軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

16.エピローグ

「叔父上から君との結婚を聞かされた時、最初は戸惑ったんだ。しかし持ち込まれる縁談や社交の誘いには困っていた。世話になった叔父の話を断ることもできずに受けることにした」

淡々とクリスが話しだす。

「初対面の君の佇まいは好ましいと思った。病気を打ち明けても、ただの事実として受け入れてくれて安堵し、君とならそれなりに平穏な共同生活が送れるだろうと考えた」

「共同生活……」

そう言われるとちょっと寂しい。

シェリーはこの時にはもうクリスに惹かれていたのだ。

「……君がどうこうではなく、俺自身がまともな結婚生活をできるとは思っていなかっただけだ。実際、君に屋敷で不快な思いをさせ、王都に不慣れな君をきちんと支えることもできなかった」

「すぐに解決していただきましたよ。支えてもらいました」

シェリーが顔を上げて訂正すると、クリスは苦笑した。

「ファレルに会わせ、怖い思いもさせた」

「それは、仕方なかったのでは」

そこはクリスには止められなかったことだと思う。

「一線を引いてるはずだった。でも君は俺に穏やかな好意と優しさを向けてくれて、侯爵夫人として役に立とうともしてくれた。落ち着いた様子なのに抜けもあって、いじらしいと思ったらもうダメだった」

「ダメ?」

「愛していた」

まっすぐ見つめられながら告げられて、シェリーの体温が上がる。ついさっきも囁かれた言葉だが、こうして目を見られて告げられると威力が段違いである。

「そ、そ……そうですか」

「自分の気持ち気づき、驚いた。そして途方に暮れた。妻を金で買ったような男だ。頭も普通じゃない。だから君に気持ちは伝えずにいたんだ」

シェリーを抱く手の力が強くなる。

「自惚れかもしれないが、もしそのせいで君が寂しい思いをしていたのなら、本当にすまない」

シェリーは自分もクリスに腕を回した。

「自惚れじゃありませんよ。けっこう寂しかったです」

ぎゅうとこちらも強く腕を巻き付けた。

触れ合う体が馴染んだ頃、クリスは腕を解いた。

「酒臭いし、葉巻臭いだろう。ファレルが散々飲んでいたんだ。匂いが移っていたらすまない。俺は風呂に入って自室で休むから君ももう休みなさい」

静かにそう告げるのは、すっかりいつもの様子の夫だ。

(今夜は一緒に過ごさないんだ……)

拍子抜けなような、でもそっちの方がゆっくりできてありがたいような……。

正直、気疲れでくたくたなので一緒にいてもクリスが風呂に入っている間に寝落ちはするだろう。

クリスはクリスで疲れているはずで、双方にとって健康的で現実的な意見である。

非常に夫らしい選択にシェリーは微笑む。

「はい」

でもシェリーがそう応えると、そこからの夫はいつもと違っていた。

クリスはシェリーの顔を愛しげになぞって「お休み」と優しく甘い声で言い、額に口付けまでしてから出ていった。

「…………」

(今の……誰?)

唇が触れた額を押さえながらそう思う。

(旦那様だったわよね!? それは確かにそうだったけど、ええぇ)

今のがクリスだったのは間違いない。間違いないがこんなに甘い扱いを受けたのは初めてだ。

(トフィに感化されたんじゃないかしら)

同一人物の中の人格も互いに影響し合ったりするのだろうか。

シェリーはドキドキしながら眠りについた。

❋❋❋

「なるほど……ひょっとしたらですが、生き残るために一番強い人格であるトフィが出てきたのかもしれないですね」

眼鏡の医師グイードが言う。

今日はシェリーはクリスと揃ってグイードの元を訪れていて、今回の一連のことを話し終えたところだ。

「生き残るために?」

シェリーが聞き返すとグイードが頷く。

「怪我をした時、クリスさんは意識を失うまではしっかりと思考できていて、記憶もあったのですよね。それなら事故で記憶は失っていない。そして生きたいと思っていた。瀕死の重体だったのなら最後は精神力がものを言います。助かるために生きる力が一番強い人格を表に出したんじゃないかな?」

