軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5話 淡い期待

もしかしてエドワードはマリアベルとの婚約破棄を後悔したのだろうか。

やはり王太子妃になるのは君しかいないのだと、そう言われたならば……。

そんな儚い期待は、急いで向かった応接室で粉々に砕け散った。

「私が……教育係ですか……?」

「そうだ。アネットはなかなか城の教育係に馴染めないようでね。マリアベルならば年も近いし、彼女に優しく教えてくれるのではないかと思ったのだ。それに君は誰よりも完璧な淑女だからね」

そう言って微笑むエドワードに、悪気はまったくない。

マリアベルも快く承知してくれるのだと疑いもしない様子だった。

マリアベルはドレスのひだを固く握りしめた。

エドワードはマリアベルのことを誰よりも完璧な淑女だというが、実際に選んだのは平民の娘だ。アネットという名前なのだと、今初めて知った。

今までただの平民として暮らしていたのならば、王太子妃どころか、貴族の礼儀作法すら知らないだろう。

いきなり未来の王太子妃として振る舞えといわれても、できるはずがない。

……そんなことは分かっていて、二人とも覚悟の上で、婚約破棄したのではないのでしょうか……?

マリアベルに厳しく教えていた教育係を思い出す。

侯爵家の娘としてマナーを叩きこまれたマリアベルですら大変な授業だったと思うのだ。血のにじむような努力をしたとしても、今まで平民として暮らしていた娘が、短期間でマスターできるのかどうか。

王太子がいつまでも未婚のままというわけにはいかないだろうから、アネットの教育に取れる時間は二年ほどだろうか。

もしマリアベルがエドワードの提案に承諾したら、その時間もエドワードのために費やすことになる。

考えてみるまでもない。

どこまで自分を足蹴にすれば気が済むのかと、今まで残っていたエドワードへの思慕もなにもかもが、徹底的に踏みにじられた痛みで消えた。

長年続いた王太子妃教育のせいで、こんな時でも微笑みを浮かべていられる自分に、わけもなく泣き叫びたくなる。

けれどマリアベルに残されたのは侯爵家の娘だという矜持だけだ。

それだけは誰にも負けたくはない。

マリアベルは微笑みの奥に全ての感情を隠した。

「……父からは何も聞いておりませんが」

「まだ話してはいないのだ。まずはマリアベルの承諾を得てから、と思って」

おそらく、バークレイ侯爵に頼んでも却下されるのが分かっていたのだろう。

いや、もしかしたら既に断られた後なのかもしれない。

だがマリアベルに直接頼んで話を受けてもらえれば、後はどうとでもなるとでも考えた可能性が高い。

そこまでエドワードに自信があるのは、今までマリアベルがエドワードの言うことに反対したことが一度もなかったからだ。

けれどそれはマリアベルがエドワードの婚約者だったからだ。

今はもう、何の関係もない赤の他人に過ぎない。

「申し訳ありませんが、お断りさせて頂きます」

きっぱりと断ると、エドワードは驚きに目を見張った。

だが断られて驚く方がおかしいのだとマリアベルは思う。

真面目で優しい人だと思っていた。

あまり人を疑うことのない素直な人だと思っていたけれど……。

人は善意のみでできてはいない。

悪意も飲みこんでこそ、素晴らしい王になるのではないだろうか。

寄り添っていた心の距離を離して改めて見ると、エドワードは王としては素直すぎるのではないかと思わざるを得なかった。

今までは周りに善人しかいなかったから良かったものの、本物の悪党というのは善人の皮を被っていることが多い。

エドワードにその見極めがつくのだろうか……。

そう危惧すると共に、マリアベルはだからといって自分にできることはないと思った。

もうマリアベルはエドワードの婚約者ではない。

彼を支えるのはアネットであり、王家であり、周りにいる臣下だ。

「もちろん、少しの間だけでいいのだ。アネットが王宮に慣れるまでの間だけでも――」

「体調がすぐれませんので領地に戻る予定でおります。お力になれず申し訳ございません」

マリアベルはエドワードに口をはさむ隙を与えず、そのまま深く頭を下げたままの体勢を崩さなかった。

やがて、頭の上から重いため息をつく音が聞こえた。

「君に、彼女を紹介したかったんだが……」

マリアベルは無言のまま顔を上げない。

「分かったよ。とりあえず今日は帰ろう。でももしマリアベルの気が変わったら――」

「殿下。私はもう殿下の婚約者ではありません。ですので、名前をお呼びにならぬようお願い申し上げます」

下を向いたまま言うマリアベルに、エドワードは気押されたように一歩後ずさる。

「あ、ああ。分かった。ではバークレイ侯爵令嬢、気が変わったならいつでも連絡して欲しい」

そう言ってエドワードが退出して彼の気配がなくなるまで、マリアベルはずっと頭を上げなかった。