軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

「メアリ様、おめでとうございます」

そう医師に告げられ、メアリはパチンと瞬きをした。

場所はアルバート家の屋敷。その中の一室。

メアリが向かい合って座っているのはアルバート家お抱えの医師だ。メアリも幼少時から世話になっており、祖父のように慕っている。

ここ数日気だるさを感じて彼に看て貰っていたのだが、予想もしない返答に瞬きするしかない。診断の末「風邪ですね」だの「疲れですね」だの「仮病はいけませんよ」だのといった言葉は今まで幾度となく聞いてきたが、「おめでとうございます」は初めてだ。

そもそも、不調を訴えているのに祝われるとは、なんともおかしな話ではないか。それを話せば、医師が改めるように「おめでとうございます」と再び祝ってきた。

「よく分からないけど、ありがとう。それで私の容態は?」

「ですから、おめでとうございます」

「何度も丁寧にありがとう。それでいったいこの気だるさは何なのかしら。それに最近やたらと眠いのよね」

「えぇ、なので『おめでとうございます』と」

「ありがとう、それほどおめでたいなら後でケーキを焼いてもらいましょう。だけどこのだるさは困っちゃうわ。風邪かしら」

「……おめでとうございます、メアリ様。心よりお祝い申し上げます」

念を押すように伝えてくる医師に、さすがにメアリも違和感を覚えて彼を見た。

随分と嬉しそうで、目尻の皺をいつもより深くさせて微笑んでいる。

まるで孫の祝い事を目の当たりにしているかのようではないか。けして患者を前にする医師の顔ではない。

それをじっと見つめていれば、メアリの胸の内にとある考えが浮かび、次第にじわりじわりと滲むように実感がわき始めた。

医師が「おめでとうございます」と告げてくる。

それはつまり……。

「おめでとう、なの?」

恐る恐る己の腹部に手を添えながら尋ねれば、ようやく伝わったと言いたげに医師が頷いた。

その表情すらも優しいあたり、さすがは長年の屋敷勤めである。彼にとってメアリの鈍ささえも愛でる要素なのだ。

「えぇ、おめでとうございます。このような場に立ち会えること、光栄に思います」

「そうなのね、おめでたいのね……。私のお腹に……!」

まだ(・・) 平坦なお腹をさすり、メアリははっと息を呑んだ。

今日のワンピースは腹部をベルトで締めるタイプのものだ。といってもコルセットのようにきつく締め付けるわけではなく、きゅっと軽く結んで括れとメリハリを着ける程度のものである。苦しさもなければ、いまこの瞬間までベルトの存在を忘れていたくらいだ。

それでもすぐさまベルトを解けば、メアリの慌てる様が面白かったのだろう医師が笑った。

次いで背後から「メアリ様……!」と感動の声が聞こえてきた。

日頃からメアリの世話係を勤めているメイドの一人だ。今日もメアリを案じ、そして医師の話を聞くために同室してくれていた。

「メアリ様、おめでとうございます! 私も共にお話をお聞きできたこと、光栄に思います!」

「ありがとう。これから忙しくなるけれどよろしくね」

「えぇ、もちろんです。あぁ、なんて喜ばしい! アルバート家に幸せの鐘の音が鳴り響きますね!」

メイドの言葉に、メアリが「鐘の音?」と尋ねて返した。

彼女の口調からは喜びがあふれており、感動を歌にのせてクルクルと踊り出してもおかしくないほどだ。

日頃お世話をしている主人の懐妊、それも自分は主人と共に聞くことができた。これはメイド冥利に尽きる、メイド人生の中でもこれほど幸せで誇れる事はないという。

その喜びが頂点に達し、出た言葉が『幸せの鐘の音』なのだろうか。

確かに、幸せの瞬間に鐘の音が響くのは舞台でも多々使われる演出だ。

じわりじわりと実感が湧き始めているメアリと違い、メイドの脳内は既に花畑が広がり鐘の音が鳴り響いているのかもしれない。

それどころか、医師までも鐘の音がどうのとメイドの話に合わせているではないか。

「鐘の音なんて大袈裟ねぇ」

肩を竦めながらメアリが歓喜するメイドを宥める。

もっとも、メイドを窘めてはいるものの、先程からメアリの手はずっと腹部に添えられている。当然だがまだ腹部はぺたんと平らだというのに、ゆっくりとさすり、「そう思うでしょ?」と話しかけまでする。

態度こそ冷静さを取り繕ってはいるものの、メアリも浮かれているのだ。実感すればするほど脳内では一本また一本とぽこぽこ花が咲いて花畑を作り、メイドの歓喜に感化されてか鐘の音まで響く。

メアリとメイドの浮かれように、医師も苦笑を浮かべつつ「二人ともひとまず話を」と愛でるような声色で宥めた。

おめでとう、とは、つまりメアリの妊娠である。

だが他でもないメアリ・アルバートの妊娠となれば、当然おいそれと公表出来るものではない。

国一番の名家の新世代、社交界が騒然とするのは目に見えて明らか。それも今のメアリはアルバート家の跡継ぎ候補でもあるのだから、世間は『さらなる未来の当主の誕生』と考えるかもしれない。

