作品タイトル不明
11.夜会の思い出
朝食の時間。
シェリーはいつも通りにクリストファーと食事をしていた。グイードの診察室で心の奥底でずっと恐れていたことを口に出してしまってから一週間経つ。
あれ以来あまり眠れておらず、食欲もないので少し無理をして食事を口に運ぶ。
グイードからは、無理せずにシェリーのタイミングでクリストファーとともに受診するようにと言われていた。
クリストファーに病についてきちんと伝えるべきで、それはシェリーが同席の元、医師である自分から伝えるのがいいだろうとも言われている。
それはその通りだろう。シェリーはグイードに同意を示して帰ってきた。
そしてまだ決心はついていない。
「シェリー」
呼びかけられて顔を上げると、気遣わしげなクリストファーと目が合う。シェリーは笑顔を作った。
「何でしょうか」
「シェリーさえよければなんだけどさ、明日、街へ出かけない? 僕、ずっと執務室に籠りっきりで息抜きしたいなー、なんて思うんだけど。たまには外を歩くのがいいかなって」
「息抜き……」
「うん、どうかな?」
気軽そうな口振りとは裏腹にクリストファーの顔には必死さが溢れている。
(…………私の心配をしてるんだわ)
シェリーはそう察した。
息抜きはクリストファーのためではなく、シェリーのためなのだろう。寝不足なのもバレているに違いない。
「…………」
クリストファーの目を見ると、シェリーの変化を見逃すまいとこちらを探っていた。シェリーに嫌がる素振りがあればすぐに引くつもりなのだ。
シェリーの口元が自然と緩む。
「お仕事は大丈夫なんですか?」
「うっ、それを聞く? 散々だよ。少しずつ慣れてきていると思いたいね」
「それなのに外出ですか?」
「シェリーのためなら少しくらいは、あ」
クリストファーはしまったというように口を塞いだ。自分の息抜きだと言っていたのに、シェリーのためだと漏らしてしまっている。
「気を遣わせてしまいましたね」
「気を遣ったというか、シェリーが悲しそうだと僕も悲しい。頼りないだろうし、無理に悩みを打ち明けてくれとまでは言えないけど、気晴らしくらいはさせてあげたくて……迷惑だった? あっ、というか、考えてみれば悩んでるのって僕の記憶のことだよね? ごめんね、全然戻らなくて」
「いえ、悩みは……」
シェリーは適当な嘘をつこうとして、でも続きは出てこなかった。
「…………たまには外出もいいかもしれませんね。ただ、私は田舎の出身なので王都は不案内なのですが」
ちらりとクリストファーを窺うと、クリストファーが再びしまったという顔になる。
「僕もほとんど王都で遊んだことはないんだった。ずっと離れにいたからさ。騎士団入団前に叔父さんにレストランに連れて行ってもらったくらい……どうしよう、どこに行ったらいいんだろうね」
「困りましたね」
二人で顔を見合わせる。
ここで、こほんと咳払いが聞こえたので二人同時にそちらを見ると、家令のウィルスが澄まし顔で口を開いた。
「王都を訪れた方々に人気なのは、東広場の時計台です。上まで登れるようになっていて王都を見渡せますよ。午前中に行けば人混みもマシでしょうし、近くには店も多いです」
ウィルスの助言にシェリーとクリストファーの顔が輝く。
「旦那様はこの短期間で、お仕事にもずいぶんと慣れてきています。明日は是非、息抜きされてきてください」
ウィルスはにこにことそう告げた。
翌日、シェリーはクリストファーと共に午前中から馬車で東広場の時計台へと向かった。
クリストファーの席はシェリーの隣だ。
そういえば、夫もいつの間にか隣に座るようになっていたなとシェリーは思う。
(いつからだったかしら……)
結婚式の後の馬車では向かい合って座っていたはずなのに、いつから隣だったんだろう。
記憶を辿っていると、クリストファーが落ち込んだ様子でこう聞いてきた。
