軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三十二話

ノドン追放に際して、彼の追従者が反乱を起こすかもしれない。

マークスやイーリアはそのことを本気で警戒していたようだが、むしろほとんど見送りなんていなかった。

ノドンが船に乗って出ていくのに立ち会ったのは、司祭たち教会関係者が渋々といった様子であり、商会の人間に至っては自分だけだった。

権力というのはあっけないものなのだと、これ以上に実感することもない。

太りすぎの体をまったく似合っていない巡礼服に押し込んで、頭陀袋ひとつで船に乗るノドンは、都落ちという言葉が実にふさわしい見てくれだった。

その元暴君が船に乗る間際、かつての支配地が名残惜しくなったのか、ふと港のほうを振り向いた。

自分と目が合って、怒鳴りつけられるかもと身構えたところ、ノドンは軽く肩をすくめただけだった。

なあに、またやり直せばいい。

そんな声が聞こえてきそうで、やっぱりノドンのことは心底からは嫌いになれなかった。

船が無事出発し、司教たちもやれやれと引き上げていく。

ノドンは人間的に問題が大有りでも、なんだかんだ自分の能力を素直に評価してくれた。船が消えるまで見送りたかったが、今の自分にはやることがたくさんある。ノドンが盤石と思われたその地位を追われたように、自分たちもうかうかしていられない。

しかも元はといえば自分の夢である、ゲーム製作を手掛けるまでは死ねないという、至極個人的な想いから始まった下克上だった。

イーリアをはじめとした土地の人間たちを巻き込んでしまった以上、せめて彼女たちへの責任は果たさねばならない。

そのためには為すべきことが山積みだ。

感傷を振り切り、旧ノドン商会へ戻ろうとしたその矢先。

うつむきがちだったせいもあってか、人と肩がぶつかってしまった。

「あ、すみま――」

謝罪の言葉が途切れたのは、胸倉を掴まれたから。

ぎょっとして顔を上げれば、そこにいたのはクルルだった。

ノドンには散々煮え湯を飲まされてきたであろう獣人の血を引く娘。

なぜ宿敵ノドンの見送りにきているのだと、噛みつかれるかもと首をすくめて目をつぶる。

しかしいつまで経ってもなにも起きなかったし、やがて掴まれていた胸ぐらがふっと緩んだ。

「相変わらずお人好しだな、お前は」

「?」

恐る恐る目を開けると、不機嫌そうな顔をしたクルルに頭を軽く叩かれる。

「あいつは敵だろうが。お前がそんな顔をする必要などない」

鋭い目で睨まれるのだが、不思議と怖くはなかった。

それに、このクルルの怖い顔つきにも、様々な感情があるのだとだんだんわかってきている。

こちらのしょぼくれた様子を見て、不器用に慰めてくれているのだろう。

「……元からこういう顔ですよ」

疲れたように笑って見せれば、クルルはますます目を細めてから、詰めていた息を吐く。

「なんでもいい。飯を食うぞ」

「ん、え?」

クルルはもう歩き出している。

絹に灰を振りかけたような白銀の髪の毛は、今日は三つ編みになっている。おさげになった髪の先端で、赤いリボンが良く映えていた。

「食事って……さっき朝ごはん食べたじゃないですか」

しかもその朝ご飯は、クルルがわざわざ商会に持ってきてくれたものだ。

自分や健吾がこのジレーヌ領からノドンを追いだし、領主イーリアの元に権力を取り戻そうとしたことを、よほど恩に思ってくれているらしい。あの騒ぎ以来、クルルは毎朝食事を届けてくれている。

ただ、自分の言葉にぴたりと足を止めたクルルは、肩越しに振り向いてこう言った。

「こういう時は飯を食うものなんだよ。黙ってついてこい」

緑色の瞳が、不機嫌そうにこちらを睨む。

黙っていればすらりとした美少女なのに、目つきは悪いし口も悪い。それにここ数日で判明したのだが、クルルはことあるごとに飯を食わせようとするところがある。イーリアの屋敷を訪れる客には必ず食事を振る舞っていることは知っていたが、貴族は来訪者をもてなすのが当たり前だから、そういう慣習なのだと思っていた。しかしどうやら、それはクルルのある種の人生哲学らしい。

