない。

これは――唯の違和感。自身が臆病なだけだ。そう言ってしまえば済んでしまう話だ。

だが、同時に不自然なのも確かで、それは盤上の駒が足りていないような違和感だ。

それを無理やり振り払う。

「……まぁどちらにせよ考えるのは後、か」

未だちりちりと心中で燻る感情を抑えこみ、遠方の戦場を見た。

ハードの動きは私の眼を持ってしても捉えきれぬ。

距離はおよそ千。

それだけの距離を置いてさえ瞬間移動にしか見えぬその一挙一足はまさに迅雷に等しい。

触れただけで食われる飢餓の波動を纏ったゼブルに対して素手で挑むのは悪手だ。

だが、奴はそれさえも歯牙にかけない。

その戦術は至って単純明快。

『徒手空拳』

空手による制圧。それこそが奴の戦闘形式。何の絡繰もない拳が地を割り山を消す。

しかも遠目で見た限りでは、ゼブルを相手にしてさえハードはスキルを使っている様子がなかった。

馬鹿か。

「……力を温存しているのか。いや、それも傲慢故、か」

もう私としては何も言う気にもなれない。

もしかしたら使わない方が逆に強いのかもしれないけど…… 傲慢(スペルヴィア) の力の本質は所詮、 傲慢(スペルヴィア) の悪魔にしかわからないものだ。いくら頭を悩ませても無駄だろう。

