軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第九十七話

その日の夕方、町の広場でなされたイーリアの演説によって、領地には確かに動揺が走った。

けれど結局、島を出て行こうとする者たちはほとんどいなかった。

富裕な商人のいくばくかが、妻子だけ大陸側の町に避難させたくらいだ。

町の人々の反応には、もちろんそれぞれの理由があった。

たとえば魔石工房の者たちは、ロランといえばバックス商会であり、バックス商会といえばノドンと手を組み散々自分たちのことを搾りあげていた悪の巣窟だ、と思っているようで、彼らに一泡吹かせるのだと立ち向かう気満々だった。

寝ずに魔石を加工しますぞヨリノブ殿、と詰め寄るほどだ。

獣人たちはロランに負ければ奴隷として売られると予想できるうえ、ジレーヌ以外のどこに逃げてもろくな土地がないせいで、現実的な点から決死の覚悟。

意外なことに商人たちが残ったのは、この島に魔石鉱山がある限り、たとえロランが勝ったとしても誰かがここで商いをしないとならないから、どう転んでも自分たちは安泰だ、という考えらしい。

そんなにうまくいくのかとも思ったが、どうやら荷物をまとめてよその土地に行くというのも、それはそれで簡単ではないことらしい、というのが本当のところのようだ。

引っ越しみたいなことが当たり前ではないこの世界、よそ者は常に排除の対象でしかない。

地元商人とのきつい軋轢や、信頼できる人脈の再構築などを考えると、たとえ敵に占領されようともここで踏ん張ったほうが、まだしも希望が持てるということだろう。

人々の決断は各々そんな感じで、郷土愛、みたいなものとはどれもちょっと違う。

彼らの話を聞くと、やはり優しい世界ではないのだと再確認する。

どこかに居場所を作れるだけで御の字で、一度根付いたらその土地でふんばるしかない。

だからこの土地を守るのは、自分が思っている以上に、たくさんの人たちの明日を守ることでもあるのだ。

ならば手段を選んでいる場合ではない。

失ってしまえば、それで終わりなのだから。

こうして、戦のことを島の人々に打ち明けたその翌日。

自分はゲラリオとクルル、それにドドルの四人と共に、朝早くから船を仕立てて無人島へと渡っていた。

手段を選ばず島を守るという、その『手段』を確かめるために。

「師匠、本当にやるのか?」

向こう見ずのように見え、意外に常識的なクルルが言う。

対するは、船から荷物を降ろすや両手をこすり合わせている、遠足前の小学生みたいなゲラリオだ。

「あったりまえだろ! けどまあ、安心しろって。魔法省でも大規模魔法陣は起動しないってのが定説なんだからな!」

そう言うゲラリオは、もちろん自分で口にしている言葉を信じているようには見えない。

パン屋から借りてきた木の枡みたいなものを、いそいそと船から降ろして積み上げていく。

パン屋はこの枡でパン生地を発酵させるそうだが、今そこに置かれているのは粘土で作られた合成魔石だ。

その大きさと、そこに刻まれた魔法陣の複雑さから、もしも魔法が起動すれば確実にとんでもないことになるとわかる。

なので自分たちが上陸したのは木も生えていないような岩礁地帯で、たとえ海の底に沈んでも損失はない場所だった。

『ワレは、オマエらの話はにわかには信じがたいのだがな……』

今やジレーヌの獣人を取りまとめる立場のドドルには、合成魔石のことを打ち明けてある。

ノドン追放の時、共に戦ってくれたドドルにいつまでも隠しておくのは、信義に反すると思ったから。

それに口の堅さは、クルルが魔法使いであることを隠すのに協力してくれた事実から証明済みだ。

「私も興味がないわけじゃないが……」

そう言ってクルルがこちらを見る。

「ヨリノブの言っていた、カクヘイキってのと似てるかもしれないんだろ?」

核兵器をなんと訳すのかわからず、そのままの発音で伝えてある。

クルルに大規模魔法陣のテストをすると伝えたのは、昨日の夜のこと。

