軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

24 おかあさん

あまりの眩しさに何も見えない。

真っ白な世界の中、腕に熱が走った。最初は鋭く、すぐにじわりと広がっていく。痛みとは違う、燃えているような感覚だ。

――なに……これ。

状況をつかめずにいるうちに、視界がゆっくりと色を取り戻す。

何度か目をしばたたき、最初に目に飛び込んできたのはタリクの手首だった。使い魔の刻印がまばゆい光を放っている。ナディアが彼に使役の術を使ってしまったあの日から、ずっとそこにあったものだ。違うのはその大きさだ。親指の爪ほどの大きさだったものが、今は前腕に絡みついている。

「これは……なんだ……」

タリクが自身の腕を見つめて眉を寄せる。そして「君の腕も……」と呟いた。ナディアは自身の腕を見た。タリクのと同じような紋様が浮かび上がっている。

体の変化はそれだけではなかった。

先ほどまで息も絶え絶えだったのに声が出る。

指先の感覚がある。

足の裏が床の硬さを思い出す。立っていられる。

タリクも確かめるように立ち上がった。ふらつきもない。

「一体何が起きているんだ……」

彼の顔に戸惑いが浮かんでいた。いつも冷静な彼のそんな表情のおかげで、ナディアはこれが夢ではないと信じられた。

「魔力が体に満ちている」

彼がそう呟いた。

魔石はまだ吸い続けている。が、それを上回る勢いで魔力が満ちる。

二人の腕の刻印は鈍い金色の光を放ち続けていた。

「……理解はあとだな。 魔石(あれ) を止めなければ」

タリクはそう言って、床の上で肥大して光る魔石を見つめた。まるで石自体が意志を持っているようで気味悪い。

制御の術は無理だ。

王妃が試してできなかったことを、ナディアにできるはずがない。

――何か、何かあれを覆うような……魔力を遮断するような……

ハッ

砂粒が魔力を遮断するせいで、砂漠では魔術の制御が難しい。つまり。

ナディアは窓に駆け寄った。開け放った瞬間、夜気と一緒に砂の匂いが流れ込んできた。王都を取り囲む砂漠の匂いだ。ナディアには懐かしい、ヌジュームの匂いと似ていた。

――届いて、お願い。

砂漠に向かって召喚の術をかけた。

これほど長い距離の召喚は初めてだ。でも、魔力の満ちている今なら成功する予感があった。

応えるように、暗闇から夜の空を裂いて砂が押し寄せてくる。渦を巻いて壁をのぼり、どっと室内に流れ込む。思いがけない量に、ナディアは目を細めた。体に満ちた魔力が召喚の規模を押し上げているのだ。

