軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

短編15

「おにいざまなんでだいっぎらぃいいい!!」

凄まじいメアリの怒声がアルバート家の屋敷に響くのは、そう珍しいものではない。

時に儚く可憐に涙を流し、時に子猫のような泣き声で目元を拭い、と幼いながらに大人顔負けの泣き真似を見せる彼女だが、いざ本気で泣くとなると屋敷中に響きわたる声量を披露してくれる。

だがこの泣き方こそ年相応というもので、メイドや使い達は慌てることなく「メアリ様もまだ子どもね」だの「可愛いものだ」だのと暢気に会話している。雷鳴のような泣き声が続いても微動だにしない。

唯一アディだけが「大変だ!」と立ち上がり、子供用に仕立てられたまだ短い燕尾服をひらりと翻して泣き声のするほうへと走っていった。

この『小さな令嬢の危機に駆けつける小さな従者』もまたアルバート家では見慣れたもので、誰もが微笑ましく見守っていた。

「おにいざまなんてだいっきらぃぃ」

「分かりましたから、どうか泣きやんでください」

「泣いてっ、なんかっ、ないぃぃい。おにいざまがぎらいなだけぇぇ」

「あんまり叫ぶと喉を痛めてしまいますよ。ほら、落ち着いてゆっくりと深呼吸してください」

ね、とアディがメアリの肩をさする。

それを受け、大粒の涙をこぼして必死で訴えていたメアリがスゥと深く息を吸い込んだ。といっても大泣きしていたため喉も震えており、深呼吸もおぼつかないが。

それでも何度か深呼吸をして呼吸を整え、メアリはアディから渡されたハンカチで目元を拭った。痛む鼻をスンとすすり「お兄さまなんて大嫌い」と小さな声で改めるように呟く。

「いったいどうなさったんですか?」

「お兄さま達、カエル、ノート、大事なのに、ひどいぃぃ」

再び泣き出そうとするメアリを、アディが慌てて慰める。――ちなみにメアリがひっくひっくと嗚咽をあげるたびに銀色の縦ロールがふわんふわんと揺れるのだが、さすがに今その件に触れることは出来ない――

そうしてしばらくメアリを落ち着かせ、辿々しく時に泣き出す訴えを根気よく聞きだし……、

「なるほど、それはラング様とルシアン様が悪いですね」

と、アディが判決を下した。

その瞬間、陰に隠れていたラングとルシアンがさっと現れる。ラングの手の中には子どもの拳サイズのカエルがおり、それを見てメアリが悲鳴をあげてアディの背中に隠れた。

ラングの持っているこのカエルこそ、メアリが泣いた原因である。

といっても大事件が起こったわけでもなければ、カエルが何か引き起こしたわけでもない。

ただラングとルシアンが庭園の噴水で大きなカエルを捕まえ、その興奮のままにメアリの部屋へと見せに来て、そしてメアリの悲鳴に驚いたカエルが跳ね上がってメアリのノートに引っ付いただけだ。

よりにもよってメアリのお気に入りのノートに。遠縁の親戚が旅行のお土産にと買ってきてくれた、装飾の美しいノートの表紙に。べったりと。

これは恨まれても仕方ない、とアディが心の中で呟いた。

そもそも、ノート云々の以前にメアリはカエルが嫌いなのだ。

そこをあえて見せにくること自体が怒りを買うのに、大事なノートにカエルが張り付いたのだから、雷鳴の泣き声もあがるというもの。

ハンカチで拭っても触りたくないと涙目で訴えるメアリに、アディが哀れんでその腕をさすってやった。

「お兄さまたちなんて知らない……もう兄妹じゃない……」

アディの背中に隠れてメアリが泣きながら訴える。

それを聞き、ラングとルシアンが一瞬にして顔色を青ざめさせた。まるでこの世の終わりのような表情だ。

ちなみに横から現れたロベルトがラングからカエルを受け取り、「さぁ噴水に帰りましょう」と話しかけながら連れて行った。相変わらず事態の過酷さにも空気にも飲まれぬ飄々としたマイペースさだ。

「メアリ、そんな寂しい事を言わないでくれ。俺達が悪かったから、ほら機嫌をなおして」

「…………」

「メアリと家族の縁を切られたら、俺達はもう生きていけない……。アルバート家として生き続けることに何の意味がある……」

「……………………」

必死にご機嫌とりをするラングとルシアンだが、メアリはいっこうに許す気配はない。

それどころかアディの背中に隠れたまま黙りを続けている。これはきっと「口もききたくない」と言うことなのだろう。食いしばるように口を閉じて、涙ぐんだ瞳で恨めしそうに兄達を睨んでいる。相当だ。

