軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

13 公務の宿

「次の連休に公務で遠出をすることになりそうなんだが、一緒に来られるか。泊まりなんだ」

次の週にタリクからそう問われた。短時間ならば離れても過ごせるようになったとはいえ、遠出となると別だ。一緒に行く以外の選択肢はない。それでもナディアに意見を聞いてくれるのはありがたい。

「行きます。どちらに?」

「西部に新設された 灌漑(かんがい) 施設の除幕だ。勉強時間が削られてしまってすまないが、移動はサフリオを使うのでそれほどロスは大きくない」

「サフリオ!」

ナディアは思わず大きな声を上げた。

「乗れるのですかっ!?」

「ああ」

サフリオは砂漠に生息する大型の走鳥だ。足の形が特殊で、沈まずに砂の上を走ることができる。分厚い脂肪層のおかげで持久力もあり、砂漠の移動には最適――と言われているが、希少な生物のため、ナディアは実物を見たこともない。

「あ、でも――」

ナディアは自分の姿を見下ろした。

――つぎはぎのある古びた服で公務だなんて、殿下に恥をかかせちゃうんじゃないかな。

口には出さなかったが、懸念は彼に伝わったらしい。

「別に気にする必要はないが、君が気になるなら、母の服を借りられることになっている」

「る、るるるるるるルル殿下の!?」

「相変わらず『ル』が多いな」

彼はそう言って微笑んだ。

「母は物持ちがよい人でね。若い頃に着ていた服をいくつかとってあるらしい。その中に気に入るものがあればぜひ、ということだった」

「よよよよよよろしいのですか」

「よくなければこんな話にはならないさ」

「……ルル殿下のお召し物なんて借りてしまったら、身につけるときに深呼吸してしまいそうです」

畏れ多くて身震いするナディアを前に、タリクは声を上げて笑った。

「いいんじゃないか。深呼吸くらいは。存分に吸っておくといい」

結局ナディアは黄色い長衣を借りることになった。王妃の持ち物にしては質素で、ナディアも怯えることなく――いや、ちょっとは怯えつつも――袖を通すことができた。しかしやはり、布の品質がちがうせいだろう。普段着ている服よりも格段に肌触りがよく、涼しい。

砂ぼこりが目や鼻に入らないように顔の大半を布で覆い、サフリオの背に乗った。手綱を握るのはタリクの護衛だ。ナディアひとりだと振り落とされてしまうからと同乗してくれることになった。タリクは「私と共に乗ればいい」と言っていたが、明らかに他よりも立派な鞍と手綱をつけられた「王族の乗騎」という佇まいのサフリオに乗るだなんてとんでもなくて、ナディアが固辞したのだ。

護衛嫌いな彼の要望により学院生活では護衛が行動を共にすることはないが、こうして学院の外で一緒にいると、やはり彼は特別な存在なのだと思い知らされる。

砂漠を横断して西部にある小さな町にたどり着いたのは、その日の昼過ぎだった。

魔法と技術を組み合わせた最新の水路や井戸を前に除幕式が行われ、実現に貢献した研究者や技術者が讃えられる。

ナディアは魔術を応用した水の循環や水質管理に興味津々で、傍に居た技師にあれこれと質問を投げた。簡易な魔術の応用であったり、聞いたこともない魔術の組み合わせだったり、新鮮な学びがたくさんあった。

「灌漑施設にご興味がおありのようですな」

「わたしはヌジュームの生まれでして、水資源が乏しいものですから」

「あぁ、ヌジューム。ここからほど近い、星の街ですな」

「はい」

費用を訊ねると、やはり莫大な額だった。が、砂漠で水を安定的に得られる利点はお金では測れない。

――私もいつか、既存の魔術や技術を応用して世の役に立つようなものを生み出せたらいいな。お母さんの病気を治すのが先だけど。

除幕式とその後の懇談会を終え、夕刻前に街を後にする。サフリオに乗り込む前に、ナディアはタリクに声をかけた。

「同行させていただき、ありがとうございました」

「離れられないんだから、同行させる以外の選択肢はない」

「でも学外ですから、私を虫かなにかに変えてくっつけておくこともできたでしょう?」

「君はきっと施設に興味を持つだろうと思ったからな。虫なんかにしてくっつけておいたら『学びの機会を無駄にした』と文句を言われそうだなと」

読まれている。

「ありがとうございます」

そばにいる時間が長くなれば長くなるほど、タリクの優しさを強く感じる。

移動の休憩中にはナディアの防御魔術の練習に付き合ってくれ、この時間が彼女にとって実りのあるものになるようにと心を砕いてくれてもいた。護衛という、いわば防御魔術の専門家集団から直接手ほどきを受けることができるのだから、図書館にこもっているよりもよほど多くの学びを得られる。

「防戦一方では勝てません。しかし、攻撃に転じる瞬間には必ず隙が生まれます。我々はそれを『穴』と呼びます。自分の『穴』をどれだけ小さくするか、そして相手の『穴』をいかに巧みに突くかが勝利の鍵です。相手との心理戦になるわけです。ナディア様は魔力の量が多いようですから、防戦一方で相手の魔力切れを狙うのも手です」

そう説明しながら様々な術を打ち込んでくるので、ナディアはずっと誰かの魔力の匂いに包まれっぱなしだった。おかげで、授業で失敗したときよりは格段にうまく防げるようになってきた。

