軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

髪飾りが起こす波紋

リーゼレータを見送った後、お茶会室の片付けが終わって側仕え達の手が空くまでの間、わたくしは自室で待機です。給仕をする側仕えがいなくては、食事を摂れないので仕方がありません。

少し動くと髪飾りの花が揺れて擦れる音がします。わたくしは鏡の前へ向かい、髪飾りを見ました。勝手に表情が緩んで、ふふっと笑みが零れます。リューツィの花の髪飾りにはとても繊細な美しさがあり、わたくしの髪の色によく合っていました。ローゼマイン様の専属の髪飾り職人は成人したばかりの年頃に見えましたが、本当に見事な腕前です。

……ヴィルフリート様やオルトヴィーン様も褒めてくださるかしら?

「素敵ですね。わたくしもエスコート相手から自分のための髪飾りをいただきたいです」

声が響いて振り返ると、護衛騎士見習いのハイルリーゼが羨ましそうに髪飾りを見つめていました。ダンケルフェルガーではエーレンフェストと取引があるので、既製品の髪飾りは領内に入ってくるようになっています。けれど、直接職人に注文した物と違って、既製品は色や形、大きさなどに多少の不満点が残る物です。

「上級貴族では直接お願いできる伝手がございませんから、既製品でも手に入れば嬉しいのですけれど……」

ハイルリーゼが残念がっているように、上級貴族が注文することはできません。王族やお兄様はローゼマイン様に直接注文したのは特別なのです。

「できれば自分で注文した物が欲しいと思いますが、ダンケルフェルガーで職人が育つのはいつになるでしょう? 先は長そうです。わたくし達の卒業式に間に合わないことは確実ですもの」

ハイルリーゼはわたくしと一緒に卒業式を迎えます。どう考えても卒業式までにダンケルフェルガーで職人が育つことはないでしょう。ハイルリーゼと髪飾りについて話をしていると、側仕え見習いのアンドレアが戻ってきました。

「ハンネローレ様、お待たせいたしました。食堂へ参りましょう」

わたくしと側近達が食堂へ到着した時には、すでに食事を終えて席を立っている者もいるようで、いくつかの席が空いている状態でした。ほぼ食事を終えたケントリプスとラザンタルクの姿は見えますが、ラオフェレーグの姿はありません。

「ハンネローレ様、今日はずいぶんとゆっくりで……したね」

わたくしが入っていくと、何故か食堂にいた学生達が大きく目を見張ってケントリプスとラザンタルクに何とも言えない視線を向け、二人が顔色を変えました。

……何でしょう?

「ハンネローレ様、その……夕食後にお時間をいただきたいのですが……」

周囲の空気と二人の顔色の悪さに目を瞬き、ケントリプスからの突然の申し出に驚いてコルドゥラを振り返ります。夕食後には特に予定がありませんけれど、このような突然の申し出を受け入れて良いものでしょうか。わたくしの視線を受け、少し考えたコルドゥラがニコリと微笑みました。

「よろしいのではございませんか? お二人は少しでも早くお話をしたいでしょうし、ハンネローレ様からもお二人にお伝えしなければならないことがございますから」

どういう意味なのか、とわたくしがコルドゥラに尋ねるより早く、難しい顔のケントリプスがカトラリーを揃えて置き、立ち上がりました。

「我々は会議室の準備をします。ハンネローレ様は夕食をどうぞごゆっくり……」

ケントリプスが自分の側仕えに何か合図をして大股で食堂を出て行けば、ラザンタルクも残っていた食事を手早く終えて自分の側仕えと急ぎ足で食堂を出ていきます。ずいぶんと慌ただしい様子に目を瞬きました。

「では、姫様。話し合いの場を整えるのはお二人に任せて、お食事を終えましょう」

給仕をするコルドゥラに声をかけられ、わたくしは席に着きました。二人だけではなく、周囲の学生達の様子もおかしく、何人もの学生達がちらちらとこちらを見ながら食事を終えて食堂を出て行きます。

「明らかにいつもと雰囲気が違いますけれど……」

夕食を摂りながら首を傾げると、ハイルリーゼやアンドレアといったわたくしの側近達が少し困ったように視線を交わし合います。ここで説明できることではないようです。食後に尋ねた方が良さそうです。

「そういえば、コルドゥラ。わたくしから二人に伝えなければならないこととは何かしら?」

「ドレヴァンヒェルの一件に決まっているではありませんか。婚約者候補であるお二人に話しておかなければならないことですよ。完全にはお断りできていないのでしょう?」

呆れたようにコルドゥラに言われ、わたくしはニコリと微笑みながら視線を逸らし、ハテルという鳥肉の香草焼きを一切れ口に運びます。そういえば、そうでした。お父様が決めた婚約者候補には他の求婚者が現れたことを報告しなければなりません。

……他領へ出るならば協力するとケントリプスは言っていましたが、わたくしの力になってくれるでしょうか?

