軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百八十三話

***頼信⑥***

「えっと、ヨリノブ様……ここに来るようにと、言われたのですが……」

マークスから教えてもらった酒場に陣取っていると、また一人、商人がやってきた。

酒場にはすでに数人商人たちがいて、不安そうに隅で固まっている。

酒場の主人は夜の営業のための仕込みをしているので、自分が応対する。

主人に沸かしてもらった湯を鍋から掬い、クウォンからのお土産を入れた木の器に注ぎ、商人に渡す。

なんだか不思議そうな顔をして受け取った商人は、その匂いを嗅ぎながら、そそくさと仲間たちの集まる席に向かう。

彼らの中には、それがクウォン名産のお茶だと知っている者もいたが、続々と集まりだした商人たちの誰一人としてわからなかったのは、ここに集められたまさにその理由だろう。

金貨を欲しい人はここに来るよう伝えてください、とヨシュに言ったつもりだが、彼らの顔を見るに、おそらく新たな税金を取られるとでも思っているのだろう、

苦しそうな顔なのは、どこの商会も税を支払う余裕などないからだ。

そして酒場が七割ほど埋まる頃、必死に走り回ってくれて汗だくのヨシュが酒場にやってきた。いささかぬるくなったお茶を手渡したら、おいしそうに飲み干していた。

商人たちが数人、それを見てようやくお茶を口にしたのは、毒が入っているかどうか疑っていたからだろう。

まだ自分はこの島で信用されていないし、言うことを聞いてくれるのは、イーリアの権威があるからで、そこには暴力的な支配と服従の空気がある。

どうにかそれをなくしたいのだが、今回は逆にそれを存分に使わせてもらう。

背に腹は代えられず、今はどうしても金貨が必要なのだから。

「今日よりここを、ジレーヌクリアリングハウスと名付けます」

くりありんぐはうす?