何にせよ、もう終わりだ……

ゼブルの討滅をこの眼で確認し、帰還することにしよう。

そもそも、やることは腐る程あった。

天使の異常な動向はもう一度洗いなおす必要がある。影寝殿を狙った理由も確かめる必要があるだろう。

そう考えると、一匹か二匹天使を残しておくべきだったか。

まぁ全ては過ぎた話。そも、尋問・拷問程度で奴らが吐くとも思えない。

それよりも、セルジュの討滅は大きな戦果だろう。

あの程度の天使に第七位の魔王が討滅されたことだけは憂慮すべき点だったが、そこは私が考えても仕方の無い事だ。

懸念点を脳内でつらつら上げていく。最近最も頭を痛めていたセルジュの討滅こそ成ったが、全てが全て解消されたわけではない。

肝心な時に姿を消していたヴァニティに対しても問いただす必要があるだろう。

第一の目標は天界の制圧ではなく、魔界の統一なのだから。

だが、この瞬間くらいは気を抜いてもいいだろう。

どうせ帰り道だ。帰りに久しぶりに影寝殿に寄って行くか……

「……」

刹那の瞬間、ほんの僅かに気を抜いたその瞬間に、それは発生した。

王領が自然と気配を捉える。

それは決して致命的なものではない。

討滅による恐怖でもなければ、強者の気配を感じ取ったわけでもない。

抱いた感情はただの僅かな鬱憤と諦観だった。

ああ、本当に……ままならない。

視線をゼブルとハードの戦場から離す。

リーゼの向かった先に。まだ目視はできないが、こともあろうにこの私がその気配を見間違えるわけがない。

何匹居るんだ……本当にゴキブリのようにわらわらと。

容易く討滅出来るが、機嫌が悪くなるのも仕方の無い事だろう。

思わず舌打ちする。

「チッ……また現れたか。一体奴らは何匹送り込んできたんだ……」

それは紛れもない天使の気配。

まるで打ち上げられたかのように垂直に白の光が奔る。その中に天使の群れを見た。

距離は遠くない。手に通るように分かる。

数は五。力は大きくない。将軍級すら下回るだろう。もしかしたら騎士級以下かもしれない。

だが、正直言ってとても鬱陶しかった。

向こうから襲いかかってきてくれれば楽なのだが、なまじ空を飛んでいるから面倒くさい。如何に下級の天使とは言え、離されてしまえば厄介なことになるだろう。

億劫だったが仕方なく杖を向けた。

五体程度ならば私が直々に手を下すまでもないだろう。距離も離されていない現在、ヴァニティの軍でもなんとでもなるはずだ。リーゼでも討滅できるはずだ。

だが、ヴァニティの軍が王なくして果たして戦闘を行うのか不明だった。ただの天使が一瞬で王となったという報告もある。

ならば自分で討滅したほうが確実だ。

高位のスキルを使うまでもない。一番下のスキルを選んで行使する。

「 怒りの複矢(アングリー・アローズ) 」

怒りを変換した炎の矢を放つ憤怒の低位スキル。魔王に至らぬ悪魔でも使用できる取るに足らないスキルだ。

その数、数十。周囲に発生した無数の赤き灯が空に放たれる。

空に飛び上がった天使共は何をしたかったのか、それに射掛けられ全身を貫かれ、一体残らず燃え尽きた。

速度を上げる前に落とせば力の消費すらほとんどない。いくらなんでも馬鹿にしてる。奴らは完全な無駄死だ。

後続が来るのかと杖を構え待ち構えるが、次の天使が来る気配はない。これで完全に打ち止めか?

最後の五体は一体何だったんだ? 何か意味があったのか?

天使が馬鹿なだけか? それにしたって、いくらなんでも馬鹿にしてる。

答えが有るかどうかすらわからない下らぬ疑問だけが募っていく。もしこれが精神攻撃ならば大したものだ。

奴らの行動に意味があると思わない方がいいのか?

しかし……

「面倒だな……」

敵戦力がどれだけいるのかわからないのが痛い。

撤退してもいいものか、それともまだここにいるべきなのか。さっさと影寝殿に向かいたい所だが……最低でもゼブルとの戦いだけは見届けなくてはならないだろう。

最悪、あの程度のレベルの天使ならば影寝殿からでも容易く撃退できる。

考えている間も地鳴りは止まる気配がない。

「……いつまでやるつもりだ……」

私はいつまでも終わらない戦いに若干そわそわしながらもう一度ハードの方を見た。悪魔の戦い――渇望の喰らいあいは終わる気配はない。

ハードの奴……久しぶりに歯ごたえのある敵に、わざと時間をかけているのではあるまいな。

ゼブルの表情は濃い闇となった飢餓のオーラに覆われて分からないが、ハードの表情は見える。

私は暇じゃないんだが……

私は一度深呼吸をして戦場を睨みつけた。

「いい加減にしろッ! ハード・ローダー!! さっさと片付けろッ!!」

せめて……スキルくらい使え!

お前が時間稼ぎしている分だけ――私が影寝殿に向かう時間が遅くなるんだッ!

勿論そんな内心は口には出さない。

怒号が何一つ障害物のない荒野に吹き荒れる。

ハードの動きが一瞬止まる。視線が一瞬だけ合った気がした。

上部から振り下ろされるように放たれた蹴りがゼブルの纏う飢餓の波動すら考慮することなく突き刺さり、その身体を吹き飛ばした。

こちらの方に。

唯の蹴りとは思えぬ異常な程のエネルギー。

荒野に巨大な亀裂を入れながら悪食の身体が砂埃を伴って飛んでくる。

私の横数メートルの所に吹き飛ばされる。

黒い砂礫を含んだ風が竜巻のような巨大な風となって広範囲に広がる。

突如眼の前を襲った黒の嵐に私は反射的に顔をかばった。

ダメージはない。ただの余波だ。並の悪魔ならともかく、魔王には傷一つ付けられないだろう。

だが、それは何の構えもしていなかった私をもみくちゃにした。

風は一瞬で通り抜ける。

「……」

無言のまま眼の前に散らされた髪を寄せる。

ぼさぼさになった髪を手櫛で整えかけ、思い出したように思考が真っ赤に染まった。

私はキレた。

「私を巻き込むなあああああああああ!」

これから私は、兄様の所によるんだぞおおおおおお!

