軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百十三話

「うーぬ!」

試験の結果を知らせに行けば、ファルオーネは頭を抱えて机に突っ伏してしまった。

壁にもたれかかり干し肉をかじっていたルアーノは、場の流れを読む博打うちらしく、やや遠い目でテーブルに広げられたままの紙を見つめている。

そこには魔法陣の組み合わせが無数に書かれ、彼らの知的冒険の跡が刻まれていた。

「やはりこの魔法陣が根本的に間違っているのではないか?」

頭をばりばり掻きながらファルオーネが指し示したのは、壁に貼られた一枚の紙だ。

「特に怪しいのは、この部分!」

ファルオーネが、びしりと魔法陣の一角を叩く。

既存の魔石に刻まれる魔法陣は、いくつかの種類の基礎魔法陣が組み合わされている。

ファルオーネが示したのは、そんな基礎魔法陣と言えるもののひとつで、それについてはゲラリオも疑問を抱いていた。

『確かに怪しい。現在、実際に使用されている既存の魔石には、ソレが見当たらないというのも奇妙だ』

「だが手に入る大規模魔法陣の写しには、必ずこの基礎魔法陣が入っている。無意味なものとは思えんが、もはや大規模魔法陣が起動しないのはこれが原因としか思えん!」

「ですが、それを省いたものも試しましたが、それはそれで駄目でしたよ」

自分の言葉に、ファルオーネが再び机に突っ伏してしまう。

「わからん! 謎だ!」

悪さをしたのはこいつですと黒板の前に立たされている生徒みたいに、ひとつの魔法陣が吊るし上げられている。

ひどく簡素な魔法陣で、書き間違えるとも思えない。

奇妙なのは、それ単独で試してもなんの機能も果たさない点で、ゲラリオとクルル、それにコールも、これは魔法陣として意味をなしていないと言うのだ。

すると考えられるのは、危険な大規模魔法陣が起動しないように、意図的に隠ぺいされている部分、ということになる。

ここに当てはまるのはどんな魔法陣か? 既知のものか、それとも、未知のものか。

そのいずれであっても、力業で解くにはあまりに巨大な闇が広がっている。

ぐねぐね呻くファルオーネの横で、やれやれとばかりに、ゼゼルが大きな体を小さく丸めながら部屋の掃除を再開していた。

彼らが集うのは、彼らのために用意した小さめの屋敷だった。

元は四人が集える場所、という体だったのだが、彼らはすっかり自分の家に帰らなくなり、ここに住んでいるらしい。

今のところ共同生活で揉め事は起きていないようなので、このままでいいのかもしれない。

掃除はゼゼル、買い物などの金銭管理はルアーノ、家の修理や家具の手入れはロランの役目らしい。

意外なことに料理担当はファルオーネらしいので、なにかを作るのが元々好きなのだろう。

「ただ、無意味といえば、俺はこっちも気になってるんだよな」

ルアーノが顎をしゃくって示したのは、壁のもう一面に張り出されている紙だ。

そこには魔法陣とは違い、文字列がぎっしり書き出されている。

「魔法陣に必ずある文字ですか?」

「魔石職人たちの話じゃ、これが無くても魔法は動くが、魔石を帝国に納品する際には必ずつけるようにと言われてるんだろ?」

「みたいですね。多分、おまじないみたいなものだと思うんですけど。魔法陣の構成原理が失われているみたいですから、今更変更するのも怖いのでは」

