軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

137話 路銀を稼ぎに来たって言ってんだろ!

女帝ユニアは、舳先に立っていた。

長い黒髪は豪華絢爛な髪留めで一つに束ねられ、海風に流されても乱れない。

日に焼けた健康的な肌に、切れ長の金の瞳は人を魅了する魅力に溢れている。服装はシンプルで、髪留め以外の飾りは少ない。濃紺の軍装と細身の剣。なのに、彼女が頂点に立つ者だと不思議と感じられる強烈に眩いオーラを放つ。

波が船体を打ち、甲板が揺れる。

ユニアの体は微動だにしない。踵から首筋まで、一本の柱のように芯が通っている。

──おかしい。

胸の奥で、微かな違和感が音を立てて軋む。そのバランスの取れた美しい体とは違い、心は不思議と落ち着きがなく、揺れ続けた。

計画に狂いはない。戦力も補給も想定通り。王国の虚をついて、激情の神カナタが動けないタイミングで大戦力を率いての奇襲に出た。だというのに、何かがずれている。見えない歯車が、ひとつだけ噛み合っていない、そんな妙な感覚。

理屈ではない。ただの、勘だ。しかし、その勘こそが、自らを助け、帝国を築き上げるに至った。

その勘がずっと告げてくる。……この先に、いる。

名も知らぬ怪物が。

未来の様そうを示すかのように、海風が強くなる。空は晴れているのに、背中だけが冷たい。

船が大きく揺れた。そこへ、足音。

「陛下」

王国に潜らせていた間者が戻った。

足音と、その声で、ようやく意識が内側から引き剥がされる。

ユニアはゆっくりと振り向いた。

――私は、まだ見ぬ敵に縛られている。それも先ほどまで、自覚できぬほど、強烈に意識を奪われていた。

ようやく、その事実を自覚する。

「報告を」

ユニアの心を知るはずもない間者の声は、いつも通りの淡々とした様子だった。

「我々が『カナタの聖圏』を破るため計画していたポルポル領アサギリの街に、王国最強の軍二つが同時に出現。盾持ち2000に、槍持ちも2000。将軍両名も揃っており、ローデリヒ、アルノーともにこちらを迎撃する構えです」

直感が当たって、これほど嬉しくないのも珍しいことだ。

自分が先ほどから感じていた強い警戒心は、彼の有名な老将二人相手であったか……。それでもこの感覚にまだ疑念は残るが、帝国にも轟くその勇名を考えれば、別に不思議なことではないはず。

「なぜ、我らの計画が露見した? 完璧に事が進んでいたと思っていたのだがな」

「それが……、おそらくは2週間前から単身港にやってきていた、とある男の仕業かと思われます」

単身?

「万象の神ソリオンが出現して尚、港を離れずに居座る豪胆な人物です。あの場にいて、あの男だけがずっと異質」

「誰だ。神の前に立つ、その阿呆は」

「名を、ハチ・ワレンジャールと」

ハチという名は知らんが、ワレンジャールだと?

あの天才姉妹の血族か。なるほど、そうであるならば、いろいろと繋がった。

「精霊の報せ、だな」

ワレンジャール姉妹に関する情報は王国側が秘匿していることもあり、憶測による部分が多いのだが、ほぼ確実視されていることがある。

精霊に愛された者。

姉妹は紋章の覚醒者、もしくはそれに近い能力を持つ者であることは明白。

王国の、そして姉妹の危機が迫っていると精霊が気づけば、間違いなく彼女たちに知らせることだろう。

人の計画は所詮人のレベルでしかない。まさに万象に通ずる精霊に隠し通せるものではないのだ。

姉妹にその力があるのであれば、血縁者に近しい能力があってもおかしくはないだろう。報せを聞いて、単身国を守るため動いたか。実に、面白い。

「しかし、精霊の報せがあったとしても、単身神に挑もうとは一体どれ程の男か。いや、軍を呼び寄せるのも計画のうちだったのか? どちらにせよ、怪物。場合によっては、その者を我が夫としようではないか」

