軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

71話 雨は唐突に

※注意。コメントとレビューが炎上しているため、構成を変更しました。NTRではないのですが、ちょっと誤解させてしまったので。途中ノエル視点が入っています。内容は変わっていないため、早めのネタバレという感じになります※

ダンスパーティーでほとんど踊ることが出来なかった。

最初のノエルとのダンスだけだ。

今年の入学生たちの問題児率の高さと来たら!

こういう不測の事態に走り回るのは、小物の仕事と相場は決まっている。俺は途中から踊るのを諦めて各所で起きているトラブル解決のために奔走した。あちらこちらでトラブルが続いたからだ。

そんなことをしていると、会場の証明が明るく灯る。

夜明けだ。

暗い時代がルミエル様の導きによって、ようやく夜明けを迎えたことに準えている。そしてこのダンス会場において、これはダンスの終了を告げていた。

ああ……もっと踊りたかった。

会場の人数は、開始時点よりも減っている。

そもそも参加自由で、退室も自由なので、皆がそれぞれの事情を優先させているのだろう。

アーケンたちの姿も気づいたら見えなくなっていた。

ダンスホールが明るくなると、入口から見て右手にある大きな扉が開かれる。

そこから運ばれてきたのは、名物である3メートルを超しそうな巨大『神殿ケーキ』。ルミエル様が住まわれたという神殿をモチーフにした巨大なホールケーキだ。

このケーキを一口ずつ食べることで、ダンスパーティーの一幕は終了となる。この後まだまだ余興は続くはずだが、正式なお祝いはここまでとなる。

「ハチ様!」

後ろから声をかけられて振り向くと、そこには息を乱したミリアちゃんがいた。

なぜか俺のことを探していたようで、ちょうど見つけたタイミングがダンス終わりのタイミングだったらしく、かなりガッカリしていた。

さては、お主も踊り村の村民か? だと思ってたんだよ~。人類皆踊り好きだからね。

踊りたかったよなぁ。俺も出来れば、折角立てるようになったミリアちゃんと一曲踊りたかった。

「ミリア様、だからこの者と話しては――」

入場前、俺のことを強く突き飛ばした男、ケンキがまた割って入ってくる。また何か言おうとしていたタイミングで、ミリアちゃんが彼の口を物理的に塞ぐ。

片手で覆うように。

ちょっ、鼻も塞いでない?

言葉を止めるってか、息を止めるつもりだよね、それ!

「あなたは一体どこまで私の邪魔を……。ハチ様に無礼を働いたばかりか、お兄様と私のダンスの邪魔まで。あなたへの説教の時間で、等々ハチ様とのダンスにも間に合わず仕舞い。そんなに殺して欲しいなら、今この場でやってあげるわ」

「そ、そんなっ。俺はただ王子に忠誠を誓い、ミリア様のお身体を守ろうと! まさか一向に離れようとしない、あのお方がミリア様のお兄様とは露知らず……」

ミリアちゃんにガン詰めされるケンキというやつ。

試験で見かけなかったから、特別枠での入学なのだろう。王子への忠誠を誓い、特別枠で入学する優秀さも持ち合わせている。

だけど、見るからにその頑張りが空回りしているタイプだ。悪いやつじゃないんだろうけど、いるよなぁこういう有難迷惑なやつ。ミリアちゃんとシロウは仲のよい兄妹だ。2人のダンスを中断させたとなれば、こんなに怒られるのも無理ない気がしてきた。

悪いやつではなさそうだから、一応フォローしておこう。

「まあまあ。ミリアちゃん、今日はシロウとギヨム王子の晴れ舞台でもあるから、多め見てやってよ。2次会もあるんだし、そこでゆっくり踊ろう。ミリアちゃんがこうして立てるようになったこともお祝いしたいし」

「……本当ですか? 本当に、ミリアのために時間を割いて下さるのですか?」

「もちろん!」

そりゃ当たり前だよ。なんて言ったって俺たちは踊り村の村民同士じゃないか。村人の絆は永遠だよ。

「ありがとうございます。ハチ様、本当にありがとうございます」

「うん」

今のうちに行けとケンキに合図を送る。お前、このままミリアちゃんの傍にいたら本当に殺されかねないぞ。

ミリアちゃんの怒りが随分と効いたみたいで、ケンキはあからさまに落ち込んで立ち去る。前すら見れていない状況で、向かった先は――。

およそ500人が一切れずつ食べることを想定した神殿ケーキ。台車に乗せてゆっくりと押している係員は、まさか向かい側から歩いて来る男がいるとは思いもしない。

皆道を開けている中、ケンキが真っ直ぐに神殿ホールへと歩いていく。

「ケンキ!」

呼びかけた時は既に遅かった。顔を上げたその真ん前に、神殿ケーキが迫っていた。台車の先端とぶつかり、ケンキが転倒。それに続いて、巨大な神殿ケーキもバランスを崩し、神殿が崩壊するかのように、横に倒れて地面に叩きつけられた。

