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聖女様の奇跡を支えるだけの侍女と言われました。では、祈祷台帳から私の名前を消します

作者: Sophia Rose

本文

奇跡には、順番がある。

病人の名を確かめること。

症状を記録すること。

使う魔力石の種類を選ぶこと。

神官の巡回時間と、祈祷室の空き時間を合わせること。

前日に焚いた浄化香の残りを確認し、祈りの言葉に誤記がないかを確かめ、癒やしを受ける者の家族へ説明を済ませること。

そして最後に、祈祷台帳へ署名すること。

そのすべてを終えてから、聖女様は白い祭壇の前に立つ。

人々はそれを、奇跡と呼んだ。

「エレナ、今日の祈祷順は?」

王宮礼拝堂の控え室で、聖女候補アリア様が鏡の前に座ったまま尋ねた。

私は祈祷台帳を開く。

「午前は三件です。第一祈祷室で、騎士団第三隊の副隊長様。左腕の魔獣傷です。魔力石は青石を二つ、白石を一つ。第二祈祷室では南区の商家のご子息、長引く熱症。第三祈祷室は王宮侍女長のお母様、膝の痛みです」

「多いわね」

アリア様は少し不満そうに唇を尖らせた。

「午後は?」

「午後は王妃様主催の慰問祈祷式です。孤児院の子供たち十五名が参列します。癒やしは軽度のものに限り、魔力石は事前に礼拝堂側で調整済みです」

「分かったわ。衣装は?」

「午前は白の祈祷衣。午後は王妃様ご臨席ですので、銀糸の入った正装です」

「髪飾りは?」

「青水晶のものを。午前の青石祈祷と合わせます」

アリア様は満足げに微笑んだ。

「やっぱり、あなたがいると楽ね」

「恐れ入ります」

私は一礼した。

私はエレナ・リーヴェル。

伯爵家の次女として生まれ、今は王宮礼拝堂で聖女候補アリア様の侍女をしている。

ただし、実際の仕事は侍女という言葉から想像されるものより、少しだけ広い。

祈祷台帳の管理。

魔力石の在庫確認。

病人の症状記録。

神官の巡回表作成。

浄化香と聖水の発注。

祈祷室の使用順調整。

癒やしを受ける者の身元確認。

祈祷後の経過報告書作成。

アリア様は強い癒やしの力を持っている。

それは間違いない。

けれど、力だけでは奇跡は起きない。

熱症の子供に、骨折用の祈りを捧げても意味がない。

魔獣傷に弱い白石を使えば、傷は閉じきらない。

浄化の足りない部屋で癒やしを行えば、悪い気が戻る。

だから私は、毎朝祈祷台帳を整える。

アリア様が奇跡を起こせるように。

奇跡が、必要な人へ正しく届くように。

午前の祈祷は滞りなく終わった。

騎士団の副隊長の腕は動くようになり、南区の子供の熱は下がり、侍女長のお母様は杖なしで三歩歩いた。

礼拝堂の外では、人々が口々にアリア様を讃えていた。

「さすが聖女様だ」

「アリア様の奇跡は本物だわ」

「王国の宝だ」

アリア様は頬を染め、優雅に微笑む。

私は少し後ろに下がり、祈祷後の記録を書いていた。

副隊長、左腕可動域七割回復。三日後に再確認。

南区商家子息、熱症軽減。薬師による薬湯継続。

侍女長母君、痛み半減。無理な歩行を禁ず。

すべてを書き終え、署名欄に自分の名を記す。

エレナ・リーヴェル。

王宮礼拝堂祈祷補佐。

それが、私の役目だった。

午後の慰問祈祷式には、第二王子ユリウス殿下も参列された。

金髪に深い青の瞳を持つ、穏やかな方だ。

王妃様の名代として、近年は王宮礼拝堂の慈善事業に関わっておられる。

アリア様は殿下の姿を見るなり、ぱっと顔を輝かせた。

「ユリウス殿下、本日はお越しいただき光栄です」

「こちらこそ、アリア嬢。あなたの祈りが子供たちの助けになることを、母も喜んでいます」

「精一杯、祈らせていただきますわ」

アリア様は美しく一礼した。

