作品タイトル不明
第70話 修羅場、ピエロ
私は別荘の中を駆け回る。
三つ目に開いた扉の向こうに、二つの人影が……。
「お兄さん! 大丈、夫……」
私はハッと息を飲む。
本来は持ち込み禁止のはずの寝具。
お兄さんに馬乗りになるアマンダさん。
半裸で、上気した顔で——
(め、めちゃくちゃ襲われてる!)
硬直する。
でもそれは当惑から来るものではなく、爆発のための助走だった。
「な、なにやっとんじゃオラァ!!!」
私はアマンダさんにタックルした。
「ぐわぁああ!!!」
悲鳴をあげて吹き飛ぶ。
私が。
まるで巨大なタイヤにぶつかったみたいだった。
「なにをやっているの? 危ないじゃないか」
「あ、あなたにだけは言われたくありません……。こんな時に……」
「もう少し、だったんだけどねぇ……」
アマンダさんが悲しそうに——本当に悲しそうに、ため息をつく。
最後にお兄さんの頬に口付けして、ベッドから下りた。
「全く」
アマンダさんが、戸口に立つキャスパー博士に目を向けた。
「ジローをものにするには、既成事実を作るのが一番だったのに。わかってるだろ? こんなチャンスは、そうそうないんだよ」
「うるせぇ。こっちだってやれることは、必死にやったんだよ」
それは紛れもない事実だった。
博士は私を止めるために、全力を尽くしていた。
今も肩で息をしながら、滝のような汗をかいている。
着替えたばかりだというのに、またびしょびしょになっていた。
「それが、言い訳になるとでも?」
ピリッとした空気が流れる。
博士の顔が、 強張(こわば) った。
「……なんだよ」
「責任をとってもらわないと」
「責任?」
「このぶつけ先を失った、 昂(たかぶ) った感情の、ね」
博士の顔がカッと赤くなった。
「なんでいつもいつも私なんだよ! たまにはギンでもいいだろが!」
「なにを言ってるんだ。ギンはまだ子供だろ」
「見た目だけで言ったら私も十分犯罪だろうが!」
ギャーギャー騒ぎながらも、特に抵抗する様子もなく、アマンダさんに連れられてどこかへ行ってしまう。
部屋には私とお兄さんだけが残された。
「……なんだったんだ」
上体を起こしたお兄さんは、茫然自失としていた。
かける言葉が見つからない。
いつもダンジョン深階層で、まったりソロキャンプをしている人なのだ。
そんなお兄さんに、これはいくらなんでも刺激が強すぎる。
(……いや、冷静に考えたらダンジョン深階層の方が刺激が強いはずなんだけど)
まあ、それはそれ。
つまりお兄さんは、それだけ鈍感だということだ。
物理的に。
そもそもキャンプにしか興味のないお兄さんを、恋愛の土俵に引き摺り込むには、これくらい強引にいく必要があったのだろう。
少なくともアマンダさんは、そう判断したのだ。
お兄さんは多分、私を異性として見ていない。
あくまで妹の友人としか。
知り合ってから、三年以上経つというのに。
でもアマンダさんは……。
たった数日で、その壁を壊してしまった。
こんなことがあれば、いくら物理的に鈍感なお兄さんでも、アマンダさんを異性として認識せずにはいられない。
相手の好意に言い訳ができない。
鈍感ぶる余地がない。
(……負ける)
別に勝負していないし、そもそも勝ち負けって話でもないけれど……。
私は冷静な判断力を失っていた。
理由はいくつもあった。
果てしのない焦燥感。
部屋に充満した肉欲の残り香。
もしかしたら、なにか催淫作用のあるお香でも焚いているのかも知れない。
頭の芯がクラクラしてくる。
そしてなにより——
ベッドで 項垂(うなだ) れる、半裸のお兄さん。
鎖骨の窪み。
(私も、ここが勝負どころなんじゃ……)
私は衝動的に、お兄さんを抱きしめていた。
「……え? 春奈ちゃん?」
「大丈夫っ。大丈夫ですからっ」
自分でも、なにを言っているのかわからなかった。
ただ……。
このままじゃ、アマンダさんの印象だけが、強烈に残ってしまう。
少しでいいから、上書きできるように。
私も、恋愛の土俵に割り込めるように……。
自分では、あくまで合理的な判断に基づく行動のつもりだった。
でもやっぱり……。
私は冷静じゃなかったのだ。
とても重要なことを、失念していて——
「お兄ちゃん! 大丈、夫……」
部屋に飛び込んできたアンリが、ハッと息を飲んで……。
ああ、またしてもテンドンだ。
そして修羅場。
どこまでもピエロ。