軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3.幸せな旅立ち

久しぶりのお風呂、とっても気持ちがよかった。

普段は川で水浴びをするか、寒い時期は大き目のバケツにお湯を入れて体を拭いて頭を洗うのが精いっぱいだったから。

体と頭をタオルで拭いていると、鏡に映る自分が目に入った。

小屋には小さな手鏡しかないから、こんなに大きな鏡に映る自分を見るのは久しぶりね。

邪魔になるから肩より少し長いくらいまで切ってしまった金色の髪は、ろくに手入れもしていないし外を駆け回っているからぱさぱさだわ。

体つきもすっかり痩せてしまった。いつも森の恵みが手に入るとは限らないから、特に肉類を切り詰めて食べているせいね。

お母様譲りの紫色の瞳だけは、自分でも綺麗だと思うけれど。

こんなに貧相な見た目では、辺境伯をがっかりさせてしまうかしら。出発は明日だというのに。

ううん、そんな風に考えては駄目ね。

私はこの体で生き抜いてきたのだから、自分の体を誇りに思わなくては。

それに辺境伯は私の美醜に興味がないようだし。

廊下に出て以前使っていた狭い部屋に向かおうとしたとき、後ろから近づいてくる足音が聞こえた。

「ああいやだ、獣臭い」

棘のある声と言葉に振り返ると、あからさまに顔を歪めたイレーネ夫人が立っていた。

ライラと同じ亜麻色の髪と青い瞳を持つ、妖艶な肢体の女性。

同性である私から見ても美しくて色気のある方だと思う。お父様とさほど年齢は変わらないのに、相変わらず若々しく見える。

「お久しぶりです、……お義母様」

「母だなんて呼ばないでちょうだい。お前のような獣臭い娘を持った覚えなどないわ」

以前イレーネ夫人と呼んだときは「私を認めないつもりね!」と怒ったのに。

どう呼んだら怒らないのかしら。

二度も獣臭いと言われたので、自分の体をクンクンと嗅いでみる。

石鹸の匂いしかしないように感じるけれど、それは私が獣のにおいに慣れてしまったからなのかしら?

明日はいよいよ出立の日だから四年ぶりに屋敷の中に入って湯浴みすることが許されたのだけれど、お風呂が久しぶりすぎてちゃんと洗えていなかったのかもしれないわ。

「ではまたお風呂に入ってきますね」

「二度も使わないで図々しい。浴室まで獣臭くなるわ」

「わかりました。ではこのまま部屋に戻ります」

イレーネ夫人が、相変わらず平然と……! という悔しそうな声を漏らす。

話を終えたのでそのまま去ろうとすると。

「お前が明日いなくなると思うと清々するわ」

私が嫌いならなぜ引きとめるように声を掛けるのかしら。仰る通り明日早朝にはここから去るというのに。

ため息がもれそうになるのを、なんとかこらえた。

「私も新たな地が楽しみです。食事が美味しいといいのですけど」

にっこりと笑うと、イレーネ夫人の顔のいら立ちの色が濃くなった。

「本当に気味の悪い娘。お前からは怒りや悲しみ、不安や悔しさといった感情が抜け落ちているのね。どこかおかしいのではないかしら」

お母様やロンおじいさまが亡くなった時は胸が張り裂けてしまうのではないかと思うほど悲しかったし、お父様やイレーネ夫人に嫌味を言われたり辛く当たられたときは怒りや悔しさを感じていたのだけど。

「でも怒っても何も変わらないし」と受け流してきたのが余計に腹立たしかったのかもしれないわね。

嫌味、暴言、暴力(当たらない平手打ち)、家からの追い出しとエスカレートしていったし。

森の小屋に行ってからはかえって気が楽になったし、きっと私は夫人の言う通りどこか変なのだわ。

「そうかもしれません」

「……っ、お前のような気味の悪い娘が嫁いで幸せになれるなんて思わないことね! お前の母と同じく愛されず、夫の愛はすべて愛人に向けられるわ。男の愛人でしょうけど!」