パティシエが寝ずに作ったであろう傑作が、見るも無残にダンス会場に散る。

悲鳴が一瞬上がり、先ほどまでの賑わいが嘘みたいに静かになった。

「わっわわわ……」

そのやばさは本人が一番理解しているようで、顔を蒼ざめさせている。

皆どうしていいかわからず、会場の職員も呆然とする。

全く、小物の仕事が増えて困る。こういう処理も小物の仕事と決まっている。

ケーキへと歩み寄って、そこにしゃがみ込む。

倒れたケーキは無事な分が大半だ。神殿は倒れたが、地面に付いた部分を除けば8割がた無事だろう。

しゃがみ込み、ケーキに付いたイチゴを取って、口に放り込む。

「うまっ」

本当に美味しかった。厳選されたイチゴを選んだのが窺い知れる。

「ハチ様、スプーンをお持ちいたしました」

隣にやってきて、膝をついてスプーンを差し出してきたのはノエルだった。さっすが! わかってるー!

「ケーキはお終いじゃない。切り分けて皿に移す時、ケーキって結構倒れがちだろ?」

「はい、よくあることです」

「今日のダンス会場を見るといい。こんな幻想的で美しいダンスホールを用意してくれたんだ。そして会場に相応しい巨大な神殿ケーキ」

これはもうね。あれだよ。

立ち上がって手を広げた。

「このダンスホール全体が皿みたいなもんだよ!」

俺たちはさながら小人のごとく、大皿にて倒れたケーキを食べるだけ。

「なりません! ノエルさん、あなたハチ様になんてことを! 急いで作り直させます。まさか床に倒れたケーキをハチ様に食べさせるだなんて!」

ミリアちゃんの気遣いも嬉しいが、俺は構わずスプーンをケーキに差し込んだ。ふふっ、153期の記念すべき一口目が、まさかこんな小物の口に回ってこようとは。本来なら王子かクラウスレベルに回るものだ。

怪我の功名ってやつだな。

ケーキを口に運び、白いクリームがふんだんに乗った一口目を大口を開けて放り込む。

ふむ……ふむふむふむ。

「うんまー!! あまー!! うんめ! これうんめ! え、皆いらないの?」

流石王都のパティシエ。腕のレベルが違い過ぎる。砂糖の量だろうか。クリームの割合だろうか。なんでこんなに濃厚なのに、嫌なしつこさが無いんだろう。

美味しいすぎる!

「ノエルもどう?」

「はい、ありがたく」

ノエルもスプーンを差し込んで食べる、かなり美味しいみたいで目を見開いて喜んでいた。

徐々に賑やかさが失われた会場にて、今度は笑いながらクラウスの手を引いて走って来たポルカ・メルメル。その手にもスプーンが握りしめられていた。

俺たちと同じようにケーキにスプーンを差し込んで一口食べるポルカ。

「ほんとっ、頬が落ちるくらいおいしー。さっ、クラウス君も食べて!」

「ぼ、僕は食べないぞ! そんな床に落ちたものなんて」

「いいからいいから。今日は全部を楽しむって決めたじゃない」

ここが運命の分かれ目だった気がする。

どうするか悩んだ挙句、クラウスもしゃがみ込み、ポルカの手からスプーンを受け取った。

そしてケーキを一口、その口へと運ぶ。

「……おっ! これは本当に美味しいではないか」

やっぱりそうなのか? 伯爵の実子であるクラウスがそう言うのなら間違いない。普段トリュフにフォアグラソースをかけて食べているような大貴族様がそう言うのだから。

大貴族のクラウスが食べたからだろう。実際、楽しそうな雰囲気も醸し出していたので、皆皆がスプーンを受け取り、この倒れた神殿ケーキに群がる。みんなクラウス様が食べたんだ、続け!