「トフィが一番強いのですか?」

シェリーは首を傾げながら聞き返す。

何となくだが、タフなのはファレルのような気がする。そんなシェリーにグイードは微笑んだ。

「私の個人的な考えですが、心の強さは鍛えられるものではなく、与えられるものです。もちろん持って生まれたものもあるでしょうが、愛された人ほど強くなると思っています。トフィは形はどうあれ、乳母の愛だけを受けて育った。愛された人は強いんです」

グイードの説明にクリスが顔をしかめる。クリスからすると、ハイデに“愛された”という表現は嫌なのだろう。

「あんなものは愛ではない。気に入りの玩具に構うようなものだ」

「形はどうあれ、ですよ」

「…………」

「とにかく、私としてはクリスさんはトフィを出すために自ら一時的に記憶を失くしたのではないかと思います」

グイードの眼鏡の奥の瞳が興味深そうに輝く。

「そんなことはしていないが」

「無意識にでしょう。意識的に記憶は失えませんしね。人間の脳は私達が考えるよりすごいですから」

にこにこするグイードに微妙な表情をするクリス。

「私はトフィはかなり図太くて、しかも素直で前向きな子だと思います。話を聞く限り、記憶が欠けていたのに思い悩んでいた様子はない。少なくとも周囲には全くそれを感じさせていない。そんな状況で恋をして、領主としての仕事も積極的に学んでいた。楽天的で、しなやかで強い。一度、お話してみたいですね」

グイードの希望にクリスは眉を寄せた。

「おそらく、もう会えない」

「どうでしょうか。それにトフィもあなたの一部です。クリスさんにもそういう強さがあるはずだと思いますよ」

持論を展開する医師に、クリスは眉を寄せたまま今日はこれで失礼すると立ち上がった。

「怒らせてしまいましたか?」

「怒ってはいない」

「定期的には来てくださいね」

「それはそうする。世話になる」

「そうしてください。ところで夫人、クリスさんの記憶が戻ってよかったですね」

グイードがシェリーに声をかけ、シェリーは丁寧に礼を述べた。

それから二人は身支度をして、診療所を後にする。

❋❋❋

「もう、トフィには会えないのでしょうか」

診療所から出て歩きながらシェリーはふと、そう漏らした。

「…………会いたいのか?」

「いい子だったので。慕ってくれていたのに、あんな形で傷つけてしまったことは謝りたいです」

自分でも調子がいいとは思うが、全てを教えてもらった今なら、トフィとの時間はとても貴重だったと感じる。今の夫を形作った昔の夫。

もし会えたら、あの夜のことを謝罪して将来のあなたに恋をするのだと伝えてあげたい気がした。

シェリーの言葉にクリスは面白くなさそうに息を吐く。

「旦那様?」

「そもそも、見た目が俺とはいえ、気がない男を夜更けに寝室に入れるな。それにだな、トフィが君を慕っていたのはきっと俺の影響だ。でなければ初対面でいきなり恋はしない。花を贈ったのだって、俺の経験を無意識に参考にしたんだろう」

苛ついたクリスの声。シェリーはまじまじとクリスを見た。見つめる先でクリスの耳がじんわりと赤くなる。

「…………今のは嫉妬だ」

クリスがそう言い、シェリーは思わず笑ってしまった。クリスも困った顔で笑う。

「記憶が戻った後の旦那様は少しですが、トフィの影響を受けている気がします」

以前より素直というか、率直になった気がするのだ。あと、たまにちょっと甘い。

クリスは耳を赤くしたまま黙ったが、気分を害したわけではないようだ。

「……トフィは君をまっすぐに好きだったから、羨ましくはある。俺はどうしたっていろいろ考えてしまう」

それは主に人格が複数あることについてなのだろう。

「私は旦那様を気持ち悪いと思ったことはないですよ」

「ありがとう」

礼を言ったクリスは、少し考え込んでからこう頼んできた。

「クリスと呼んでほしい」

「え?」

「君はファレルとトフィを親しげに呼ぶだろう? 俺だけ“旦那様”なのは納得がいかない」

「…………」

「ゆっくりでいい」

「はい」

シェリーは笑顔で頷く。

「俺も君をシェリーと呼ぶようにする」

「ふふ、はい」

シェリーは笑顔のまま、再び頷いた。

二人でのんびりと歩き、待たせていた馬車に乗る。それから並んで座って屋敷まで帰った。

Fin