飯を食えば、大抵のことはなんとかなると。

健吾よりよっぽどか体育会系だ。

とはいえ、クルルが気を使ってくれて、嬉しくないわけではない。

「仕事がありますから、お酒はなしですよ」

少し歩を速めて、クルルの隣に並んで立つ。

こうしてみると、頭ひとつ分小さくて、華奢な女の子だ。

正面から見ると、その迫力のせいで二回りは大きく見えるのだが。

「お前は教会の人間より禁欲的だな」

「ええ?」

仕事の最中に酒を飲まないのは普通のことだと思うのだが、むくれたような、残念そうな顔をしているクルルの横顔に気づいてしまう。せっかく励ましにきてくれたのに、ノリの悪さを見せてしまった。

ここは異世界で、郷に入りては郷に従えとも言うではないかと、自分に言い聞かせた。

「麦酒一杯だけなら」

獣人は皆酒豪で、その血を半分引くクルルもかなり強い。

自分の譲歩に、クルルは緑色の目をぱっと見開き、それからにっと唇を吊り上げる。

「ヨリノブ、お前もこの世界のことがわかってきたようじゃないか」

「……恐れ入ります」

一回り以上年下のクルルだが、どうにも頭が上がらない。

「よし、肉だ! お前はどこか弱っちいからな!」

クルルに肩を引っ張られ、たたらを踏んでしまう。

けれどもこのクルルも、ノドンが権勢をふるっている時は世を恨んでいるか苦しみをこらえているかというような二択の表情だったので、こんなに楽しそうにしてくれているならなんでもいいかと思う。

そして、結局クルルに付き合って麦酒を三杯飲まされた。

ふらつく足で商会に戻れば、孤児院から働きにきている少年ヨシュにものすごく嫌そうな顔をされ、面目ないと平謝りなのだった。

◆◆◆◇◇◇

さて、ノドンである。

富を独占し、その権力で好き放題欲望を満たしていたという、いかにも悪の親玉的存在だったのだが、商人としての手腕はかなりのものというほかない。

それにノドン商会は文字どおりノドンが支配していた商会なので、その主人を失ったとたん大混乱に……というのを恐れていたのだが、幸いなことにそうはならなかった。

それはノドンの経営方針のたまものである、というと語弊があるのだが、大体そんな感じだった。

ノドンの経営方針は、自分以外に偉そうにしている奴らを断じて許さない、という狭隘な精神で貫かれていた。しかしそれはよくある独裁制ともまた違うもの。

むしろ仕事そのものはかなり自由に部下に任せ、実績さえ上がればなんでもいいというところがあった。おかげで文字の読み書きができ、数字を誰よりも把握している自分が、たちまち帳簿を扱う重要な地位に抜擢された。

そのくせノドンは本当に心が狭く、自分以外に誰かが偉そうにしていることに我慢がならない性格だった。

それはたとえば、古株が新入りに先輩風を吹かすようなことでさえ、そうなのだ。

商会の人間は等しく全員自分の奴隷であり、自分だけを崇め奉り、自分の儲けのために全力で働く以外になにもするなと言わんばかりだった。

しかも儲けの邪魔になることにも実に敏感で、先輩が後輩に仕事を教えないなんてことになったら、今すぐ教えろ、全部教えろ、そしてお前ら全員が等しく全力で自分のために働いて金を稼げと怒鳴り散らしていた。ほかにも、誰かの仕事が滞っているのに、職種が違うから助けないなんて見て見ぬふりの現場を見つければ、お前は自分のために働くんじゃない、うちの商会の儲けのために働いているんだと激詰めしていた。

おかげで長幼や職種の異同も問わず、商会の者たち同士が仕事を助け合う、なんとも居心地の良い職場になっていたわけだ。

そしてなにもかもが荒っぽいこの世界で、そんな職場は稀有らしい。他はどこに行っても新入りは古参からいびられ、仕事の縄張り争いは厳しく敵対的。

誰もが口を揃えて、ノドンがいてさえ、この職場のほうがどこよりもましだと言っていた。

おかげでにわか商会主となった自分が、これまで働いてきた彼らを引き留めるどころか、どうか首にしないでくれと頼み込まれる始末だった。

もちろん、彼らが引き続き働いてくれるのなら心強いし、偶然にもノドンが作り上げたこの雰囲気を変えるつもりもない。

唯一変えたのは彼らの給与で、年齢や仕事に関係なく、日給で一人当たり銅貨十枚を上乗せしておいた。

こうして旧ノドン商会内部についての変化はこの程度で済んだのだが、外部に関してはそうもいかない。

ノドンはその巨体に負けず劣らずの欲望で、このジレーヌ領のあらゆる人々の背中を押さえつけていたのだから。

その巨悪がいなくなった途端、たまりにたまった鬱憤が溢れ出てきていた。