軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十四話

ノドンという強敵と立ち向かうには、その不正を暴くとか、既存の取引をもっとうまくやるとか、そういうことでは全然足りていない。

だからクルルの案が有望そうだというのは、それくらいの新機軸を打ち出さないと無理だ、という意味でもあった。

そしてクルルの案を形にするには、わかりやすい問題が立ちはだかる。

新しい魔法陣を試行錯誤するのに、高価な魔石が必要となる。

「現代がいかにすごいかって実感するよな」

健吾のため息交じりの言葉に同意する。

「論理回路シミュレーターとかあれば、原料の調達に悩まなくて済むもんね」

「おい、私にわかる言葉で話せ」

論理回路シミュレーターという単語を難なくこの世界の言葉に訳せるほど、自分の言葉はこなれていない。つい日本語で話してしまい、クルルが眉間にしわを寄せていた。

「前の世界だと、魔石の加工試験みたいなことを、資源を浪費せずにできたんですよ」

「……そっちの世界にはずいぶん奇妙な技術があったんだな」

魔法の存在する世界の人に言われたくないが、計算機科学が実現した世界は、確かに魔法の世界と言えなくもない。小指の先に乗っかる小さなチップに、多分この世界に存在するすべての本を収めることができるというのは、実際に魔法に違いなかった。

「現実的な話をしよう」

健吾が言った。

「ノドンの商売を横取りするには、足りてないものが多すぎる。可能性があるとしたら、クルルちゃんの言う、新しい魔法陣の可能性だ。けれどそんなものを見つけるには、試行錯誤が欠かせない」

健吾は言葉を切って、こちらとクルルの顔を見る。

「ただ、魔石加工を試すための原材料の話は、正直、どこまで俺たちが高潔でいようとするかにかかっている」

迂遠な物言いだが、なにを言いたいかはもちろん分かる。賢いクルルもまた、すぐに把握したらしい。健吾とこちらを指さして言った。

「鉱山で働くお前はいわば魔石の倉庫番で、こいつは倉庫の品を運ぶ商人だ。魔石をちょろまかすのは簡単だろ」

「……」

「……」

自分と健吾は現代日本からやってきた。世界で有数の治安の良さは、もちろん商取引の現場においても、正直と信用が貴ばれることを意味している。

「罪悪感というか……なあ?」

「自分たちの世界だと、そういうのはちょっと……」

クルルは腐りかけの魚を前にしたような顔になる。

「遊びじゃないんだぞ。なに言ってるんだ? それに全部盗めって言ってるんじゃない。一個か二個、五級品……できれば四級品があれば、私がそれで実験できる。なにをためらう必要がある」