そう思った瞬間、まるで自分がオルトヴィーン様の求婚を受け入れようとしているような気がして、わたくしは慌てて首を横に振りました。違います。そうではありません。

「姫様、どうかされましたか?」

コルドゥラの声にハッとすると、目の前には動揺に任せてガスガスとフォークを突き刺してしまったせいで少々見目が悪くなってしまったハテルの肉がありました。できるだけ優雅に切り分けて、取り繕います。

「あ……あの、ラオフェレーグの姿が見当たりませんけれど、あの子には伝えなくても良いのですか?」

わたくしが話題を変えようと思って尋ねると、コルドゥラは食堂の扉へすっと視線を向けました。

「ラオフェレーグ様はアウブが定めた正式な婚約者候補ではございません。それに、そもそもオルトヴィーン様が事を起こしたのは、あの方の行いが発端です。こちらが配慮する対象ではございません」

……うぅ、コルドゥラの目が怖いですっ!

夕食を終えて会議室へ行くと、ケントリプスとラザンタルクが落ち着かない様子で待っていました。ラザンタルクはこちらへ駆け寄ってきたそうに上半身をそわそわとさせていますし、ケントリプスは落ち着いて座っているように見せかけていますが、指先がテーブルを叩いています。

「コルドゥラとハイルリーゼ以外は下がってくださいませ」

それほど大きくはない会議室なので、大半の側近達には退室してもらいました。かなり内密の話になるでしょうし、湯浴みや明日の準備を交代で行う時間も必要です。

席を勧められたわたくしと、そわそわしているラザンタルクが席に着くと、ケントリプスが一度灰色の目をきつく閉じてゆっくりと息を吐き、口を開きました。

「ハンネローレ様。大変失礼であることは重々承知ですが、単刀直入にお伺いします。その髪飾りはエーレンフェストから贈られた物ですか?」

「えぇ。ローゼマイン様にいただきました。本物のディッターに協力したお礼とお友達の証なのですって。お兄様がアインリーベに贈った髪飾りを覚えていて? あれを作ったローゼマイン様の専属に作っていただいたのです。素敵でしょう?」

リューツィを模した新しい髪飾りに触れながらローゼマイン様の専属の腕を褒めると、二人は何とも言えない表情で顔を見合わせました。

「ローゼマイン様から……ですか?」

「ヴィルフリート様ではなく?」

……どうしてヴィルフリート様のお名前が出てくるのでしょう?

「そのようなお話は伺っていませんけれど、もしこの髪飾りがローゼマイン様個人ではなく、本物のディッターに協力したエーレンフェストからのお礼であれば、わたくしはヴィルフリート様やシャルロッテ様にもお礼を述べなければならないということですね」

盲点でした。城ではなく、ローゼマイン様が所有する図書館へ招かれて注文したので、ローゼマイン様個人からの贈り物だと単純に考えていましたが、本物のディッターのお礼ならばエーレンフェスト全体からの贈り物であることも考えられます。

「そういう意味ではありません、ハンネローレ様。……卒業式のためにエスコート相手から贈られた物ではないのか、と尋ねているのです」

頭が痛いと言わんばかりに額を押さえたケントリプスの言葉に、わたくしの思考が止まりました。

……エスコート相手から贈られた物、ですか?

