軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

崩壊の兆し

夜明け前の王都は、まだ霧に包まれていた。

南門へ向かう街道には、いくつもの馬車が並び、通行許可の列を作っている。

その一つ――リュミエール商会の印章を模した荷馬車も、その中にあった。

オックスフォード商会の屋敷でアレスは窓辺で薄明の空を眺めながら、口元に笑みを浮かべていた。

「ふっ、セリーヌの奴。まさか今の今まで気付かないとはな」

その背に、リリアが近づく。

「ええ……楽しみだわ。リュミエール、セリーヌの破滅が」

リリアの瞳は、月の光を受けて妖しく輝いていた。

机の上には、数枚の書状と封蝋の控えが並ぶ。どれも偽造された印章を使い、リュミエール商会の名義で作られた書類だ。

それらが南門を通過した瞬間、監査局に密告を入れる――その段取りまで、すべて整っている。

そのとき、廊下の奥で足音がした。

「アレス様っ!」

扉が勢いよく開かれ、使い走りの若い男が飛び込んできた。

額に汗を浮かべ、声が上ずっている。

「南門で、異変が……っ!」

「異変?」

アレスの声に、部屋の空気が固まった。

「……まさか、荷がバレたのか?」

「い、いえ、それどころか! 搬出の最中に、ハルベルト商会の商兵が現れました! 監査局の役人を伴って……!」

アレスは立ち上がった。

リリアが顔を強ばらせる。

「どうしてハルベルトが……? 検査はまだ始まってないはずよ!」

「報告では、“匿名の通報”を受けたとのことです。荷車はすべて押収されました!」

「……押収、だと?」

低く絞り出すような声だった。

リリアが震える手で扇を握りしめる。

「そ、そんな……検査の前に? そんなはずないわ。だって、通報するタイミングも――」

アレスの拳が、机の端を叩いた。

硬い音が響き、封蝋がひとつ弾け飛ぶ。

「アルフレッドはどうしているんだ!」

怒鳴り声が部屋を震わせた。

使い走りの青年は肩を跳ね上げ、言葉を詰まらせる。

「そ、それが……! 出立されたまま、行方が――」

「は?」

アレスの目が見開かれる。

リリアが息を呑んだ。

「まさか……逃げたっていうの?」

「そ、そんな……た、たぶん違うとは思います! ですが……南門へ向かったとの目撃も……」

アレスの呼吸が荒くなった。

窓の外、夜明けの光が白く差し込み、彼の横顔を無惨に照らす。

「……裏切ったのか、あいつ」

その一言に、リリアが青ざめた。

扇を握る指が小刻みに震えている。

「ま、待ってアレス。アルフレッドはあなたに忠実だったはずよ。そんなこと――」

「忠実な人間が、こんな絶妙なタイミングで姿を消すか!」

アレスの怒声が弾ける。

机の上の書状が宙を舞い、蝋燭の火が揺れた。

沈黙が落ちる。

外からは、遠く衛兵たちの笛の音が聞こえた。

それが、ただの巡回なのか、あるいは――。

アレスは乱れた息を整えようとしたが、胸の奥にざらつくような焦燥がこびりついて離れなかった。

リリアが、震える声で言った

「ど、どうするの……? このままじゃ、監査局がここにも――」

「――時間を稼ぐ」

彼は机の上に散らばる書類を乱暴に掴み、暖炉の火口に叩き込む。

乾いた紙が燃え上がり、炎のはぜる音が静寂を裂いた。

「衛兵を呼べ。屋敷の外を固めろ。どんな口でもいい、“不在中”で押し通せ。監査局が来ても一歩も通すな!」

使い走りの青年が、震える声で答えた。

「は、はいっ……!」

彼が駆け出す音が廊下に消える。

リリアは扇を胸に抱えながら、怯えた声を上げた。

「アレス、そんなことをしたら……余計に疑われるわ!」

「黙れ!」

アレスの怒号が、燃える炎の音をかき消した。

「このままじゃ俺たちの方が“犯人”にされるだろ!」

リリアは言葉を失い、ただ彼を見つめた。

額から落ちる汗が、頬を伝って床に落ちる。

室内には紙の焦げる匂いと、焦燥だけが満ちていた。

外で、何かが軋む音がした。

――馬車の車輪だ。

リリアが顔を上げる。

「……今の音、まさか……」

アレスは窓辺に駆け寄り、厚いカーテンの隙間から外を覗いた。

まだ薄明るい霧の中、石畳の街道をいくつもの人影が進んでくる。

先頭に立つ人物は、黒い外套をまとい、まっすぐ屋敷の門へと歩を進めていた。

護衛らしき数名が、周囲の衛兵に書状を突きつけ、何の抵抗も受けずに通り抜けていく。

アレスの顔が強張った。

指先が白くなるほど窓枠を掴む。

「……嘘だろ」

屋敷の玄関に近づくたび、靴音がはっきりと響いてくる。

「アレス様っ!」

廊下の奥から、執事が駆け込んでくる。

「り、リュミエール商会の……セリーヌ様が、お見えです!」

リリアは一歩後ずさり、首を振る。

「来るはずが……ない。どうして……」

そのとき、玄関の重い扉が軋む音を立てた。

冷たい朝の空気が廊下を流れ込み、炎の熱を奪っていく。

セリーヌ・リュミエール。

黒い外套の裾を引きずり、霧を纏ったような静けさで、ゆっくりと歩み入ってくる。

セリーヌの視線が、二人を一瞥したのち、アレスへと向けられる。

セリーヌは微動だにせず、ただ静かに唇を開いた。

「――お久しぶりですね皆さん」

その一瞬で、部屋の空気が凍りついたのだった。