軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百二十三話

鉛色の海を進んでいくと、前方に大きな山が見えてきた。

頭上で雷鳴がとどろき、不気味な巨鳥が旋回している……ということこそなかったが、頂上に向かうほど木がまばらになっていくその様子は、どことなく皮膚病の犬を思わせる。

あまり良い雰囲気の山ではない。

「結構でかいな」

山裾が海にまで迫っているし、陸地の奥のほうにいくにしたがって、さらに高い山が連なっているように見えた。

「なんか……思っていたのと違う」

クルルもまた、やや気圧され気味だった。

帝国領土と蛮族の領土の間に鉱山があって、両陣営で奪い合い。

そんな話から想像する鉱山ということで、自分もなんとなく小さな山を想像していた。

「ちょっとした連峰ですよね。それに、すごくわかりやすい地形というか」

船の上からだと、その雄大な自然の営みがよくわかる。

島しょ地域と大陸側がこの地点でぶつかって、押し上げられた大地によってこの山並みが形成されたのが一目瞭然だ。

「わかりやすいって、なにがだ?」

クルルが聞いてきたので説明したら、変な顔をされた。

「はあ? なに言ってるんだ? 大地が動くわけないだろ」

「……」

プレートテクニクス理論が、という説明は飲み込んだ。余計に哀れな目で見られそうだからだ。

後で後ろの船に乗っているファルオーネに聞かせよう。きっと彼ならば喜んでくれる。

イーリアは自分ならファルオーネを御せると思っているようだが、どちらかというと自分のほうが、ファルオーネに相手をしてもらっている面がある。

前の世界の話をしても、ファルオーネは目を輝かせて聞いてくれるからだ。

クルルは前の世界の知らない話をされるとむくれるのに、したらしたですぐに興味をなくすまるっきり猫だった。

『船でいったん山を越える、でいいんですかい?』

「ああ、ヴォーデン属州の見張りがいる感じでもないしな」

陸地側にはまばらな林が点々としている感じで、集落も見当たらないし、身を隠すような場所もない。そもそも形骸化した戦場を、じっと見張り続けるようなこともあるまい。

ただ、念のためなるべく沖合に出て船を進めていく。

古くは帝国の進軍をせき止めたという山を遠くに見ながら、荒れがちの海を進んでいく。

そうして山を越え、しばらくいった頃。

カカムとバダダムのふたりが、櫂を漕ぐ手を止めた。

どうした、と問うまでもない。

蛮族側の領土といわれる土地から、船が何艘かこちらに向かってきていた。

◇◇◇◆◆◆

五艘の船が、結構な距離を開け、こちらの上陸を阻むように展開している。

互いに距離を開けているのは、魔法で一網打尽にされるのを警戒してのことだろう。

船には獣人と人とが半々くらいで乗って、それぞれ武装している。

クルルもドラステルの扮装をして、魔石を指の間に挟んでいる。

「何者か!」

毛皮の縁取りをした、皮の鎧かなにかに身を包んだ男が言った。

自分が返事をしようとしたところ、ゲラリオが手で制し、代わりに立ち上がる。

「名乗りたいところだが、あんたらは帝国の人間か?」

舳先に立つ獣人たちが揃って耳を立てたように見えて、ちょっとおかしみを感じてしまう。

「我らは黒き大地の民アヴァルド! もう一度問おう、何者か!」

道中蛮族について調べてきて、その中にアヴァルドという部族名があった。

「ヴォーデン属州より南、アズリア属州のさらに南の島からやってきた! これ以上のことは、そっちの長に直接話したい!」

と、言った時のことだ。

ぴゅんと甲高い音がした。

目をすがめると、向こうの船からなにかが飛翔するのが見える。

それは大きく空で弧を描き、こちらに落ち始めたところで、クルルが炎で撃ち落とす。

弓矢のようだ。

ゲラリオは肩をすくめただけでなにも言わない。

ほどなく、アヴァルドの男が言った。

「陸に戻ったほうが、まだしも我らに有利なようだ」

ゲラリオは軽く笑い、答えた。

「戦ならもっと頭数を揃えてくるさ」

相手も最初からそこまでは考えていなかったのだろう。

こちらが即座に武力を向けるならず者かどうか、ちょっと試しただけのようだ。

船を回頭させ、こちらに背を向ける。

「ついてこい」

ゲラリオはバダダムたちに目配せして、暗い海を陸地に向かって進めていった。

◆◆◆◇◇◇

先導するアヴァルド族の船についていき、帝国の領土との間にそびえる山がずいぶんかすんで見える頃。

船は岬を回り込み、小さな湾に入っていった。

岬の上には見張りの獣人が数人いて、こちらを見下ろしている。

弓矢を手にしているあたり、魔法使いが少ないか、ほとんどいないようだ。

さもなくば、そう思わせるための策略か。

湾の奥には集落があり、砂浜沿いに魚が干され、網を繕っている者たちがいる。

作業には人も獣人も並んで携わっていて、どちらかがどちらかを隷属させている、というふうには見えない平和な感じだ。