島中駆けまわり、腕木通信用の塔を構築する資材を運ぶため、魔法で荒野に道を作って回っていたクルルは、へとへとになって屋敷に戻ってきた。

イーリアも演説で気疲れしたのか湯浴みをしたいと言うので、最も立場の低い自分がせっせと湯を沸かしている最中に、実験の話をした。

椅子を並べてその上にぐったり寝転がっていたクルルは、しばらくその話を静かに聞いていたが、ふと、自分に尋ねてきたのだ。

もしも魔法陣が本物だったら、お前は世界を征服するつもりなのか? と。

余りに突飛すぎて危うく笑いそうになったが、笑い事ではないのだとすぐに気がついた。

この世界では、まだ社会の中心にむき出しの暴力が居座っている。

つまり相応の力を手に入れれば、そのまま世界を手に入れられるかもしれない。

けれど自分に領土欲はないし、大規模魔法陣は単純な戦力ではない。

それで自分は、核兵器の話をした。

あまりに強すぎる兵器というのは、そう簡単に使えないのだと。

帝国都市を魔法で消し炭にしても、それでよしということにはならない。

当たり前のことだが、帝国が崩壊したら経済も崩壊するだろうから、自給自足ができないジレーヌ領などは真っ先にたちゆかなくなる。

帝国が崩壊した中で生きていこうとしたら、結局豊かな土地を求めて侵略を開始することになる。

それが今の生活よりましなのかどうか、微妙なところだろう。

大規模魔法陣が手に入ったからといって、すべての問題が簡単に解決するわけではない。

社会というものは複雑に絡み合っているし、大きな力というのはその存在そのものが、新たな問題を引き起こすものなのだから。

「もちろん自分もこの話は怖いですけど、わからないままにしておくのはもっと不安です。すでに誰かが同じ答えにたどり着いていて、実用化しているかもしれませんから」

核兵器に対処するには、こちらもそれを所有するしかない。

その点で、ゲラリオくらい向こう見ずな精神は必要なことでもあるのだろうが、核兵器製造に至るまでの研究の中、放射線で何人も死んでいることを忘れてはならない。

魔法の反動など懸念点はいくらでもあるし、なんならデーモンコアのような信じがたいミスだってないとはいえない。

ゲラリオは、失うにはあまりに惜しい人材だ。

「さあて、ゲラリオ様が年代記に名を遺す瞬間だ!」

積み上げた木の枡を一段下ろし、ゲラリオが言う。

そこにあるのは、教会ではよく見かけるらしい中規模の大魔法陣。

中規模といっても現在実用化されている魔石に刻まれる魔法陣とは比べ物にならない複雑さで、マンホールくらいの大きさに二十個近い基礎魔法陣が組み合わさって描かれている。

火や雷を示す魔法陣が多く含まれていることから、穏やかな内容でないことは自分にもわかる。

しかしどんな効果なのかは記録がなく、なにが起こるかもまったくわからない。

潮だまりに小さな波が打ち寄せる中、緊張で固唾を飲む。

ドドルは不安を誤魔化すように強く腕組みしているし、クルルは珍しく自分の後ろに隠れ気味だ。

膝をついて合成魔石に右手をかざしたゲラリオが、こちらを振り向く。

「左手くらいは残るよう、祈っててくれよ」

ゲラリオだとわかる入れ墨が彫られているのは、左手の掌だ。

なぜなら、魔石を握ることの多い右手は敵に狙われやすく、魔法の反動でいの一番に吹き飛ぶのもそこだからと。

「神よ、いるんなら姿を見せてみやがれ!」

ゲラリオは叫ぶ。

そして――。

合成魔石はうんともすんともいわなかったのだった。

◆◆◆◇◇◇

用意してきた大規模魔法陣は、十三個あった。

そのすべてが起動せず、もっともうまくいったもので、ガス欠寸前のコンロが火を噴いたくらいだった。

ただ、ゲラリオの諦めが悪かったのは、無意味な魔法陣が刻まれている魔石を動かそうとした時の感覚とは、明らかに違うかららしかった。

それはクルルも同意して、奥のほうでなにかつっかえているような気がすると。

自分と同じく魔法が使えないうえに、祖先はまさにその魔法のせいで世界の支配者から引きずり降ろされた獣人であるドドルは、ほっとするような呆れるような感じで、岩礁の様子を見回りに行っていた。