「ち、違います。あり得ません。わたくしのエスコート相手はまだ決まっていないではありませんか。ローゼマイン様を始め、アレキサンドリアやエーレンフェストの女子生徒はエスコート相手が決まっていなくても髪飾りをつけているのに、何故そのような誤解をするのです!? 二人とも早合点が過ぎますよ」

わたくしは慌てて否定しました。ローゼマイン様から贈られた髪飾りなのに、ラザンタルクとケントリプスの二人が揃って誤解したことに驚くと、コルドゥラがそっと息を吐きました。

「ローゼマイン様は御自身が普段使いしていますし、ハンネローレ様も一緒につけるお約束をしていたので思い浮かばないのでしょう。ですが、ダンケルフェルガーにおいて、エーレンフェストからもたらされた髪飾りは卒業式を迎える女性やそのエスコート相手が買い求める物だからですよ、姫様」

「あ……」

先程ハイルリーゼとそのようなお話をしていましたが、新しい髪飾りが嬉しくて全くそのようなことに意識が繋がっていませんでした。食堂の空気がおかしかった理由も同じでしょう。わたくしがポンと手を打つと、「通じていなかったのですね」とハイルリーゼがガックリと肩を落とします。

「エーレンフェスト以外では、ダンケルフェルガーと似たような印象を持たれると思います、ハンネローレ様」

……ごめんなさい、ハイルリーゼ。

何故かハイルリーゼだけではなく、ラザンタルクもひどくどんよりとした表情になっていて、いつも元気な栗色の目が恨めしそうに髪飾りを見つめています。

「……ラザンタルク、もしかしてこの髪飾りは似合いませんか?」

「いいえ。とてもよくお似合いです。私が混沌の女神に魅入られる瞬間を実感してしまうほど大変お似合いです」

混沌の女神は、妬ましさや恨めしさが混じった複雑な気分を表す時によく使われる女神です。とても褒められている気がいたしません。ラザンタルクが何を妬ましく思っているのでしょうか。

……ハイルリーゼと違って自分用の髪飾りが欲しいというわけではないでしょうし……。

「ハァ。まさか私の恋敵がローゼマイン様だったとは……」

「え? ローゼマイン様が恋敵?……ということは、ラザンタルクはフェルディナンド様に懸想を……?」

「どういう冗談ですか!? 全く笑えません。恐ろしいことをおっしゃらないでください!」

ラザンタルクに涙目で怒鳴られて、わたくしは思わず「ごめんなさい」と謝りました。けれど、ローゼマイン様が恋敵だと言われれば普通はフェルディナンド様に懸想しているのだと思うでしょう。

「ハンネローレ様はアインリーベ様の髪飾りを羨ましがっていらっしゃったではありませんか。ですから、婚約のお話が決まればハンネローレ様にとって初めての髪飾りを私がレスティラウト様を通じて手配するつもりだったのです。それなのに……ローゼマイン様の専属に直接注文した最高級の髪飾りを贈られてしまっては、とても勝ち目がないでしょう!」

頭が真っ白になるというのは、こういう時のことを指すのかもしれません。ラザンタルクの言葉に全身の血が逆流するような気がしました。顔に全身の血が集まったように熱くなり、耳の後ろでドクンドクンと鼓動が聞こえてきます。

「……あの、一つ確認させていただきたいのですけれど、もしかしてラザンタルクの想い人はわたくしですか?」

次の瞬間、ラザンタルクだけではなく、ケントリプスまで目を大きく見開いてわたくしを凝視しました。

「ちょっと待ってください、ハンネローレ様。今の私の言葉で注目したところはそこですか!? 婚約者候補として求婚中の私の思い人がハンネローレ様以外にいるわけありませんよね!? 貴女を守りたかったとか、戦いに出るようになった貴女と共に戦いたいとか、かなりわかりやすく想いを伝えてきたと思うのですが!」

ラザンタルクにそのように想いを伝えられたことがあったでしょうか。記憶にございません。

「アレキサンドリアとディッターするために結婚したい……と言われた記憶ならばあるのですけれど……。わたくし、今まで、その、ラザンタルクがわたくしに対してそのように考えているとは存じませんでした」

咎めるような二人の視線に居心地の悪さを感じて、わたくしが一歩後ろに引きながらそう言うと、ラザンタルクが「まさか全く通じていなかったとは……」と頭を抱えました。

わかりやすく落ち込んでいるラザンタルクに、コルドゥラが更に追い打ちをかけます。

「ローゼマイン様はダンケルフェルガーの歴史書を現代語訳するという御自身の趣味に大金貨18枚を出せる方ですもの。お二人の懐事情で誂えた髪飾りでは見劣りするでしょうから、殿方には辛いところですね。アウブ・アレキサンドリアからの贈り物を外すように、とは言えませんし、お揃いでつけるとお約束している以上、ハンネローレ様につけないという選択肢はございません」

