軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二百二十一話

フロストは手元の手紙の内容を確かめ、自分の勘違いではないことを確認するために、あえて言った。

「ならば……そう、知っての通り、奴隷獣人の交易はそう簡単に廃止することができないものだ。帝国との関係性があるうえに、このロランでは、ヴァダールとイズムルの両家が、少なからず奴隷交易に頼っている。そして、今――」

ロランを支配する三つの家系のうち、ふたつの家の名を口にしたフロストは、どうしても深呼吸を挟んでしまう。

「両家の力は、ロランにおいて強まっている」

なぜなら今のロランの没落を招いたのが、ジレーヌ領に要らぬちょっかいを出した、バックス商会のせいであるから。

「だと聞いております」

だと聞いております?

フロストはいっそ笑いたくなってしまうが、コールはもちろんにこりともしていない。

「兄上」

椅子に座るコールは無表情に、静かに言った。

「ヴァダールとイズムル両家は、確かに奴隷交易にて大きな利を得ています。以前のイーリア様を巻き込んだ事件の際も、父上の決定に影響を与えたのは両家の者たちでしょう?」

ノドンという商人を追放し、ジレーヌの実権を取り戻したというお飾り領主。

その領主に獣の耳が生えていたことから、ロランにおいて奴隷獣人の交易から利を得ている者たちは、ノドン追放の話に警戒の度を強めたのだ。

獣人の血を引く領主が力を持てば、商品である獣人たちが反旗を翻しかねないから。

商品に希望を与えてはならず、さりとて死をもたらしてもならず、道具として働くよう躾けねばならない。

両家はそう考え、風見鶏としての才に秀でたフロストの父に迫り、父は彼らの意見をあっさり取り入れた。バックス商会の内部にも、ジレーヌ領が発展して目障りなことになる前に潰しておこうと考える一派がいたせいもあったろう。

ただ、あの時点では、ロランの者たちの傲慢な考えも、父の判断も、正しかったと思う。

単に、そのすべてが裏目に出ただけで。

「その両家が、今や兄上の権勢をくじき、ひいてはバックス家の地位を追い落とすつもりでいる。ロランの没落を招いたのは、我らがバックス家であるからと」

そう語る時だけ、コールは困ったように笑っていた。

勘当されたわけではないので、コールは未だバックス家の人間だが、この末弟はどちらかと言わず、ジレーヌ側の重鎮である。

ただ、フロストもこの弟がなにを言いたいか、もちろん分かっているつもりだ。

「今回のこの件は……その愚か者たちを一掃する好機である、と?」

フロストの問いに、コールは小さくため息をつく。

ヴァダールとイズムルの両家は、間違いなく奴隷交易を存続させようとする。

あの恐ろしい大宰相が廃止を決定した、奴隷交易だというのに。

必ず負ける賭けに出ようとしている彼らに、神の御加護あれ、というわけだ。

「大宰相が絵図を描かれ、イーリア様が決断されましたが、細かいところは我らに託されています。兄上がどのようにこの機を利用しようと、私は関知しません。ただ」

コールは、椅子に座ったまま、家族の集う食卓でまともに一族の仲間と見なされずに過ごしていたかつての少年のように、うつむいた。

「悪い結果になった時、私の権限では、兄上たちを助けられません」

居丈高に迫られるより、何倍も恐ろしかった。

ジレーヌの権勢を笠に着て、屈辱を味わわせるためにフロストの前に立つのであれば、それはフロストのよく知る戦いであり、慣れたものだった。

でも、そこにいるのは自身が無力であると理解し、溺れいく者を助けられないと諦めている人物なのだ。

もちろん溺れゆく者とは、フロストのことである。

判断を誤れば、今度こそ慈悲はあるまい。

だからフロストは、こう言った。

「ジレーヌ領から、戦力は期待できるのか?」

ロランは商都であり、そこを支配するのは三家の商業貴族だ。

おかげでなにかと経費を渋る傾向があって、宮廷を護衛する魔法使いも最小限。その魔法使いに支給されていた魔石が嘆かわしいほど少なかったせいで、イーリア奪還を許したという話さえあった。

フロストの祖父の時代には、バックス商会内部に子飼いの魔法使いが何人もいたらしいが、今はなにかあったら呼び寄せるという形式になって久しかった。

なんだかんだ、長らく平和だったのだ。

そういうことに資金を割くよりも商いに回したほうが良いし、そもそもロランの権威に挑戦するような者などいなかった。

その驕りと油断が、ジレーヌ領の戦力をろくに調べもせず、大船団で乗りつけるような結果につながった。

ロランは、長いまどろみから目覚めるべきなのかもしれない。

ただ、その目覚め方にも、各人一家言あるはずだ。

たとえばヴァダールとイズムルの両家の者たちは、バックス家を排除してこそ、ロランの真の目覚めとなると考えているように。

「兄上」

コールの短い言葉に、フロストははっと我に返る。

「微力ながら、私がお力を」

乱世では、一夜にして物乞いが英雄になるという。

コールはジレーヌの魔法使いであり、ジレーヌの魔法使いは恐るべき存在だ。

ならばこのコールが力を貸すというのは、そういうことだ。

現実とは、突然その姿を明らかにして、なにもかもを変えていく。

それにフロスト自身、大船団の目の前で大魔法がさく裂したあの時、死を確信した。

死者がまだなにか故郷ロランの役に立てるなら、それはもう丸儲けと考えるべき。

一度失った命であるのなら、それを賭けの天秤に乗せるのは、そう悪いことではない。

「わかった。私も家督を相続した身だ。父に口は挟ませないし、ロランのために腹を括るしかあるまい」

ロランは長らく三家で支配権を分け合い、それでうまくやってこれた。

だが、時代は変わる。風向きも、潮の流れもそうだ。

巨大な嵐が迫る中、船をどちらに進めるのかだけでなく、その波乱の航海で誰を船に乗せるかを決めるのもまた、船長の役目である。

「共に戦う者がそなたであれば、まだしも私も安心できるしな」

「……」

フロストの言葉に、コールは初めて感情らしい感情を見せた。

それも、卑屈な顔だった。

フロストは、コールがどんな気持ちでロランで過ごしていたか、それでなんとなく察した。

けれど今のは嫌味でもなんでもない。

なぜなら、フロストの手元にある手紙には、とある頼み事も書かれているのだから。

「真意だとも。ヴォーデン属州や奴隷獣人の話など、「これ」に比べたらある意味気楽なものなのだから」

手紙に視線を落とすフロストの様子に、コールはなんの話をしているか気が付いたようで、今度こそ本当に、気まずそうな顔を見せた。

「兄上、それについては私だけでなく、大宰相殿以外の全員が、困惑しておりました」

「領主イーリア本人も?」

コールは肩をすくめてみせる。

「ヨリノブ殿がイーリア様にこの話の提案をした時は、それはもうひどい有様で……」

フロストが唸るのは、さもありなんと思ったから。手紙に書かれているのは、それほどのこと。

それでも大宰相は、苦い薬をあえて領主に差し出したのだ。

見た目はいかにも気弱そうなのに、その決断力はどこからくるのかと、フロストは空恐ろしくなる。

ならばやはり、大宰相の見据えている先というのは、ヴォーデンの征服などよりももっと先にあるなにかである。

ロランのどんな船乗りでさえ見たことのない、はるか彼方だ。

「では、「これ」は本気なのだな?」

フロストの問いに、コールがうなずき、言った。

「領主イーリア様の父君について、帝国にばれないよう、秘密裏に調べていただきたく」

それは竜の巣に入り、うろこを剥がして持ってこいと言われるようなものなのだった。