軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

4 焦げた髪

「あのぅ……快適、ですか?」

タリクを寮に連れ帰り、さっそく窓の外に巣箱を設置した。そして小さな巣箱の中の彼にそう声を掛けた。スナネズミは小さな砂色の背中をこちらに向けていて、振り返る気配はない。

巣箱の上には 鷹(サマーリ) が留まってナディアに鋭い視線を向けてくる。鷹には詳しくないが、友好的な視線でないことだけは確信できる。巣箱に手でも入れようものなら、鋭いくちばしで噛みつかれそうだ。

「床、固くないですか? 布かなにか敷きますか?」

そう問うと、スナネズミの体の下にほかほかの綿が現れた。「そのくらいのことは自分でできるから不要」ということらしい。 鷹(サマーリ) ほど敵意剥き出しではないにせよ、こちらも友好的とは程遠い。

――まぁ、そうだよね……こんな流れで仲良くしたいわけないよね……

王宮でも「親しくする気はない」というようなことを言っていたし、できるだけ距離をとりたいのだろう。

「ええと、それじゃあ、おやすみなさい。本当にその……ごめんなさい。とんでもないことに巻き込んでしまって」

しばらく反応を待ったけれど何も返事がないので、ナディアは諦めて窓から顔を引っ込めることにした。

窓を閉め切る直前に、チチチチという小さな声が聞こえた。「おやすみ」かもしれないし、「ふざけんな」かもしれないし、それ以外かもしれない。

かなり希望的な観測だということは自覚しつつ、「おやすみ」だと思っておくことにした。

*****

翌朝、普段どおりの時刻に目覚めた。

ベッドに入ってからの記憶がないから、すぐに眠ってしまったのだろう。一瞬「もしかして全部夢かな」と思ったが、窓の外に目をやると仏頂面のスナネズミと鷹と目が合った。現実だ。わざとでないとはいえ、禁忌を犯してしまった罪悪感がズッシリと心にのしかかる。

――無事に術が解けるまで、これ以上の問題を起こさないように慎重に暮らさないと。

窓を開け、スナネズミに声を掛ける。

「おはようございます。すぐに準備します、少しお待ちを」

顔を引っ込め、机の上に置いた小さな鏡を見ながらくしゃくしゃの黒い髪の毛を手櫛で撫でつけた。が、いつも通り頑固なくせ毛は言うことを聞かず、今日も派手に爆発している。手櫛でまとめて布で結ぶ。

鏡の中からは曇天みたいな色の瞳がこちらを見返してくる。窓の外にいるスナネズミの瞳の鮮やかさと比べてしまいそうになって「無意味なことを」と瞬きをひとつ。

急いで着替え、教科書を抱えて部屋を出た。朝食のために寮を出て食堂に向かって歩いていると、どこからともなくタリクが姿を現し、ナディアの隣に並んで歩き出した。

「昨日言い忘れたんだが」

タリクは前を向いたまま、ナディアのほうをチラとも見ずに小声で言う。

「はい」

ナディアも彼に倣ってヒソヒソと返した。

「食堂でも授業でも、よほどの用がない限りこちらから話しかけることはしないつもりだ」

「ハイ、わきまえております。私からも必要以上に接触しないように気をつけます」

万が一にも仲を誤解されるようなことになれば、彼の将来に悪い影響を及ぼしかねない。彼の王子という地位を思えば、その懸念は当然だ。

それにナディアとしても、要らぬ注目を集めたくはなかった。

「……では、そういうことで」

タリクはやはりこちらを見ずにそう言った。

食堂では、背中合わせに別のテーブルに座って食事を摂った。タリクが座るなり人が集まって来て周囲がにぎやかになる。遠巻きにしている頃は「あの人だかりのどこかにタリク殿下がいるんだなぁ」という程度の認識だったが、こうして人だかりの内側に入ってみると、人数にも密度にも騒がしさにも驚かされる。