「昨日、あれから考えたんだけど、シェリーが王都をよく知らないってことは僕はシェリーをデートに連れて行ったりしてなかったんだね?」
「デートですか? そうですね……」
デートらしいデートはしたことがない。外食くらいなら数回あるが夫は人混みを嫌ったし、シェリーも苦手だった。
「シェリーは放っておかれたってことだよね」
「いえ、旦那様は騎士として忙しくしてましたし……」
「それでも休みくらいあっただろう?」
「お休みには領主としてのお仕事をしていて……」
「妻のために時間くらい作れたはずだよ」
どんどん落ち込むクリストファー。
「もしかして、僕は夜会にもあまりシェリーを連れて行かなかったりした?」
「えーと……」
「連れて行かなかったんだね」
さらに暗い声になるクリストファーにシェリーは眉を下げた。
「違います。旦那様は社交は苦手にされていて、そもそも夜会の招待はほとんど受けなかったんです。参加したのは断りづらい家からのものや、お城の戦勝パーティーくらいですよ」
伝えながら、ああそうだとシェリーは思い当たった。
戦勝パーティーの帰りの馬車から、夫はシェリーの隣に座るようになったのだ。
「その数少ない夜会にはシェリーを伴ったの?」
「ええ、夫婦で行きました」
「城の戦勝パーティーも?」
「はい、それが私達二人で参加した初めての夜会です」
そしてそれはシェリーにとっては、初めての本格的な夜会でもあった。
田舎の貧乏貴族だったシェリーは、ちょっとした茶会くらいしか経験がなかったのだ。
夜会用のドレスなるものも、初めて仕立てた。
しかもパーティーの二週間前の大慌てでの準備だった。
『君、ドレスを用意していないのか!?』
焦った様子の夫が聞いてきたのを思い出す。
シェリーの小さな執務室へやって来た夫は少し怒ってもいた。
「結婚してから一着も仕立てていないと聞いた。金はあっただろう、なぜ…………いや、すまない。俺のせいだな」
きつい口調は驚くシェリーを見てしぼみ、夫はもう一度すまないと繰り返した。
「すみません。ウィルスさんからは一度勧められたのですが、私は出かけませんし、必要を感じませんでしたので」
夫につられてシェリーも謝る。
「それに戦勝パーティーに着ていくドレスなら、いちおう」
「今から仕立てに行く」
シェリーの言葉を遮って夫が宣言した。
「今からですか?」
「そうだ、支度しなさい」
そこから二人で街へ行き、なんとかドレスを見繕った。戦勝パーティーの直前とあってデザインや色はほとんど選べなかったけれど、田舎出身のシェリーにとってはどれもとても素敵でうっとりしたものだ。
実はシェリーは実家から持ってきたドレスが一枚だけあった。パーティーへはそれを着ていくつもりだったのだが、王都のドレスと比べると恐ろしく野暮ったく地味なものだった。
あれを次期侯爵夫人が着ていったりすれば笑い者になっていたことだろう。
ドレスを選びながらシェリーはほっと息を吐いた。
帰りの馬車で夫にそれを伝えて、感謝を述べる。
「君は案外、抜けているところもあるんだな」
そう言った夫の口調は柔らかく、優しい微笑を浮かべていた。
シェリーの胸はきゅうと鳴いた。その夜シェリーは夫の寝室をたずねて、二人で過ごした。
ドレスのことでシェリーが王都の社交界に全く慣れていないと思い知ったのだろう。戦勝パーティーでの夫は少々過保護だった。
「俺から離れないように」
「困った時は、微笑んで無言を通せ」
「酒は今日はやめておくんだ」
全て注意だが、口数も多い。
シェリーは構われている嬉しさにむずむずしながら「はい」と素直に頷いた。
実際、パーティーには不安もあったので夫の気遣いはありがたかった。お言葉に甘えて離れないようにしようと添えていた手に力を込める。夫はちらりとシェリーの手を見てふいと顔をそらし、その耳は赤いようにも思えた。
しかし全く一人にならないのは無理だった。パーティーの後半、夫が騎士団の知り合いに囲まれてしまったので邪魔をしてはいけないと思い、シェリーはひっそりと壁際に一人で佇むことになる。