港と呼ぶのはおこがましいような、磯に挟まれたわずかな砂浜に船が何艘か引き揚げられ、奥に家が立ち並んでいる。

待ち受けていたのは、絵に描いたような白髭の長老で、その周囲に、獣人や若者たちが控えてこちらを警戒している。

「何用かね」

「お互いの儲けになるかもしれん話だ」

ゲラリオは言って、船から持ち出した小さな袋を、近くにいた相手方の獣人に手渡す。

やや戸惑いがちに受け取った獣人は、中身を検めて目を見開く。

「ここは一応、帝国と交易してるんだろ? あって困るものじゃない」

ゲラリオが出したのは、金貨の詰まった袋。

長老は獣人から袋の中身を見せられ、やや疲れたように肩をすくめていた。

「魔石鉱山の採掘かね」

ゲラリオが「おっ」と呟き、クルルの尻尾が外套の下で一往復した。

「誰に騙されたか知らんが、遠路はるばるご苦労なことだ。金貨に見合うかはわからんが、寝床と食事は提供しよう。疲れが癒えたら、おとなしく帰ることだ」

ゲラリオはいったんこちらを振り返ってから、肩をすくめる。

「おとなしく帰るとでも?」

ゲラリオの挑発に、周囲を囲む者たちが固く息を飲む。

バダダムとカカムがこちらを守るように立ち、クルルが油断なく外套の下で魔石を掴む。

そして、長老は乾いた笑いで肩を揺らしていた。

「騙すつもりも、侮っているつもりもない」

「そうかね」

「そうだとも」

長老はそれから、杖で件の山の方角を示した。

「試しに登ってみればいい。その目で確かめられるし、その目が確かめる時には、そなたらはいちいち船で帰る手間が省けている」

ゲラリオが剣呑な顔をする。

「山に登れば、生きては帰れない……ってか?」

長老の目は冗談を言っているようにも、強がりを言っているようにも見えない。

ただ事実のみを述べるような、むしろなにもわかっていないよそ者を、憐れんでいるようにさえ見える。

「へっ。実に楽しみだ」

ゲラリオはそう続け、クルルやバダダムに目配せし、戦闘隊形を解いていた。

その後に振る舞われた食事に毒は入っていなかったし、あてがわれた小屋の入り口にはちょくちょく子供たちが顔を見せ、遠くからの客人が珍しいのか、きゃっきゃとはしゃいでいた。

監視されている様子もなく、放置という感じが近い。

やや奇妙といえばそうだが、食事が終わる頃を見計らって、海上で相まみえた時に船に乗っていた男がやってきた。

「お前たち全員で山を登るのか?」

だしぬけの質問だが、主にこちらを見て言っていた。

この場で一番ひ弱に見えるからだろう。

「一応な。なんでだ?」

「誰か一人くらい残しておかないと、故郷の者たちが困るだろう」

「……」

本気で心配しているようで、横になっていたゲラリオは体を起こす。

「山になにかいるのか」

こちらが山に登るところを彼らが後ろから襲ってこない限り、考えられる可能性はそれしかない。

「我らの神がいる」

ゲラリオはこちらを見て、男に向き直る。

「よそ者が聖域に入れば罰が当たるってやつか」

「我らでも変わらん。山は神のものだ。我らにどうこうできるものではない」

小屋の中の柱に施された装飾を、興味深そうに見ていたファルオーネが尋ねた。

「そなたらの神ではないのかね」

「神は神だ。ここにくるまで、ヴォーデン領の港でなにも聞いてこなかったのか」

男はこちらの準備不足を咎めるかのように、眉をひそめている。

「お前らのような奴らが時折やってくるのだ。ここには誰のものでもない鉱山があると。我らと手を組み、帝国の目を避けながら魔石を掘り出せば大儲けできると。だが、それは誤りだ。あの山は神のものだ」

「神ってのは、大精霊か」

「神だと言っている」

男がじれったそうに言った。

多分、同じ語彙でも、意味合いが違うのだろう。

「なら、お前さんたちは、お前さんたちの神を守るために、帝国と今でも戦っているのか?」

ただ、その問いに男は肩をすくめる。

「我々は戦ってなどいない」

ゲラリオの眉が額の真ん中まで上がる、その音まで聞こえそうだった。

「戦ってないだと?」

「神は山を守っている。山が守られれば、我らも守られる。我らが守られれば、島の西に続く奥の土地にいる同胞たちも、守られる」

ゲラリオは問答を諦めたようで、小さくため息をついてから、言った。

「俺らは全員で山を登る。誰も残してはいかないが、荷物は置いていきたい。船もないと帰れないからな、薪にしないでくれるか」

「山に登るのは構わない。だが、山道の先に祭壇がある。そこから先に行くというのならば、我らはお前たちの荷物を処分する。船は……良い船だ。薪にはしない」

「だめだ。俺たちは帰ってくる。三日待て。約束しろ」

ゲラリオは口約束を迫った。

自分の感覚だと奇妙なのだが、名誉にうるさいこの世界のこと。

こういう場では、案外に口約束に拘束力があるのだろう。

「わかった。三日は待つ」

男は答え、気遣うように言った。

「本当に誰も残さないのか?」

死にゆく者を止めようとするような、かえって優しささえ感じる言葉に、ゲラリオはいっそ不敵な笑みを見せていたのだった。