その横で、私は台帳と照合しながら子供たちの順番を確認する。

孤児院の子供たち十五名。

うち三名は魔力酔いしやすい体質。

二名は浄化香に弱い。

一名は過去に青石祈祷で発疹が出ている。

その子だけは白石祈祷へ変更済み。

私は神官へ小声で指示を出した。

「七番の子は青石を使わないでください。白石一つで十分です。十番の子は浄化香から離して。三番、四番、十二番は魔力酔いしやすいので、祈祷後すぐに甘水を」

「承知しました、エレナ様」

神官が頷く。

私は台帳へ確認印を入れた。

祈祷式は成功した。

子供たちの顔色は明るくなり、王妃様も満足そうに微笑まれた。

アリア様は、拍手の中で深く頭を下げる。

その姿は、誰が見ても聖女だった。

祈祷式のあと、王宮礼拝堂の応接室で小さな茶会が開かれた。

王妃様は先に戻られ、残ったのはユリウス殿下、アリア様、数名の貴族令嬢、礼拝堂長、そして補佐役の私だった。

もっとも、私は壁際に控えていた。

「本日の祈祷も素晴らしかったですわ、アリア様」

侯爵令嬢がうっとりと声を上げる。

「十五人もの子供たちを、あんなに優しく癒やされるなんて」

「本当に。聖女様の奇跡は、神に愛された者だけが持つ力ですわね」

アリア様は控えめに微笑んだ。

「そんな、大げさですわ。私はただ、祈っているだけです」

私は茶器の配置を整えながら、心の中で台帳の残作業を確認していた。

祈祷後の体調変化。

使った魔力石の個数。

浄化香の残量。

孤児院への経過観察依頼。

王妃様への報告書。

今夜中にまとめなければならない。

すると、一人の令嬢が私の方を見た。

「あちらの方が、いつもアリア様のお側にいる侍女ですの?」

アリア様はちらりと私を見た。

「ええ。エレナよ」

「祈祷台帳を持っていらっしゃるのね」

「細かい準備をしてくれるの。便利なのよ」

便利。

その言葉に、私は一瞬だけ手を止めた。

けれどすぐに表情を戻す。

アリア様に悪気はない。

いつものことだ。

彼女にとって私は、必要なものを用意する人間。

祈祷衣を選び、台帳を開き、順番を告げ、報告書を書く侍女。

そう思われていることは、知っていた。

ユリウス殿下が穏やかに口を開く。

「エレナ嬢の台帳は、いつ見ても正確ですね。今日も子供たちの体質に合わせて祈祷石を変えていたと聞きました」

私は一礼した。

「恐れ入ります」

アリア様の笑顔が、少しだけ固くなった。

「殿下、エレナはただの侍女ですわ。私の奇跡に名前を残すほどのことはしておりません」

応接室が静かになった。

礼拝堂長がわずかに眉を動かした。

私は顔を上げた。

アリア様は微笑んだまま続けた。

「もちろん、よく働いてくれているのは分かっています。でも、奇跡を起こしているのは神への祈りですもの。台帳や順番などは、誰が書いても同じですわ」

「アリア様」

私は静かに声を出した。

「何かしら」

「祈祷台帳の署名欄についてですが」

「ええ」

「今後、私の名を残さない形に変更なさいますか」

アリア様は少し驚いたように目を瞬かせた。

それから、どこかほっとしたように笑った。

「そうね。その方が分かりやすいかもしれないわ。祈祷の責任者は私ですもの」

「承知いたしました」

私は台帳を閉じた。

「本日分より、私の署名を削除いたします」

礼拝堂長が椅子から腰を浮かせた。

「エレナ嬢、それは」

「アリア様のご希望ですので」

私は深く一礼した。

「今後、祈祷台帳には聖女候補アリア様の署名のみを残します。準備記録、確認印、補佐署名、体質照合欄、魔力石選定記録から、私の名は外します」

アリア様は満足げだった。

「ええ、それでいいわ」

ユリウス殿下は黙って私を見ていた。

その瞳に、何かを測るような色があった。

