軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百二十八話

呆気にとられるとはこのことだ。

ぎこちなくではあったが、明らかに会話らしきものをしているファルオーネを、バダダムやカカムはもちろん、ゲラリオでさえ慄いた顔で見つめていた。

クルルはといえば、本人の名誉のためにあえて言うまい。

ただ、訓練で少し筋肉がついたのか、腕の中に抱いていると、ロランの時より体つきがしっかりしている気がした。

そうしてひとしきり悪魔と占星術師が会話するのを見届けていると、ファルオーネが不意にこちらを振り向いた。

「岩をどけても?」

自分では判断がつかず、ゲラリオに視線を向ける。

するとゲラリオは、安全ピンの外れた爆弾を手渡されたかのような顔をした。

「……クルル、魔石を構えとけ」

クルルはそれでようやく我に返ったようで、猫みたいにこちらの腕の中からすり抜け、言われたとおりにしていた。

「悪魔は人の心を操ると聞いたこともある……。変なそぶりを見せるなよ、ファルオーネさんよ。お前さんごと消し炭にしたくはない」

「問題ない。私は人生でかつてないほど意識が冴えている」

ファルオーネは少し体を避けるだけ。

ゲラリオは大きくため息をついて、悪魔に向けて魔石を掲げているクルルに並び立つと、自身も魔石を手にしていた。

バダダムとカカムが手ごろな倒木を肩に抱え、岩と地面の隙間に差し込む。

悪魔と視線を真っ向からあわせているゲラリオは、嫌そうな顔のままだ。

「石をどけろ」

獣人二人が梃子の原理で岩を浮かせる。

悪魔はやや躊躇ったのち、素早く岩から抜け出して、それこそ影のような動きで洞窟の入り口前で止まった。

ファルオーネが聞き慣れぬ言葉を向けると、悪魔はあの音を発する。

そして、こちらに向けて手を振って、洞窟の中に消えた。

あんな様子を見たら、もう無理だ。

悪魔は、悪魔ではない。

人の意思を理解する、人と同じ存在だ。

「頭がどうにかなりそうだぜ」

同感だが、心底安堵したことがある。

それは、ファルオーネが魔法使いではないということだ。

なぜそのことに安堵したかというと――。

「悪魔と会話した内容を、全部話せ。できれば、拷問はしたくない」

ゲラリオは悪魔に向けていた魔石を、ファルオーネに向ける。

今、世界の深淵にもっとも近づいているのは、この怪しげな占星術師なのだから。

◆◆◆◇◇◇

山から下りる間、バダダムもカカムもしきりに背後を警戒していたが、兎一羽現れなかった。

神が守るという山は、眠ったように静かだ。

「古代帝国語の文字は残っていても、音は失われたというのが通説だった。だが、各地の古語や教会に残る歌から、音を再現しようとしていた者と会ったことがあるのだ」

道すがら、ファルオーネはまずそう言った。

偉大なる占星術師は、悪魔と離れてからようやく、自身が直面した事実の重さみたいなものに実感がわいてきたらしい。

脂汗をかきだし、膝が震えてよたつき、水を飲む手も震えていた。

「与太話ではなかったようだ。私でさえ、疑っていたのだが」

「あれが言葉とはね。悪魔の呪文とか、虫の羽音みたいなもんかと」

「三百年近く誰とも話していなかったら、あんな声になるのやもしれない」

三百年。

誰もが声なく呟いた気がした。

「彼は元鉱夫だそうだ。おそらく、だが」

やや自信なさげなのは、言葉が明確ではないからだろう。

「洞窟の奥にいたあの骸は、魔法使いのようだ。私もほとんど単語がわからなかったから推測だが、鉱山で働いていた者たちがあの魔法使いを匿い、ずっと世話をしていたのではないか。そして彼がこと切れた後、世話をしていた鉱夫たちもまた死に、しかしそのうちの一人がああして、悪魔としてよみがえった……」