容赦ない言葉の数々にラザンタルクが胸元を押さえて「うぐっ」と呻きました。目を逸らしたい現実を突きつけてくる時のコルドゥラは鋭く、的確に心を抉ってくるのです。

「あ、あの、コルドゥラ……。わたくし、そんなつもりは……」

「現実は直視なさいませ、姫様。側仕えの少ない戦場で深く考えずに新しい髪飾りに飛びついた結果がこちらですよ」

ラザンタルクだけではなく、わたくしに対するお説教でもあったようです。

「あの時はまだ婚約者候補もいませんでしたし、お礼の品をお断りするのもよくないでしょう? わたくし、このようなことになるとは思わなかったのです」

もちろん新しい髪飾りは欲しかったですし、どんな花が良いのか、どの色が自分に合うのか、ローゼマイン様の専属と決めるのはとても心躍る時間でした。けれど、こんな形で殿方の心を抉るような真似をするつもりはなかったのです。愕然としているラザンタルクにわたくしはどのように声をかければ良いのかわからなくなりました。

「深く考えなかった上に間が悪かったのです、姫様。……いえ、間が良かったのかもしれませんね。他領の求婚を断るための盾とするならば、これ以上の品はございませんもの」

「他領からの求婚、ですか? アウブが定めた婚約者候補がいながら……?」

ケントリプスが淡い緑の髪を揺らして顔を上げると、コルドゥラがゆっくりと唇の端を上げます。

「えぇ。ハンネローレ様は本日ドレヴァンヒェルのオルトヴィーン様から講義中に求婚され、初めて殿方に想いを寄せられたと心を揺らしていたのですよ。婚約者候補である貴方達が先に想いを伝えていれば、このような事態にならなかったでしょうに。まったく不甲斐ないこと……」

「は!? ドレヴァンヒェルが講義中に!?」

「我々という婚約者候補がいるにもかかわらず求婚ということは嫁盗りディッターですか!? 受けて立ちます」

ケントリプスが声を裏返らせ、ラザンタルクが栗色の目をギラリと光らせます。

「落ち着きなさい、ラザンタルク。まだ正式な求婚ではございませんし、姫様はオルトヴィーン様に一度お断りを入れています」

「そうですか。では、ローゼマイン様に贈られた髪飾りを日常使いにし、エスコート相手が決まったように見せかければオルトヴィーン様も諦めるでしょう」

ラザンタルクはあからさまに安堵の息を吐きましたが、わたくしは何だかひどく気が重くなりました。

コルドゥラの言う通り、お父様が定めた二人の婚約者候補がいると告げて、求婚を退けたのはわたくしです。けれど、その後でオルトヴィーン様の真摯な想いを知りました。今はローゼマイン様からいただいた髪飾りでエスコート相手が決まったと誤解させてお断りしたいと思えません。

……求婚した翌日にエスコート相手が決まったことを主張する髪飾りをつけているところを見れば、オルトヴィーン様は傷つくでしょう。

今日、オルトヴィーン様が一瞬だけ見せた「失敗した」という表情を思い出せば、取り繕った顔の向こうで傷ついている表情を何となく想像できます。

……わたくし、あまり傷ついてほしくないのです。ローゼマイン様からいただいた物だと先に説明すれば誤解はされませんよね?

誤解されないようにしたいと思った自分に驚いていると、ケントリプスは難しい顔で問いかけてきました。

「ハンネローレ様、講義中に求婚を受けたそうですが、ヴィルフリート様は何と?」

「え? ヴィルフリート様、ですか?」

「ドレヴァンヒェルの求婚を止めたり、御自身が求婚者として名乗り出たりしなかったのですか?」

胸が痛くなりました。喉がひりひりとして声が出ず、すぐに答えが出ません。ヴィルフリート様はわたくしが求婚される様子をただ見ていただけです。そのような行動はなさいませんでした。わたくしが不利な立場に立たされないように紳士的に見張ってくださいましたと言えば良いのでしょうか。求婚する対象とは考えられていませんと報告が必要なのでしょうか。

「ヴィルフリート様は特に何も……。オルトヴィーン様は盗聴防止の魔術具を使っていましたし、講義中でしたから……」

「そうですか」

嫁盗りディッターに関する諸々はもう終わったことなのです。何かにつけ、ヴィルフリート様の名前を出すのは止めてほしいのですけれど、ダンケルフェルガーではわかってくれないでしょう。