先ほどまでの活気が一気に戻って来た。華やかなダンス会場の雰囲気は失われたが、どこか温かみのあるお祭り状態に。これでもう誰もお咎めを受けずに済むことだろう。

功労者であるクラウスを労うため、小皿を受け取り、神殿ケーキの頂上部分を切って乗せた。

ポルカと楽しそうに食べているクラウスの元へと運び、コソコソと告げる。

「クラスウ様、これは本来王子が食べる頂上付近のケーキで御座います」

「ああ、たしか身分の一番高い者が食べるという。しかし、良いのか?」

この場にはギヨム王子もいるからと気にしているのだろう。

「何を言いますか。1番良いところは王子でもなく、公爵家や侯爵家にも渡しません。クラウス様のもので御座います」

「ふん、流石ハチ。わかっているじゃないか」

少し悪い顔で、嬉しそうに皿を受け取るクラウス。

満足して貰えて何よりだ。

クラウスの隣でケーキを無我夢中で食べるポルカ。その隣に、砂の一族シアンもやって来た。

「むっ、あれは砂の一族?」

額の入れ墨で気づいたらしい。クラウスが変なことを言い出す前に、耳打ちする。

「彼らは間違いなく砂の一族です。ヘンダー伯爵領を敬っているらしいです。クラウス様のことも聞いており、敬っていることでしょう。でも内緒ですよ。彼らも立場とかあるでしょうから」

「ふん、やはりな」

だよね!

砂の一族は王国民を大事にしているから、まあ今の話も嘘にはならないだろう。

くくくっ、いつの時代も小物の佞臣が1番傍にいるものですよ。大物の皆様方、お気をつけなされ!

「ハチ様、私は先ほど親切にして下さった方へケーキをおすそ分けしてきますね」

ケーキの綺麗な部分を少し切り分けて、小皿に綺麗に盛ったノエル。ダンスパーティーでお世話になった方にもおすそ分けしたいらしい。

「うん! 気を付けて」

「はい、すぐに戻ります」

――。

私がお皿を持って向かったのは、テオドール・レナトゥス様の元。

先ほどダンスパーティーで共に踊り、私と打ち解けた方です。

なんと、このテオドール様、侯爵家の方なのです。

クラウス様以上の大貴族様だと知ったとき、本当に驚きました。

彼にはとても《《良い言葉》》を貰ったので、こうしてお返しにケーキを運んできました。

「テオドール様、こちらケーキです。倒れた分ですが、ちゃんと綺麗な場所からとってきました」

「床に付いた部分だろうと、気にしないさ。だって、ハチが食べているんだろ? ならば僕も食べるさ」

そう。テオドール様は侯爵家の次男にも関わらず、とても気さくな方なのです。そして、私が彼と打ち解けたのは、テオドール様がずっとハチ様のことを褒めてくれていたから。

王立魔法学園の入学試験にて、ハチ様は多くの方を助けたようです。その中には侯爵家の関係者もたくさんいて、多くの感謝の声が彼の元に届いていると。2次試験をギリギリで突破し、291番の番号で3次試験に挑んだ方はテオドール様の幼馴染なのだとか。その方がハチ様の活躍をずっと口にして話していたらしい。いずれその291番さんについてもゆっくりとお聞きしたいです。

ダンスの間、彼はずっとハチ様のことを褒めて下さった。いつかこんな素敵な気分にして貰ったお返しをしなくちゃと考え、ケーキを運んできた次第です。

「とても美味しいな。ありがとう、ノエル」

「はい。またそのうちお話を聞かせて下さいな。では、私はハチ様の元へと戻りますので」

「いや、ちょっと待って欲しい」

「どうなさいました?」

テオドール様が私へと耳打ちする。

「まずは謝罪をさせて欲しい」

何のことかと少し困った。

「ダンスパーティー中、君のことを観察していた。ロワ・クリマージュがこの間ずっと君のことを窺っていたからだ」

おそらく私を気遣ってのこと。謝ることなんてないのに。

「あまり評判の良い男ではない。なにか、狙われる理由が?」

「……いえ、思い当たりません」

もしかしたら子爵領でのことでしょうか?

夜会にてハチさんが豚の役を肩代わりしたあの件。でも、なぜ私を?

「気を付けた方が良い」

「ハチ様にも知らせます」

少し不安になった。

どうにも少し胸騒ぎがする。

けれど、テオドール様が私にこう提案する。

「ノエル、面白いものを見ていってくれ」

「面白いものですか?」

「その前に《《契約種》》というものをご存知かな?」

「いいえ、全く」

聞いたこともない種だ。生物かどうかもわからない。

植物が出て来ても、そうなのかと頷いちゃうくらい未知のもの。

「かつてこの世界に存在したと言われる古の《《契約の紋章》》。なぜ失われたかはわからないが、まだその紋章の力を残した生物たちがいる。僕が飼っているエンヴィリオがそれだ」

エンヴィリオ?

