軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編-クアン伯爵家の悲劇-

領主の執務室で、男は机に浅く腰をかけていた。

手には短剣。足元には、もう息をしていない死体が三つ。

男は暗殺を生業としていた。

依頼主の名前も、目的も、手にかけてきた人間の数も覚えていない。

気にすることはただ一つ──殺しやすい相手かどうかだけだ。

しかし、今回だけは違った。

まず暗殺の標的が他国の貴族だった。

自国を離れての仕事は初めてではなかったが、依頼主が皇帝から寵愛された第三夫人だというから、いくら殺し以外に興味を持たない男でも無視することができなかった。

帝国では、皇帝の正妃は複数認められている。その序列によって、第一夫人、第二夫人、第三夫人と呼ばれていた。

他国から嫁いできた若い妃は、その美貌から瞬く間に社交界の華になったが、嫉妬深い国王は若い妃を宮殿に閉じ込め、毎晩入り浸っていると聞く。

それでも皇帝から愛されているのだから、幸せなことだと思っていた。

しかし、若い妃の心はこの国にはなかった。代理人を介して依頼してきたのは、自国にいる恋敵と、その家族の暗殺だった。

男は普段は使うことのない諜報ギルドを使い、若い妃──ロマーナ第三夫人の過去を調査させた。

依頼主を秘密裏に調べることは本来ならタブーだ。高額な金額を準備して殺しを依頼してくる相手が、まともなわけがない。殺しを生業にしていれば尚更、下手に首を突っ込んで逆に命を狙われることなど容易に想像がつく。

それでも今回は、海を渡って他国へ入国しなければならない。

この依頼を受ければ、自国へ戻ることは叶わないだろうと、そんな予感を覚えずにいられなかった。

しかし、男は暗殺の依頼を引き受けた。

単純に、他にすることがなかったからだ。

同時に、暗殺だけに縛られた今の生活から抜け出したかったのかもしれない。

ロマーナの代理人が、依頼料として差し出してきた金額は破格だった。さらに成功報酬として提示された金額は、人生をやり直すには十分すぎる報酬だった。

男は二つ返事で海を渡った。

帝国より派手さはなかったが、首都はそれなりに栄え、他の領地も見て回ったが安定したところはどこも悪くなかった。

ただ、目的地でもあるクアン伯爵領は、他とは違い、数年前まで人が暮らしていたと思われる家々は空き家が多く、賑わっていたはずの中心部は、活気がなかった。

話によれば、領主の娘である伯爵令嬢の醜聞によって、没落寸前まで追い込まれているという。

伯爵令嬢が嫁いだ先は、宰相の地位についていた侯爵の家で、彼の息子と婚姻したようだ。

だが、夫の弟とスキャンダルになったことで追い出され、彼女の実家であるこの伯爵家が窮地に立たされていた。

依頼の内容は、クアン伯爵一家の殺害。とくに、依頼主の恋敵である「ソフィア・クアン」は、必ず命を奪わなければならなかった。

すでに社会的に消されているような女を殺す必要があるのかと思ったが、伯爵領にやって来る途中で、事態は急展開を迎えた。

ソフィアの醜聞が、捏造だったというものだ。

彼女は何もしておらず、一方でスキャンダルの相手である弟が、その不倫をでっち上げたことが瞬く間に広がった。

さらに、問題を起こした弟と共謀したのが、今回の依頼主であるロマーナだというから、男は呆れるしかなかった。

このままでは、殺したところで成功報酬は得られず、ただの人殺しになってしまうではないか。

計画が白紙になってしまった男は、一度は帝国への帰国も考えたが、帰ったところで同じ暮らしが待っているだけだ。

それならば、この国に骨を埋めるのも悪くないと思った。

噂によれば、真実が明らかになったことで、侯爵家は被害を被った伯爵家に莫大な慰謝料を支払う予定があるという。

男が狙いをつけたのは、その慰謝料だった。

普通であればよそ者など、どこへ行っても受け入れてもらえないが、今の伯爵家にそんな悠長なことを言っている余裕はなかった。

男が伯爵家に向かうと、案の定人手不足の伯爵家は働き手を探しており、男はすんなり伯爵邸に入ることができた。

屋敷の中では、使用人が少ない人数で仕事を回していた。廊下は磨かれていたが、装飾は減らされている。金が回っていない屋敷であることが窺えた。

再起を図る家は、外から来た人間を重宝する。とくに過去を知らず、血縁を持たない者を。金さえ戻れば、忠誠すら買える。

雇われて働き始めて間もなく、クアン伯爵一家を観察していたが、彼らは典型的な貴族一家だった。

伯爵は金の話しかしなかった。その妻は、常に周囲の顔色を窺っていた。そして長男は、自分が一番の被害者だと信じて疑わなかった。

一方、この屋敷で同じく育ってきた令嬢の部屋を見た時、男は首を傾げた。

金目の物はなく、あったのは使い込まれた机と、古い裁縫道具だけだった。

廊下に飾ってあった肖像画にも、令嬢の姿はなかった。一家の肖像画には描かれていただろうが、取り外されたのかもしれない。

だが、その家族の肖像画すら部屋に置いてもらえず、まるで最初から存在していない様子に、男は憐れむわけでもなく淡々と「なるほどな」と呟いていた。

男は、令嬢の部屋から背を向けて廊下へ出た。

そこにあったのは過去の残骸だけ。男は依頼書にあった名を、思い出すことはなかった。

男は使用人として働き続けた。金の管理を覚え、屋敷の出入りを把握し、人の癖を観察した。

信頼とは、日々の会話と時間で勝ち取れるものだと、男は知っていた。

伯爵家の名も、顔も、もうどうでもよかった。

価値があるのは、金だけだ。

ある翌朝、屋敷は静かだった。そして、金庫だけが空になっていた。

悲劇に見舞われたクアン伯爵一家の名は、新聞に大々的に載った。だが、男はそれを読むことはなかった。

また「ソフィア・クアン」という名も、そこにはなかった。

【END】