先ほど大きく消費したはずの怒りがまるで尽きる事無き泉のように全身を満たした。

冷静になれ。また整えればいいだけだ。

水を刺すような思考を奥底に封じ込める。

魂核が生み出す憤怒の炎が全身を覆い尽くすように燃え上がる。

生まれた時から何度も体感した感覚だ。憤怒の悪魔が度々陥る状態だ。

自身を中心とした空間が渇望の炎に焼かれ血のような燐光が舞う。

杖を使うまでもない。

荒れ狂う 憤怒(イーラ) が形を生み出す。

黒光りした装甲。全身の要所に発生したそれは軽く頑丈で、そして魂を焼きつくす程に熱い

スキルを使った覚えはない。

いや、使ったのだろう。

無意識の内に纏われた鎧は 憤怒(イーラ) の魔王が纏う幻想の鎧だった。

有象無象に破滅の限りを尽くすために生み出された殺意の顕現。その存在意義は、ただ私を馬鹿にした何もかもを破滅に導く事だった。

数メートル隣に伏せる物体を睨みつける。

無数の毒々しい紫の触手の塊。一本一本から滴り落ちる粘液と全身を覆う薄墨色の魔力。

地面を削りながらも、いくつもの触手が潰されていながら、未だその気配は健在だ。

声がした。疲れたような声が。

少年のような口調の声。しかし、聞き覚えのある女の声。

「……やれやれ、ヴァニティめ……聞いていた話と全然違うじゃないか……僕の邪魔をするなんていい度胸してるな」

触手が爆ぜるように消える。

全身を隙間なく覆っていた触手が消え、何もかもを飲み込む食欲の怪物がその姿を表す。

それは女の形をしていたが、見た目のままではない事は知っていた。

唯の餓鬼で在るわけがない。ただの餓鬼がこの 私(カノン) を前にしてこうも平然としていられるわけがない。

少女の唇が皮肉げな笑みを作った。

「しかも、ふふふ……まさかカノン様までいらっしゃるだなんて。ハードだけでももうお腹いっぱいなのに、とんだ豪華メニューだ。僕は何か良い事でもしたのかな?」

「ゼブル・グラコス……」

しかし、それでもその表情に恐怖なく、その所作に躊躇いはない。

深緑の眼がまるで観察するように私を見ていた。

だ、誰のせいで……こんな面倒な状況になっていると――

隙とは解っていても頭を抑える。抑えざるを得ない。抑えなければ爆発してしまいそうだ

荒い息を付く。疲労ではない。体内に篭った莫大な熱を少しでも逃すために。感情の波を少しでも逃すために。

理性と感情が狭い脳内をせめぎ合っている。

「はぁはぁ……」

ゼブルは手を出してくる気配はない。

思考が塗りつぶされるように赤で染まっても感覚だけはむしろ研ぎ澄まされている。

戦闘本能が周りの状況を緻密に計算していた。

ハードの場所。ゼブルの場所。リーゼの場所。ヴァニティ軍の場所。全てが分かる。

ああ、くそったれ。この世界はくそったれだ。

杖で大きく地面を突く。爆発音。

大地が溶けていた。

地面から跳ねる超高温の飛沫が装甲にこびり付き、独特の臭気があがる。

顔を上げる。

残ったのは唯一つの決意だけだった。

もういい。何もかもを処分し、できる限り早く帰還。

震える唇から声が漏れた。何も考えていない。考える余裕もない。

だから今でた宣言は私の魂からの叫びだ。

「――破滅に処す」

「……話し合うつもりはない、か――」

無数に放たれる触手を、炎が迎え撃った。

焼きつくす? 甘い。破滅とはそんなものではない。

「 消去(デリート) 」

「っち」

無尽蔵に湧き出していく感情の発露が杖を通じてこの世の現象と成す。

詠唱するまでもない。 憤怒(イーラ) とは私そのものだ。