原理が失われていれば、なにかを変更してしまうと、元に戻せなくなるかもしれない。

だから盲目的に手続きが受け継がれているというものは、前の世界でもちょくちょくあった。

自分の知っている例だと、フグを無毒化した漬物だ。

なぜフグが無毒化されるかわからないが、手順に従うと無毒化されるから、加工の手順をなにひとつ変えられないし、設備の更新さえもできないらしい。

「このおっさんは、古代帝国時代の暗号だって言うんだが」

ルアーノの視線の先では、ファルオーネが机に突っ伏していて、その姿勢のまま返事をする。

「そういう説があったというだけだ。もちろん、解読に挑んだ者たちがたくさんいたが、解けていない。私は無意味な装飾だと思うがな!」

「既存の文字とは似ていないんですか?」

「似ていない。文字の種類数も一致しない。子供の悪戯だろう!」

即答するあたり、解読に挑戦したことがあるようだ。

あしざまに言うのは、解けなかった悔しさに違いない。

「暗号か……」

そう考えてみなかったな、と紙に書きだされた文字列を見ながら思った。

単純に歴史の中で失われた文字だと思っていた。

「というか、古代帝国時代の文字って残ってるんですか?」

合成魔石の秘密を発見した時、過去の帝国は強くしすぎた魔法によって自滅したのだろう、という推測だった。ついこのあいだ、ロランの代表団を受け入れるためにあれこれ勉強した時も、大体そんな感じの歴史認識だった。

答えである古代の文字が失われていたら、これは二度と解けない暗号ということになる。

「うむ。主に教会の管理している文書にだが、残っているよ」

ひとしきり喚いて気が晴れたのか、ファルオーネは机から体を起こす。

「教会の総本山の大書庫にはまとまった文書があってな、興味深い知識に満ちている」

「まるで見てきたような物言いじゃないか」

ルアーノの茶々に、ファルオーネは肩をすくめる。

「見てきたからな。占星術の秘術があると聞いて、書物の修復職人に取り入って、身分を詐称して潜り込んだのだ。滅多に人の入らないところだからずいぶん長居できたが……最終的にはバレて、縛り首になるところだった」

細い首を自らの手で撫でながら話すファルオーネに、ルアーノは呆れていた。

「だが、教会でもこの文字の解読には成功していないと聞いている。古今東西の文字に通じた賢者でさえ無理だったという伝説があるほどだ」

『悪魔の言語』

「え?」

ぽつりとつぶやいたゼゼルの言葉に、四人の視線が集まる。

見た目のいかつさに反して気弱なゼゼルは、意外な周囲の反応の強さに身を縮めていた。

『む……ワレらに伝わる伝説……みたいなものがあるのだ、が』

「面白そうじゃねえか」

ルアーノが先を促すと、ゼゼルは少し気後れしたように言った。

『鉱山で働く仲間から聞いたことがある。古い、恐ろしく古い魔石鉱山には時折、この文字が刻まれていることがあると』

「魔石鉱山に?」

『そうだ。果てしない鉱床の中で迷った同胞が、ついに鉱山の瘴気で魔物となり果てる。同胞はわずかに残った理性で助けを求めるが、体はすでに魔物となり果てている。やがて残った理性も魔物となるその途中、ようやく壁に刻めたのは魔物の言語であり……と……』

