軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第135話 冷徹な論破と、力づくの代償

翌日の昼前。

泥靴村の門の前には、昨日とは比べ物にならない大勢のボルドー領兵が整列していた。

鎧を着ていない者もいたが、ざっと見ても百名近くの兵が集結していた。

その先頭に立つボルドー兵士の隊長が、門前に槍をドガンッと突き立てて大声を張り上げる。

「フェルメールの者ども! 我らはボルドー子爵の命により、脱走した領民の連れ戻しに来た! 直ちに門を開け、グスタフと逃亡者たちを差し出せ! 拒否するなら、フェルメール領は『他領の領民の不法庇護』として、王国法に照らして正式に訴えることになるぞ!」

門の内側でその怒号を真正面から浴びていたのは、本日の門番当番である工兵隊のジョージとガンタだった。

「ひぃぃ……っ! 昨日は下地班で小隊に絡まれて、今日は門番で本隊が来やがった……っ! 俺の 不運(ジンクス) 、全然終わってねぇじゃねえか!!」

「泣き言を言ってる場合じゃないっスよジョージ! 旦那様たちには伝えに走ってもらったっス!門を守るっスよ!」

半泣きになるジョージの背後から、落ち着き払った足音が近づいてきた。

「ご苦労様、ジョージ、ガンタ。……門を開けなさい。私たちが直接対応します」

「奥様! し、しかし相手は武装して……」

「構いません。我が領にやましいことは何一つないのですから」

ジョージたちが恐る恐る重い門を開け放つ。

土煙の向こうに現れたのは、領主アルベルトと妻のエレナ。そしてハルバードの内政官クラークの三人だ。

さらに彼らを守るように、ラインハルトをはじめとする『四名のハルバードの騎士』が、鋭い眼光でボルドーの兵たちを睨み据えていた。

「ボルドーの兵たちよ。我が領に『逃亡者』など一人もいない。彼らは皆、我が領が正式に保護を受け入れた『難民』であり、フェルメールの民だ」

「戯言を! 彼らは我が領の負債を返す義務がある! 王国法に照らし合わせても、正当な領主の命に背くことは許されんぞ!」

隊長が唾を飛ばして王国法を盾にした、その瞬間。

エレナが、スッと一歩前に出た。その顔には、貴族の妻としての冷ややかな微笑みが浮かんでいる。

「王国法に基づく正当な要求ですか? ……笑わせないでくださいな。王国法が領主の権利を保障するのは、領主が『民の命を保障する』という義務を果たしていることが大前提です。……来年の種籾まで奪い、民を餓死させようとしたボルドー子爵に、彼らの避難を止める権利など、王国法のどこをひっくり返しても存在しませんわ」

「なっ……! き、貴様ら……っ!」

図星を突かれた隊長の顔が、みるみるうちに朱に染まった。

「そ、それは領内の些細な問題だ! だが、彼らが我が領の税収と労働力であることに変わりはない! 引き渡さねば、フェルメール男爵領が不当に利益を横領しているとして、王立裁判所に訴え出るぞ!」

痛いところを突かれた隊長が、今度は「裁判」をチラつかせて恫喝してきた。弱小男爵家が一番嫌がる、泥沼の政治闘争の構えだ。

だが、フェルメール側には、その計算において、絶対に敵に回してはいけない冷徹な男が控えていた。

「……なるほど。利益の横領、ですか」

クラークが、手元の帳簿をパタンと閉じ、銀縁眼鏡の奥の目をギラリと光らせた。

「ならば、昨日、フェルメール領である『旧道』に武装した兵士を無断で侵入させ、作業員に刃物を向けた件も併せて王立裁判所で争いましょうか。門の外とはいえ、他領での無断の武力行使は明確な『主権侵害』とみなされますが?」

「なっ……!?」

「その上で、逆にボルドー子爵へ『損害賠償』を請求いたしましょう。……グスタフたち五十名は現在、我がハルバード領とフェルメール領の共同事業である『街道整備』において、正規の雇用契約を結んだ作業員です。もし彼らを不当に連行し、工事の『工期』が遅延した場合。一日にかかる人件費、および稼働を停止する『魔導重機』の維持費と機会損失……。軽く見積もって、一日につき金貨数十枚の違約金が発生しますが、ボルドー子爵にはそれを支払うだけの『蓄え』がおありで?」

「き、金貨数十枚だと!? そんなふざけた言いがかりが通るか!!」

「これ以上彼らの『仕事の邪魔』をするというのなら、即座に王都の王立裁判所を通じて、ボルドー子爵家へ正式な『工事妨害による損害賠償請求』を送達いたしますが。よろしいですね?」