「タリク殿下、一緒に図書館で勉強しない?」

「今日は別に用事がある」

「いつもそう言うじゃない。明日は?」

「明日も忙しい」

タリクの声がぶっきらぼうにそう答える。

「ンもう。じゃあ、いつなら空いてるの?」

「空き時間はないな」

「私のために時間を作ってよ」

「無理な相談だ」

「どうして忙しいの? 公務?」

「君には関係ない」

背中合わせなので会話が聞こえてしまうが、なんだか盗み聞きのようになるのも申し訳なくて、途中でこっそり「耳栓の術」を自分に掛けた。おかげで後半は静寂の中で食事に集中することができた。

平たいパン(ピタ) と野菜スープと串焼き肉だ。

――おいしい。いつか叔母さんと母さんにもこんな料理をお腹いっぱい食べさせてあげたいな。

大切な人たちの顔を思い浮かべ、ナディアは「今日も頑張らなくちゃ」と決意を新たにした。

*****

使い手・使い魔としての初日は、午前に「魔術理論・総論」「防御魔術・中級」のふたつ、午後に「魔術理論・各論Ⅰ」「魔術史」のふたつ、さらに夕食をはさんでタリクの履修している「魔力制御」の計五つの授業が入っている。

最初の四つの授業はいずれもナディアの履修している七年生向けの科目だ。

スナネズミはといえば、授業の間ほとんどずっとナディアのマントのポケットの中で過ごし、終始退屈そうに欠伸をしていた。彼にしてみれば、昨年履修した授業を再度聞かされているのだから退屈だろう。

まだ後期が始まったばかりということもあり、授業は導入的な内容が多い。おかげで課題の量もそれほど多くない。ナディアは胸をなでおろしながら夕食を詰め込み、最後の授業へ向かった。

こちらはタリクが履修登録しているものだ。昨日のうちに王から学院長へ話を通してくれ、ナディアも履修生として参加できることになっている。

タリクに続いて――もちろん言葉を交わすことも目を合わせることもないまま――教室に入り、タリクの斜め後ろの空席に腰を下ろした。途端に、ヒソヒソと囁く声が周囲から上がる。

「あの子、七年生よね?」

「例の特別奨学金の子でしょう」

「どうしてここにいるの?」

「追加履修生だって。廊下に貼りだしてあったよ」

ナディアは黙って手元の本に目を落とした。履修を決めていた科目については休暇中に予習をしていたが、この授業は昨日急遽履修が決まったので予習できていない。何かの役に立つかもしれないと関連のありそうな本を部屋の書棚から引っ張り出しては来たものの、この本の内容で足りるのか、大いに不安だ。

そんなナディアをよそに、ヒソヒソ話は続いている。

「飛び級で、たしかまだ十六歳って話じゃなかったか?」

「お子ちゃまが授業に混じるなんて、正直迷惑だな。手加減させられるこっちの身にもなってほしいよ」

「近くで見ると本当にみすぼらしいのね」

「ほんとに。あんな服、一体どこで手に入れるの?」

気持ちのよいものではないが、この手の話には慣れっこだ。みすぼらしい自覚もある。

周囲の学生たちは皆、光沢のある絹布に優美な刺繍を施した衣装を身にまとっている。一方、ナディアの服には光沢も刺繍もない。郷里の村はずれに置かれた寄付箱から拾ってきたもので、色あせた布はところどころ擦り切れて薄くなっている。もとは男性物らしく、ナディアにはブカブカだった。丈を詰めて着てはいるが、肩や腰の縫い目が不自然にずれてしまうのはどうしようもない。

