軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第89話 一番風呂攻防と和風のリゾート

穀倉地帯の北西、ベルノー子爵領。

子爵のジルは、フェルメール領から帰還した伝令の報告を聞き、バンッと机を叩いて立ち上がった。

「……なんと! あの泥靴村で、我がベルノーの麻紐を『専用規格』とした新しい道具が大流行しているだと!?」

「はっ。モーガン商会からの正式な発注書も届いております。全土に売り出すため、村の生産ラインをフル稼働させて特急で増産してほしいと」

「カイトめ……あの天才児は、またしてもとんでもない商売を思いつきおったか! わざわざ我が領地の特産品を主力に組み込んでくれるとは、なんという祖父孝行な孫じゃ!」

ジルは感動に打ち震え、目頭を押さえた。だが、フェルメール領に貸し出している護衛からの報告は、それだけではなかった。

「それと、閣下。カイト坊ちゃまは現在、村の職人たちを総動員して、以前の公衆浴場をさらに進化させた『温泉』なる巨大な施設の建設に取り掛かっているとか……」

「……温泉、だと?」

「はい。湿地の奥で地熱で温められた湯の脈にぶち当たりまして。巨大な木製の湯桶をすえつけ、湯を引き込んでいる最中とのことです」

それを聞いた瞬間、ジルの目がカッと見開かれた。

「……馬車を出せェ!! 今すぐフェルメール領へ向かうぞ!!」

そして数日後。

泥靴村の広場を土煙を上げて通り抜け、丘の上のフェルメール邸の前に、見覚えのある豪奢な馬車が護衛と一緒に滑り込んできた。

馬車が完全に止まる前に扉がバンッと開き、ベルノー子爵ジルが弾かれたように飛び出してきた。

「お義父様、ようこそおいでくださいました」

玄関先には、急な来訪の報せを受けて出てきたアルベルトとエレナ、そして足元にはカイトとミレーヌが並んで出迎えていた。

「おお、エレナ! アルベルト! ……そして、ミレーヌや、じいじがきたぞ!」

「じいじ! じいじ!」

「あ、じいじだ! いらっしゃーい!」

トテトテと駆け寄る孫たちを、ジルはまとめて躊躇なく抱き上げ、頬ずりをした。

「おお、カイト! 紐の件、しっかりと報告を受けたぞ! スライダーの専用規格とは、末恐ろしい商才よ! じいじは感動したぞ!」

(ふぉふぉふぉ。相変わらずフットワークの軽いジジイじゃわい。商談のついでに孫の顔を見に来たか?)

カイトは内心でニヤニヤしながら、あざとい笑顔を浮かべた。

「えへへ! じいじのところのヒモ、とってもつよくて最高だもん! だからみんなに使ってほしかったの!」

「くぅぅ〜ッ! なんて可愛い奴らじゃ!」

ジルはひとしきり孫たちを堪能した後、ハッと顔を上げて周囲を見渡した。

「ところでカイトよ。護衛から聞いたのだが……なんでも『温泉』なる新しい風呂を作っているというのは本当か?」

「うん! 大きな木の『おけ』と『おやね』ができたとこだよ!」

(こりゃ、商談というより、完全に『温泉』の噂に釣られて飛んできたな?)

「おおお! では、その『温泉』とやら、さっそく案内してくれ! じいじは誰よりも早く温泉に入りたいんじゃ! ……エレナも来るか?」

「いえ、私はミレーヌもおりますし、まだ温泉は村から少し離れていますから……。あなた、お父様のご案内をお願いしますわ」

エレナが苦笑しながら夫に視線を送ると、アルベルトは「あ、ああ、分かった」と頷き、案内役に駆り出されることになった。

わがまま全開で鼻息を荒くするジルに手を引かれ、カイトとアルベルトは村の奥の建設現場へとジル爺さんの馬車で源泉の出るところまで向かった。

そこには、真新しい木の香りが漂う巨大な『湯桶』と、そこへ向かって源泉から一直線に伸びる五十メルの木の 樋(とい) が完成していた。

湯桶の周りには少し傾斜がついた木製のデッキが組まれ、雨除けの屋根と、手前には立派な『脱衣所』までできあがっている。

ただし、周囲を囲う『外壁』はまだ一切なく、大自然(泥沼)と遠くのバルザス山脈が丸見えのフルオープン状態である。

「おお! これがオンセンか! では早速……」

ジルが高級な上着を脱ごうとした、その時だった。

「ちょぉぉっと待ちなさぁぁい!!」

ドスッ、ドスッ、と地響きを立てて、真っ黒なボンテージファッションに身を包んだ巨漢の女将――マダム・ゴンザレスが立ちはだかった。

「この温泉の仕切りはアタシよ! やっと屋根と脱衣所ができたところなのよ!『一番風呂』は、女将であるアタシがいただくって決めてるの! どこの馬の骨か知らないけど、横入りは許さないわよ!」

