軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5.5話 狸少年の夢

隣の国には魔法使い――魔族という恐ろしい怪物が住んでいる。

ガリガリにやせ細り、枯れた枝のようなひょろひょろとした体。狡猾で残忍、獣人の子供を捕まえると魔法を使って焼いて食べてしまうのだ。悪い子はそんな魔族にさらわれてしまうぞ。

というような話を狸族の老人は皆そう言うので、ノヴァルダもきっと隣の国にはそんな怪物がいるのだろうとなんとなく思っていた。

魔獣のように知性のない獣ではなく、知性があるからこそ恐ろしい怪物。それが魔族なのだと。

「ルダ! 今日も鍛錬だ!」

「うん。ササ、今日は負けないよ」

狐族の友人であるササックとは毎日のように組手をして、鍛え合っている。将来的には二人とも国境を守るバルトシークの軍人になりたい。

隣の国、マグノとの戦争は終わった。あちらの国から花嫁を迎え入れて、表面的には仲良くしている。しかし怪物の花嫁を迎えることになったバルトシークはきっと大変に違いない。

(怪物が来たのが英雄アルノシュトのいるバルトシークだからきっとまだ平和でいられるんだ。僕もその手伝いをするぞ)

軍人になるなら北部で魔獣討伐隊に入るか、南部で国境守備隊に入るかのどちらかだ。戦争をしなくなったとしても、また争いが起きないとは限らない。だって怪物は存在したままだから。

ノヴァルダとササックは二人で名をあげる夢を見ている。近所の空き地でそのための鍛錬をしている時だった。ちょっとした油断でノヴァルダは投げ飛ばされ、それが悪いことに大通りの方角で、ちょうど通りかかった誰かにぶつかりそうになった。

「ご、ごめんなさい!」

「ごめんなさい! 大丈夫!?」

慌てて謝りながら顔をあげる。ササックも走って謝りに来た。しかし謝るべき相手を見上げて、さっと血の気が引いていく。

狼の獣人だ。もう随分と数が減っている種族だが、番への愛情が強いことで知られている。抱きかかえているのがぶつかりそうになった女性で、きっと番なのだろう。大きな尻尾が膨らんでいて、とても怒っているのがよく分かった。

(うう……どうしよう……すごく怒ってる……)

怒鳴られこそしないがかなりの怒気を感じる。子供相手に怒鳴りつけるタイプの大人ではないようだが、だからこそ怒りを抑え込んでいるのがよく伝わってきて、逆に怖くて申し訳なかった。

「怪我をしているわ。痛いでしょう?」

優しい声に恐る恐る顔をあげた。狼の番の女性は綺麗な黄金色の目で、心配そうにノヴァルダを見つめている。

大人の女性のはずなのに、なんだかとても頼りなさげで、まるですぐに散ってしまう桜のような人だと思った。……こういうのを儚い、と言うんだっけ。

「これくらい平気だよ。お姉さんこそ、ごめんなさい……」

「何もなかったからいいの。でも、怪我をしないように、させないようにこれからは気を付けて遊んでほしいわ。……ちょっと傷を見せてくれる?」

手のひらをすりむいていたのでそれを見せると、彼女は大人にしては小さく、まるで赤ん坊のように柔らかい指先でノヴァルダの手を取った。

それに驚いていると強風で女性の帽子が飛ばされる。狼の獣人がすぐに被せ直してあげていたが、それでも彼女の小さすぎる耳が見えた。

(見たことのない形だ。……猿……にしては耳が小さいし、手の形もなんだか……そういえば尻尾もない?)

何の種族か分からない女性に、ササックが種族を尋ねたので、ノヴァルダも耳と尻尾について訊いてみた。彼女はほんの少し迷ったように視線を彷徨わせた後、そっと擦り傷の上に自分の手を重ねた。

すると不思議なことが起きた。じんじんと熱を持っていた傷からすうっと痛みが引いていく。彼女の手が退いた時には傷が綺麗に消えていて、目を丸くした。

今度は女性が軽く指を振るような動作をする。そうするとどこからともなく現れた水が手を汚したままの土を洗い流し、その次には周囲には吹いていない温風が手のひらを撫でて乾かした。何が起きているのか、さっぱり分からない。

「私は、魔法使いなの。これくらいの怪我ならすぐに治せるわ。もう痛くないでしょう?」

その女性は、見たこともない表情をしていた。……いや、これは知っている。笑顔だ。この表情ができる獣人はあまりいない。猫族がこれに近い顔立ちで、可愛らしいのだ。

しかし猫族よりもはっきりと、柔らかく弧を描く唇。その表情は食い入るように見つめてしまうほど、とても魅力的だった。

「……魔法使い……?」

「魔法使いって、あの……?」

枯れ枝のような体をした、残忍で狡猾な化け物。隣の国に住んでいる、魔族。目の前の女性がそれだとは到底思えなかった。

確かに体つきは細い。心配になるくらい弱弱しくて、子供のノヴァルダですら大人であってもこの人を守らなくてはいけないという気がしてくるほど。

しかしかすり傷程度の小さな怪我を心配して、この国で嫌われているのも分かっているだろうに魔法使いであることを明かし、治療してくれた。そして何よりとてもやさしい笑顔が、今でも微笑んでいる彼女の顔が、あまりにも綺麗だった。

(……じゃあ、こっちの狼獣人は……英雄アルノシュト……)

北部で魔獣災害が起きた時、その多くを仕留めて英雄となった軍人。しかし今の彼は自分の番に何かあったらどうしようかと心配し、全力で警戒している夫でしかない。心底この魔族の――魔法使いの女性が好きなのだろう。

「……魔法使いって、怖いって聞いてた……」

「そう……やっぱり……私が、怖いかしら」

優しく笑っていた顔に悲しげな表情を浮かべられると胸が苦しくなる。この女性に、そんな顔はしないでほしかった。

「ぜんぜん、怖くないよ。……治してくれてありがとう、魔法使いのお姉さん」

「いいえ、どういたしまして」

またにこりと笑われて、なんだか顔が熱くなった。これが大人たちの言う恐ろしい魔法をかけられてしまったせいだったらどうしようかと思ったけれど、魔法を使われていないはずのササックもなんだか赤くなってもじもじしていたので、たぶん違う。

「……お前たち、これからは気をつけろ」

「はい、ごめんなさい」

「はい、気を付けます」

「それじゃあ、もう怪我をしないようにね」

女性はアルノシュトと共に去っていく。彼女の小さな背中を隠すようなアルノシュトの大きな尻尾は、守ろうという意識が強く表れているように見えた。

「なあ、ルダ……バルトシークの軍人になるって考え、変わった?」

「いいや。変わってない」

「……俺も。……ちょっと、魔法使いって種族を……見てみたい気がする。国境に行けば、会えるよな」

「うん。……他の子にも話してみる?」

「おう。……信じてくれるかなー」

隣の国に住む、怪物と呼ばれる人たち。大人たちは悪いように言うけれど、先ほど会った魔法使いはそんな風には見えなかった。

本当は、どんな人たちが住んでいるのだろう。皆、先ほどの女性のように優しくて、素敵な笑顔を持っているのだろうか。

ノヴァルダとササックはバルトシークの軍人を目指している。夢は変わらないまま、ちょっとだけ夢の理由が変わった日だった。