軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

その後の更に後の話※メアリとアディ※

結婚してからというものメアリとアディの生活は劇的に変化……しておらず、相変わらず『変わり者の令嬢と主人に対して無礼な従者』であった。

今までずっと、それこそメアリが生まれてからずっとそばにいて、誰より近くで共に過ごしてきた。その中で作り上げたのがこの関係なのだ。今更初々しい空気になどなれるわけがなく、なにより二人ともそんなことを望んではいなかった。

それでも多少の変化はあるもので、夕食後の庭園でのティータイムが最近ではアディの部屋で行われるようになっていた。

もっとも、場所が変われど話の内容は変わらず、やれアリシアが後ろから忍び寄って飛びかかってきただの、パルフェットからの手紙が滲んでいて読めなかっただの、ムードもなにもない二人らしい雑談である。

「今夜は少し冷えるわね」

とは、淹れてもらった紅茶を飲みつつ窓の外を眺めるメアリ。

つられてアディも視線を向け、同意だと頷いて返す。今夜はとりわけ風が冷たく、暗くなるのも普段より少し早かった。月も星も見えない重い夜闇が広がっているあたり、厚い雲が覆っているのだろう。

「雨が降るかも知れませんね」

「ベッドを暖めておいてもらおうかしら」

そんな他愛もない会話を交わしてしばらく、メアリが「それじゃ、部屋に戻るわね」と立ち上がった。普段通り、帰宅――といっても隣の建物に移るだけだが――の時間。

それにあわせてアディも立ち上がるのは、勿論メアリを見送るためである。だが今夜だけはどこか緊張しているような面持ちで「お嬢……」とメアリに話しかけた。

「……明日は休みですから、もう少しゆっくりしていったらどうですか」

「読みかけの本があるのよ、それを今夜中に……そうだ、本といえばこのまえ貸した本……」

言い掛け、メアリが本棚へと振り返り……グイと腕を掴まれた。

小さく声をあげたのは、強引に腕をとられ背中を本棚にぶつけたから。

痛みすら感じかねないその強引さに、いったいなによ!とメアリが文句を言おうとし、目の前に立つアディに小さく息を飲んだ。

腕を掴む手が熱い。彼の右腕が自分の視界にうつりこむのは、顔の真横に手をついているから。まるで退路を断つように本棚とアディに挟まれ、メアリが困惑の色を浮かべながら彼を見上げた。

「……アディ」

「お嬢」

本棚に追いつめられ、逃げ場を失い、見つめられ。それでもメアリは小さく息を吐くと、彼の赤い瞳に応えるように柔らかく微笑んだ。

「やましい本は隠しなさいって言ったじゃない」

「すみませんでした! 一冊隠し忘れてました! なので振り返らず、本棚を見ず、ゆっくりと、俺の誘導に従って前に進んでください」

「まったくもう」

ちょっとビックリしたじゃない、と小さく呟きつつ、メアリが誘導されるままに本棚から離れる。

そうして今度こそ自室へと戻ろうと扉に手をかけ……その手に一回り近く大きな手が被さり、ピクリと指先を跳ねさせた。

次いで胸下にアディの腕が回され、背後からきつく抱きしめられる。背中にアディの体が触れ、吐息が耳にかかる。包み込まれるようなこの包容に先程まで肌寒くさえ感じていた体が一瞬にして熱を灯らせた。

「な、なに……また何かやましいものでもあったの?」

「今この部屋に俺以上にやましいものなんてありませんよ」

耳元で囁くように返され、その甘さとくすぐったさにメアリの体が震える。

普段から聞いている、それどころか生まれた時から耳にしているはずのこの声が、今夜だけは心に灯った熱をさらに燃え上がらせる。あぁ溶けてしまいそう……と、メアリがやんわりと瞳を細めた。

「帰らないでください」

「……アディ」

「俺の部屋に泊まってください。……今夜は、俺の腕の中で眠ってください」

そうハッキリと言われ、メアリの心臓が跳ね上がり体が一瞬にして熱を増す。

この言葉の意味が分からないほど 初心(うぶ) ではない。いつかはそうなるのだろうと考えもしたし、覚悟もしていたつもりだ。

だが実際にそれが目前に迫ると不安と恐怖が増し、請うような熱っぽいアディの声が胸を締め付けさせる。

大事にしてくれるからこそ、こうやって許可を得るように求めてくれるのだ。だが今だけは、いっそ襲ってくれたほうがマシかもしれないとも思える。

「……お嬢」

回答を求めるように一度強く抱きしめられ、メアリが瞳を閉じた。

「……だめよ、一度部屋に戻らないと」

心配しちゃうでしょ、とメアリが告げるのは、もちろん部屋で待っているメイドのことである。

男のアディではできない着替えの手伝い、それに風呂や就寝の支度、そういったことを任される彼女は、メアリが戻ってくるまでずっと部屋を暖めて待っているはずだ。戻らなければ心配し、果てには探しに回るだろう。

