軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百九十八話

***頼信⑱***

イーリアの屋敷にはちょくちょく人がいて、こちらに気がつくと恭しく頭を下げてくる。

大使館の建設が全然できていないので、各地の領主たちから派遣された使節の中には、ここの部屋を間借りしている者たちが少なからずいるのだ。

廊下や部屋の壁には、そういう人々からの贈り物が飾られ、少しずつこの屋敷も領主の館らしくなってきていた。

今は屋敷の掃除やらの手伝いに来てくれる町の人がいるが、基本的にはクルルが仕切っている。

屋敷の様子を見ていると、これら飾りつけや掃除をせっせとしながら、魔石を準備して魔法の実験に呼びにこられるのを待っていたクルルの姿が目に浮かんでしまう。

普段は気が強く傍若無人な分、健気な様子の破壊力たるや。

おまけに、バードラでの失態だ。

あの夜以来、クルルとは会話ができていないし、目も合わせてくれない。

どんな責めでも覚悟せねばなるまいし、死んだらイーリアが鉱山に置いておいてくれると言うのだから、腹をくくるしかない。

そうして粛々と歩を進めていたのだが、炊事場にクルルはいなかった。代わりに棚には、新品みたいな鍋がずらりと並んでいた。

中庭を覗いても、クルルの姿はない。

しばし考え、地下の書庫の扉を開けたらクルルの気配がした。

「クルル、さ――」

すべてが言葉にならなかったのは、大きななにかに襲われたから。

慌てて受け止めると、ずしりと重い麻袋だった。

「ぼやぼやしてるな、行くぞ」

クルルも悪いサンタみたいに肩に麻袋を担いでいる。

服はいつものお仕着せから着替え、ドラステルの格好に外套を羽織っている。

ただ、自分はそんなクルルになんと声をかければいいのかわからず、立ち尽くしてしまう。

脇を通りすぎて地下書庫から出て行こうとするクルルを、間抜けに目で追っていた。

そのクルルが、ぴたりと足を止め、こちらを横目に見てくる。

「なんだ、魔法を調べにいくんじゃないのか?」

細められた目と、片方だけ覗く牙。

どう見ても怒っているクルルだが……。

「っいえ、はい、そのとおり、です」

自分は答え、押し付けられた麻袋を抱え直す。

中には合成魔石と、転写用の魔法陣が刻まれた石が入っているようだ。

見ればクルルは肩に担いだ麻袋のほかに、紙と筆記用具が入っていると思しき革の袋も背負っている。

準備万端、いつでも出かけられるようにと、用意していたのがよくわかる。

クルルは鼻を鳴らし、さっさと歩きだす。

長い尻尾が陽炎のように階段を登っていくところを見ながら、自分は口を開いた。

「あの、クルル、さん」

クルルの足が止まり、こちらを見る。

「す、すみません、でした」

するとクルルはますます顔をしかめてから、大きなため息をついた。

「別に怒ってなどいない」

そして、そのまま階段を登っていってしまう。

絶対に怒っているのだが、こういう時にどうすればいいのか、前の世界の記憶はまったく役に立たない。

のろのろと階段を登り、待っていたクルルの前に立つ。

猫の尻尾は、うねうねと不機嫌そうだ。

クルルはこちらを見て、言った。

「怒っていたら、 ま(・) る(・) で(・) 私(・) と(・) お(・) 前(・) の(・) 間(・) に(・) な(・) に(・) か(・) あ(・) っ(・) た(・) み(・) た(・) い(・) だろうが」