タリクはナディアの意図をすぐに理解したらしい。

マントを脱いで広げ、流れ込む砂を受け止めて魔石の上に流していく。

二人の間に言葉はなかった。必要なかった。

砂はみるみるまに山になって魔石を覆い隠した。

「……止まった……か?」

タリクが低く呟いた。

脈動が消えた。吸引が消えた。部屋を満たしていた圧が、砂に飲み込まれるように消えた。

静けさを取り戻した部屋に砂埃が舞い、月明かりにきらきらと輝いている。

――きれい。

砂の召喚に魔力を消費したはずなのに、まだ満ち満ちている。疲労も感じない。

タリクが黒衣の魔術師に駆け寄った。その足元でザザと砂が鳴る。

「母上!」

そして言う。

「息がある! 大丈夫だ!」

ナディアはその声を聞いてフゥと安堵の息を吐きだした。そしてもうひとつ、こちらは意味合いの異なるため息をつく。

腹の底でうごめくドス黒い感情の名前を、ナディアは知らない。

視線を向けたのはハサンだ。つかつかと歩み寄った。

うつぶせに倒れているその体を足で転がし、仰向けにする。まだ生きていることが、上下する胸の動きでわかった。

喉の奥から抑えようのない怒りと共に呪文がせりあがってくる。長いそれの最初の数節を唱えたとき、タリクが駆け寄って来た。印を結んでいた両手を掴まれ、解かれた。

「ナディア、よせ」

「放してください」

ナディアはタリクを見ない。

琥珀色の瞳を見てしまったら、決意が揺らぐとわかっているからだ。

「ナディア。人間使役は術者を殺しても解けない。ハサンは今魔力を枯らしている。母君の魔力を吸い取る力すら残されていないはずだ。だから――」

それはナディアもわかっていた。

今ナディアの胸を占めているのは母を救うことではなかった。復讐だった。

「お聞きになったでしょう。たぶんハサンは私の父も」

タリクが細く息を吐いた。

もしかしたら彼は知っていたのかもしれない、と思った。

「やつは私から子供時代を奪いました。叔母からは青春を、母からは時間を……長い時間を……人生を……どれだけ、どれだけ……」

あまりにも長い時間だ。

奪われたものは取り返せない。それならせめて、その憎しみを目の前の男にぶつけたい。苦しめたい。

タリクの手を振りほどこうとしたが、離れない。

手首がギリと締め付けられる。

「ナディア、私を見ろ」

命令ではなく懇願だった。タリクはナディアの両手を掴んだまま顔を覗き込んでくる。

ナディアは彼の瞳を見ないように目を逸らした。

印を結ばずとも術を放てるかもしれない。この魔力の満ちた体なら、難解な術も詠唱だけで発動できるかもしれない。

ハサンを睨む。その首を見つめる。

じわりとナディアの額に汗が浮かぶ。

ナディアは小さな声でその呪文を唱え始める。長く複雑な術だ。

「ナディア、やめろ!」

タリクが叫ぶ。

聞こえない。聞きたくない。止めないで。止めさせない。

「ナディアっ!」

声が震えたせいで呪文が途切れてしまった。

もう一度。

つっかえた。

もう一度最初から。

間違えた。

もう一度。

今度は間違えないように。

タリクがナディアをハサンから引き離すように壁際に追い詰め、その大きな体で視界が遮られた。

タリクの魔力の匂いがナディアを包み込もうと広がっている。それでもナディアは詠唱を止めない。ナディアの声を消そうとしたらしい術は即座に跳ね除けた。ハサンとの間に張られた障壁も崩した。彼と魔力を与え合ったせいだろう。自分からも彼の魔力の匂いがする。