「さぁ、今夜の宿まであとひとっ走りだ」

タリクの号令で休憩地のオアシスを出て二時間ほど。サフリオの背に揺られるうちに眠くなって目を擦っていたナディアは、飛び込んできた光景に自分の目を疑った。

見覚えのある風景が視界に飛び込んできたせいだ。蜃気楼かと思ったが、すでに辺りは薄暗くなっている。蜃気楼が発生するような温度差はないはず。

「殿下、もしかして、今夜の宿って」

少し離れて走るタリクにも聞こえるように声を張り上げた。

「そう。君の故郷、ヌジュームだ」

彼の返答を聞くなり、ナディアは飛び降りて走り出したくなった。

でも自分で走るよりもサフリオの背中に乗っていた方が早いとわかっているので、大人しくしていた。

村の入口に着くなり飛び降りた。

「殿下、あの」

ウズウズとタリクに話しかける。

「構わない。我々は先に宿に行くが、迷惑でなければ私も後で君の家に顔を出してもよいか」

「もちろんです! ぜひ! あのっ」

「後で行くから。君は早く行け」

笑みと共に発されたその言葉に背中を押され、駆け出した。

家を出て半年と少し。

まさか帰って来られるだなんて思ってもみなかった。

――会える。ライラ叔母さんと、お母さんに。

村を出たときとなにひとつ変わらない、石の地面を蹴って進む。砂の香りは王都も同じはずなのに、なにかが違う。ヌジュームだ、故郷だ、お母さんだ、叔母さんだ、と、胸の中から何かがせりあがってくる。走りながら、気付いたら泣いていた。

村の端、小さな家がせせこましく並ぶ一角の、古びた木戸を叩く。

すぐに「はい」という声とともに戸が内側に開かれた。

「……っ」

叔母のライラがナディアを見て言葉を失っている。

ナディアも何も言えないまま飛びつき、抱きしめ合った。

「ナディア、ど……したのっ学校はっ」

「今日はお休み」

短く答えた。

叔母の匂いがする。

一緒に暮らしていたときは意識したことなんてなかったのに。

家の匂い、叔母の匂い。それらが懐かしくて胸が詰まる。

叔母が少し体を離し、涙のたまった目でナディアを見る。

「きれいな服。王都で買ったの?」

「借りたの」

「素敵。よく似合ってる」

「ありがとう」

もう一度ギュッと抱き合い、ひとしきり深呼吸をして叔母から離れた。部屋の隅のベッドを見る。いつも変わらずそこに居る人――母だ。

歩み寄って「お母さん」と声をかけた。返事はない。もう長いこと、母の声を聞いていない。いつもこうして眠っている。胸がゆっくりと上下していることを確認して安堵し、青白い顔を見つめる。ナディアはスンと鼻を動かしたが、魔力の匂いはしない。

木戸がトントン、と遠慮がちに叩かれた。

タリクだろうとナディアが出る。やはり琥珀色の瞳がそこにあった。

「……構わないか?」

「はい、もちろん。狭い家ですが」

そう言いながら彼を招き入れる。彼の背後にいる護衛にも「どうぞ」の意味で視線を向けたが、彼らは首を横に振った。入らないらしい。たしかに体の大きな人たちがゾロゾロ入るには狭すきる空間ではある。ナディアはペコリと彼らに頭を下げて戸を閉めた。

ひと部屋しかないから、ボロを隠して綺麗に見せることもできない。

タリクを見て、叔母が驚いた顔をした。

「もしかして……手紙に書いてあった、ナディアのお友達……かしら?」

「うん」

「……男の子だったのね……」

「あ、叔母さん、この方は――」

ナディアの言葉を遮って、タリクが胸に手を当ててその場に両膝をつき、頭を下げた。

最敬礼だ。

「ちょ、で、立ってくださ――」

「タリクと申します」

名乗りながら彼はナディアに「言うな」と目配せを送ってくる。

騒がれたくないからだろうか。

「タリク。お会いできて嬉しいわ。叔母のライラです。ナディアをよろしくね」

――いいのかなぁ。王子だってこと、叔母さんに言っておかなくて。でも騒ぎになったら街中の人がここに押し寄せてきちゃいそうだな。それは嫌だ。

迷っていると、木戸が再び叩かれた。

こちらの返答を待たずに戸が開き、細身の人物が現れた。

「ライラ。ナディアを見かけたという人が――」

彼はナディアを見て「あぁ、本当だったんだね」と目尻を下げた。

ナディアは彼に駆け寄った。

「 ウスタード(導師) ・ヌール!」

ナディアを王立魔術学院に推薦してくれた恩師だ。村の初等学校に通い始めた頃からの付き合いで、心から信頼している。三年生のときに彼から「私に教えられることはもうない」と言われ、王立魔術学院への編入を勧められたのだ。

ヌールはナディアの頭に手をポンと置いた。

「ナディア、久しぶりだね。学院での生活はどうだい? 話を聞かせてくれるか」

「もちろんです、先生!」

「ちょうど君に見せたい実験があるんだが……」

「えっ」

――行きたい。でも殿下をひとり置いていくわけには。

ナディアはタリクを振り向いた。一緒に来ますか、と声をかけようとしたら、先に手で制された。

「行ってくるといい。私はここで待たせてもらっても構わないか」

「もちろんです。では……少しだけ行ってきますね。すぐに戻ります!」

街に居た頃によくそうしていたように、夕暮れの通りへ出て恩師と並んで歩き出した。