無数の憤怒の光が下賎な触手を触れた瞬間に消滅させる。

ゼブルの触手の数は多い。しかし炎の手の方が多い。

四方三百六十度隙なく襲い掛かってくる 触手(それ) を装甲から発せられた炎が一つ残さず迎え撃ち、消去する。

長さは自由自在なのか。いつの間にか地面に潜行し襲いかかってきたそれすら炎は容易く焼きつくす。その手が私に触れることはない。

全ての手を焼きつくした炎が嵐となってゼブルを消去せんと襲いかかる。

渦巻く炎の波をゼブルが顔を僅かに青褪めさせ、大きく後ろに飛び、躱した。

反射神経・経験。一筋縄ではいかない。私と同格の憤怒の王を食らった経験でもあるのか。

だが、解っていた。一筋縄でいかない事は解っていた。ならばその魂を『破滅』する。

四方八方から懲りずに迫る触手を攻防一体の炎が消去する。

ゼブルが僅かに顔を顰めたのが見えた。

「それ、まさかオート? 卑怯な……」

「死ね」

杖を螺旋状に駆け上がる炎が龍となって空気を焦がす。

力ががりがり削られ、削られた分の力が脈打つ魂核によって補充される。

私の邪魔をするのならばその代償はその身で払ってもらう。

「ふふふ、勿体無いな……まさかこの僕がカノン様を『廃棄』することになるだなんて……」

ゼブルが癇に障る言葉と共に手の平を下に向ける。

全身から生やしていた触手の数が減る。攻撃を諦めた? 否。

右手を中心に、感じるも悍ましき力が集まっていた。それは今までこいつが纏っていた力と同質のものだ。しかし、今までのそれよりも遥かに濃い。

憤怒の中にいて尚感じる、冷水を浴びせかけられたかのような悪寒が、それが間違いない私を滅ぼしうる牙である事を示している。

現れたのは刀だった。

身の丈二メートル近い禍々しい黒き刀身の大太刀。

ただそれだけで攻撃に特化した 暴食(グラ) のスキルがあえて生み出した破壊の形。

余りの禍々しさに一瞬憤怒を忘れる。

ゼブル・グラコスが、自身の身長よりも巨大な大太刀を軽々と振り切りこちらに向けた。

まるで宣戦布告でもするかのように。

「見たことあるかな? これが――『 原初の牙(ハジマリノキバ) 』だよ」

「知るか」

強い。魂を震わせる死の気配。

想定を上回るゼブルの力に戦慄する。

特にあの刃――やばい。これまで積み立てた経験が鳴らす絶え間ない警鐘が示している。

魔王の持つスキルの中でも最も恐るべき系統の力。

渇望を源に武具を具現化する幻想兵装のスキル。

私の纏う『破滅の衣』と同系統だが、あの刀、間違いなく私のスキルより上だ。

防げるビジョンが浮かばない。

力の大小ではなく、性質の問題だ。

恐らくは防御無視、一撃必殺系のスキル。

怒りに塗りつぶされた意識の中、思考だけが冷徹に回転する。

その刃により与えられうるダメージを計算する。喰らえば間違いなく喰らわれる致命の一撃を。

そして、ほんの数秒で計算仕切り、その結果を全て投げ捨てた。

知ったことか。

舌なめずりするように唇を湿らせる。

そして、ゼブル・グラコスを見て笑った。

「……致死の一撃、か。――なんという幸運だ」

ああ、ここで出会えたことを感謝しよう。

ここで貴様を破滅に導ける事に感謝しよう。

その力――レイジィ兄様との相性が最悪だ。いつか必ずや災禍となり兄様を襲うだろう。

戦意が炎に注がれた油のように憤怒を燃え上がらせる。纏った鎧が感情に比例して炎の欠片を周囲にばら撒いた。

ゼブルがあからさまに顔を顰めた。

「ちぇっ、引いてくれれば嬉しかったのに……何だって君達はそんなに喧嘩っぱやいんだか……」

貴様に言われたくないわ!