全員の視線に、自分は笑顔を返しておいた。

◇◇◇◆◆◆

ヨシュの苦悩は、頼信からすれば見当違いのものだった。

それは単に、取引の網の目に絡めとられ、身動きできなくなっていただけにすぎない。

ましてや儲けが出ていないとか、金貨を盗まれているというわけではない。

それは他の商会主たちも同様だ。

しかし彼らが混乱に陥っているのは、仕方のないことかもしれなかった。

なにせつい最近まで、ジレーヌの商いはしごく素朴なものだったのだから。

島の中だけの商いがほとんどで、覚えていられるだけの商品を取り扱う。

商品を仕入れて売ってのリズムは数日がかりがほとんどで、島の外からの仕入れとなれば、時には数週間にも及ぶのんびりとしたものだったろう。

それがここ最近でいきなり商いの量が激増し、そのスピードも増した。

今のジレーヌには、ロランのみならず、ジレーヌのうわさを聞き付けた遠方からも、商人たちが商機を求めてやってくる。

どんなに記憶力のいい商店主だろうと取引を覚えていられなくなり、不慣れな帳簿に数字を書いていく。

それはどんどん分厚くなり、数字も隙間なく書かれていく。

そして慣れ親しんだ商いの慣例に従い、モノの売り買いの最後には、必ず金貨や銀貨を使用する。

ところが、商いの勢いが早すぎるし多すぎるから、金貨の支払いを受ける時期と、支払う時期のミスマッチが頻繁に起こり始める。

というかそもそも、大量の貨幣を並べて、数えて、聞いたこともない土地の貨幣は両替して……なんてやっている暇が、単純になくなってくる。

やがて見知った顔の商会相手には、金貨の支払いを後日に回してもらったりして、掛けで売り買いするようになる。

そして彼らは気付くのだ。

最初から面倒な貨幣など使わず、こうしていればよかったのでは? と。

しかも今はとにかくなにかを買って売れば儲かるから、掛けで買うことにもためらいがない。

みんなの景気がいいから、なにかを売った代金を後払いにしても、きっと相手は支払ってくれると信用できる。

こうしてみんなが、同じことをする。

すると商品は飛ぶように売れるが、なぜかまったく手元に金貨が残らなくなる。

なぜなら、皆が掛けで買って、金貨を支払わないから。

やや不安はあったが、少なくとも帳簿上は利益が出ているし、誰も困っていない。

けれどある日、商人は寝る前に不安になるのだ。

枕元に積みあがるのは、莫大な金額の支払いを約束して購入した、大量の商品だ。

売る先はすでに決まっているので問題ないが、きっと今回も、金貨の支払いを受けられるのは随分先のことになるだろう。

その一方で、あの商会とこの商会に、大量の買い付けを出している。

手元の財布が、空っぽなのに……。

こんな取引を繰り返していて本当に大丈夫なのだろうかと、商人の動悸が早くなってくる。

口約束だけの取引としては、あまりにもやりすぎではないか……。

こうして不安に駆られた商人たちが、一人、また一人と商品の代金を回収しようとする。

口約束ではなく、手元にしっかりとした金貨を蓄えたくて。

だが、誰も払えない。

当たり前だ。誰も、相手に金貨を渡さずに取引を繰り返してきたのだから。

それゆえに、酒場に集まった商人たちの顔は、一様に暗いのだ。

急に島の大宰相とやらに呼び出され、面食らっているのもあろうが、それ以上に、彼らは資金繰りで苦しんでいる。

明日の支払いをどうしよう。いや、今日の支払いだってできないかもしれない。

日雇いの荷揚げ夫たちは現金払いだから、その確保も怪しくなってくる。

おまけに荷揚げ夫に給金を渋れば、どこも忙しい今のこと。すぐに店からいなくなって、ライバル店に行ってしまい、営業ができなくなる。

大体、そんなところだろう。

商人たちの貧乏ゆすりで、店の屋根が揺れているような気さえする。

そこに放り込まれた、意味不明な単語。

クリアリングハウス。

普通に生きていたら、前の世界でもあまり耳にしない単語だ。

「皆さん、把握している限りの契約を紙に書きだして、貸しと借りを清算してください」

自分の声は酒場でよく通った。

全員が困惑し、沈黙していたから。

「皆さんは今、なにかを買っても後払い、なにかを売ってもまた後払い、という状況だと思います。手元に金貨がなく、紙の上の売買契約だけが積みあがっている状況でしょう。今日の荷揚げ夫の給金で悩んでいない人って、どれだけいますか?」

その問いに、商人たちが揃って互いに顔を見合わせている。

「この問題を解消するために、皆さんに集まってもらいました」

するとたちまち、商人のうちの数人が立ち上がった。

「き、金貨を出してもらえるのは本当なのか⁉」

「あっちこっちの領主たちから巻き上げた金貨というやつか⁉」

「いくらだ! いくら貸してくれるんだ!」

「うちに先に貸してくれ! 本当にまずいんだ!」

そこに、大きな咳払いが入る。

酒場の裏手に控えていたマークスたちだ。

「騒ぐなら摘まみだすぞ」

商人たちは口をつぐむが、今にも破裂しそうなフグみたいになっている。

「今からあるお話をします。そのお話を聞けば、なにをすべきかすぐにわかるはずです」

商人たちは怒りを通り越して、泣きそうな顔になっていた。

異世界の魂を宿したとかいう元死体が、またわけのわからないことを言い出したと。

自分は一枚の大きな木の板を取り出し、どん、とテーブルに置いた。

そこには蝋がひかれていて、鉄の棒で引っ掻いた絵が描かれている。

登場人物は、宿屋の主人と、肉屋と、色っぽいお姉さんだ。

「宿屋の主人は、肉屋から、いい加減に肉の代金を払えと迫られています」

居並ぶ商人たちの首が細くなったのは、同じようなことを言われているからだろう。

「でも肉屋の主人は意地悪で言っているのではなく、実はこちらのお姉さんと遊んだお金を払えと迫られているのです」

商人たちにも身に覚えがあるのか、あるいは急になんの話をするのかと、引きつったような、曖昧な笑いが起きる。

「そしてこの色っぽいお姉さんは、先日の宿屋の代金の支払いを待ってもらっているため、次の仕事を得るには、まずいったん宿泊費の精算をしないとなりません。だから肉屋の主人に、支払いを迫っているのです」