道徳律は大して変わらなくても、その許容量は環境で容易に変わりうる。

クルルはもちろん悪人ではないし、この世界だとちょっとした盗みはお目こぼしの範囲、日常茶飯事なのだろう。

しかし自分たちの基準だと、盗みは盗みだし、どうにも憚られる。

「どうする?」

健吾に問われ、こっちに振らないで欲しいと思いつつ、すぐに脳裏をよぎったのは前の世界のこと。

職場というのは、そこにいる責任者の振る舞いで大きく変わる。

怒鳴ってもなにしても業績さえ上げればいいという人の価値観が支配すれば、そこは簡単に地獄に変わってしまう。

だとすれば、この三人でなにかをやっていくとして、盗みを許容するような基準でいいのだろうかと問えばいい。

「盗みは、駄目だ」

水は簡単に低いほうに流れ、戻すのは難しい。

「なら盗み以外でやろう」

健吾が強く同意してくれた。

「……」

クルルは信じられないといったような顔をしていたが、強くは反対しなかった。

それにそっぽを向いて唇を尖らせていたのは、自らの不品行を咎められたように感じたのかもしれない。

「けど、クルルさんの指摘したことは正しいとも思う」

「は?」

自分の言葉に、クルルは不機嫌そうに視線を向けてくる。

「健吾は倉庫番だし、自分はその倉庫から出てくる物を捌く商人だって話です」

「……盗みは駄目だって言ったのはお前だろ」

それはそうなのだが、古今東西、商人というのは実に巧みに道徳の隙間を見つけるものなのだ。

「借りるなら問題ないかも」

「おいおい、頼信」

自分に味方してくれた健吾が呆れたように言うし、今度はクルルが皮肉っぽく笑っていた。

けれど、これは真面目な話だ。

「健吾も聞いて。商取引の一部には、常に魔法の時間が存在するんだよ」

健吾とクルルが顔を見合わせる。

「イーリア様が、新しいハンモックを欲しがったとする」

自分の言葉に、健吾とクルルがおとなしく耳を傾ける。

「クルルさんが代金を持って、ノドン商会にやってくる。お金は前払いで、来月くらいまでには用意してくれと頼んだとする」

ここまでは、普通にある買い物の話だ。

「ノドン商会は早速、縄結い職人のところにハンモックを調達しにいく」

「おい、そんな当たり前の話をして、なんなんだ?」

短気なクルルが言うが、健吾は目を見開いていた。

「現金の持ち主は誰か、という話か」

「はあ?」

「そう。ハンモックの納品までには一か月ある。しかもノドン商会の立場なら、縄結い職人への支払いを一か月は伸ばすことができる」

つまり状況はこうだ。

クルルへの納期が迫るぎりぎり一か月経つまでハンモック購入を先延ばしし、そこからさらに、一か月の間職人への支払いを待ってもらう。すると二か月間に渡って、ノドン商会にはクルルから受け取った代金が滞留することになる。

その金は誰のものか、という話だ。

これが取引の隙間に存在する、魔法の時間というやつだ。

その魔法の時間中、手元にある誰のものでもない金を利用したとして、どんな不都合があるのだろう? たとえばそれを貸し出して、利子を取ることができる。たとえば掘り出し物をその金で購入し、さっさと転売したっていい。

辻褄さえ合えば、誰も困らないのだから。

「魔石が鉱山から掘り出されてバックス商会に引き渡されるまで、魔法の時間はたっぷり存在する」

「その間に魔石を借りて、クルルちゃんに魔法陣の試行錯誤をしてもらうってわけか」

「これは盗み? それとも?」

前の世界で読んだ本にあった。

たとえば呉服商に過ぎなかった三井商店が、急激に大財閥になったのはどうしてか。両替商として成功した結果、政府からの入金を取り扱う御用銀行の座を獲得したからだ。

口座に振り込まれた政府からの莫大な金にも、魔法の時間が存在する。

これはいわば、使える金が何百倍、何千倍に激増するのと同じなのだから、儲かって当たり前。

そして魔法の時間の利用というものはすべて、道徳的に善とも悪とも言えない、商いの深淵に横たわる影の話なのだ。

「う~……その魔法の時間というのはよくわからんが、結局、盗みと同じじゃないか?」

クルルは不満げに言った。

「お前らはお前らの信仰に従い、これを盗みではなく借りだと言いたいのかもしれないが、言葉を変えたところで魚がブタになるわけではないだろ。もちろん、それでお前らが納得するのであれば私は構わないが、借りだということは、お前らには返すつもりがある。そうだろう?」

クルルはそうまくしたててから、自身の言葉を考えるように黙り込み、改めてこちらを見た。

チンピラみたいな喧嘩腰のクルルばかり見ていたからわからなかったが、クルルは元々、理知的で頭の回転の速い才女なのだ。

「魔法陣の試行錯誤では、実際に魔法陣を刻み込むしかない。ただし、魔石の表面を削ることで新しく紋様を刻み直すことはできるから、五級か四級の品がひとつあれば、結構な回数試すことができる。けど、魔石の規格には重さも含まれるだろ? だから魔石加工職人が刻み込みで失敗すると、貴重な魔石を削る羽目になって、価格が下がることになる。よって、親方からしこたま殴られる羽目になる」

クルルから魔石加工の実務を教えられ、なんとなく話が見えてきた。

「魔石を消耗するのは変わらない。だから、借りじゃダメだろ。盗まないと」

一を聞いて十を理解する元コンサルの健吾が、すぐに答える。

「いくつか回避法がある。ひとつは、刻み込んだ紋様を消した後の重さが、計測の誤差範囲内に収まるようにすること。品質検査はそこまで厳密じゃないから、たとえば、刻む紋様をほんのひっかき傷程度にするとか」

「……凄腕の魔法使いがいれば、それも可能だな」

クルルは不機嫌そうな顔をする。

「魔石の効果の発動のしやすさは、紋様の深さに依存する。ちょっと引っ掻いたような文様でも、凄腕の魔法使いなら起動できると聞いた。ほんのひっかき傷なら加工で魔石の重さが減らないから、それだけでも凄腕の魔法使いは珍重される」