――貧乏は恥ずかしいことじゃない。大丈夫。

そう自分に言い聞かせながら、階段状になった教室の一番低い場所――教壇を見つめる。まもなく教壇脇の扉が開き、教授が姿を現した。

教壇わきの窓から朝の光が差し込んで、教授の影を作る。

教授は壇上に立ち、指先で小さな光を弾ませながら話し始めた。

「さて、この授業では実技を中心に魔力の制御を学んでいく。たかが演習と舐めていると痛い目に遭うので、気を引き締めて取り組むように。まずは簡単に、前期の復習だ」

キビキビとそう言った教授は、最前列にいる学生を指した。

「魔力が尽きたとき、人はどうなる?」

「いわゆる“ 魔力枯渇(ファーリグ) ”の状態に陥ります」

「正解だ」

教授は光を消し、手を組んだ。

「魔力は体力と同じく、生きるための糧の一部だ。使いすぎれば体は悲鳴をあげる。軽度なら眩暈、震え、顔色が悪くなる程度だが――」

教授は片手をひねり、急激に大きな光球を生み出した。ぱち、と破裂音が響き、指先が小さく痙攣する。

「限界を超えれば、魔力回路が焼き切れ、最悪は命を落とす。これを“ 魔力枯渇(ファーリグ) ”と呼ぶ」

息を呑む音がいくつも重なる。

「では、回復の方法は?」

「休むことです」

「その通り」

教授は頷いた。

「ゆっくり休息を取れば体力と同じように魔力は自然に再び満ちていく。ただし、枯渇状態からの回復には時間が必要で、何日もベッドに横たわる羽目になる。だから枯渇を起こさないことが何より大切だ。魔術団で起きた過去の枯渇案件をまとめたデータを見てみると、ほとんどは魔術団に入団して三年以内の若い魔術師が起こしている。まだ自分の魔力量を把握しきれておらず、高度な魔術に手を出してしまうせいだ」

教授は教室を見渡した。

「この場には王立魔術団の第一局――皆知っての通り、対人的な戦闘を専門とする国防部局――を目指している者もいるはずだ。最近、入団一年目の団員が枯渇を起こし、回復しきらないうちに二度目の枯渇状態になったせいで、今もベッドの上だ。この授業で学ぶことは卒業後も忘れずにいてほしい。魔術を用いるうえで最も大切なのは、次の瞬間も立っていられることだ」

その言葉が教室の空気を引き締めた。ナディアもごくりと唾を呑む。

「演習を通して、自分の魔力量の限界を感覚的に理解できるようになる。その理解をもとに力を制御するのがこの授業のゴールだ。では本日の演習に入ろう。二人一組で小規模な術を撃ち合い、対処を学ぶ。使用可能なのは初級の攻撃魔術と防御魔術のみだ。それ以外は使わないように」

教授が告げるなり教室の椅子や机が消え、広い空間が現れた。その空間のあちこちで生徒たちが声を掛け合い、瞬く間にペアが出来上がっていく。

ナディアはひとり立ち尽くしていた。よそ者の彼女に声を掛ける人はいない。結局、教授が一人余った男子生徒を呼び寄せ、ナディアは彼と組むことになった。

その男子生徒は唇の端を歪めて彼女を見下ろした。濃い眉の下の瞳が露骨に「不満だ」と語っている。

「互いに距離をとったな。それでは――」

教授が合図を出そうと口を開いた瞬間だった。

耳の横で空気が震えた。

炎の矢がナディアの頬をかすめたせいだった。焦げた匂いが鼻を突き、ナディアは目を瞬く。どうやら髪の一部が燃えたらしい。

「ハーリドっ!」

教授の声が鋭く響いた。

「まだ合図を出していないぞ! おまけにそれは初級魔術じゃないだろう!」

「緊張で間違えました、申し訳ありません」

男子学生はそう謝罪の言葉を述べたが、すぐに声を落として「ちょっとボサボサの髪を整えてあげた方がいいかと思って」と呟いた。周囲からクスクスと彼に同調するような笑い声が上がる。

その瞬間だった。

彼の頭に小さな炎が見えた。

「ハーリド! 頭! 火が!」

誰かの呼びかけで事態に気づいたハーリドが慌てて頭に手をやる。

「な、これ、ウワッ」

火を消そうと必死に自身の頭を叩くハーリドと、彼を揶揄うようにピョンピョンと跳ねる火を見て周囲の生徒たちがどっと笑う。火は頭の上で踊っているが、燃え広がる気配はない。

教授が指をひと振りすると、火が消え、ハーリドの頭から白い煙が上がった。

ナディアはその騒ぎに驚くばかりで何もできずにいた。ただ、ハーリドに絡みついている魔力の匂いに嗅ぎ覚えがあった。

昨日中庭で香ったのと同じ。ということは――

――もしかして、殿下が……?

ナディアはタリクを見た。

その視線に気づいているのかいないのか、彼は涼しい顔でハーリドを見つめていた。