それを聞いても全く分からなかった。それが契約種というものでしょうか。

「紫色で、ヌメヌメした見た目で、でも可愛くてな。首元を撫でてやるととても喜ぶんだ。今このグランドホールの上に待機させている。僕に何かあったら攻撃するように命令をしている」

「この上に……」

少し恐ろしい話だった。

ずっと呑気にお祝いパーティーをしていた頭上に、そんな生物が待機していただなんて。

「契約の紋章はおそらく仲間同士で力を分かち合うものだったに違いない。エンヴィリオと僕は幼少よりずっと共に育ち、契約の紋章の力を分かち合った。その結果どうなったと思う?」

力を分かち合う……。

なんとなくの予想を口にした。

「もしかしてエンヴィリオにテオドール様の紋章の力が?」

「その通りだよ。流石はノエル君だ。そして、その逆もまた起きた」

「まさかエンヴィリオの力をテオドール様も……」

「ああ、見てて」

顔を片手で額から隠し、目元へとスライドさせる。手が移動して行き、現れた目を見た時、ドキッとした。次に鼻。口。頬、耳まで全部見えてくる。

そこにはなんと、私の顔があった。

「……テオドール様!? これは一体」

「エンヴィリオってのは元来怖がりの生物でね。擬態が何よりも得意なんだ」

「でも、どうして私の姿に……」

顔だけじゃない。先程まで着ていた服まで、私そっくりに変わってしまっている。

「僕はハチに大きな恩がある。婚約者の君を危険に晒すわけには行かないだろう?」

ロワ・クリマージュの脅威。

テオドール様が何をしようとしているかはわからない。けれど、彼は警戒していられる。そして私を守るつもりなのもわかった。

「少し体格は怪しいか? いいや、そんなこともない」

「私そんなに逞しくないです! ……テオドール様、どちらへ?」

「見てな。噂じゃ、ロワ王子は人の心を支配するスキルを持つと言われている。実際のところはわからないけどね」

「そんな、それではテオドール様が危険です」

思い出される子爵領での光景。クラウス様がロワ王子に命じられて豚の真似をさせられそうになったあの夜。もしやテオドール様の言う噂は真実かもしれない。

「大丈夫さ。ロワが本当に何かを仕掛けてくるとも限らない。そして、僕の意識が支配されても、エンヴィリオが降ってきてすぐに助けてくれるさ」

ニコリと爽やかな笑顔を浮かべ、テオドール様が私をダンスパーティー会場の隅へと隠す。視線が切れたタイミングで、彼が私の姿でロワ王子の元へと歩いて行った。

そして、私はそこから衝撃の光景を見てしまった。

――。

優しいよなぁ、ノエルは。ダンスパーティーで知り合っただけの縁なんて、俺なら秒で忘れてしまいそうだ。

けれど、それにもちゃんと報いる。ノエルは人間力が格段に高い。改めて、良い婚約者を貰ったと思っている。

ケーキに次々に群がってくる153期。

試験場で見た顔も多い。

皆先ほどまでよそよそしくもあったのに、共にケーキを食べたからだろう。打ち解け始めた人たちもいて、既に友人関係になりつつある人たちもいる。

「ハチ、場をうまく収めてくれたね」

そう言って隣にしゃがんで来たのはシロウだった。

「シロウも一口どうだ?」

「僕は体弱くて、脂っこいものはどうしてもね」

あらら、それは残念だ。

それからケーキを食べながら、シロウの近況も聞いておいた。恋人のこととか、実家の魔石のこととか。恋人はなんと同じく特別枠で入学した女性らしい。相手の一目惚れだったらしい。意外とこの兄もモテるな。

ミリアちゃんが少し機嫌を損ねた話も聞いて、ちょっと申し訳なくなった。ミリアちゃんは作り直したものを食べたかったみたいなので、悪い事しちゃったな。

楽しく会話していると、時間があっという間に過ぎた。

そこで、ふとノエルが戻っていないことに気づく。すぐに戻ると言っていたのに、どうしたのか気になって会場を見渡す。

見当たらなかったので、ケーキから離れて探すと、神秘的な装飾の施されたアーチ『星門』の下に立つノエル。

どこか表情が虚ろで、感情が抜け落ちているような雰囲気がした。様子がおかしい。なんだか、いつものノエルより少し大きくも見えた。

その隣に立つロワ王子。あり得ない組み合わせ。なんであんな嫌なやつと? お礼をしたいと言っていたノエル。その手元にケーキは無かった。無事渡せたのだろう。相手は王子では無さそうだが……。