ロランからの船を見張るための人員の配置や、大きな船がつけられるか考えているのかもしれない。

「濫用を恐れて、一部が改変されてるのか?」

わずかな砂地に座り込んだゲラリオの一言は、いかにもありそうなことだ。

「だったら、ひとつずつ基礎の魔法陣を入れ替えて確かめればいい。そのうち正しい魔法陣になる」

ひとまず無害なものだと判明して、つんつん人差し指で合成魔石をつついているクルルがそう言った。

「ヨリノブ、それくらい工房でできるだろ?」

クルルに話を振られるが、自分の反応は鈍い。

「無理……じゃないですかね。大規模魔法陣を構成する基礎魔法陣の多さを考えると、可能性はほぼ無限ですよ」

するとクルルが耳をぴんと立てる。

「はあ? なに言ってるんだ。そんなわけないだろ。たとえばこれなら、基礎魔法陣が……」

毛並みの良い猫の尻尾を指揮棒みたいに振りながら、クルルが数えていく。

「十八……二十個か。たった二十個組み合わせただけだ。基礎魔法陣っていったって、何種類もないだろ? 火とか雷とか、あとは威力の制御くらいか? たとえばそんなのが五種類あるとしても、五種類を二十個組み合わせるだけだからな」

腰に両手を当てたクルルは、愚かな弟にものを教える姉のように言う。

「百回試せばいい。ちょっと大変だろうが、全然できるだろ」

「えーっと……」

残念ながら、まったく違うし、人類はこの手の問題に常に無力だった。

なぜなら、五種類のものを二十個組み合わせる場合の数は、5かける20ではないのだから。

たとえばクルルが言ったような、攻撃用の魔法陣を考える。

火、水、雷みたいな属性や、威力の調節を司る魔法陣など、基礎に用いられる魔法陣の種類はもっと多い。でも仮に、ここでは甘く見積もって五種類だったとする。

それからこの五種類の基礎的な魔法陣を、クルルが話題に出している魔法陣の半分の規模、つまり五個組み合わせて、魔法陣を作るとしよう。

これでも現在の魔石工房で作られる魔石としては、破格の複雑さとなる。必要な魔石の大きさは、三級以上だろう。

ではこの規模の魔法陣の、ありうる組み合わせはいくつになるか。

それは5×5で25通り、ではない。

5の5乗通りで、3125通りだ。

ではここにもうひとつ基礎魔法陣を加えたら?

15625通り。

もうすでに眩暈がするし、魔法陣が大きくなるたびに、選択肢は五倍ずつ増えていく。

そして古代の魔法陣は、どれも基礎魔法陣が20とか30とか含まれているのだから、魔法陣の中でたったひとつ意図的に変えられている部分を見つけだすなど、人力ではまず無理だ。

ちなみに5の20乗を後で計算してみたら、95兆3674億3164万あまりとなった。

このなかから正しい魔法陣の組み合わせを見つけるなど、まず無理だ。

累乗が絡む問題は、計算量を落とす工夫をしないと、スパコンでも解けない問題で溢れている。

手作業の魔石工房ではなおのこと。

総当たり方式はまず無理だから、理論を構築し、そこから割り出すしかない。

「教会を建てた奴らがいい加減だったって説もあるがな」

悔し紛れにゲラリオは言うが、魔法陣の刻まれた教会の床石などは、建立の際によその土地からわざわざ持ち込まれたものと聞いた。

神聖なものだという認識なので、魔法陣の刻まれた床石などはきちんとした手続きが取られ、大きな教会から下賜されるものらしい。

だからいい加減につくられている、というわけではないはずだ。

逆にもしも意図的に変更が加えられているのなら、教会は答えを把握しているという可能性が出てくる。

大規模魔法陣の秘密は、解かれているのか、いないのか?

そんなことを考えていたら、がっくり肩を落としているゲラリオにクルルが気を使って声をかけていた。なんだかんだ師弟関係はうまくいっているようで、ちょっと微笑ましくなる。

それに自分はどちらかというと、気持ち的にはドドルの側に近い。

大規模魔法陣がそのままでは起動できないことに、ほっとしていたからだ。

ただ、せっかく人里離れたところにきているので、自分は二人の魔法使いに頼みたいことがあった。

「じゃあいったん、この魔石、潰しちゃってもいいですか?」

魔法使いの二人がこちらを振り向き、岩礁は大して広くもないので、ドドルも戻ってくる。

「戦のために、確かめたいことがあるんです」

自分が手にしたのは、ロランの地下牢で自分たちを救ってくれた火の魔法陣を刻んだベルトのバックルと、魔石工房の軒先から外してきた看板だ。

きょとんとする魔法使いと二人と、一人の獣人の前で自分はせっせと作業をする。

それからほどなくのこと。

自分たちは、自分たちの手にした技術のすさまじさの片鱗を、垣間見ることになるのだった。