私はそれ以上何も言わず、応接室を下がった。

その夜、私は祈祷台帳の書式を変更した。

補佐署名欄を空白にする。

確認印欄を削る。

症状照合欄を簡略化する。

魔力石の選定理由を書く欄を消す。

浄化香の相性記録も、神官巡回表との照合欄も外した。

最後に、署名欄へアリア様の名だけを残す。

アリア・フェルメル。

聖女候補。

私は自分の名が消えた台帳を見下ろした。

不思議と、悲しくはなかった。

ただ、ひどく静かだった。

翌朝、最初の異変が起きた。

「エレナ、今日の祈祷順は?」

アリア様が控え室で尋ねた。

私は新しい台帳を差し出す。

「本日はアリア様のご署名のみの台帳です。祈祷順はこちらに記されています」

「ええと……第一祈祷室が、侯爵夫人? 第二祈祷室が騎士? 第三が子供?」

「はい」

「どの魔力石を使えばいいの?」

「台帳には記載されておりません」

アリア様が顔を上げた。

「どうして?」

「昨日、準備記録と選定理由は不要とのことでしたので」

「でも、それでは分からないわ」

「祈祷の責任者はアリア様です」

私は穏やかに答えた。

「必要でしたら、ご自身で症状記録をご確認ください」

アリア様はむっとした。

「意地悪をしているの?」

「いいえ」

「なら、いつも通り教えて」

「いつも通りの補佐記録は、今後台帳に残さないことになりました」

「口で言えばいいでしょう」

「口頭指示は、祈祷事故が起きた場合に責任の所在が不明になります。台帳に署名が残らない以上、私から判断をお伝えすることはできません」

アリア様は唇を噛んだ。

「もういいわ。青石を使えば大体治るでしょう」

「第一祈祷室の侯爵夫人は、青石に弱い体質です」

「どうしてそれを先に言わないの!」

「台帳から相性記録欄を削除しましたので」

控え室にいた神官たちが顔を見合わせる。

結局、その祈祷は礼拝堂長の判断で延期になった。

次の騎士の治療では、魔力石の量を誤り、傷は半分しか塞がらなかった。

三件目の子供には浄化香が強すぎて、祈祷前に咳き込ませてしまった。

幸い大事には至らなかった。

けれど、王宮礼拝堂の空気は明らかに変わった。

昼過ぎ、礼拝堂長が私を呼び出した。

「エレナ嬢」

「はい」

「昨日の台帳変更についてだが」

「アリア様のご希望に従いました」

「それは分かっている。だが、祈祷に支障が出ている」

「そうですね」

「元に戻せないか」

私は礼拝堂長を見た。

「私の署名を戻す、ということでしょうか」

「そうだ。君の補佐記録がなければ、現場が回らない」

「では、その旨を正式に記録してください」

礼拝堂長は言葉に詰まった。

「正式に?」

「はい。王宮礼拝堂長名義で、祈祷台帳におけるエレナ・リーヴェルの補佐署名、準備記録、魔力石選定記録、体質照合記録が、祈祷の安全運用に必要であると」

「それは」

「記録に残せないのでしたら、私の署名は戻せません」

礼拝堂長は困った顔をした。

「アリア嬢の気持ちもある」

「では、アリア様のご判断を優先なさってください」

私は一礼した。

「奇跡は、アリア様おひとりで成り立つとのことでしたので」

礼拝堂長は何も言えなかった。

混乱は、翌日さらに大きくなった。

王宮騎士団長の古傷治療で、古い症状記録を見落とし、祈祷が中止になった。

王都北区の産院から来た助産師には、必要な浄化香を用意し忘れた。

王族用祈祷室では、白石と銀石の保管箱が入れ替わっており、神官が直前で気づいて大騒ぎになった。

アリア様は疲れた顔で私を睨んだ。

「エレナ、あなたがちゃんと準備しないから」

「準備は、台帳に記録された範囲で行っております」

「前はもっと細かくやっていたでしょう!」

「前は私の署名がありました」