「魔石は? あの魔石はなんなんだ?」

クルルも目の当たりにした。

あそこには、明らかに誰かが作成した合成魔石があった。

「聞いてみたが、私は確信が持てない。ただ、魔石、と話しかけると、あの悪魔は言った。パンだ、パンだと」

「パン?」

「あの悪魔は魔石を使わず魔法を使うのであろう? ならば……いわば、魔石が食料なのではないかね。ほら、魔法を使うと魔石は煙となって消えるだろう」

微妙な戸惑いの空気が流れる。

なんとなくつじつまがあいそうだが、こじつけにも思える。

「魔法陣はどういうことなんだ? 坑道の奥の魔石には、魔法陣が刻まれていた。魔石なしで魔法が使えるのに必要ないだろ?」

クルルの問いに、ファルオーネは肩をすくめた。

「たまにはバターをつけたり、スープに浸して食べたくもなろう」

味変。

至極真面目な顔なので、冗談を言っているわけではなさそうだ。

それにそう言われたら、そう思えてくるから不思議だ。

「あまりそんな目で見るな。私も言葉がわからなすぎるのだ。だから再度ここを訪れる約束を悪魔と交わしてある。いや……多分、交わせているはずだが」

クルルはそんなファルオーネを、理解を越えるようなものを見る目で見てから、こちらを向いた。

どう対処すればいい? と顔いっぱいで困っていた。

「まずは迅速にジレーヌ領に戻り、古代帝国語を研究している変人に連絡を取り、言葉を学ばねばなるまい」

古代帝国語の発音を研究していたという者は、ファルオーネに変人と言われるのだから相当な人物なのだろう。

ただ、今の今まで与太話と思われていたその研究は、まったく正しいことだったと判明した。

ファルオーネと悪魔は、明らかに言葉が通じていたのだから。

あの悪魔はこちらに危害を加えるのをやめ、洞窟に戻る時には、手を振ってみせた。

三百年ぶりに言葉の通じた者を前に、涙まで流していた。

「それに考えなければならないことが山ほどある。帝国は滅びたかという問いに、彼は肯定した。だとするとあの石壁に残されていた伝言は、本物なのだ。『東の終わり』と刻まれていた。しかも、『謎は解かれた』と。これが意味するものはなんだ?」