笑いながら言って、イレーネ夫人は去っていった。

ふう、やっと行ってくれた。

母のことを言われるのは、やっぱりつらいし腹立たしい。でも怒れば喜ばせるだけだと早いうちに知ったから、感情を抑えるすべを知った。

それがいつしか板についてしまって、「気味の悪い娘」が出来上がったのでしょうけど。

さっきこらえたため息が漏れる。

でもこういう思いも今日で終わり。明日からは別の地で生きる。

旦那様はどんな人かしら。怖い人でないといいな。愛を育てることはできなくても、情を育てていければうれしい。

それにしても。

部屋に置いてあるウェディングドレスを見て、またため息が漏れる。

トルソーに着せられているそれは、一目で既製品と分かる、生地もあまり良くないもの。おまけに飾りも刺繍もない。

さらに私にサイズが合っていない。既製品だからある程度合わないのは当然としても、明らかにサイズが大きすぎる。

いくら形のみの結婚でお相手が私に興味がないと言っても、こんなものを着て結婚式に臨んだら私だけでなく伯爵家の恥になると思わないのかしら。

豪華なドレスなんて期待はしていなかったけれど、せめて前日でなくもっと前に渡してくださっていれば。

これも最後の嫌がらせなのかしら。

でも嘆いている場合じゃないわ。せめてサイズの合わないブカブカドレスじゃないよう、体のラインに合わせなければ。

幸い裁縫道具一式は嫁入り道具にしようと小屋から持ってきたから、徹夜覚悟でやってみよう。

とそこで、小さなノックの音が聞こえる。

返事をすると、マリアンが静かに入ってきた。

「お嬢様に最後のご挨拶をと思って来たのですが、そのドレス……まさかお嬢様のウェディングドレスなのですか」

「ええ」

「そんなものが……! 奥様がお嫁入された際の美しいドレスだって残っているでしょうに、なぜここまで……!」

「いいのよ、もう。あとはサイズだけ直そうと思っているから。丈も長すぎるわね」

「お手伝いいたします」

「今からやるから徹夜になってしまうかもしれないわよ?」

「構いません。私がお嬢様のためにできる、最後のお仕事ですから」

その言葉に、思わず涙がこぼれてしまいそうになる。

ありがたさとうれしさ、別れる寂しさ。

彼女の存在が、私がまだちゃんと感情を持った人間なのだと教えてくれる。

「ありがとうマリアン。じゃあお願いできる?」

「はい!」

二人でドレスを急いで直し、なんとか終えられたのは空が白み始めた頃だった。

さすがに刺繍までは施せなかったけれど、マリアンが切った生地でバラのような飾りを作ってくれ、それを左胸のあたりに飾ることで華やかさが足された。

「ありがとう、マリアン。あなたのおかげで素敵なドレスになったわ。世界一のドレスよ」

「お嬢様……もったいないお言葉です。さあ、これをつければ、さらに素敵になりますよ」

マリアンが懐から箱を取り出し、私に差し出す。

彼女に促され蓋を開けてみると、そこには花を模したクリスタルの美しいネックレスとイヤリングが入っていた。ネックレスの中央には貴重な真珠もついている。

「これは……?」

「奥様が嫁いで来られる際に身に着けておられたものです。奥様からお預かりしていました。奥様は亡くなる直前、宝石類がたまに減っているからひとまずこれだけでも預かってほしいと仰っていました。旦那様が持ち出していたようです」

お母様の宝石類は、ほとんどが実家から持ってきたものだった。

お母様はそれらをとても大切に使っていた。

それをお父様は売ったのか、イレーネ夫人にあげていたのか。

残っていた宝石類もイレーネ夫人にみんな取られてしまったけれど、お母様がマリアンに渡したものだけは残っていたのね。

「奥様は不穏な気配を感じていらしたのかもしれません。旦那様が外で子供まで作っていたことはご存じではなかったと思いますが。万が一のためにフローラが困らないようにしなければ、と仰っていたそのわずか数日後にお倒れになり……。お嬢様にお渡しできるのがそのネックレスだけになってしまいました」

「これ一つでじゅうぶんよ。ありがとう、マリアン。本当にありがとう」

「もっと早くにお渡しすべきかと思いましたが、その……」

「ええ、わかっているわ。イレーネ夫人が私の部屋に無断で入って色々調べていたことも何度もあったものね。小屋の鍵は粗末だったし。今渡してくれたのが最善だったと思うわ」

箱をぎゅっと抱きしめる。

お母様の形見はすべて奪われてしまったと思ったのに、ひとつだけ残っていた。

それが嬉しくてしかたがない。

「すべてあなたのおかげよ、マリアン。あなたのおかげで幸せな気持ちで旅立てるわ」

「はい、どうか……どうかお幸せになられますよう、心から祈っています」

涙を流すマリアンが、無理に笑顔を作る。

その表情が、私の胸をさらに締め付けた。

「ちゃんと幸せになるわ。だから心配しないで」

だって、私はもう幸せだもの。

家族とはうまくいっていないけれど、自分をこんなにも思ってくれる人がいるのだから。

出立の時刻はもう近い。

マリアンに身支度を手伝ってもらいながら、最後のおしゃべりをたくさんした。

日が昇って、いよいよ出立の時間がやってきた。

ウェディングドレスとわずかな着替え、裁縫道具とお母様のアクセサリーだけが入ったトランク一つとともに馬車に乗り込む。

マリアン以外に見送りはないと思っていたけれど、寝間着のままのライラがあくびをしながら玄関から現れた。

「じゃあね、お姉様。お幸せに。私もあの方と幸せになるから」

マリアンが眉をひそめる。

「ええ、元気でライラ。ペーター様とお幸せにね」

「誰がペーターよ! アーサー様でしょ!」

「ごめんなさい、ずっとお会いしていなかったからお名前も忘れてしまっていたわ」

「だからって全然違うじゃない! この間もアーサー様の話をしたのに、もうっ!」

今度はマリアンが笑いをこらえるようにうつむいていた。

彼女が最後に少しでも笑顔になってくれて、本当によかった。