そこをぐるりと令嬢達に囲まれた。彼女達の雰囲気は興味が半分、妬みや蔑みが半分だった。
夫は社交の場に現れたことのなかったセレンデス侯爵家の次期侯爵。それが見た目も体格も物腰も文句なしのいい男ぶりだったので、注目を浴びていた。
その妻が田舎の冴えない男爵家の令嬢とあっては、いろいろと思うところがあったのだろう。
「次期侯爵様とはどのように出会われたのですか?」
「伯爵が仲を取り持たれたとか」
「あなたのご実家は男爵家なんですよね」
「男爵? まあああ、侯爵家のセレンデス家とのご縁だなんて幸運でしたわねえ」
「一体どうやって……あなたはかなり素朴な方のようですけれど」
「領地はどちらですの?」
「あら、かなりのどかな場所だと聞きましたわ」
シェリーは質問攻めにされることとなる。中にはシェリーやその実家を貶めるような悪意のあるものもあった。だが腹が立ったり傷ついたりはしなかった。
自分の立場はシェリーが一番よく分かっていたからだ。
夫は心の病さえなければ、シェリーなんか選ばなかったはずで、自分はちょうどいい人材だっただけだ。
シェリーを囲んでいるのは年若い令嬢ばかりで、居心地は悪いが脅威までは感じない。なのでそれなりに冷静に、だが少々困りながら受け答えをしていると突然ぐいっと腕を引かれた。
「失礼、妻は慣れない夜会に疲れているようだ」
夫だった。
そのまま手を繋がれてその場から離される。シェリーは「失礼します」と言いながら令嬢達の囲いから脱出できた。
夫はそのまま会場を後にするようだった。
「帰るのですか?」
「ああ、もういいだろう」
答えた夫の横顔は険しい。
「すみません、私が何か粗相をしていたでしょうか」
そう尋ねると夫はむっとした後、小さく息を吐く。
「そうではない……その、大丈夫だったか?」
「……心配してくれたのですね」
やはり優しい人だと思っていると呆れた声で返された。
「それは、するだろう。君はこういう場は初めてだ。ご婦人方は時に辛辣だと聞く」
「お若い方ばかりでしたし、大丈夫ですよ。でも困っていたので助かりました」
そう言って微笑むと夫はぽかんとしてから表情を和らげた。
「君は意外に肝も据わっているな」
夫はシェリーと手を繋いだまま馬車に乗り、隣に座った。
車内でも手は繋がれたままだった。
体の関係もあるはずなのに、手を繋いでいるのが恥ずかしい。夫の手は熱くてシェリーはずっとドキドキしていた。
その夜は夫に「疲れただろうから、早くに寝なさい」と言われて早々に自室に引き上げたのだが、ファレルに部屋を訪問されることになり、やたらと疲れる一日になった。
「お城で僕はシェリーをちゃんとエスコートしたのかな?」
クリストファーからの問いにシェリーは頭を現実に引き戻す。
「していただきました」
「よかった」
クリストファーの気配が和らぎ、控えめにこう続けられる。
「もしシェリーさえよければ、これからはこうして二人で出かけたりしよう。僕も王都に慣れる必要はあるしさ。どう? 今さら虫が良すぎるかな?」
「そんなことはないです。そうですね、お出かけしましょう」
クリストファーと過ごすのは苦ではない。話していても楽しいし、良い関係を築いていきたいとも思う。
「ふふ、じゃあ決まりだね」
クリストファーが嬉しそうに笑う。
シェリーは微笑み返しながら胸がちくりと痛んだ。自分はもうかつての夫には会えないのだろうか、と考えてしまったのだ。
好きだと伝えることもできていないのに。
できれば一時でいいから会いたかった。
こうして思い出す度に夫に会いたいと思う。そして自分の気持ちと、優しくしてくれた感謝を伝えたい。
シェリーはクリストファーを目の前にして、そんなことを考えてしまう自分に罪悪感が募る。でもどうしようもなかった。
シェリーの中ではやはり、結婚していた夫とクリストファーは別人だった。