そしてクルルは、どうにかこうにか魔石の力を引き出せる程度だという。

魔石に新しい紋様を刻み込み、それが既存のものよりも高効率だと確かめるには、ちょっと引っ掻いた程度では難しいようだ。

自分の不甲斐なさに視線を落としてしまうクルルの頭に、健吾が大きな手を乗せてぐしぐしと撫でた。

「じゃあふたつめの回避法しかないな。だろう? 頼信」

健吾の手を鬱陶しそうに振り払ったクルルは、健吾とこちらを怪訝そうに見やる。

「まあ、もともとそのつもりだけど」

「おい、全然わからないぞ」

クルルはもちろん頭が悪いわけではないし、自分だってゼロから思いつくかと言ったら怪しい話だ。けれど現代の複雑な書類仕事に慣れていれば、思いつくのは難しいことではない。

「書類上の数字さえ辻褄があってれば、同じ魔石を永遠に魔法の時間にしまっておくことができます。そして、それはそんなに難しいことじゃないんですよ」

鉱山の監督官である健吾と、輸出担当の自分がいれば。

しかも杜撰な帳簿がまかり通る世界なのだ。

「でも、たくさんの魔石をそうできるわけじゃないし、ノドンがある日在庫の一斉点検を命じたら、自分は嘘をつく羽目になります。書類をいじって、魔法の時間の入り口を閉じて、全部なかったことにするしかないですから。するとこれは……盗みってことになります」

法律がどうこうではなくて、良心の話に過ぎないと言えばそう。

そして世知辛い世界でなおひどい目に遭ってきたクルルは、大きな目的のためなら盗みもいとわないくらいには現実的。

だからこそ、クルルは冷たい顔でこう言ったのだろう。

「そんな回りくどいことをせず、私がお前たちの代わりに汚れ役をやるのではだめなのか?」

いまさら盗みで汚れたってかまわない。

そんなクルルに、反射的に言い返していた。

「それはだめ」

健吾より早く口をついて出て、自分でもちょっと驚いた。

クルルも目をぱちくりとさせている。

三人の間で沈黙が降り、急に恥ずかしくなってくるが、黙ったままでいるほうがもっと恥ずかしいと思って言葉を続けた。

「イーリア様は、それを望まないはずだから」

午前中の式典で、嘲笑と蔑みに堪えるイーリアとクルルの様子を見れば明らかだ。

イーリアはクルルが悪事に手を染めてまで助けることを、絶対に望まないと思った。そのつもりがあるのなら、とっくにそうしているはずだ。

そしてそれは、自分たちも同じこと。

「……お前にイーリア様のなにがわかる」

クルルはそう言いながらそっぽを向いたが、ほどなく横目でこちらを見直した。

「私は……お前たちに借りを作りたくないんだよ」

誰かに汚れ役を押し付けてのうのうとしていたくない、と翻訳してもいいだろう。

クルルは律義で、義理堅い性格なのだ。ちょっと気性が荒く、不器用なようだったが。

健吾はにこにこ笑っているし、自分も危うく笑いかけて、クルルに引っ掻かれるところだった。

「魔法の時間が解けてしまった時のため、使用した魔石を補填できるように三人でお金をためておくとか、そういう方向でどうでしょう」

魔法の時間の中に魔石を隠した途端、在庫の棚卸をするような不運に見舞われる可能性は低いはずだが、備えはしておくべき。

「となると、俺たちの稼ぎだと五級品かなあ」

魔石は兵器みたいなものなので、麦とか肉とかの価格からはかけ離れている。三級品なら金貨千枚を超えるのだ。四級だと二百枚前後、五級でも十枚前後になる。

公定相場では金貨一枚で銀貨が十二枚。銀貨一枚で銅貨が二十枚だから、金貨一枚で銅貨が二百四十枚。銅貨が一枚100円程度と考えられるのなら、五級魔石で20万円程度。つまり現代の感覚なら、拳銃くらいの価格になる。

三級魔石を換算すると2000万円とかなので、多分ちょっとした軍事兵器くらいなのだろう。携帯式ロケット砲がそのくらいの値段だった気がする。

二級品の価格は取り扱ったことがないのでわからないが、換算価格で1億円は楽に超えるだろうから、現代でいうとミサイルとかの感覚のはずだ。魔法使いが一騎当千の軍事力になりうるという話なのだから、大体価格と威力はそんな辺りに落ち着くのではないか。