ゴンザレスが扇子をバサッと広げて威嚇する。だが、アルベルトが慌てて間に入った。

「ま、待ってくれマダム! このお方はベルノー子爵、ジル閣下だ! ハルバード伯爵が率いる穀倉地帯の派閥で、ナンバーツーを務める大貴族であらせられるぞ!」

「……ベ、ベルノー子爵ですって!?」

その名を聞いた瞬間、ゴンザレスはピクリと顔を引き攣らせた。

王都の裏社会にも通じる情報屋である彼女にとって、ハルバード派閥の重鎮であり、フェルメールの後ろ盾でもあるベルノー家は、絶対に機嫌を損ねてはならない超大物だ。迂闊に手を出せば、自分の商売の根幹が吹き飛びかねない。

「ぐ、ぐぬぬ……っ!」

一番風呂は絶対に譲りたくない。だが、相手の権力は圧倒的。

葛藤でゴンザレスの分厚い胸板がワナワナと震える。

一触即発(?)の空気が流れたその時、カイトが無邪気な声で鶴の一声を上げた。

「じゃあ、いっしょに はいればいいよ!」

「「……え?」」

「おふろの まん中に、男の人と女の人をわける『木の板』があるでしょ? だから、じいじとマダム、みーんなで入れば、みんなが『一番』だよ!」

カイトの天才的(悪魔的)な折衷案により、事態は急転直下で解決した。

かくして、脱衣所で服を脱いだ面々は、木の仕切り板を挟んで一番風呂に雪崩れ込んだ。

男湯側には、ジル爺さん、アルベルト、カイト。そして「南部の実務責任者も同席すべきだ」という理由で、温泉の近くで百人衆の実習を見ていたオデール伯爵領の内政官、ウォルターも巻き込まれた。

ウォルターは内政官でありながら魔法の素養があるため、自ら魔石の構造やハード魔法の実習も終え、治水工事の準備のために一足先に南部に帰還することになっている。

そして女湯側には、マダム・ゴンザレスが巨体を沈めていた。

「……ッ、はぁぁあああ〜〜〜……!!」

大の 大人(とオカマ) たちが一斉に、魂の抜けたような至福の溜息を漏らした。

五十メルの樋を通って適温に冷まされた透明な湯が、冷えた体を芯から温めていく。

「……最高じゃ。王都の風呂とは比べ物にならん広さと湯量だ。だが……」

ジルが湯船の縁に腕を乗せ、外壁のないフルオープンの景色を見渡してポツリとこぼした。

「遠くに見えるバルザス山脈の景色は雄大で素晴らしいが、手前がただの泥ばかりで、どうにも殺風景でいかんな。これではせっかくの湯の風情が台無しではないか」

ジルのもっともな指摘に、アルベルトが苦笑いした時。

隣で肩まで湯に浸かっていた南部の内政官・ウォルターが、静かに口を開いた。

「……閣下。それならば、我が南部の特産品である『竹』を、この温泉の周囲に植えてみてはいかがでしょうか」

「ほう、竹とな?」

「はい。成長が早く、青々とした美しい葉をつけます。目隠しにもなりますし、風に揺れる笹の音は、湯浴みの心に静寂をもたらすかと」

内政官らしく、自領の特産品を大貴族の目に留まらせる隙のない提案だった。

(……ふむ、竹か! 湿地対策として大きめの石で土留めをして乾いた土を盛れば、高低差のある見事な庭園になるのぅ…)

カイトは湯船の中で密かに目を輝かせた。

(遠景にバルザス山脈、近景に風情ある竹林。和風温泉の王道じゃ! ならば外壁で囲い切らず、景色を絵画のように見せる『切り取り窓』を配置すれば、最高のリゾート空間の完成じゃわい!)

「ウォルターのおじちゃん! 竹、いっぱい持ってきて! ぼく、このおふろ、もっとかっこよくする!」

カイトが元気よく声を上げると、ウォルターは恭しく頷き、ジル爺さんも「おお、費用はワシが出してやろう!」と上機嫌で笑った。板の向こうからは、ゴンザレスの「竹林の高級温泉宿……泥パックの値段、さらに釣り上げられるわね!」というえげつない皮算用の声が聞こえてくる。

外壁の無い未完成の野天風呂で、板一枚を隔てた奇妙な混浴風呂は、泥靴村の新たなる『和風リゾート開発』への熱い夢を膨らませていくのだった。