作品タイトル不明
787:雨の森
北西に広がる森林、そこに近付くにつれ、予想していた通りの状況へと変化していった。
黒い雲を湛えていた空から、しとしとと雨が降り出したのだ。
困ったことににわか雨という様相ではなく、雨が上がることは期待できそうにない。
尤も、森はすぐ近くにまで近づいてきているため、雨宿りをする場所に困りはしないのだが。
「こうなると、もう森に入らざるを得ないですね」
「外套が雨避けになるとはいえ、流石にこれではな」
羽織は水を弾く加工になっているとはいえ、雨の中で活動し続けられるほどではない。
動きが鈍る前に、雨避けを考える必要があるだろう。
現状では、森の中で木々の下を進んでいく程度しか方法は無いのだが。
「けど……この雨、やっぱり何か仕組みがありそうですね」
「そうなのか? そこそこ前から降り出しそうな空ではあったが」
「さっき、振り出しかけのところで戦闘してたじゃないですか。あの時、私の位置だと降ったり止んだりを繰り返してたんですよ。つまり――」
「一定のエリアに入ったら雨が降っていた、って感じかしら?」
「はい、恐らくこの森の近くだけが降り続いているのかと」
二人の言葉に、俺は地面へと視線を向ける。
『エレノア商会』で作られた靴を履いているため地面の感触は分からないが、地面はかなりぬかるんでいる。
草の少ない場所では、沼と見紛うほどの水の溜まり具合だ。
これは、昨日今日だけ降っていた程度のものではないだろう。
「このエリア自体が特殊ってことか……やはり、何かしらクエストが隠されていそうだな」
「ですね。ただ、探そうにもエリアが広すぎることが問題ですけど」
「スクロールがあるから遭難しても帰還には困らないとして……何の目標もなく歩くのは避けたいところだな」
既に森の一部には足を踏み入れている状態ではあるが、それでもマップの中に目ぼしいランドマークは発見できない。
今のままでは、特に当てもなく森の中を彷徨うことになりそうだ。
「とりあえず、雨を避けながら森の周りを回ってみるか」
「まずは情報収集ですかねぇ」
とりあえず、最初はリスクの少ない方法で調査し、何かしらのヒントを得たいところだ。
流石にこれだけで核心に迫るような情報を得られるとは思えないが、多少なりとも参考になる情報が欲しい。
期待できるかどうかも定かではないが、試してみるべきだろう。
「森の外周に沿って、このまま北へ。森の外の景色を見失わない程度に中に入るぞ」
「了解です。ここまで水気があれば、あんまり燃えないから安心ですね」
「やっぱり、森の中の方が落ち着くわ」
緋真にとっては、森の中は活動しづらいエリアだ。
魔法による炎は延焼しづらいとはいえ、それでも確実であるとは言い難い。
この広い森で火災が発生したら大変なことになるだろうし、その心配が少ないだけでもマシというものだ。
緋真の言う通り、これだけ雨が降り続けて水気の多い場所ならば、火災になる心配は少ないだろう。
「アリス、魔物が潜んでいるかどうかは注意を頼む。動物系ならともかく、一定範囲内に近付かないと反応しないタイプはそっちの方が早いからな」
「ええ、分かってるわ。まあ、何がいるかは大体予想がつくけど」
肩を竦めたアリスは、そのまま空気に溶けるように姿を消す。
流石にその手の索敵にも慣れたものだ。その手の無機質な敵は、俺でも攻撃の直前まで気づけないことが多い。
《超直感》を得てからのアリスはその辺りも優秀で助かるものだ。
「森の中で雨の音か……雰囲気は静かでいいんだがな」
「マイナスイオンって感じですねぇ。マイナスイオンの何が良いのかは知らないですけど」
「まあ、瞑想するにはいい環境なんじゃないか?」
久遠神通流にも瞑想の修業はある。
己の肉体を掌握するためには、己の内面と向き合う必要がある。
いくつかの奥伝や合戦礼法は、その先に見いだされるものだ。