「クルルちゃんはどう? 五級だと、結構小さいよね」

500円玉を超えるかどうかの大きさの石。そこに、幾何学模様を刻んでいく。

「細かい装飾には慣れている。五級でも大丈夫だ」

クルルはぶっきらぼうに言ってから、視線を手元に落とし、こうも言った。

「イーリア様の目から隠れて、加工の真似事をしていたからな」

魔石加工に興味があって、でもイーリアにばれては困るから、小さな石にこっそり紋様を刻んで練習するクルル。そんなところを自分と健吾は想像してしまう。

そして暑苦しい健吾はそんなクルルのいじらしさに感極まったのか、クルルの両肩を抱こうとして、本気で嫌がられていた。

「ただ、やみくもに彫りまくれるほど魔石を用意することができないのは確かだ」

顔をひっかかれた健吾と、牙を剥いて唸っているクルルを前に、自分は言った。

「だから、魔石をたくさん確保する方向より、加工の前段階で協力できないかな」

「「前段階?」」

クルルはだいぶ本気で健吾に反撃しているが、大柄でどこか兄貴らしい鷹揚な雰囲気を湛えた健吾を相手にしていると、じゃれ合っているようにしか見えない。そんな二人が、声を揃えていた。

「魔法陣は幾何学的な紋様の組み合わせでしょ? しかも法則があるんだとしたら、組み合わせの考察には自分たちも協力できないかな」

「ん、あ~……うーん」

クルルとじゃれ合うのをやめた健吾は、腕を組んで唸っている。

「俺文系なんだよなあ。頼信は?」

「理系だけど、健吾の大学レベルなら自分より数学できそうだよ。入試に数学あったでしょ」

健吾は謙遜なのか、肩をすくめていた。

「それと、自分で切り出しておいてなんだけど、もうひとつ懸念があるんだよね」

「懸念?」

「コンパスと定規を使ってできることって、前の世界だと古代ギリシャの時代にはすべてやりつくされてたんだって。つまり、この世界でも平面図形の試行錯誤はすべてやりつくされてる可能性がある」

「おおう」

唸る健吾に、クルルは眉間に深いしわを寄せている。

「なんの話をしている?」

「えーっと……文明の程度というか……たとえばこの世界に代数幾何って……代数幾何ってどう言えばいいんだ?」

途中から日本語になって健吾に助けを求めるが、さすがの健吾も困り顔だった。

「数式で図形の問題を解くことってできますか? たとえば、物を放り投げた時の軌跡を計算したり、あとは高次関数を解いたり」

クルルは今まで見たことがないくらい、あどけないぽかんとした顔をしていた。自分がこの世界での言葉にうまく翻訳できていない可能性もあったが、九九が怪しい人だらけのここで、二次関数の概念を理解できる人物は相当限られるはずだ。

前の世界では一応、三次関数の一般解法は中世にすでに発見されていたそうだから、この世界でもすでに発見されている可能性はある。

けれど四則演算の教育すらろくに普及していないのだから、どこかの天才が発見していたとしても、魔法以上に知られていない秘術みたいなものだろう。

「まあ、コンパスっぽい道具と定規があるのは商会で確認してるから、作図は問題ないはず。もし魔石に刻まれる図形の比率や面積がなんらかの関数に従っているのなら、割り出すのに自分たちの知識に優位性があるはず」

高校レベルの数学でも、この世界では未来の凄まじい知識だろう。自分たちは、この世界の職人たちが持っていない視点を持っていることになる。

これが詠唱で起動するタイプの魔法だったら、お手上げだった。

「あ~、でも図形問題かあ。就職のときの筆記テスト思い出すなあ」

「知能テストのパズルみたいなのあったね、そう言えば」

クルルはやはり首をひねっていたが、足をドスンと踏み鳴らしてこちらの意識を引き戻す。

「彫って試せばいい。そうだろう?」

筋トレ大好きな健吾は、もちろんそういう泥臭い理屈も大好きだ。

「そのとおり。だがトレーニングもやり方を間違えれば非効率だからな。まずはクルルちゃんの仮説を検証するのが、結局は近道じゃないか?」

「仮説……ああ、伝説の魔法陣を参考にするって話ね」

自分と健吾の視線を受け、クルルが珍しく怯んだようになる。

「クルルさんは、古い時代の魔法陣の写しを持ってたりします?」

「い、いや……暗記はしている、はずだが」

若干心許ない。

「現行の魔石についてなら、商会に底本はあるけど……大昔の戦の時代のものとなると、載ってなかった気がする。出入りしてる行商人の人に頼んで、よその土地に残ってるのを写してきてもらうとか?」

「信用できなくないか? コピーで間違ってたら、解けない問題に頭を悩ませることになる」

「まあそれは伝説の魔法陣の写しの時点で存在する問題だけど……」

健吾と自分のやり取りに、クルルが口を挟んだ。

「おそらく正確な伝説の魔法陣を、いくつか用意することはできる。私には無理だが、お前らならできるだろ」

「え?」

クルルは不満げに腕組みをして、フードの下で耳をぱたぱたさせてから、言った。

「教会だよ」