――違う、ダメ。集中しなきゃ。彼の魔力をこんなことに使っていいのかなんて、考えちゃダメ。

頭に色々なことが浮かぶ。どうしてか、今目の前でナディアを妨害しようとしている人が学院の食堂で笑っている姿を思い出してしまった。黄緑色の髪の毛をしていた。

――ちがう、いまは、そんなことをかんがえているばあいじゃない。やらなくちゃ。くるしめなくちゃ。くるしめて、くるしめて、

ナディアは泣きじゃくっていた。嗚咽の合間に呪文を紡いでいた。

視線の先でハサンが「グゥ」と呻き声をあげた。

もう少し、もう少しだ。長い呪文が終わる。最後の一節を口に出そうとした瞬間だった。

「すまない、ナディア」

タリクの声が聞こえたたときには口を塞がれていた。もご、とナディアの声が消えたのはタリクの口の中だった。

口づけられたのだ、と気づいたナディアは呆然とする。印を結べないようナディアの両手を押さえたタリクが、ナディアを壁に押し付け、彼の唇でナディアの口を塞いでいる。

ナディアは驚きに目を見開いた。

――なにこれ。なにこれ。

タリクはゆっくりと唇を離した。が、まだ息がかかるほど近くに彼の顔がある。

しまった、琥珀色の瞳を見てしまった。悲しそうな目をしている。

「すまない。もうこれしか方法を思いつかなかった。両手が塞がっているし、術は君にはねられるから」

タリクは囁くように言った。

「ナディア。聞いてくれ。奴にこれ以上何も奪わせるな。君自身の未来まで失う気か?」

顔のすぐ近くでタリクの声がする。

「時が戻ることはないが、君の受けた痛みを奴にわからせることはできる。それは国を治めるものの果たすべき仕事だ。それでも、どうしても奴の命を終わらせたいなら――」

タリクはゆっくりと深呼吸をした。

「私がやろう」

ナディアはバッと身を引いた。が、壁を背にしているせいで、ほとんど距離をとれなかった。

琥珀色の瞳が、強くなった絆が、彼の本気を伝えてくる。

ナディアはガタガタと震えだした。

「なぜ……殿下が……」

「君のことが大切だからだ。そうすることでしか君の苦しみが癒えないなら、代わりに私がやる」

ナディアは首を横に振った。頬を伝っていた涙の小さな粒が飛び散る。

「そんなこと、殿下にさせられるはずがありません」

――友人のためにそんなことまで。この人は、どこまで優しいんだろう。

彼には輝かしい未来が待っている。

こんなことでその未来が失われるなんて許されるはずがない。

「……それなら、私が君にさせたくない気持ちもわかってくれないか」

その言葉を聞いてナディアの体から力が抜けた。

「ナディア。決して君の痛みや憎しみを軽んじてるわけじゃない。これ以上君に傷ついてほしくないだけなんだ。ハサンに生きる価値があるんじゃない。君の手で殺す価値がないんだ。あんな人間のために、この綺麗な手を汚すな」

タリクがそう言いながらゆっくりと、掴んでいたナディアの手首を離す。

「すまない。強く掴んでしまった」

タリクはナディアの手をそっと撫でた。

大きくごつごつとした手になぞられる、小さな自分の手を見た。毎日長時間ペンを握っているから、ペンがあたる箇所が固くなっている。あちこちにインクの染みもついている。でもそれを、タリクは「綺麗な手」と言ってくれる。

王妃に憧れていた。

母を救いたかった。

誰かを救える人になりたかった。そのために努力してきた。

先ほど自分の前に立ちはだかっていた黒衣の背中を思い出す。

――あんなふうに護る人になりたい。護れる人になりたい。奪う人になりたかったわけじゃない。

ナディアの双眸から、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。口からは「うぅ」とも「あぁ」ともつかない声が漏れた。

そんなナディアを、タリクがぎゅうと抱きしめた。ナディアはその腕の中で泣いた。

「ナディア。治癒魔術が得意だったな」

「……はい」

ゆっくりと体を離し、マントで涙を拭く。

「 魔力枯渇(ファーリグ) は休息による魔力の回復を待つしかないが、治癒魔術で体力を回復させれば、魔力の回復をほんのわずかでも早めることはできると思う。力を貸してくれるか」

「はい」

タリクはハサンの方を向いて何か短く呟いた。ハサンの両腕両足にガシャンと金属の枷がはまる。

ナディアは黒衣の魔術師に歩み寄った。憧れてやまない人が、青白い顔で横たわっている。先ほどハサンの命を奪おうとしたその口で、ナディアは回復の呪文を唱える。長く緻密な詠唱の末に、王妃はゆっくりと目を開けた。

「母上」

タリクがそっと助け起こした。

王妃はタリクを見、その横に佇むナディアを見た。

「ふたりとも……無事ね。よかった」

疲労の色濃い顔に、優しい笑みが浮かんだ。

「それにしてもタリク、陛下の命に背いたわね」

「父上の命はナディアを連れて王都を出ろ、というものでしたので。彼女を連れに来たんです」

王妃は目を細め、微笑んだ。腕を伸ばしてくる。近寄ると、タリクと一緒にぎゅっと抱きしめられた。

「二人とも無事でよかった。一体どうやったのかはあとで説明してもらうとして、ともかくこの場を収めなければ。タリク、あの指輪を」

タリクが自身の手につけた指輪を差し出す。砂に覆われているあの玉とは比べ物にならないほど小さな小さな魔石がついている。その指輪に手をかざして王妃が何かつぶやくと、白かった肌に赤みが差す。