……まぁ、この流れで朝帰りしても「どうせアディのところでしょ」の一言で済まされそうな気もするが。

とにかく「だから一度戻らなきゃ」と訴えるメアリに、アディが僅かに溜息をつき抱きしめていた腕を離しかけ……「一度?」と小さく声をあげた。

「一度、部屋に戻って……そのあとは?」

「ねぇアディ、今夜は冷えそうね」

「えぇ、そうですね」

「……一人で寝るには寒すぎるわ」

そう告げ、メアリがアディの腕からスルリと抜けて部屋から出ていく。

いつも交わしている就寝の挨拶も明日の予定の確認もないのは……つまり、そういうことである。

ヒンヤリとした夜風は逆に火照った体に心地良く、メアリが自室へと戻る頃には早鐘だった心臓もだいぶ落ち着きを取り戻していた。

「お風呂に入られている間にベッドを暖めておきます」

今夜は冷えますからね、と話しながら入浴の準備をするメイドに、メアリが僅かに言い淀みながら「あのね……」と声をかけた。

「えっと……あの、ベッドは、暖めなくても大丈夫よ」

「どうしてですか? お腹冷やしますよ?」

「だ、大丈夫なのよ……」

誤魔化すようにそっぽを向けば、メイドが不思議そうに首を傾げる。

それでも何かしら理由があると察したのか「かしこまりました」と恭しく頭を下げ、メアリを浴室へと案内する。もちろんアルバート家の令嬢であるメアリがタオルやパジャマ、ましてや下着なんて持つわけがなく、彼女が手にしているそれらをチラと一瞥し、再び「あのね……」と声をかけた。

「ねぇ……その、別のないかしら」

「別のって、下着でしょうか。勿論ございますが、どうなさいました? これだとお腹冷えますか?」

「なんだってそうも私のお腹ばっか心配するのよ……そうじゃなくて、もう少し可愛いものを……あ、あと、外に出るから上着も用意しておいて」

「外に……またアリシア様の パジャマパーティー(夜襲) でもあるんですか?」

「大丈夫よ、あれは月に一度にするように言い聞かせてあるから。この間きたばっかでしょ。そうじゃなくて……その、と、泊まるのよ」

「どこに?」

「……アディの部屋に」

顔を真っ赤にしながら言い捨てるメアリの言葉に、メイドが目を丸くさせ……

「七十七番!」

と声をあげ、近くにいたメイド達のもとへと駆け寄っていった。

「七十七番!」

「……な、七十七番!?」

「七十七番!」

おおよそアルバート家に仕える者とは思えない――それどころかまともな人間とすら思えない――応酬を繰り返し、一人がまるで誰かに伝えにいく役を負ったかのようにパタパタと走っていった。

それから数秒、ようやく我にかえったメアリが慌てて駆けていったメイドを追いかけるのだが……屋敷のあちこちから聞こえてくる「七十七番!」という声に膝から崩れ落ちた。

さすがはアルバート家、仕えている者達の伝達能力は国内一である。

……あ、これ駄目だわ。

と、遠くから聞こえてくる七十七番の声にメアリが早々に諦め、ふんと開き直ると共に立ち上がった。

「そういうことだから、明日の朝は起こしに来なくて結構よ」

言い捨てるようにメアリが告げれば、メイドが「かしこまりました」と頷いて返す。

その声色と表情のなんと嬉しそうなことか。見守り続けていた二人がようやく結ばれる、と、そんな喜びに満ちている。もっとも、メアリは恥ずかしさが勝って素直に祝われる気になれず

「そんなに喜ぶほど、私を起こすのが嫌なのね」

と拗ねたふりをしてみせた。

そうして入浴を終え、「七十七番いってらっしゃいませー」というメイドの見送りに「七十七番いってくるわよ!これじゃ私が七十七番みたいじゃない、何のよ!」と喚きつつ上着を羽織って隣の建物へと向かう。

見慣れた扉。その前で一度深呼吸をし、コンコンとゆっくりと叩く。数秒待てばアディが顔を出し、「どうぞ」と自然な流れで部屋の中へと招かれる。普段通りの流れ。だが妙に恥ずかしくて、互いに顔を背けあう。交わす言葉もてんでちぐはぐで会話にすらならない。

そんな気まずい空気を漂わせ、ふとメアリが思い出したかのようにアディの名を呼んで彼を見上げた。

「アディ、あのね……ここに来る前」

「どうしました?」

「……七十七番」

「大丈夫です。もう寮中に、むしろ俺の部屋にまで伝わってます」

「さすがの伝達力ね、頼りになりすぎて泣けてくるわ」

「どうして七十後半が欠番しているんだろうって疑問に思ってたんですが、あれは欠番じゃなくて俺関係なんでしょうね……」

二人して遠い目をし、揃って溜息をつく。

今この瞬間も七十七番は従業員達の間を駆け抜け――むしろ、もう広まりきっているかもしれない――翌朝には周知のこととなっているのだろう。

もちろんそれが下世話な扱いではなく、仕える者として彼女達が把握しておくべき情報なのは分かる。分かっているのだが……。

「なんだか恥ずかしいわね。明日どんな顔をして皆に会えばいいのかしら……」

「あ、それなら大丈夫ですよ。もう皆この話題に飽きて、既に別の話題で盛り上がってましたから」

「いつも思うんだけど私の扱いおかしくないかしら! 大事な大事なアルバート家の令嬢なのよ!?」

「まぁまぁ、落ち着いて」

キィ!と喚くメアリをアディが優しく撫でつつ、そのままゆっくりと抱きしめる。流れるようなその抱擁に、気付けば彼の腕の中におさまっていたメアリが「あら」と小さく声をあげた。