少し顎を引いての、死ぬほど嫌そうな顔。

自分は今、この不器用で健気すぎる少女を抱きしめるべきなのではないかと思ったが、生憎と両腕が荷物でふさがっていた。

そしてクルルの嫌そうな顔には、なんとなく見覚えがあった。

小学生のころ、些細なことで喧嘩した友達の顔。

仲直りみたいなはっきりしたことが気恥ずかしい、あれ。

クルルはこちらを見て、唸るように言った。

「私がお前を殴ったのは、私の耳の匂いをか、嗅ぐようなことをしたからだ」

クルルは早口を途中で一度つっかえつつ、どうにか言い切ってから、最後に駄目押しを付け加える。

「だから、もう怒ってはいない」

そして、そっぽを向く。

翻訳すると、クリティカルな問題には気がつかない振りをするからお前もそうしろ。それとこのせいでぐだぐだ時間を無駄にするのは嫌だから話を合わせろ、というあたりだろうか。

もちろんそれはそれでありがたいのだが、やっぱり謝りたい気持ちがある。

ただ、自分もいくらか経験を積んできた。

だからまた余計なことを口に出して不興を買う前に、気付くことができた。

そっぽを向いたクルルは、歩き出さずになにかを待っている素振りだ。

非力な自分はせいぜい力を振り絞り、渡された重い麻袋を左手で抱え、フリーになった右手を伸ばした。

クルルの、手持ち無沙汰になっていた左手に。

「……」

クルルは猫の耳をぴんと立て、うねうねさせていた尻尾の動きを止める。

それからやたらに長いため息をついて、こちらを見た。

「アホヨリノブ」

責めるような上目遣いに、身を縮める。

「面目ありません……」

謝るとクルルはもう一度ため息をつき、手を握り直してくる。

それから尻尾でこちらの膝裏をくすぐると、肩を寄せてきた。

喉を鳴らすぐるぐるという音も聞こえてきて、ほっとする。

それで無防備にクルルの横顔を見つめていたら、睨み返された。

「なにを見てやがる」

怖い目つきと、怖い口調。

でも、クルルの手はこちらの手を離さない。

「いえ、えっと……」

「ふんっ」

クルルは鼻を鳴らし、見慣れた不機嫌そうな顔を近づけてくる。

「アホヨリノブ」

クルルはもう一度言うと――。

「えっ」

呆気にとられた自分の前で、クルルがむすっとしたまま、目を逸らしている。

そんなクルルを前に、自分は乙女のように自分の右頬を抑えようとして、右手はクルルの左手を握っていることをようやく思い出す始末。

「反省しろ」

クルルの拳は左頬を直撃し、どうやら青く腫れているらしいし、ひっかき傷も左側についている。

そして今、右頬にはものすごく熱いものを感じていた。

顔の右も左も、クルルの痕跡でいっぱいだ。

そのことに気がつくと、急に感情を持て余してしまった。

クルルが不意に鼻を鳴らし、にやりと笑う。

「銀行とやらは、匂いで金貨を貸したり借りたりできるんだろ? 私はこの匂いで、いくら借りられるんだ?」

銀行はそういうものではないという説明など、もちろん口から出ようはずもない。

あうあうと悶える自分を見て満足したのか、クルルは手を引いてこう言った。

「ほら、行くぞ」

魔法の実験をしに。

「前はノドンを倒した。次は帝国だろう?」

勝気に笑うクルルに、自分は大きく息を吸って、うなずいた。

ただ、屋敷に他に人がいることを思い出し、慌てて手を離したのは、自分からか、それともクルルからか。

イーリアは、あなたたちお似合いよ、なんて呆れた様子で言っていたが、確かにこの手の経験値は自分もクルルも似たようなものの気がした。

それに、意地悪な領主様に見つかる前にさっさと出かけてしまおうという点については、自分とクルルは以心伝心だったはず。

こそこそと、素早く屋敷の廊下を歩くのは、子供じみて楽しかった。

さあ、クルルと楽しい魔法の実験だと、手を繋ぎ直して屋敷を出た。

その、直後だった。

「いよお、お前たち! なんだ、わざわざ出迎えてくれるとは殊勝なことだ!」

やけにテンションの高いゲラリオと鉢合わせた。

隣のクルルを見れば、見たこともないくらいに、尻尾の毛が膨らんでいたのだった。