王妃が手を一振りすると、紫衣の面々が一人また一人と呻きながら身を起こす。

「あとは任せて。今度こそ、本当に。ここから先は大人の仕事よ。ナディア、約束する。ハサンが自由に外を歩くことは二度とない。あなたたちは――」

ビィィィィイィイイ、という声と共に、先ほどナディアが開け放った窓から 鷹(サマーリ) が飛び込んできた。

「すぐにナディアのお母さんに会いに行きなさい。送ってあげられなくてごめんなさいね。転移させるだけの魔力が残っていなくて」

王妃がそう言うなり、世界が急に伸びた。のではなく、ナディアが縮んだのだということが、すぐにわかった。

ナディアとタリクは人の形のまま小さくなっていた。極めて高度な術だ。二人で 鷹(サマーリ) の背中に乗り込むと、 鷹(サマーリ) はすぐに飛び立った。窓を飛び出す瞬間、振り向くと、紫衣の魔術師に囲まれたハサンが手枷をそのままに、乱暴に起こされるところだった。

「未来永劫魔力を封じられ、地下牢で朽ち果てるがいい」

ナディアの呟きがハサンに聞こえたかどうかはわからなかった。隣のタリクがナディアの小さくなった背中をさすってくれた。

ごぉごぉと耳元で、風を切る音がする。その音に混じって、 鷹(サマーリ) がビャー、と鳴くのが聞こえた。

「いまの鳴き声の意味はわかったかもしれません。『重い』?」

「正解だ」

タリクが笑った。

――お母さん、どうか、どうか生きていて。

星降る夜の空を突き進む。 鷹(サマーリ) が疲労するたび、ナディアとタリクが回復魔術をかけた。力は尽きることを知らない。今やタリクとナディアの腕を覆いつくすほどの大きさとなった刻印は淡い光を放ち続けている。

「天文台で君が見つけた詩を覚えているか」

タリクが呟くようにいった。

『我は剣なり、汝は盾なり、

我は力なり、汝は叡智なり。

互いを 相支(あいささふ) とき、

光は千の 兵(つわもの) となる』

タリクが呟くその詩を、ナディアも覚えていた。

「……あれはもしかして、使い手と使い魔のことを詠った詩だったのでしょうか……?」

「ああ。そんな気がする」

空が白み始めた頃に、ナディアとタリクはヌジュームにたどり着いた。

街の入口に立つなり、術が解けて体が大きくなる。タリクは 鷹(サマーリ) に「ご苦労だったな」と言い、腕に留まらせた。

二人は無言でナディアの家に向かって歩き出す。

ナディアの胸は痛いほどに音を立てて跳ねている。

――おかあさん。

ナディアは数度躊躇したあと、そっと家の戸を叩いた。戸が内側に開く。中から出て来た叔母の頬が濡れている。

キン、と耳が痛くなった。

まさか、まさか――

母の眠るベッドの方を見ることができない。叔母の口が開く。何かを話している。なのに聞こえない。何と言っているのか――

「ナ……ディア……?」

部屋の隅からかすかで弱弱しい声がした。

ナディアは声のしたほうを見た。ベッドだ。たしかにそちらから聞こえた。

枯れ木のように細い、青白い腕が動いている。

ナディアは駆け寄ろうとした。足がもつれた。半ば倒れ込むようにしてベッドに近づいた。

母と目が合った。そうだ、母の目の色はこの色だった。ナディアと同じ灰色だった。タリクが褒めてくれた色だった。

ナディアは、もう枯れたと思った涙が再び溢れて頬を伝うのを感じた。

「おかあさん」

ナディアはかろうじてそれだけ言い、それ以上は続かなかった。

しゃくり上げていたせいだ。

母の口がゆっくりと動く。

「……ナディア。私の娘」

唇の形だけで、声はほとんど出ていなかった。

「おかあさん」

ナディアは母の枕元に顔をうずめ、おいおいと泣いた。