こうなるとメアリはそう簡単には折れない。そしてしつこくすればするほど怒りに火を注ぐのだが、ラングもルシアンもそれを理解出来ずにメアリに付きまとってしまう。

つまり悪循環だ。

これは長引く……と板挟みになったアディが溜息をついた。

そんなやりとりから五日後……。

「アディ、燕尾服の裾を切られたくなければ、俺達とメアリの仲を取り持ってくれ!」

「燕尾服を人質代わりにするのやめてください」

「もしもメアリとの仲を取り持ってくれるなら、燕尾服の裾に鈴を縫いつける悪戯は二度としないと約束してやる……」

「あれやっぱりお二人の仕業でしたか」

ラングとルシアンに両腕をとられ、アディはうんざりとしていた。

あれからメアリは頑なに兄達と言葉を交わそうとはせず、日に日にラングとルシアンの焦燥感と絶望が顕著になっていた。メアリに無視をされると膝から崩折れたり、濁った瞳でメアリとの思い出の品をテーブルに並べたり。

そんな二人の姿を眺め、そろそろ限界だろうな……とアディが思っていた矢先にこれである。

両腕をガシリと掴むラングとルシアンからは、鬼気迫る圧すら感じられる。まったく別のまっとうな話題であったなら、これぞまさにアルバート家子息の貫禄とでも思っただろうか。

だが話題はたんなる兄妹喧嘩である。そして非は明らかに兄達にある。

そんな状態で脅し半ばの懇願をされ、アディは思わず溜息をついた。この際なので燕尾服の件については聞き流しておく。――背後から聞こえてくるチリンチリンという甲高い音を疑問に思い、いったい何だと尻尾を追う子犬のようにその場で二回転したのは言えるわけがない――

とにかく、必死に懇願してくるラングとルシアンに、アディは仕方ないと肩を竦めた。

そうして「俺に良い考えがあります」と告げ、一室へと向かった。

コンコン、と軽く扉をノックすれば、高く幼い声で「誰?」と尋ねてくる。

その声にアディが名乗って返せば、いつもならばすぐに扉が開いてメアリが顔を覗かせるはずだ。

だがここ数日は、

「お兄さまはいない? いるなら絶対に開けないわ!」

という声が返ってくる。

これは根深い、とアディが小さく溜息を吐く。思わず「うちのお嬢様は頑固なんですよ」と話しかければ、腕のなかにいる救世主がフンスと鼻を鳴らした。

「ラング様もルシアン様もいらっしゃいませんよ」

「本当……?」

「えぇ、本当です。それと、今日は素敵なお客さんをお連れしました」

「カエルはいや!!」

「カエルじゃありませんよ」

大丈夫だとアディが宥めれば、ゆっくりと扉が開かれる。

怪訝な表情で顔を出したのはもちろんメアリだ。

兄達が隠れていないかと警戒しているのだろうか。だが次の瞬間、アディの腕のなかにいるものを見つけて瞳を輝かせた。

「猫!」というメアリの弾んだ声に、アディが微笑んで頷く。

アディの腕のなかにいるのは一匹の白猫。ふかふかの毛と大柄な種族があわさって、まるで大きなぬいぐるみのようだ。体躯に負けじと尻尾も立派で、ふぉんふぉんと豪快に風を切っている。

兄達のことなど一瞬にして忘れ、メアリが嬉しそうに猫を撫でる。

ふかふかの頭を撫で、鼻先をくすぐり、宝石のような青い瞳が心地よさそうに細められるのを愛でる。どこもかしこもふわふわのふかふかだ。

「ねぇアディ、この子はどうしたの? どこの子?」

「奥方様のお知り合いの家の子です。今日は猫用の美容室に行く日らしく、お願いして帰りに寄ってもらったんです」

「美容室だなんてお洒落な子なのね。ふかふかのお洒落さんだわ」

素敵、可愛い、ふかふか、と誉めながらメアリが猫を撫でる。

猫も堂々としてメアリを怖がっている様子はなく、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。それどころか鼻先をメアリの手に押し当ててもっと撫でてくれとねだる。

そんな猫とメアリのやりとりを見て、アディは片手を上着のポケットに入れた。――平均よりだいぶ大きなこの猫は、まだ幼いアディが片手で抱えるには少し重すぎる。だがそこはぐっと我慢だ。……あと、燕尾服に猫の毛がつくのも我慢である――