次の日、わたくしは色々な意味でドキドキながら新しい髪飾りをつけて領主候補生コースの講義へ向かいました。ヴィルフリート様はいらっしゃいますが、オルトヴィーン様のお姿は見えません。

ヴィルフリート様はすぐに髪飾りに気付き、「それがローゼマイン様と揃いで誂えた新しい髪飾りですか?」と声をかけてくださいました。

「えぇ、そうです」

エーレンフェストでは髪飾りをつけている女性は珍しくないのでしょう。ヴィルフリート様はエスコート相手の話題にも移らず、シャルロッテ様が新しい髪飾りを作らせたことやローゼマイン様の専属以外の髪飾り職人が育っていることなどを教えてくださいます。わたくしもこの髪飾りを注文した時のことを話します。

「ほぅ、自分に似合う髪飾りはそのように職人と話し合って決めるのですか。ローゼマイン様の専属の目は確かですね。ハンネローレ様には赤いリューツィの花がとてもよく似合っていらっしゃる」

「恐れ入ります、ヴィルフリート様」

真っ直ぐに褒められたため、わたくしは嬉しいけれど少し恥ずかしくなりました。

「ハンネローレ様、それはエーレンフェストの……?」

講義室に入ってきたオルトヴィーン様が昨夜のケントリプスやラザンタルクと同じような表情でわたくしの髪飾りを見つめました。

「オルトヴィーン様、この髪飾りは……」

「うむ、そうだ。ローゼマイン、様の専属職人はこのように素晴らしいユルゲンシュミットには存在しない赤のリューツィが作れるのだ。ハンネローレ様によく似合っているであろう?」

ヴィルフリート様が得意そうに胸を張ると、オルトヴィーンが髪飾りとヴィルフリート様とわたくしを見比べて、力のない笑みを浮かべました。

「本当に、よくお似合いです」

わたくしが想像した通りに取り繕った笑顔で、褒めてくださる声には力がありません。

「あの、オルトヴィーン様。これは……」

「大変良くお似合いです、ハンネローレ様。ラッフェルの実りを祝います」

……ラッフェルの実り?

その一言で、婚約者候補からエスコート相手を決めたのではなく、何故かヴィルフリート様がエスコート相手だと思われていることに気付いて、わたくしは慌てて首を横に振りました。

「違います。これは……」

「また其方等か……。早く自分の席に着け」

「アナスタージウス先生」

嫌そうな顔でアナスタージウス先生が手を振ると、オルトヴィーン様はするりとわたくしを避けるように自席へ移動しました。きちんと訂正することもできずにわたくしも自分の箱庭が置かれた机に向かいます。

……アナスタージウス先生、いつもはもっとゆっくりですのに、間が悪いにも程があるでしょう!

昨日のように何とか休憩時間を合わせてオルトヴィーン様とお話しする時間を取ろうとしましたが、完全に避けられているようで全く時間が合いません。四の鐘が鳴ってお昼のために寮へ戻る時も素早く去ったようで、わたくしが振り返った時にはもう姿がありませんでした。

……うぅ、完全に避けられていますね。

誤解を解くことができないまま一日が過ぎました。わたくしがオルトヴィーン様の様子を窺っている間にとんでもない方向に事態が動いていることには全く気付かず、わたくしは肩を落として寮へ戻りました。

「ハンネローレ様、ヴィルフリート様の求婚を受けられたというのは本当ですか?」

「……初耳ですけれど、一体何のお話ですか?」

寮に入るなり側近達に問われて、わたくしは首を傾げました。側近達が揃って焦りを含んだ顔をしていますが、何を言っているのかわかりません。

「午後の講義中にそのような噂がロスレンゲルやリンデンタールなどの複数の領地から流れてきましたが……」

「どちらも一緒に講義を受けている領主候補生がいる小領地ですから、出所が領主候補生ということはわかるのですが、何故そのような誤解が広がっているのかわかりません」

オルトヴィーン様はそのような迂闊な発言はしない方だと思うのですが、もしかしたらヴィルフリート様をエスコート相手だと勘違いして何か話をしたのでしょうか。

「予想の範囲内ではありませんか、姫様。既製品とは明らかに趣の違う最高級の髪飾りを贈ることができる殿方は限られています。姫様がエーレンフェストの髪飾りをつけていれば、エスコート相手として最初に思い浮かぶのはヴィルフリート様でしょう」