一瞬、ロワ王子がこちらに視線を向けて来た。ノエルはずっと様子のおかしなまま。まるでノエルじゃないみたいだ。

次の瞬間、王子の口が、ノエルの口元へと近づく。

全く抵抗せず、ノエルがそれを受け入れた。

――頭が真っ白になる。

唐突に、目の前にて行われる、ノエルとロワの接吻。

星門の奥には、2階へと続く階段がある。中央の大理石の階段は、途中で左右に分かれ、まるで翼を広げたかのように上階へと伸びている。

ロワがノエルの手を引いて、二人が共に2階へと消えていった。

足元より力が抜けて、その場に座り込む。

なんだか自然に体が丸くなってしまい、体操座りのように脚を抱え込んだ。

天上からもの凄い音がして、何かが損傷した音がした。直後に降ってくる水。どうやら天井に穴があいて、雨が降って来たらしい。会場内では気づけなかったが、外は雨か。まるで俺の心模様みたいだ。

なんだか、少し騒ぎになっているようだが、もはやどうでもいい。

思えば、ノエルみたいな人がこんな小物に相応しいはずもなかった。

所詮はただ、親が決めただけの婚約者。

彼女は王子くらいの大物に見初められても、なんら不思議の無い魅力的な女性だ。いつから勘違いしていたのだろうか? いつから彼女の気持ちを……俺は自分が小物であることを痛い程に思い出させられた。

雨の音と共に、誰かが傍に近づいて来る。

「ハチ、大変だ。トラブルらしい。……あれ、何を落ち込んでいる? 元気を出せハチ。君は僕の手下なのに、なぜ落ち込む。誰かに文句があるなら、言ってみろ。僕が代わりに抗議してやる」

クラウスだった。声がなんだか遠くから聞こえるようだ。

あのクラウスに心配して貰えるとは、今の俺ってそうとう凹んでいるように見えるんだろうな。実際その通りだ。

……こんなの。こんなのってあんまりだ。喜びがないー。

――。

ハチが落ち込んでいる。

ポルカにも負けないくらい、いつも楽しそうにしているハチが。これは大事件である。

何がそうさせた?

まさかケーキをあまり食べられなかったからか? 皆が集まりすぎて、取り分が減ったからか?

いいや、流石のハチでもそこまで食い意地が張っていないだろう。声をかけても、膝を抱え込んだまま動こうとしない。

天上に穴が開き、雨がハチに降り注いでしまっている。

無理やり引っ張って、雨から遠ざけた。

「エンヴィリオがどうしてここに!?」

会場から誰かの声が聞こえた。

エンヴィリオ?

上を見上げると、そいつが見えてくる

天上を切り裂いて現れたそれは、まるで竜を模した何かだった。

鱗はなく、滑らかな薄紫色の肌が雲間からわずかに差し込む明かりを撥ね返し、全身が淡く光を放つ。しなやかに伸びた四肢は竜のそれでありながら、どこか人工的な素材にも見える。背には翼の代わりに半透明の膜が揺れている。

エンヴィリオもこちらを見て、まるで空気に溶けるように、音もなく舞い降りて来た。

頭部が大きい。目も大きく、虹彩は星のように強い光を持つ。口元は柔らかく動き、笑うでもなく、嘲るでもない表情を浮かべた。ただ不気味に佇む。

魔物ではない。初めて見る生物だ。

けれど、あの原因が分かった。ハチが落ち込んでいる原因。

ハチはこの生物にダンスパーティーを邪魔されて落ち込んでいるのだ。ダンスパーティーが大好きだからな、ハチは。

「痴れ者が……!」

今日は153期の入学を祝ったダンスパーティー。

その会場になぜこのような者が。そして、貴様の登場でパーティーは台無しよ。

「クラウス・ヘンダーとその手下ハチの門出の日を邪魔したこと、後悔させてやる」

我がスキルは竜化。発動とともに肉体が竜のごとく変化し、圧倒的な耐久と膂力を得る。魔力の流れが体表を走り、鱗のように変質して皮膚を覆うもの。

「……戦場で、名を刻む者だけが手にする力だ」

おそらくスキルタイプ戦闘の中でも最強の部類。全身が一斉に脈動を始めた。

筋肉が隆起し、骨格が軋む音を立てながら膨張していく。皮膚の下を走る魔力が赤く光り、その光が皮膚表面に浮き上がったかと思うと、まるで炎の結晶のような赤銅色の鱗が次々に形成されていく。