「署名くらいで何が変わるの」

「責任が変わります」

私は答えた。

「記録に名を残すということは、祈祷前の確認に責任を持つということです。名前を消すのであれば、私が判断したという証拠も残りません」

「そんな理屈ばかり!」

「祈祷事故は理屈で防ぐものです」

アリア様の目に涙が浮かんだ。

「私は聖女なのよ。皆、私の奇跡を待っているのよ。なのに、どうしてあなたは助けてくれないの」

「私はずっと助けておりました」

「だったら今も助けて!」

「私の名を残すほどのことではないと、アリア様がおっしゃいました」

彼女は息を呑んだ。

周囲の神官たちは、気まずそうに視線を伏せている。

そのとき、礼拝堂の入口から低い声が響いた。

「その件について、確認させていただきたい」

振り向くと、ユリウス殿下が立っていた。

その隣には、王宮法務局の制服を着た文官が二名。

さらに王宮衛生局の検査官もいる。

礼拝堂長が慌てて頭を下げた。

「殿下、これは」

「王宮礼拝堂の祈祷運用に支障が出ていると報告を受けた。昨日から王族祈祷室での手順違反も確認されている」

ユリウス殿下の声は穏やかだった。

けれど、場の空気は重くなる。

「アリア嬢」

「は、はい」

「祈祷台帳からエレナ嬢の補佐署名を外したのは、あなたの判断ですか」

アリア様は青ざめた。

「それは……その、エレナが勝手に」

私は静かに台帳を開いた。

「昨日の茶会後、アリア様より、祈祷の責任者はご自身であり、私の名を残す必要はないとのご意向をいただきました。礼拝堂長、神官二名、ユリウス殿下も同席されておりました」

ユリウス殿下が頷いた。

「確かに聞いている」

アリア様の肩が震えた。

「でも、私はこんなことになるなんて思わなかったのです。ただ、皆がエレナばかり褒めるから……」

「ばかり、ではありません」

ユリウス殿下は言った。

「アリア嬢の癒やしの力は、誰も否定していません」

「では、なぜ」

「力を正しく使うための仕組みを軽んじたことが問題なのです」

王宮法務局の文官が、台帳を確認しながら口を開いた。

「祈祷台帳の旧書式では、症状記録、魔力石選定理由、体質照合、祈祷室清浄確認、神官巡回照合、補佐署名が揃っています。新書式では、それらの多くが削除されていますね」

「はい」

私は答えた。

「アリア様の署名のみを残す形に変更いたしました」

「その結果、祈祷延期三件、魔力石選定不備二件、浄化香相性不備一件、王族祈祷室手順違反一件」

文官は淡々と記録する。

「重大事故にならなかったのは、現場神官の判断と、エレナ嬢が過去記録を保管していたためですね」

礼拝堂長が額の汗を拭った。

アリア様は泣きそうな顔でユリウス殿下を見た。

「殿下、私はただ、聖女として認められたかったのです」

「認められることと、支えてくれる者の名を消すことは違います」

その言葉は静かだった。

だからこそ、よく響いた。

アリア様は俯いた。

「エレナ……ごめんなさい。あなたの署名を戻して。お願い」

私は台帳を閉じた。

「お断りいたします」

アリア様が顔を上げた。

「え……?」

「一度、不要とされた署名を、混乱したから戻してほしいと言われても、すぐには戻せません」

「そんな」

「私の名は、便利な確認印ではありません」

礼拝堂が静まり返る。

私は続けた。

「署名とは、責任を負うということです。誰かの名声の下に隠され、必要なときだけ呼び戻されるものではありません」

アリア様は涙をこぼした。

「では、どうすれば」

「王宮礼拝堂として、祈祷補佐の業務と責任範囲を正式に定めてください。祈祷台帳の補佐署名が、安全運用に必要であると記録してください。そして、補佐の判断を聖女候補の気分で消せないようにしてください」