もっとも、いつの間にと思えど振り払うことも、ましてやすり抜けることもしない。むしろもっと強くと強請るように額を寄せれば、それを察してくれたのか背に回された腕がよりきつく体を抱きしめてくる。

その感覚にメアリがうっとりと瞳を細め……はたと我に返ってアディを見上げた。

「ねぇ、これからどうしたらいいのかしら。私、ここからどうやってベッドに行けばいいのか分からないわ」

「大丈夫ですよ。俺が誘導してさしあげますから」

「あら、そうなの?」

「えぇ、そういうものです」

「それならお願いしようかしら」

と、そんなムードもなにもない会話を交わしつつ、ゆっくりとベッドへと誘われていった。

そうして甘い夜をすごすわけなのだが……その途中

「待って! やっぱりちょっと怖い!雨天延期、雨天延期を申し立てるわ!」

「小雨の場合は決行です!」

と言ったやりとりや

「大丈夫ですから。痛かったら右手をあげてくださいね」

「その言葉だけは信じるなって前世の記憶が訴えてる!」

といった間の抜けた会話が交わされたりと、甘いことは甘いのだが、おおよそムードの無いなんとも二人らしい夜だった。

そんな夜があけて翌朝。ムクと起きあがったメアリは自分が裸であることに気付き「あらあら」と寝ぼけ眼で手近の布団を体に巻き付けた。

そうして周囲を見回し、ベッドの端に畳んで置かれているパジャマに視線を止める。もう起きてるのね……と、そんなことをボンヤリと考えていると、キッチンからアディが顔を覗かせた。

さすがは従者、既に身嗜みを整えている。

「お嬢、おはようございます。今紅茶を淹れますんで、ちょっと待っててくださいね」

「あなた、もう着替えたのね」

モゾモゾといまさらパジャマに着替え、メアリが再び布団に潜り込む。

「残念だわ」とポツリと呟けば、ティーカップをトレーに乗せたアディがどういうことかと首を傾げた。

「残念って、何がですか?」

カップを差し出しながらアディが不思議そうに問えば、対していまだパジャマのメアリが微睡んだ表情で

「せっかくだから、寝起きはくっついていたかったのよ」

と笑う。

「まぁでも、せっかく用意してくれたんだもの、私もそろそろ起きようかしら」

そう話しながらカップに口をつけ、コクリと一口飲み込む。

暖かな湯気が鼻先をくすぐるように掠め、ほのかな甘みが口の中に広がる。これを飲んで、身形を整えて……と、紅茶に視線を落としながらこれからの予定を立てていたメアリがふと顔をあげ、思わずビクリと肩を震わせた。

アディがいる。……いや、いること自体は当然である、彼の部屋なのだから。だがパジャマなのだ。

つい先程、それこそメアリが紅茶に視線を向ける前まで、彼は普段通りアルバート家従者らしい格好をしていた。それなのに……

「ア、アディ……貴方、いつの間に着替えたの?」

「それが俺自身さっぱり分かりません。人間、やろうと思えば何でも出来るんですね」

「愛の力は偉大だわねぇ」

「正直、シャツを脱いだ記憶すらありません」

「中に着てたりして」

冗談混じりにメアリが笑えば、アディもつられて「そんなまさか」と苦笑をもらす。それでも確認するように胸元をグイと引っ張って中を覗き、ピタリと動きをとめた。

「なるほど、どうりでシャツを脱いだ記憶がないわけだ。俺はシャツを脱いでいない」

「さっさと着替えてらっしゃい」

まったく、と言いたげにメアリが溜息をつく。

そうして淹れたての紅茶を味わっていると、着替える為にと席を外していたアディが戻ってきた。今度はちゃんと……パジャマで。

これにはメアリも「あら」と小さく声をあげ、ついで夫の分かりやすさに思わず笑みをこぼした。せっかく着替えたのに、と意地悪気に告げれば、恥ずかしそうに頬を赤くさせたアディがベッドに乗ってくる。

ヒョイと片手でカップを取られ、まるで「これは後で」とでも言いたげに枕元の小さな机に置かれてしまう。そうして戻ってきた手が今度は頬を撫でてくる。

なんて甘い、紅茶よりも甘い。

ゆっくりと押し倒されれば、抗う理由のないメアリの体がそれに促されるように再びベッドへと戻る。ポスンと軽い音を立てて仰向けに寝転がると、アディの体が覆い被さるように抱きしめてきた。

「今日は休みよ、もうしばらくこうしていましょ」

「さすがお嬢、名案ですね」

そうクスクスと笑いあいながら互いに身を寄せ、頭から布団をかぶった。