エレナに大義名分をへし折られ、クラークに莫大な借金のカウンターを突きつけられ。

ボルドーの隊長は、口をパクパクとさせたまま完全にフリーズしてしまった。

だが、言い返す言葉を完全に失ったことで、逆に彼の中の「兵士としての粗暴さ」が限界を突破した。

「う、うるさいッ!! 理屈ばっかり並べ立ておって!!」

隊長は顔を真っ赤にして腰の剣を勢いよく引き抜いた。それに呼応して、後ろに控えていたボルドーの兵士たちも一斉に武器を構える。

「こうなったら、力づくでも連れ帰ってやる!! たかがド田舎の弱小男爵が、ボルドーの正規軍に勝てると思うなよ!!」

剣呑な空気が弾け、護衛の騎士たちが一斉に剣の柄に手をかけた、その時だった。

「ねぇ、おじちゃん」

開け放たれた門の横から、ひょいっと黄色いヘルメットの五歳児が姿を現した。

カイトは、抜刀して殺気立つボルドーの兵士たちの前へとトテトテ歩み出ると、小首を傾げて無邪気に尋ねた。

「ちからづくでも、いいの?」

「あぁん? なんだこのガキは! 引っ込んでろ!」

怒り狂う隊長が怒鳴りつける。

「カイト! 危ないから下がりなさい!」

エレナが血相を変えて叫んだ。

だが、カイトは振り返ることなく、大丈夫と言わんばかりに小さな手で親指を立ててママに返事をした。

そして、再び真っ直ぐな瞳で隊長に問いかけた。

「きいてるの。ちからづくでも いいんだよね?」

隊長は、足元の五歳児を鼻で笑って追い払おうとする。

だが、カイトは全く怯む様子を見せない。

その小さな背中の後ろには、カイトが前に出た瞬間に音もなく移動したラインハルトが立っていた。

残る三名の騎士がアルベルトたちを守る中、筆頭騎士は、いつでも剣を抜き放ち、この幼き「神童」を命に代えても守り抜く完璧な迎撃の体勢をとっていた。

「だから、何を言ってるんだこのクソガキが!うざいんだよ!子供の出る幕じゃねぇ、さっさとすっこんでろ!」

隊長が苛立たしげに怒鳴った、その瞬間。

チャラリ……。

カイトは小さな腕にはめられた『ミスリルのチェーンが付いた二連魔石の腕輪』をチャラリと鳴らした。

そして、ボルドーの兵士たちが密集している左の湿地の泥水に向かって、小さな手をビシッと突き出した。

「はい、ちからづく〜! ――それっ!!」

魔力が一気に解放された。

(……かつてワシらが頭から泥を被った、あの失敗『泥シャワー』の威力を、たっぷりと味わうがいいわい!)

――ボゴオオォォォォォォッ!!!

湿地の表面の水が爆発的に跳ね上がり、大量の泥水が津波のように兵士たちの頭上へ降り注いだ。

――バシャアァァァァァァァァァァァァッ!!

「うわあぁぁぁぁっ!? ぐぉっ、泥が、泥がぁぁっ!」

「泥がぁぁっ!」「目が開けらんねぇ……!ゲホッ、ゴホッ!」

一瞬で数十人の兵士が頭の先からつま先までドロドロの泥まみれになった。

「ゲホッ、ゴホッ! な、なんだ……!?」

隊長が泥を吐き出しながらへたり込んだ。

見上げると、そこには腕輪をチャラリと鳴らした五歳児が、満面の笑みで立っていた。

「ちからづくって、これでいい?」

その無邪気な一言に、兵士たちの顔が引きつった。

「ひぃっ……!?」

「ば、バケモノだ……! フェルメールのガキは、バケモノだぁぁっ!!」

だが、彼らの本当の地獄はここからだった。

「ヒィッ! さ、さむいぃぃッ!!」

「ガチガチガチガチッ……動けねぇ!」

十一月の冷たい北風が、泥水をたっぷり吸った鎧と服に容赦なく吹き付ける。

全身を激しく震わせ、歯の根も合わない兵士たちは、泣きべそをかきながら我先にと馬に飛び乗った。

「ヒィィッ……お、憶えてろよぉぉぉッ……!」

泥まみれのまま、ボルドー領へと逃げ帰っていくのだった。

「わあーい! やっつけたよー!」

カイトは遠ざかる兵士たちに向かって無邪気に手を振ると、ドヤ顔でパパたちのほうを振り返った。

だが、そこに待っていたのは、称賛の拍手でも安堵の溜息でもなかった。

腕を組んで仁王立ちし、能面のように冷たい笑みを浮かべた母、エレナの姿である。

「……カ〜イ〜ト?」

「ひっ!?」

地を這うような、絶対に逆らってはいけない絶対強者の声。

カイトの黄色いヘルメットが、ビクッと跳ね上がった。

「なんで、こんな危ない場所に出て来るんです! それに、いくら相手が乱暴な人たちだったとはいえ、あんな泥水を頭から被せるなんて、お行儀が悪いです!」

「あうぅ……ご、ごめんなさい……」

「怪我がなかったから良いという問題ではありません! めっ! です!」

(ふぉ、ふぉふぉふぉ……! しまった、完全に油断しとった! ここで一番恐ろしいのは、ボルドーでも、魔導重機でもなく、怒ったママじゃったわい……!!)

先ほどまで悪魔のような笑顔で泥津波を放っていた五歳児は、今や見る影もなく小さく縮こまり、涙目で母の説教を受け止めている。

「……お、怒られてるな」

「……ああ。さすがの『神童』も、お母上には勝てんか」

アルベルトも、クラークも、ラインハルトも、誰もエレナを止めようとはせず、冷や汗を流しながら直立不動で「五歳児への説教」を見守っていた。

「俺……今日あった出来事の中で奥様の説教に一番震えてるっす……」

門番のガンタが、引きつった顔でポツリと漏らす。

「奇遇だな、ガンタ。……俺もだ」

隣でジョージも、顔を引きつらせたまま深く頷いていた。

その横で、グスタフたちボルドーからの難民も、ポカンと口を開けたまま、平和なフェルメール領の日常風景を見つめていた。

かくして、ボルドー軍の脅威は去り、泥靴村には再び、最強の母の小言と賑やかな活気が戻ってきたのだった。