礼拝堂長が深く息を吐いた。

「……君の言う通りだ」

ユリウス殿下が王宮法務局の文官に視線を向ける。

「祈祷補佐職の規程案を作成できるか」

「可能です。王宮法務局で、礼拝堂運用規程として整備します」

アリア様が目を見開いた。

「法務局まで……」

「人を癒やす場だからこそ、記録と責任が必要です」

ユリウス殿下はそう言った。

数日後、王宮礼拝堂には新しい規程が掲示された。

祈祷補佐官。

それが、私に与えられた新しい役職だった。

侍女ではない。

祈祷衣を整えるだけの者でもない。

祈祷台帳を管理し、症状記録を確認し、魔力石と浄化香の選定を補佐し、祈祷の安全運用に責任を持つ役職。

私はその任命書を受け取った。

署名欄には、王宮礼拝堂長と、王宮法務局、そしてユリウス殿下の確認印があった。

「エレナ・リーヴェル嬢」

ユリウス殿下が言う。

「王宮礼拝堂祈祷補佐官として、今後も力を貸してほしい」

「謹んでお受けいたします」

私は深く一礼した。

アリア様は少し離れた場所に立っていた。

以前よりも地味な祈祷衣を着ている。

彼女は私の前に来ると、小さく頭を下げた。

「エレナ。ごめんなさい」

「謝罪は受け取ります」

「私、あなたが何をしているのか、本当には分かっていなかったわ。自分が祈れば、全部うまくいくと思っていた」

「アリア様の祈りに力があるのは事実です」

「でも、それだけでは駄目なのね」

「はい」

アリア様は唇を噛んだ。

「これから、台帳の読み方を教えてくれる?」

私は少しだけ考えた。

彼女の謝罪が、すべてを消すわけではない。

消された名前が、何もなかったことになるわけではない。

けれど、奇跡を待つ人々に罪はない。

「規程に基づく範囲であれば」

私は答えた。

「祈祷前の確認手順を共有いたします」

アリア様はほっとしたように頷いた。

「ありがとう」

「ただし」

「ええ」

「台帳には、確認した者の名を必ず残します」

アリア様はまっすぐ私を見た。

「分かったわ」

その日から、王宮礼拝堂の祈祷は少し変わった。

アリア様は祈祷前に台帳を見るようになった。

魔力石の名前を覚え始めた。

浄化香に弱い子供へは、祈祷前に自分で声をかけるようになった。

もちろん、すぐに完璧になったわけではない。

何度も間違えた。

何度も私が訂正した。

そのたびに、台帳へ記録を残した。

誰が確認し、誰が判断し、誰が祈ったのか。

そのすべてを。

数週間後、王宮礼拝堂で大きな祈祷式が行われた。

流行り病の回復祈願。

王都中の診療所から、症状の落ち着いた患者たちが集まった。

私は祈祷補佐官として、台帳を抱えて祭壇の横に立つ。

アリア様は祈祷衣の裾を整え、私に尋ねた。

「エレナ、今日の最初の方は?」

「南区診療所の少女です。熱は下がっていますが、魔力酔いしやすい体質です。白石一つ、祈祷時間は通常の半分で」

「分かったわ」

「二番目の騎士は、青石二つ。古傷ですので、癒やしすぎると逆に痛みが出ます」

「三分の二で止めるのね」

「はい」

アリア様は頷き、祭壇へ進んだ。

祈りの光が、白い花びらのように広がる。

人々は息を呑んだ。

その光景は、確かに奇跡だった。

けれど私はもう知っている。

奇跡は、ひとりで立っているわけではない。

祈る者。

記録する者。

確認する者。

魔力石を磨く者。

浄化香を焚く者。

患者の手を引く者。

祈祷後に水を渡す者。

そのすべてがあって、ようやく誰かの痛みへ届く。

祈祷式が終わると、拍手が礼拝堂を満たした。

アリア様は祭壇の前で頭を下げた。

そして、以前とは違い、私の方を振り返った。

「本日の祈祷補佐官、エレナ・リーヴェルに感謝を」

ざわめきが広がった。

私は少し驚いた。

ユリウス殿下が客席で静かに微笑んでいる。

礼拝堂長が頷いていた。

私は台帳を胸に抱き、一礼した。

祈祷後、私は最後の記録を書いた。

流行り病回復祈願、全二十七名。

重大な魔力酔いなし。

浄化香相性不備なし。

祈祷石選定、問題なし。

祈祷者、アリア・フェルメル。

祈祷補佐官、エレナ・リーヴェル。

私はその署名を見つめた。

私の名前は、そこにある。

誰かの奇跡を奪うためではなく。

奇跡を、正しく届く形にするために。

かつて、アリア様は言った。

ただの侍女だと。

奇跡に名前を残す必要はないと。

けれど、名前を残すことは、名誉を奪うことではない。

責任を明らかにし、誰かの働きを見えなくしないためのものだ。

私は祈祷台帳を閉じた。

銀の留め具が、静かに音を立てる。

窓から差し込む夕日が、祭壇と台帳を同じ色に染めていた。

奇跡には、順番がある。

準備がある。

記録がある。

そして、名前がある。

今日も私は、その名前を残す。

誰かの祈りが、必要な人へ正しく届くように。