「本人はずっと路銀を稼ぎに来たと主張し、港の監督官にも情報を伏せていたようです」

「敵を騙すには、まずは味方から。冷静で、頭もきれるらしい」

体内からぞくぞくと込み上げてくる高揚感。血と魔力が体内を心地よく循環するのを感じる。

ああ、これだ。こいつなのだ。

先ほどから私の意識を一心に惹きつける怪物は。ローデリヒでもなく、アルノーでもない。このハチ・ワレンジャールだったのだ。

自然と笑みがこぼれる。普段から良く笑う女帝ではあるのだが、計画に支障が出ている状況を考えれば、不自然な笑顔だったであろう。それでも笑う。強い縁を感じるハチとの出会いを喜ぶように。

帝国の拡張だけではない。ユニアにとっては、その者を自身の夫にする欲望も、同じくらいに大事なことなのだ。

「まあ、リュミエールやワレンジャール姉妹でなければよい。計画に失敗はつきものだ。ただし、神ソリオンの前には、王子でも姉妹であっても、無力なことに変わりはないが」

激情の神カナタが動けないのなら、万象の神ソリオンを止める手立てはない。

それほどまでに強力な神だ。

歴史に名を残す神。いいや、まさに今、歴史が作られようとしているのだ。

偉大なる存在と偉大なる使命を持った神と、野望を持つ私。出会いに偶然など無い。我々は出会うべくして、出会い、帝国を築き上げた。

そう考えれば、ハチ・ワレンジャールとの出会いも必然かもしれない。頼むぞ、私をガッカリさせてくれるな、未来の夫候補よ。今から征く。

ユニアの視線が、ふと海面の一点で止まった。

次の瞬間。

彼女は何の前触れもなく、舳先を蹴った。

「――陛下!?」

弧を描き、青い海へと姿を消す。

水柱が全く上がらなかったのは、彼女の飛び込んだ姿勢の美しさを現していた。小さな島国で育った彼女には、海は遊び慣れた庭も同じ。

船上に、一拍の静寂。

「……」

そして。

「ユニア様がまた単身で突撃したぞ!」

「止めろ! いや止められん!」

「護衛は何をしている!」

「していた! 今までしていた!」

甲板が一気に騒然となる。

将校の一人が額を押さえた。

「……ソリオン様にしろ、ユニア様にしろ、我らの神と王はどうなっている」

「我慢という概念を知らんのだろう」

「いや、知っていて無視なさっている」

「それが一番質悪い!」

騒ぐ船の内部とは違い、海は何事もなかったように揺れている。だが、部下たちは先行した神と王のことで心拍が早まっていた。

――

体の芯から痺れるような感覚がしたあの音に、もしや『カナタの聖圏』が壊れたのかと絶望したのだが、そうではなかった。

『カナタの聖圏』には罅が入ってしまったが、万象の神ソリオンは未だに歩を進めないどころか、手をかざしたまま動こうとしない。

すぐにその理由が判明した。

動かないんじゃない。『カナタの聖圏』は未だ健在で、神を防ぐその結界が力を発揮しているので入ってこれないんだ。

ふふっ……。

やーい、やーい!

やはりカナタ様。カナタ様こそ正義。

我らの建国の神は偉大なり。恩恵というのは、日ごろは気づきづらいものなんだなと実感する。それが失われかけて、ようやくそのありがたみに気づくとは。

今度、カナタ様宛に贈り物でもしようと思う。届くかどうか、かなり怪しいところではあるのだが。

盾持ちと槍持ちが建国の神の脅威にも怯むことなく、港の住民の避難を急ぐ。王国屈指の実力者がこうも集まると、少しばかり勇気づけられるのだが、相手が神だということを考えればやはり物足りなくもあるのか?