平然とした顔でコルドゥラはそう言っていますが、そのような誤解が貴族院で広がっては大変です。ヴィルフリート様にも迷惑がかかります。一気に血の気が引きました。

「どうしましょう、コルドゥラ。そのような誤解が広がっては困ります」

わたくしが振り返ると、寮へ戻ってきていたらしいケントリプスと目が合いました。

「あのようにひどい扱いをされたのです。姫様の求婚の盾として使えるならば良いではありませんか」

冷めた物言いに籠もったケントリプスの怒りを感じて、わたくしは反論しかけた口を閉ざしました。ケントリプスは嫁盗りディッターの後、ヴィルフリート様への当たりが最も厳しくなった者達の一人です。反論は火に油を注ぐだけです。

「お礼の品として髪飾りを贈ってくださったのがローゼマイン様ではなく、エーレンフェストからであればヴィルフリート様に責任を迫ることもできたので、その点は残念でした」

「ケントリプス、止めてくださいませ」

「エーレンフェストへの嫁入りが希望でしょう? ハンネローレ様が望むのであれば私はできる限りの協力をいたします」

「……わたくし、そのような方法は望んでいません」

ヴィルフリート様やエーレンフェストに迷惑をかけたくないのです。わたくしが精一杯睨むと、ケントリプスは仕方なさそうに息を吐きました。

「では、ローゼマイン様にご相談してはいかがです? 音楽や奉納舞の実技にはローゼマイン様もいらっしゃるとルーフェン先生が教えてくれました。講義でご一緒できる時だけ髪飾りをつけるとか、贈り主を当人から明言してもらうというふうに、ローゼマイン様から何か協力いただかなければ周囲の誤解が解けるとは思えません」

「そうですね。ローゼマイン様にお話をして、お願いしてみます。ヴィルフリート様が巻き込まれているのですもの。ローゼマイン様も協力してくださるでしょう。ありがとう存じます」

周囲に迷惑をかけずに誤解を解ける提案だったので、わたくしはその案を採用する事に決めました。見上げると、ケントリプスの表情がひどく複雑なものでした。眩しいような、哀しいような、歯痒いような、そんな顔です。

「ケントリプス?」

「ハンネローレ様、ヴィルフリート様に対してお優しいのも結構ですが、御自分の望みに少しは忠実になってください。……そうでなければ、我々のうちのどちらかと望まぬ星を結ぶことになりますよ」

そう言いながらわたくしの横を通り過ぎていくケントリプスの笑みがひどく寂しそうに見えて、わたくしは思わずその袖をつかんでしまいました。

「ハンネローレ様?」

わたくしを見下ろすケントリプスが訝しそうな顔をしています。先程の表情は見間違いだったのかもしれません。特に意味もなく殿方の袖をつかんだとは言いにくいです。

「……そ、その、ケントリプスの望みは何か尋ねようと思ったのです。わたくしに望みを尋ねるばかりで、ケントリプスこそ自分の望みを口にしていないではありませんか」

「ハンネローレ様はすでに私の望みをご存じのはずですが?」

フッと笑ってケントリプスはわたくしの手から袖を取り返すと、そのまま通り過ぎていきました。

……わたくし、すでに知っているのですか? 全く思い浮かばないのですけれど……。

ケントリプスの望みはわからず、ヴィルフリート様との誤解はどんどんと広がり、オルトヴィーン様の誤解は一向に解けないまま、音楽の実技の時間になりました。

……ローゼマイン様にご相談するのです!

ケントリプスの望み以外についてはローゼマイン様と相談すれば解決するはずです。わたくしは音楽の実技を行う教室に向かいました。音楽の実技は上級貴族が一緒に受けるので、普段に比べてずいぶんと人数が多いように感じます。

「ハンネローレ様、ローゼマイン様がいらっしゃいましたよ」

ハイルリーゼが指差す先に紺色のマントを見つけて、ふふっと笑いました。ローゼマイン様がお揃いの髪飾りをつけているのが見えたからです。

「ハンネローレ様、ローゼマイン様の髪飾りも同じように赤から白のリューツィですけれど、ずいぶんと色合いが違うのですね」

「ローゼマイン様の専属がそれぞれの髪に映える赤を選んでくれましたから。わたくしはピンクに近い華やかな赤ですけれど、ローゼマイン様の赤はもっと温かみがあるでしょう?」