修行場所としてはいい環境なのかもしれないが、交通の便はとにかく悪いエリアである。
「静かな分だけ音も拾い易いだろう。お前も、気配には注意しておけよ」
「こういうのも修行、ってことですよね。まあ、了解です」
俺の言葉に頷いた緋真は、周囲へと視線を走らせながら耳を澄ませる。
緋真にもその類の修業は必要なのだが、どうしてもその機会には恵まれづらい。
俺はどうやってそれを体得したのだろうと思い起こせば、戦場の極限状態こそが修行の場となっていたように思える。
銃口が向けられた気配、その冷たい殺気を読み取れなければ死ぬ、そのような世界だったのだから。
(流石に、この世界でそれを再現することも難しいからな……)
死んでも復活できるこの世界では、命を懸けた感覚を培うことは難しい。
ある程度までは近づけることができたとしても、最終的な安心感が阻害要因となってしまうのだ。
ジジイが俺を連れ歩いていたのも、そう言った理由があったのだろう。
あのジジイは、最初から世界の真実を知っていた。だからこそ、その上で俺を育て上げようとしていたのだろうか。
今では色々と問い詰めたいことがあるのだが、その行方は一向に知れない。いい加減、そろそろ顔を出して貰いたいところだ。
「……あの、お父様」
「ん? どうした、ルミナ」
周囲の気配に意識を向けながら物思いに耽っていた俺に声をかけてきたのは、意外にもルミナであった。
索敵面ではあまり発現することは無かったのだが、何か気が付いたことでもあるのだろうか。
俺の視線に、ルミナは若干眉根を寄せながら続けた。
「詳細は分からないのですが、精霊の気配を感じます」
「精霊の? ということは、味方か?」
「分かりません。こちらに接触しようとする様子もありませんし、出所も分からないのです」
魔法の面において、ルミナの感覚はかなり優れている。
しかも、自分と同じ精霊種の気配。だというのに、ルミナはそれを正確に断定することができなかった。
距離が離れているのかと思ったが、出所も分からないとなるとどちらの方角から俺たちのことを捉えているのかも分からない。
攻撃してくる気配は無いようだし、積極的に敵対するつもりは無いのかもしれないが、何とも不気味だ。
「何かするつもりがあるのなら、とっとと出てきて欲しいところではあるんだがな……場所が掴めないんじゃ接触のしようもないか」
「申し訳ありません、お父様……」
「いや、お前の感覚で分からないなら、誰も分かるもんじゃないだろう。あまり気にしすぎるもんでもない」
もし何かしら必要があるなら、向こうの方から接触してくることだろう。
精霊ならば勢力としては女神側、敵として扱う必要は恐らくないはずだ。
まあ、これが妖精だった場合はイタズラ感覚でとんでもない攻撃を仕掛けてくることもあるのだが、その心配も不要な筈だ。
「それに、朗報でもある。精霊が住まう場所なら、悪魔による侵略が及んでいる可能性も低い。異邦人の勢力にとって、何かしらいいものがあるかもしれないからな」
「分かりました。私も、気配には注意を払っておきます」
「ああ、接触してくるようだったら知らせてくれ。精霊からの接触であれば、応えておいて損は無いだろうさ」
とはいえ、接触するつもりがあるなら最初から接触してくるだろうし、このままでは変化がないだろうが。
せめて方向が分かればそっちの方に近付いて行くのだが……とりあえず、今は当初の想定通り、ぐるりと周りを回ってみるしかないだろう。
精霊が接触してくるならよし、そうでないなら、他の情報を元に行動してみるしかない。
「何かありそうだと分かっただけでも収穫だ。この探索も、無駄なものにはならんだろうさ」
さて、その結果として何を見出すことができるのか。
それが俺たちにとって有益なものであることを期待しておくこととしよう。