その姿は人と竜の狭間。しなやかな腕は太くなり、拳は鉤爪のように変質し、背中からは魔力の尾が火花のように迸っていた。

長くて10分。使用後は強い脱力と筋肉痛が残るが、こんなひ弱な敵なら時間も十分に足りるだろう。

確実に仕留める。

ブーストのかかった身体強化でエンヴィリオに組み付く。

爪を立てて両手でその頭部を抑え込んだ。地面に強く押し付ける。戦闘の衝動が抑えきれない。

このまま、拳を振り上げて頭部ごと粉砕してくれる。

強く振り下ろした拳は、あの柔らかな体を捕らえることが出来なかった。

手からするりと抜けて、何もなくなった地面を殴りつける。

――抜けた!? ちょこまかと!

まるで両生類みたいな皮膚を持っている。やはり見たのことのない生物だ。

「どこへ消えた?」

見当たらない。先ほどまで抑え込んでいたあの生物が。あの巨体で隠れられるはずもない。

会場はパニックになっており、人が出口に押し寄せている。逃げる場所も無いはず。

「クラウス様! 背中!」

伯爵領より入学を決めた生徒からの声。ねっちょっとした感触があり、左を向くと背後から顔を並べて来たエンヴィリオ。

隠れていた場所は、この俺の背中か!

竜化で体が頑丈になっているものの、同時に感覚も薄れている。まさか自身の体を這っていた存在にも気づかぬとは。

そして、背中から感じられる膨大な魔力。

――まさか!

鱗を砕くように、爆発が生じた。

爆音と爆風に飲まれて前方へと吹き飛ばされる。

今のは、五理では説明がつかない。あの生物、スキルを持っている!

星門にぶつかり、階段の段差で体が止まった。

鱗のおかげで重症こそ避けられているが、痛みはある。背中が焼けるように熱く、痛い。ゼロ距離からの爆発で、むしろよくこの程度で済んだといえる。

スキルを発動していなかったら……間違いなく体が散り散りになっていただろうな。あまり想像したくない世界線だ。

「……おいおい、嘘だろ?」

爆風が晴れると、エンヴィリオが空中に10ばかりの魔力の弾を浮かせている。明らかに五理の散華を応用した技。

スキルの応用に、五理まで使いこなす。

この生物は一体何なのだ。

魔力の弾がこちらに向かって飛んでくる。

先ほどのスキルを考えるに、あれも爆発するものに違いない。

このままでは防戦一方である。

ならば……。前進あるのみ。

体に触れると小爆発を起こす弾。実際に当たると、衝撃だけでなく、熱もかなり凄まじい。

1発1発がシャレにならない威力。

それでも進む!

爆風の中進み、手を伸ばした。

攻撃する際は最大の隙でもある。魔力を散華で放ち、操糸の技術で操作にも集中していたエンヴィリオ。

正面から突っ込んできた、この手は躱せなかったようだ。

体と思われる部分を掴み、今度は確実に強く爪を食い込ませる。

爆風が晴れる。感触はまだある。相手が見えてくると、握った部分が尻尾だと判明した。

しかし、十分。ぬめりがあり、手をすり抜けることは分かった。だから今回は深く爪を食い込ませている。もう二度と放しはしない。このまま、今度はこちらの炎のブレスで焼いてくれる。

魔力を口元に集めて、構えはじめていると、エンヴィリオが尻尾を自ら千切った。まるでトカゲの尻尾切り。

本体がするすると床を這って、また遠ざかる。

直後、掴んでいた尻尾が強烈な光を放つ。尻尾本体から感じられる魔力量は先ほどの弾の比ではない。

次の瞬間、手元で大爆発が起きた。

……なっ!?

音も聞こえなくなるほど、そして上下の感覚も無くなるほど、強い衝撃で吹き飛ばされる。

スキルが解除された。体が動かない。どこまで吹き飛ばされたのか認識することすらできない。

……強い。強すぎる。

なぜ、僕が負けた? このクラウス・ヘンダーが?

……あり得ないが、それが実際に起きている。まさか、僕は最強ではなかったのか?