彼我の距離は十メートル。

大太刀のリーチは広いが、それでもこちらを切り裂くには数歩近づく必要がある。

破滅の衣は自動で敵を迎撃する攻防一体のスキル。迎撃する炎にリーチはない。

こちらが有利だ。

と思うだろう。普通ならば。

だが、奴の刀は恐らく唯の刀ではない。リーチくらい自由自在だろう。幻想兵装に常識は通用しない。

いや、伸ばせなかったとしてもそう想定すべきだ。事前に予想していなかったのとしていたのとでは反応速度に大きな差が出る。

対峙する相手の一挙一足に集中する。

そこに隙はない。先ほどまでハード・ローダーと激しい戦いを繰り広げていたはずだが、疲労は愚か傷すら見当たらない。

ゼブルの眼に灯った戦意の理由を考える。そこに宿っているのは私と同じ――焦燥。

奴は先ほど廃棄という言葉を使った。

やはり、奴の目的は――影寝殿、か。馬鹿にしている話だが、その視線の向く先は私を素通りしていた。

何を焦っている。何故急いでいる。

「カノン、それは僕の獲物だ」

「ハード・ローダー……」

いつの間にか隣に立つもう一人の魔人を見る。

何もかもを見下す傲慢な漆黒の瞳。

ゼブルと同じくその身に傷はない。

武具一つ持たず、スキル一つ使っていないにも関わらず感じる抑えつけられるかのような圧迫感。

誰のせいで私が対峙していると思っている!?