同じデザインでも、それぞれに合わせた色を選んでくれています。わたくしは髪飾りを揺らしながらローゼマイン様に近付きました。

「ローゼマイン様、ごきげんよう」

「まぁ、ハンネローレ様。ごきげんよう。わたくしの髪飾りのせいで大変なことになっているとヴィルフリート兄様からお叱りのオルドナンツを受けました。こんなことになるとは思っていなくて申し訳ありません」

「わたくしも髪飾りでこのようなことになるとは思っていなかったのです。新しい髪飾りに浮かれていたら、これ以上の品を贈れないとお父様が決めた婚約者候補に嘆かれました」

ラザンタルクとのやり取りを面白く聞こえるように告げると、ローゼマイン様が少し笑った後、何か思いついたように軽く音を立てて手のひらを合わせました。

「では、ハンネローレ様のエスコート相手が正式に決まったら、その方からの注文は特別にお受けするというのはいかがでしょう? わたくしが初めてを奪ってしまいましたけれど、ハンネローレ様もお相手からいただきたいでしょう? 髪飾りはいくつあっても嬉しいですものね」

良いことを思いついた、と微笑むローゼマイン様を見つめます。毎年、違う髪飾りをつけていますし、エーレンフェストへお邪魔した時はその季節の花や貴色を使った髪飾りをつけていました。花の髪飾りと一緒に必ず揺れているのが虹色魔石の髪飾りです。

「ローゼマイン様は花の髪飾りと魔石の髪飾りを併せてつけていらっしゃいますけれど、卒業式の時はこれ以上に増えるのでしょうか?」

「一度につける花の数は増えませんけれど、成人の衣装に合わせた新しい飾りになります。エーレンフェストとは別の特産を作るためにアレキサンドリアで見つけた新しい素材を使う予定なのですけれど……詳しくはまだ秘密です」

楽しみにしていてくださいませ、とローゼマイン様が悪戯っぽい笑みを浮かべました。エーレンフェストの流行はローゼマイン様が作り出したと伺ったことがあります。初めて耳にした時には、とてもお一人の功績とは思えませんでしたが、今はどのような非常識でも「ローゼマイン様ならばそうなのでしょう」と当たり前に受け入れられるようになりました。

「……何だかアレキサンドリアでは新しい特産が次々と生まれそうですね。ローゼマイン様の笑顔が明るくて、お幸せそうで、何だかわたくしまで嬉しくなりました」

「念願の図書館都市とずっと欲しかった海の幸が手に入りましたし、段々遠ざかって切れそうだった繋がりを再び繋ぎ直すこともできました。わたくしは幸せですよ」

わたくしも同じように自分の幸せを手に入れたいものです、と思った直後、ローゼマイン様が欲しい物を手に入れるために行ったことを思い返して、わたくしは少し真顔になってしまいました。

……わたくしにはとても真似できませんね。

頬に手を当てて、ほぅと息を吐いていると、ローゼマイン様が金色の瞳で楽しそうにわたくしを覗き込んできます。一気に成長されて、ローゼマイン様はわたくしより少し身長が高くなりました。唯一身長で勝てる方がいなくなったことが少し寂しく感じます。

「ハンネローレ様、どうされますか? 卒業式のためにエスコート役の殿方から髪飾りの注文を引き受けた方がよろしいですか?」

「……ご迷惑でなければお願いしたいです」

ラザンタルクの嘆きは回避できますし、ローゼマイン様とお揃いの髪飾りが殿方の心を抉ることに変わりはなくても、傷は浅く済むはずです。

「それは私の依頼でも受けてくださるのですか?」

「オルトヴィーン様?……え、と……」

ローゼマイン様が戸惑ったようにわたくしに視線を移しました。わたくしも驚いてオルトヴィーン様を見上げました。誤解して去っていったのではなかったのでしょうか。

次の瞬間、オルトヴィーン様の後ろでヴィルフリート様が応援するように拳を握っている姿が見えました。誤解が解けてよかったという安堵の気持ちを、ずしりと重くて暗い気持ちが塗り替えていきます。

「ハンネローレ様が選んだ方の注文であれば、わたくしは構いませんけれど……」

「ほぉ、それはぜひ我がアウブに報告しなければなりませんね」

突然聞こえたコリンツダウムの上級貴族の言葉に、わたくしはローゼマイン様と顔を見合わせました。