しかし、そんなことはどうでもいい。

俺はただ路銀を稼ぎに来ただけで、国の存亡にはそれほど興味がない。

そりゃ王国に愛着はあるよ。けれど、上の支配者が変わったとて、小物にはあまり大差ない。

聞けば、帝国は女帝ユニアによってかなりの繁栄を遂げているらしいではないか。クリマージュ家には悪いが、女帝に取って変わられても……まあええかと流せるくらいには、俺は寛容だ。

『カナタの聖圏』がまだ無事と判明したならば、今のうちに逃げるとするか。

逃げ遅れたと思ったのだが、天才たちの作り上げたものはそう簡単には壊れないらしい。時間をくれた大物たちに感謝して、俺は早めの路銀を貰いに行くとする。

――ざぶん。

港に、不自然な音が響いた。

波とは違う。もっと重い、水が割れる音。

逃げようとしていた矢先、気になったので、なんだ? と視線を向けた瞬間、海面が盛り上がる。

そこから人が、一人姿を表した。水をまとったまま、ゆっくりと桟橋へ足をかける。

神の騒動が起きている最中に何者かと思ったのだが、普通に人間だ。しかも若い。二十代前半くらいの女性。

濡れた黒髪が肩に張りつき、首筋を伝って水滴が落ちる。海水を払うように、くい、と首を振った。

自然と視線を集める圧倒的な存在感。彼女の登場に意識を奪われているのは俺だけじゃないらしい。

服が透けて肌がちらほらと見えるから、視線を奪われて見ている訳じゃない。決してそういうことじゃない。だって、将軍両名も見ているのだもの。

なんだろう、この人。

水に濡れて色気が増しているからかな。とても美しい女性に見えた。

見つめていると、その切れ長の黄金の目に吸い込まれるような感覚になる。

こちらへと歩み寄る彼女と視線があった。

「ハチ・ワレンジャールは、お前か?」

あまり大きな声ではないが、良く通る声だ。

返事はせず、素でキョトンとする俺。

だってさ、海から女の人が出てきて、いきなりフルネーム指名だぞ?

怖いわ。実家の誰かが借金をして、その取り立てを俺にしているのかもしれない。そんな可能性はかなり低いが、ある限り俺は警戒心を解かない。

横でアルノーが、息を呑む音を立てた。

「……女帝ユニア」

ちょっと待て。

今なんて? 女帝? あの? 大帝国の?

いやいやいやいや。

海から直で来るタイプなの?

もうちょっとこう、艦隊とかさ、使者とか、段取りってものがあるだろ普通。

俺は改めて、目の前の女性を見る。

濡れた軍装。無駄のない立ち姿。携えて来たのは細身の剣一本。

なのに、周囲を当然のように支配する空気を放つ。

……これが支配者の、生まれ持つオーラってやつなのか?

神も艦隊もまだ到着しない中、女帝だけが一足先に辿り着いてしまった。

……つっつかまえろおおおおお!!!

「将軍ローデリヒに、今は将軍を退いたのかな? アルノーの姿まで。たった2週間で王国屈指の兵を4000も集めるとは、その手腕や見事」

「女帝から見ても見事な手腕らしいですね、ハチ君」

これから逃げようとしている俺を、敵も味方も称賛してくれる。丸眼鏡兄さんのアトスさんはいつだって冷静な態度で羨ましい。俺は明らかにやばい存在の登場にあたふたしているというのに。

会話の端々で感じていたのだが、俺がみんなを呼び寄せたことになってない?

どういうこと?

路銀を稼ぎに来たって言ってんだろ!