そこまで話がたどり着くと、商人たちがざわざわし始めた。

それは、どこかで見たことのある状況だから。

「ではここに、旅人がきたとします」

マントを着た棒人間を描いて、続けた。

「旅人は宿に泊まりますが、部屋に鍵がなかったので、宿の主人に貴重品を預けます。金貨の詰まった袋です」

ごくり、と固唾を飲む音が聞こえた気がした。

「宿の主人は笑顔で旅人を部屋に見送った後、旅人の財布を掴んで肉屋に走ります」

商人たちは、おお、とも、うう、とも取れぬうめき声を上げた。

気持ちはわかるが、それをやったらおしまいだ、という感情だろう。

「支払いを受けた肉屋は、今夜もお姉さんと遊びたいので、急いでお姉さんのもとに支払いに行きます」

苦笑……は、すぐに鳴りを潜めた。彼らは町で商いをする商人たちであり、間抜けなわけではない。

話の行く先が、すでに見えたのだ。

「お姉さんは宿に走り、先日の宿泊費を払います。そしてその直後、旅人は夕飯を食べようと部屋から出てきて、宿の主人にお勧めの店を聞きます」

全員がわかっている落ちを、自分は言った。

「宿の主人は近所の居酒屋を教え、旅人から預かっていた財布も何食わぬ顔で取り出し、旅人に渡します。もちろん財布の中身は減っていません。しかしなんと、旅人が居酒屋に向かう頃には、全員の借金がきれいさっぱり消えていたのです」

これは中学生の頃にネットで見かけた、自分の大好きなたとえ話だ。

商人たちが、手品を見せられた犬みたいな顔で、木の板を食い入るように見ていた。

あの頃の自分みたいに。

「旅人から無断でお金を借りたのはよくないことですが、理屈としてはこういうことです。ここは閉じられた島であり、皆さんの商売相手はほとんどが同じ島の商会です。そして、私の商会が、この旅人の役目を引き受けるとします。だとすれば?」

呆気にとられた商人たち。

近くの者と話し合い、唸っている者たちもいる。

ただ、やがてその視線の色が変わってくる。

戸惑いではなく、誰が誰に借金をしていただろうかと、見えない線で互いを繋げるようなものだ。

それから手元で湯気を立てるお茶を見たのは、確かに酔っぱらっている場合ではない、と理解したからだろう。

自分は手を叩き、彼らを現実の世界に引き戻す。

「これからは定期的にここに皆さんで集まって、互いの取引を清算してください。できればこれから結ぶ契約は、満了期間をここでの清算日に合わせてください。そしてこんがらがった取引関係を、可能な限り 綺麗に(クリアリング) してください」

だから、クリアリングハウス。

「そして本当に足りない資金だけを、私の商会から貸し出します」

ざわざわとし始めた商人たちの中で、一人が手を挙げて言った。

「ヨリノブ様……あの、趣旨は分かりましたが、このお茶は?」

「私のいた世界の伝統です」

本当は珈琲のほうがよかったのだが、お茶でもいいだろう。

まだ銀行制度が未熟だった蒸気機関の時代、前の世界でもこうして商人たちが集まって、手形や取引を決裁したという。

こうやって売り契約と買い契約をかき集めることによって、金貨一万枚分の買い契約と、金貨一万十枚分の売り契約を相殺できれば、本当に必要な金貨はたった十枚なのだと判明する。

逆に言うと、このたった十枚の金貨さえ用意すれば、膨大な金額の貸し借りを帳消しにできてしまう。

あの旅人が宿に預けた、財布のように。

これが近代経済学の、チート知識だ。

「いかがでしょう」

ついでにこの酒場をクリアリングハウスとして定期的に借りる費用は、ここの店主に茶葉を安く卸すことでただにしてもらってある。

自分の商会はクウォンから茶を仕入れて店主に卸し、店主は商人たちに茶を出して、儲けとするわけだ。

あと、島の人たちがお茶の良さに目覚めてくれたら、飲酒量を減らすことで島の治安と生産性も上がるだろう。

酒の輸入費用はばかにならないし、酒を造るには穀物を消費するので、物価を無駄にかさ上げしてしまうという欠点がある。

迫りくる帝国と戦うために、ジレーヌ領を徹底的に効率的に、生産的にしなければならない。

そして経済とは国家の血管であり、貨幣とは血液である。

クリアリングハウスは、心臓のようなものと言える。

商人たちは、合図を待っているようだった。

「では、皆さんで商いの流れを取り戻しましょう!」

それからは蜂の群れを解き放ったかのように、商人たちが話し合いを始めたのだった。