メアリの兄であるラングとルシアンが、結婚はおろかいまだ浮いた話一つ無いのだから尚更。メアリとアディ夫妻への期待が高まる。

これは社交界を揺るがす発表になるだろう。しかるべき手順を踏み、それに値する場で公表すべきだ。

「なんだか、私ってば社交界を揺るがしてばかりね」

申し訳ないわぁ……と満更でもなさそうに笑いながら、メアリはポスンとベッドに横になった。

ゆっくりとお腹を撫でる。昨日までは自分の体の一部でしかなかった腹部だが、今はなにより大事に愛おしく思える。温かくてくすぐったい気分だ。

「早くキスをしてあげたいわ。でも届かないから、今は手で我慢してね」

そうお腹に話しかけつつ手でさすっていると、コンコンと軽く扉を叩かれた。

返事をすればゆっくりと扉が開き、隙間からアディが顔を覗かせる。ノックの音も普段より小さく、慎重に室内の様子を窺うあたり、メアリが寝ているかもしれないと考えたのだろうか。

「お嬢、お休みのところ失礼いたします。入ってもよろしいですか?」

「アディ、大丈夫よ。横になっていただけだもの」

「具合はどうですか? お医者様はなんと?」

心配そうに尋ねてくるアディに、メアリは微笑んで返した。ぽんぽんとベッドの端を叩いて、こちらに座るように促す。

その動作で大事はないと察したか、アディが安堵の表情を浮かべた。ベッドの縁に腰掛けてメアリへと手を伸ばしてくる。

額に掛かった銀糸の髪を指先で払うのは、顔色を見るためか。錆色の瞳をゆっくりと細め、遊ぶようにメアリの髪をひと掬いした。

「大事無いようでよかったです。お医者様はなんと仰っていました?」

尋ねてくるアディに、メアリは笑みを強めた。

いまだ髪を掬って遊んでいる彼の手を取り、自分の頬へと寄せる。自ら擦り寄れば、彼の親指が頬を撫でてきた。

上目遣いで見上げ、医師の診断を思い出す。

「『おめでとうございます』って言われたわ。おめでとう、アディ」

クスクスと笑いながらメアリが告げる。

それに対してアディは目を丸くさせたのち……、

「……ありがとうございます?」

と、不思議そうに返した。

思わずメアリがふっと軽く吹き出して笑う。――ここに医師が居れば先程のメアリの鈍さを茶化すように話しただろうか。それとも、これこそ夫婦のやりとりだと温かく見守ってくれるか――

「お医者様は『おめでとうございます』と仰ったのよ。だからおめでとう、アディ」

「えぇ、それはありがとうございます。お祝いなら夕食後のお茶の時間にケーキを用意いたしましょう。それはともかく、気だるさは日頃の疲れでしょうか、それとも風邪ですか?」

いまだ分からずに返してくるアディに、メアリの笑みがさらに強まる。

果てには「まったく鈍いんだから」と呆れと愛を綯い交ぜにした色合いで肩を竦めた。数十分前の自分は高い棚の上に置く……どころか、上の階の棚の上あたりに置いておく。

だが鈍いとはいえメアリよりは多少は察しが良いのか、アディがはたと何かに気付き、「おめでとう……ござい、ます?」と呟いた。メアリに問うというより、己の中に湧いた疑問を吐露したような口調だ。

メアリが悪戯な笑みを穏やかなものに変え、頬を撫でていたアディの手をそっと自分の腹部へと促す。

それが確信に繋がったのか、アディの錆色の瞳がわかりやすいほどに輝きだした。

嬉しそうな表情といったらなく、今すぐにでもメアリを抱きしめてきそうなほどだ。それでいて腹部に触れる手は恐る恐るゆっくりとしたものなのだから、メアリにしてみればお腹も心もくすぐったくて堪らない。

「お、お嬢、それは、つまり……!」

「そういう事よ。おめでとう、アディ」

メアリが上半身を起こし、彼の手を握って改めるように告げた。

じっと瞳を見つめれば、彼の錆色の瞳はこれでもかと輝いている。きっとメアリの瞳も同じくらいに輝いているのだろう。

次いでアディがゆっくりと両腕を広げ、やわらかく抱きしめてきた。やんわりと包み込む弱い抱擁。繊細なガラス細工だってもう少し強く抱えるだろう。この弱さでは綿を抱いてもへこみすらしない。

もしも平時であったなら、もっと強く抱きしめてと強請るか、もしくは「こんな弱い抱擁で私が捕まると思ったら大間違いよ!」と冗談混じりにすり抜けてやったかもしれない。

だが今は別だ。

今のアディは、メアリと、そしてメアリの中に宿った新しい命も抱きしめているのだ。

嬉しくてたまらない、強く抱きしめたいが加減が分からない。力を入れられないが放したくない。

そんなアディの気持ちが伝わり、メアリもまた彼の背中へと腕を回した。

はじめての我が子への抱擁となれば、恐る恐るになるのも仕方あるまい。