「万象の神ソリオンは、未だ王国が作り上げた偉大なる『カナタの聖圏』を破ることを叶わず。我が艦隊も到着するにはしばし時間がかかるだろう。港の盾持ちと槍持ちは民の避難に労力を割いているが、直に布陣する」

「何が言いたい?」

アルノーの問いかけに、女帝がようやく真意を口にする。

「神が到着すれば決着はすぐさまつくが、私は何も破壊が目的ではない。王国を帝国の一部にすることこそ我が野望。他民族を支配するのは特異だ。そこでだ、両軍がぶつかる前に、直接決着を付けぬか? その方がお互いに被害が少なく済むことだろう?」

「一騎討ちを希望か? こちらが勝ったら、引き下がってくれるのか?」

「無論」

「こちらが負ければ?」

「ポルポル領アサギリの街を無条件に引き渡して欲しい。それだけだ。何も一日で王国が手に入るとは思っていない。我が覇道は、まずこの港街から始まるのだ」

「よかろう。では、王国正規軍元将軍にして、リュミエール王子の右腕たるアルノー・ブレザックがお相手いたそう」

槍を構えるアルノー。

その覇気は、今しがた上陸した女帝にも引けを取らない。

くっ来る! 大物対大物の真剣勝負。

女帝の方は脱力し、ゆっくりと体をほぐす。かなり自然体なのに圧がある。なんなんだろうな。あの生まれ持った大物感は。俺にも欲しいものだ。

負けても明け渡すのはこの小さな港町だけ。

目の前に建国の神が迫り、数万人を超す帝国軍が迫っていることを考えれば、かなり部の良い話だろう。

「アルノー・ブレザック。貴様では相手に不足だ。私はハチ・ワレンジャールとの一騎討ちを希望する」

「ハチと? しかし……」

アルノーが振り向いてこちらも見る。

俺に戦意があるのか確かめるためだろう。

えー、ありません?

全然やりたくないです。

俺、路銀を稼ぎに来たって言ってんだろ!

けれど、冷静になれ。

もしもここで女帝を退ければ、神も帝国軍も全員帰ってくれるの?

かなり美味しい話だよね。

「……ラップ勝負で、いいんだよな?」

「言葉では私を口説くことは不可能。その実力でこそのみ、私を屈服させることが可能だ」

ちっ。ラップ勝負なら確実に勝ってたんだが。

不敗神話を誇る俺のラップの実力に、ショックで女帝も実家に帰っていたことだろうに。

「リュミエールでもなく、ワレンジャール姉妹でもなく、この場にて貴様と出会うとは。なあ、ハチよ。これに、運命を感じぬか!?」

高らかに笑いながらそう述べる女帝。

なんか、この人変だよ。

なんで敵地に単身でやって来て、こんなに堂々としているの?

「王子か姉さん達を今すぐ呼んできてくれ。そうしたら、俺は喜んで逃げ出すからさ」

「リュミエールは王の器ではないな。国の危機に勘づくこともなく、帝国の侵入を許したのだから。ハチ、お前が王になってはどうか? この場に立つお前こそ、王に相応しいよ」

「取り消せよ」

俺は将来、リュウ様に年収1000万円で雇って貰う予定だ。俺の雇用主を愚弄するなよ。

「ワレンジャール姉妹も名ばかり。年齢を考えれば、貴様の姉か? 舞台に立てぬ者は、力を持っていないも同然だ」

「取り消せよ。姉さんたちはいつだって最強だ」

ラップ勝負もワンチャン負けるくらい、最強だ!

「ハチ・ワレンジャール。貴様の実力を示せ。私が気に入れば、将来の夫にしてやってもいい。世界を統べる女帝の旦那だ。随分と魅力的であろう?」

確かに、それは年収1000万よりも魅力的な話だが、生憎と受けるわけには行かない。

俺は路銀を稼ぎに来た。何でかって。

「俺には愛する婚約者が既にいる。彼女の共に戻るために、俺は港に来たんだ」

「愛する者を守るために、帝国と戦うか。見事。ますます、気に入った!」

なんかまた違う勘違いをされていそうだが、とにかくこの人に勝つしか俺の未来は明るくないらしい。