作品タイトル不明
342.あれ以来の訪問
「――え? 学校?」
もう就寝という時間、ミトの部屋を訪ねてみた。
ミトは寝間着に着替え、小さなテーブルに着いて本を読んでいた。そういえばジンキョウが何冊かウーハイトンの絵本を持ってきていたっけ。
こうして私が部屋まで来たのは、ミトの治療をしていたあの時以来だ。
あの時とは、状況も場所も何もかもが違う。
特に場所なんて、国を跨いでいる。
命が危ういほどだった弱々しい病人のミトはもういない。
今は健康的な子供として、日々を全力で過ごしている。部屋に物は少ないが私物もあるし、ちゃんとミトの色に染まった彼女の部屋になっている。
――学校に行くことを勧めたあの時とは、全てが違うのだ。
今ならもう少し考えてから答えを出す気がする。
具体的には、将来のことを考えて、学校へ行く選択を現実的に考えるのではなかろうか。
小さなテーブルを挟んで正面に座り、ミトが本を閉じたところで、私は単刀直入に言った。
「学校に行く気はないか?」と。
その質問に、ミトは不思議そうな顔をしている。
「あの……前に行かないと言ったはずですが……」
「マーベリアでのことは覚えてる」
子供たちが「行かない。働く。追い出さないで」と懇願してきたのだ。
学校に行かせた方が将来的にいいはずだ、と知っていた私でさえ、強く勧めることができず折れた。
それくらい必死だった。
忘れたくても忘れられない一事だ。
あれ以来、「学校に行かないか」とは二度と言えなくなった。それくらい私の心に届いていた。
だが、しかし。
「あの時とは状況が違うと思うんだけど」
あの時は、ミトを含めた子供たちは、まだ私のことを知らなかった。
自分たちを引き取ったのは金持ちの気まぐれなんじゃないか、何か裏があるんじゃないかと、疑う気持ちは多分にあったはずだ。不安で眠れない夜もあったかもしれない。仕事があるというだけが拠り所だったかもしれない。
だが、今は違うだろう。
「私はあなたの将来を考えて言っているつもりだけど。――というか、行きたいでしょう?」
テーブルにある絵本を手に取り、表紙を捲る。……おっとウーハイトンの旧古式文字か。私は読めないぞ。ミトは読めるのか。
「学びたい意欲を感じるわ。よっぽど私より学びたいと思っているんじゃない?」
マーベリアでの別れを強く拒否したミトだが、……今回は、瞳に少しばかりの迷いが見えた。
あの時は一切揺らがなかったから、別れることはしなかったが。
やはり今は状況が違うのだ。
ミトにとっても。
「でも、私はニア様の使用人でありたいです。将来もです」
――否定はしないか。やはり学びの意欲はある、と。
「使用人の仕事もしなさい。もちろん修行もさせるし」
「え……?」
「学校に行くから仕事がなくなる。修行がなくなる。そんなことはないわ。ただ学校に行くならミトが忙しくなるだけの話よ。あなたの予定が増えるだけ。
自分の苦労や無理を覚悟してでも行く気はあるか、と聞いているの」
何かを減らされる、使用人の仕事がなくなる。
それに抵抗があるなら、もういっそ増やすだけを考えた。つらそうだったり余裕がなさそうなら、適宜テコ入れすればいい。まず始めることだ。
そして、ここからは現実的な話をする。
「あなたの給料は手取りで月十万クラム。住み込みの衣食住を引いてその額になっているわ」
マーベリアでも、子供たちはこの金額での雇用条件だった。
ただし、昨日まで孤児だったような子供たちなので、いきなり大金を持たせるのは心配だった。悪い大人に取られる可能性も高いし、変な使い道を知って金銭感覚が狂うのも困る。
なので一日五百クラムの日払いで、残りの給料はこちらで貯金していた。
この辺のシステムは、屋敷で一年くらい過ごした後に子供たちに告げられ、そのまま継続された。……いや、日払いが面倒になったので、最終的には週一になったんだっけな。
その真実を告げられた子供たちは、確かに大金を持つのは怖い、今の給金で充分やっていけている、と言っていた。
まあ子供の金銭感覚では、一日五百クラムは高い方らしいが。
子供たちと別れた時、貯蓄していた給料はちゃんと支払われた。
今は、シグはシノバズの家の関係者に引き取られ、バルジャはフライヒ工房で住み込みの技師見習いとなり、カルアはニッテ作りが得意な菓子職人の下に弟子入りした。
そんなバラバラになった三人だが、三人に共通しているのは、彼らは学校に通い出したことだ。
まとまったお金が入ったし、後ろ盾もできたので、迷わず通学を選んだのだ――と、三人それぞれから届いた手紙に書いてあった。
そのことは、個人的に届いた手紙で、ミトも知っているはずである。
「いい? 下台にある月下寮という学校では、寮に住んで通うなら月三万クラムが必要らしいの。もちろんミトはこの屋敷から通うから、もっと安くで通える」
「……」
真剣な表情のミトは、学校の話に聞き入っている。
「学校に行くには金が掛かる」という基本かつ常識の情報は知っていたが、その詳細は知らなかったのだろう。
そう、行くと決めてしまえば、ミトの現状でも現実的に通えてしまうのだ。初等部であれば、使用人としての給料で充分賄える。
――うむ、これは決まりかな。
「自宅通いできるミトなら月一万クラム。制服なんかは特にないけど、運動用に推奨された体操服は必要なんだって。あと必要なのは入学費用と教科書代くらいね。
入学祝として、その辺の諸々は私が出すわ」
「だ、だめです! そんなの!」
――うん、言うと思った。
「と言いたいところだけど、もう一つ方法があってね。これならすべてが無料になるの」
「え? む、むりょう?」
「それも、もしかしたら私と同じ学校に、一緒に通えるかもしれない。もちろんミトが望むならね」
「えっ」
「まあ、家でずっと一緒なんだし、学校くらい別々の方が――」
「いいえ! ニア様と同じ学校に一緒に通いたい! です!」
気が楽でしょ、と言いたかったんだが……え? そう? ほんとに? 私に気を遣ってるんじゃなくて? カルアと違って打算的な気持ちは少なめで?
「ならあなた次第ね」
と、もう答えを聞くまでもないようなので、私は椅子から立ち上がった。
「ウーハイトンの学校も武術一色で、強ければ特別枠として無料で入学できるそうよ。入学費用も月額費用も必要なものも、学校が用意してくれるみたい。
そして――試験に合格すれば、上台の鳳凰学舎に特待生として入れるんですって」