熱に浮かされたように、ふらふらと歩くファルオーネ。

自分は、彼を現世に繋ぎとめるかのように、答えた。

「大規模魔法陣を誰かが再現し、ここから東の方向にあった帝国で、使用した……?」

「んむ。そうとしか考えられまい。つまり、あの魔法陣の謎は解けるのだ……解かねばなるまい……その時、我らは、我らは、世界の――」

「お、おい!」

ゲラリオが慌てて、ファルオーネの細長い体を抱き止めた。

慌てて駆け寄ると、ゲラリオに抱き止められたファルオーネは、うつろな目のまま、無理やりに笑っていた。

「どうした? 悪魔になにかされたのか?」

「む……あ、悪魔に……触れて、みたのだ。ど、どんな肉体なのか、気になってな……」

「ん、なっ」

「り、竜の肉が食べられるならば、危険はないと、思っていたのだが……」

ゲラリオが慌ててファルオーネの手を調べると、右手はなんともなかったが、左手がミイラのようにしわしわになっていた。

「す、すごかった。体の中身を根こそぎ吸われるような感覚だ……世界の中でも、体験した者はごくわずかだろう、ふ、ふふふ」

「……」

ゲラリオのみならず、全員が呆れていた。

「あ、悪魔に悪意はなかった、と言い添えておく。か、彼も驚いていたからね。彼を、と、討伐してはならない。あれは、き……貴重な……実験の……」

「わかったわかった。とりあえず黙れ」

ファルオーネは強張った笑みを顔に張り付けたまま、静かになる。

死んでしまったのかと思ったが、気絶しているだけのようで、ゲラリオはファルオーネの薄い胸板に耳を当て、やれやれと肩をすくめていた。

「魔法の使い過ぎで右手がこうなった仲間を見たことがある。多分、生命力みたいなものを吸い取られたんだろう」

「あー……」

最初の竜と戦った時、クルルに触れていたせいか、自分も魔法を撃つ時の感覚を体験した。

掃除機で思い切り骨の中身を吸われるみたいな、変な感覚だった。

「しかし……とんでもないもんを掘り当てたな」

ゲラリオはファルオーネをバダダムに渡し、山道を振り向いた。

「帝国の果てゆえに、今まで見過ごされてきたか、いや」

現実的なゲラリオは、かぶりを振る。

「帝国は謎を解いてるんじゃないのか?」

クルルが息を飲むが、自分は驚かなかった。

それに、自分はファルオーネの話から、ひとつ連想することがあった。

「さっき、魔石は悪魔の餌って言いましたよね」

バダダムに担がれ、どこか恍惚とした顔で気を失っているファルオーネ。

「それがどうした?」

「帝国が魔石をかき集める理由って、本当はなんなんでしょう?」

「……どういう意味だ?」

「教科書的な説明では、魔石は魔法の源泉であり、魔法は強大な兵器であるため、それを帝国が管理するため、とのことでした。ですが、それだと奇妙な点があります」

「奇妙な点?」

「集めた後に払い下げる理由が、よくわからないんですよ」

ゲラリオはぽかんとしてから、たちまち顔をしかめた。

「本当に危険なものならば、帝国が鉱山を独占しそうなものですが、そうしていません。よくよく考えると、奇妙じゃないですか?」

「……」

「それに、鉱山から産出される魔石を管理し、バックス商会と取引するじゃないですか。大量に用意した魔石の詰まった箱を見ていて、ふと思うんです」

魔石はどうして、価値を保ったままなのか?

「な、に?」

ゲラリオのみならず、クルルも不思議そうな顔をしていた。

この世界の住人にとって、魔石が貴重なのは当然のこと。

それは当たり前で疑いもしないこと。

なぜなら、魔法使いが魔石を使用した時の威力を身に染みて知っていて、どれだけ凄まじいものかをよくわかっているから。

だが、逆にその威力によって、自分は思った。

そんなに頻繁に、大量に使われるとも思えないのだ。

産出した魔石を右から左に魔法として撃ちまくっていたら、この世界はもっと荒廃したものになっているはず。

だから自分たちは、本当はこう問わなければならないのだ。

「なぜ、あれほど大量に採掘されているのに、価格が下がらないのでしょう?」

自分が自分の考えをまとめるように呟くと、ゲラリオはやがて半笑いになった。

自分の言葉の先にある考えに気が付いたのだろう。

「おい、まさか……」

怖いもの知らずの冒険者の腰が引けているし、クルルも口を引き結んでいる。

今まではなんとなく不可解で、異世界特有のなにか事情があるのかもしれないと思っていた、魔石の流通を巡るいくつかの謎。

けれどこのパズルのピースに、先ほどの事実を足してみたら。

つまり、魔石は、魔物の餌だとすれば。

現在の帝国は、悪魔を何人も飼っているのではないのか?

あるいは、悪魔以上のなにかを養うため、魔石を必要としているのではないか?

大量の魔石の集積と消費を誤魔化すため、税として集めて回り、取引を管理しているのではないか。

彼らがそうまでして養う必要のある存在といえば、ひとつ心当たりがある。

そう。

大精霊だ。

「まあ、空想にすぎませんが」

自分は努めて明るくそう言ったが、今のところは、という残響を消しきることはできなかった。その場にいた全員は、冗談だろうと笑うことすらしなかった。

それくらい、想像しやすいことだから。

静かな山道を歩き、誰もなにも話さない。

ただ、ふとクルルがこちらの手を握ってきて、強く掴んだ。

わけのわからない闇の中、それだけは確かなものであるということを、確かめるように。

かつて幼かった頃、イーリアと共に島の西側に逃げ出し、そこで荒涼とした外洋に行き当たったらしい。

その時、この手にはどんな未来を掴む力も備わっていなかった。

けれど、今は違うはずだ。

自分も、強めにその手を握り返す。

そして道の先に祭壇が見えてきて、村人たちが驚愕の様子を見せた。

そうしていると、まるで自分たちが神になったような変な気分になってしまったが、笑い事ではないのだと気が付いた。

自分たちは、そういう秘密に手が届かんとしているのだから。

しかしそれはもはや、伝説の魔法陣のような、曖昧模糊としたものではない。

確かにはっきりと形を持った、手で触れられる謎なのだった。