「ところで、あのノートはどうしました?」

「あのノートって、カエルのノート? 嫌だけど取ってあるわ。……だってノートは素敵なんだもの」

嫌なことを思い出したと、メアリが眉根を寄せる。

アディがノートを見たいと言えば渋々取ってきてくれるが、その表情もだいぶ不満げだ。

カエルが張り付いたとはいえ、ノートは綺麗だ。だが綺麗だがカエルが張り付いた……そんなジレンマを抱き、どうしていいか分からないのだろう。

「これだけど……」とメアリがノートを見せてくれば、アディがそっと手を伸ばして表紙を撫でた。確かに凝った装飾のされた綺麗なノートだ。これにべったりと大きなカエルが張り付けば、メアリが悲鳴を上げて泣くのも仕方ない。

そうしてアディがノートの表紙を数度撫でれば、それをじっと見つめていた猫が「にゃっ!!」と声をあげた。

次いでじたばたともがき、背を伸ばしてノートへと顔を寄せる。押しつけるように鼻をつけ、頭や顔をこすりつけ、うっとりとした表情をしている。小さくウニャウニャと声まであげており、まるで酔っぱらったかのようだ。

これにはメアリも驚き、「どうしたの?」と猫の顔をのぞき込んだ。だが尋ねられても猫は答えることなく、メアリの持つノートに顔をすり付けている。

「アディ、この子どうしたの?」

「きっとこのノートが気に入ったんですよ」

「私のノートが?」

「えぇ、そのノートは猫も気に入る素敵なノートですよ」

にっこりと微笑んでアディが告げれば、メアリが目を丸くさせたまま自分の手元のノートとそれにすり寄る猫を交互に見やる。

綺麗な装飾のノートと、ふかふかの真っ白な猫。ずいぶんとノートを気に入ったようで、試しにとメアリがノートを離せば、猫はぐいと体を伸ばして追いかけてきた。ゴロゴロと大きく喉を鳴らす振動がノート越しに伝わってきそうなほどだ。

カエルが張り付いたノート。何度ハンカチで拭っても、どうにも触る気になれなかった。

……だけど。

「そうね。もうカエルが張り付いたノートじゃないわ、ふかふかの猫も気に入る素敵なノートだわ!」

嬉しそうにメアリが声をあげた。

何度拭っても触れるのが躊躇われたのに、今では触るどころか抱きしめられる。もっとも、ぎゅっと一度抱きしめたあとは再び猫に返してやるのだが。

そんなメアリを見つめ、アディが「それなら」と声をかけた。

「もうラング様とルシアン様を許してさしあげたらどうでしょう?」

「お兄さま達を?」

「えぇ、お二人とも随分と落ち込んでしまっています。ここは猫に免じて」

アディが促せば、メアリがじっと猫を見つめる。

「どう思う?」と尋ねれば、青い瞳がゆっくりと細められた。ゴロゴロと喉が鳴り、ふかふかの尻尾が優雅に揺れる。

まるで「そうね。許してあげたらいかが?」と言っているかのようだ。

猫の意見を聞き、メアリが仕方ないと顔を上げた。

「いいわ。アディとこの猫に免じて、お兄様達を許してあげる」

自分の寛大さを誇るようにメアリが告げれば、アディが頷いて返した。

これで解決だ、と、腕の中の猫を労いつつほっと安堵の息を吐く。

その瞬間、

「メアリ、本当か! なんて優しいんだ! さすが俺達のメアリ!」

「メアリの優しさはこの国一、いや、世界一だ……。メアリの全身から優しさが漂っている……!」

と、勢いよくラングとルシアンが現れた。

通路の角に身を隠していたのだ。本来なら様子を窺いつつの登場のはずだったが、どうやら感極まって出てきてしまったらしい。

メアリが「やっぱり居たのね」とムゥと眉間に皺を寄せる。

だが一度は許したのだからと諦めたのか、謝罪し誉めそやしてくる兄達に肩を竦めるだけだ。

「仕方ないから、お兄さまたちと一緒にお茶をしてあげるわ」

「本当か! 久しぶりのメアリの声をゆっくりと聞けるんだな! さぁお茶をしよう! 庭園に行くか? それとも一室用意するか? アディ、紅茶とケーキの準備を!」

「あぁ、メアリの声が胸に馴染む……。紅茶とケーキを堪能するメアリを眺められるなんて、生きていてよかった……。アディ、とびきりの紅茶とケーキを用意してくれ……」

三人で騒ぎつつ、銀糸の髪の兄妹が歩き出す。

その後ろ姿に、アディはまったくと言いたげに一度深く息を吐き、柔らかく微笑むとその後を追った。

「功労賞をよこしなさい」と言いたげにウニャウニャと喚く腕の中の救世主に、ポケットから出したマタタビを差し出しながら。