ゼブルの顔が更に顰められる。

しかし、それでもその表情に悲哀はない。

ただ強く輝くのは殺意のみ。私と第一位を前にして霞まぬ戦意は尊敬に値する。

だが、それが今は殺したい程に憎たらしい。

飢餓の魔人が呆れ果てたような視線を向ける。

「……ふふ、やれやれ、だ。弱い者いじめは感心しないよ? 『傲慢独尊』」

「ふん……認めよう、見事な渇望、貴様は――敵だ」

ハードの力が更に高まる。傲慢の条件を満たしたか。

どこまで高まるんだ、こいつ。理解できない。

それと比べて、ゼブルの様子は聞いていたよりも遥かにおとなしい。

「……僕は君達には用はないんだ。通してくれないかな?」

「ふん……愚問、だな」

レイジィに恥をかかせた代償は払ってもらう。

その三白眼がそう言っていた。

無言。

合図などない。

ハードの戦意に交渉を諦めたのか、ゼブルの魔力が膨れ上がる。

同時に、その矮躯が地面を思い切り蹴って弾丸のように飛び出した。僅か一歩で音速を突破。衝撃が全身を叩きつける。

光すら吸い込む宵闇の刀身が蛇のように伸びる。切っ先は私だ。

舐められているのか。違う。ゼブルの速度を持ってしても、ハードに対してでは普通の攻撃は当たらないからだ。

だが――

「それは舐められているのと同じ事だな……」

杖身で地を砕きバックステップ。同時に天へ跳んだ。

刀身が凪ぐように私の居た地面を削り取る。音一つなく消滅する大地に、自身の推測があたっていた事を確信する。

杖身を螺旋で覆っていた炎の龍がそれに相対するように大地に放たれた。

獄炎。

何もかもを消去させる炎の龍が顎を開きゼブルとハードをまとめて飲み込む。

ハジマリノキバとやらが炎を食い散らかす。押し負けるまでもなく放った力の一部が削り取られる。喰らう事に対してはやはり暴食には一歩及ばない。

だが、我が炎は線ではなく面だ。

刀だけでは相対できないことを悟ったのか、完全にその身体を飲み込む寸前にゼブルの全身から漆黒の波動が吹き出した。

拮抗は一瞬。

炎が僅かな抵抗を押し切り、闇を焼き払う。

「チッ、面倒だ!」

ゼブルがさらに大きく後退する。

炎はそれを追いかけるが、飢餓の波動を喰らえば喰らうほどに明らかに威力が減少していく。喰らわれているのだ。

さすがに一瞬では喰らい尽くせ無いか。それがわかれば十分だ。

飛竜が私の意志を察知し、空中で私を背に受け止めた。

杖をそのまま下に向ける。遊んでいる暇はない。空から一方的に焼き払わせてもらう。

「やむを得んな」

不意打ち気味で席巻した炎を容易く回避したハードがゼブルの背後に現れる。

組んだ拳がハンマーのようにうち振るわれる。

荒野が比喩ではなく割れた。今まで聞こえた地鳴りとは桁の違う大地の鳴動。

巨大な亀裂は空から見てもはっきりわかる傷跡を大地に刻みつける。

予想外の光景に、息を飲む。

「馬鹿な……」

ハードも恐ろしい。

素手で大地を砕くハードも恐ろしいが、何より恐ろしいのは――

「いっつ……容赦さなさすぎ――」

地を割る剛撃を受けて尚、生存しているゼブルの並外れた『耐久力』

ダメージがないわけではない。頭蓋は陥没し、血液が砂礫を赤黒く染めている。

だが、それすらも――割れた頭蓋は、一瞬で巻き戻しのように再生した。

再生はいい。再生は暴食のスキルの一つだ。奴らは食らった力を元に再生できる。

だが、あの耐久力の理由がわからない。あの一撃は並以上の魔王の魂核でも容易く砕ける一撃だった。

奴は――何を食らったのだ。

同時に悟った。やはり、ハードは遊んでいたわけではなかった。

あの耐久故に、終始有利ではあっても仕留めきれていなかったのだ。

全身から繰り出される嵐のような連撃がゼブルの矮躯を翻弄する。刀はあってもやはり純粋な殴り合いでゼブルは劣る。一撃必殺の刃があっても当たらなければ意味がない。

一撃一撃が光を帯びたようなそれは、何撃入れているのかすら判断できない。

だが、ゼブルも黙って受けているわけではない。全身から出した収束した触手がそれを受ける。

受ける。受けるということはあの耐久も無限ではないという事。

ハードの生んだチャンス、逃がさん。

「どこで手に入れたのか知らないが――灰にしてくれる」

無駄だ。

例えもし仮にその耐久力が――兄様の一片を食らった事で得た能力だとしても。

我が憤怒は怠惰の王すら焼き払うのだから。

無数の炎弾を召喚し、隕石のように地面を穿つ。

一撃一撃が必殺。魂核の欠片すら残さず灰にする力だ。

速度こそ見て避けられる程度だが数の多いそれを無数の手が迎え撃つ。

無駄だ。

食いきれない事は既にわかっている。

「ぐ……」

ゼブルが悲鳴を上げる。

焼き払われた触手はすぐに再生する。が、それ以上の速度で炎弾をぶちこむ。

「滅べッ!」

空から弾をばらまく気分は最低だ。ぎりぎりで全て捌かれているあたりがさらに癪に障る。

やはりあの刀がやばい。炎弾を飲み込んで尚折れる気配も溶ける気配もない刀。

触れただけで炎弾を消し飛ばす武具。

奴の飢餓を物質化したものに間違いないだろう。

ゼブルは刀で最低限を捌き、そしてハードに至っては掠りすらしない。

敵味方関係なく消し去ろうとする炎を容易く避け、ハードは僅か一歩でゼブルに肉薄した。

いや、見た瞬間には既にゼブルが吹き飛んでいる。蹴りなのか拳なのかすら判断できない。

地響きとだけが結果を示していた。

ハードの視線がこちらを貫く。その目は完全にキレていた。

身を貫く殺意が本来ならば止めるべき戦意を燃え上がらせる。

ああ、いいだろう。今日はなんと素晴らしい日だ。

我が敵を尽く滅ぼせるとは。

「……いいだろう。いつかやらねばならないと思っていた。今すぐにやってしまっても問題あるまい」

兄様には伝えなければいいだけの事。時間さえ経ればそれすらも忘れるだろう。

地面に横たわる悪食の王がむくりと起き上がる

奇妙な方向に折れ曲がった腕が、潰れた頭蓋が、形を成していないその矮躯が奇妙な音を立てて元に戻る。

化け物め。

やはり私は必要だ。

この化け物を影寝殿に迎え入れるなど、怖気が奔る。この化け物が生きている限り兄様のその安息が満たされる事がない。

ここまで近づくと分かる。忌々しい事に彼我の力に差はほとんどない。

ましてや、抱く渇望が異なる以上、その戦いの決着は力の大小では決まらない。

炎弾を再度召喚する。

私はもはや仲間とは呼べない、二人の魔王を天から見下ろした。