なにかと騒がしいファルオーネも黙りこくるような内容だった。

人の世界には出てこない、魔石鉱山で奴隷のように働かされる獣人たちにだけ伝わる、悲しい伝説なのだろう。

あるいは自分たちを鉱山の中に押し込める、人間たちへの恨みが込められたものだろうか。

『伝説だ。確証は……ない』

ゼゼルは背中を丸め、掃除を再開する。

ふと口を開いたのは、それまで静かだったアランだ。

「だとすると、魔法陣を開発したのは獣人ということに?」

ぎょっとしたし、それはその場の全員が同じ気持ちだった。

「馬鹿な」

ファルオーネが思わずそう言ったのは、魔法と獣人の関係を誰もが知るからだ。

かつて獣人はその圧倒的な膂力により、人間を支配していた。

しかし人間が神から魔法を賜ったせいで、その立場が逆転した。

『魔石鉱山でかつて働いていたのは、ワレらではなく、ヒトだったのかもしれない』

いつも自信なさげに話すゼゼルの口調が、少し強かった。

この手の歴史の話では、やはりあまり冷静ではいられない部分があるのだろう。

「あり得ない話ではないかもしれんな」

ルアーノが真面目な顔で言って、こちらを見る。

「なにせここにいるのは鉱山帰りだ」

鉱山に死体を置いておくと、新しい魂が宿って生き返ることがある。

しかもそういう者たちが魔法使いになることもあり、お飾り領主だったイーリアは、自分やケンゴが魔法使いではなかろうかと期待していた。

人間が魔石鉱山の最奥で神と出会い、魔法使いになったのがすべての始まりだとしても、自分は決して驚かない。

自分はそう思ったのだが、なにかおかしいと思った。

いや、そうだ。実際におかしい。

だとしたら、神から魔法を授けられる前の人間たちは、魔石鉱山でなにをしていたのだろう?

「世にはまだまだ、我々の知らぬ秘密があるのかもしれぬ」

ファルオーネが顎髭を撫でながら言ったが、自分はひどく共感した。

「だが、歴史の多くは闇の中だ。古代の帝国は二度も三度も滅んだ。今では運よく災厄を免れた文書が残るのみ」

「おっさんの星読みで、過去になにがあったかを知ることはできないのかい」

ややからかうような、でもちょっとだけ真面目な感じでルアーノがそう尋ねる。

「占星術を極めれば、五百年前に日食があったかどうかと、また五百年後に日食が起こるかどうかを同じように指摘することができる。ならば過去の歴史と未来もまた……とは思うが、いまだその奥義には至らぬ」

「案外、署名かもな」

ルアーノは意地悪く笑った。

「署名? どういうことだ?」

「この魔法陣を作ったのは俺様だっていう記念だよ。博打うちも最後は無一文で死ぬのが相場だが、それゆえに伝説に名を刻むためだけに勝負する奴が少なくない」

「ほう、それで署名か……」

それならば解けない暗号扱いもわかる。

そもそも意味などないからだ。

「だが、共通する文字列が見受けられるのはそれでわかるとして……やたら長い部分は?」

「合作」

ルアーノの即座の返事に、皆がそれぞれ顔を見合わせる。

「確かに魔法陣が大きくなればなるほど、謎の文字列は増える。大人数で知恵を絞ったというわけか」

「ただ、自分で言っておいてなんだが、名前だとしたら、やたら多く出る奴がいる一方で、ほかはあまり重複してないというのも変だよな。書き出してみると、明らかに出てくる文字の頻度に偏りがあるんだ」

「た、たくさんあるのは、工房みたいなところの師匠かもしれませんよ。長い文字列は、一門の有力者一覧とか」

煉瓦職人のアランが指摘する。

「それはいかにもありそうだ。ううむ。そうだとすれば、その一門の記録がひとつでも残っていればなあ」

やいのやいの話し始めた彼らを前に、自分はふと引っかかるものがあった。

文字列の出てくる頻度、という言葉だ。

「ファルオーネさん、これが暗号かもということですけど」

「ん?」

「頻度分析ってやりました?」

ぽかん、という音がしたような気がした。

「なに?」

「頻度分析です」

言語というものには、統計的な特徴がある。

そのために、暗号を作ろうとして文字を置換したり、並べ替えたり、それらの手続きをいくら複雑にしたところで、意識して言語の特徴を壊さないと、暗号化した後でも統計的に元の言語と同じ特徴を示してしまうことがある。

「ジップの法則、というのがあるんですけど」

自分は大して頭がよくないので、ファルオーネたちみたいに自力でゼロからピタゴラスの定理を証明するなんてことは、とうていできやしない。

しかし情報化社会に生きていたおかげで、聞きかじりの知識だけはある。

「アランさん、数を数えるの、得意ですよね?」

「はあ」

一日中煉瓦を並べたり、その数を数えたりして、親方から悪魔に取り付かれているのではないかと疑われたアラン。

「ここにでてくる文字のすべてを数え上げて、多い順に並べ替えてもらえますか?」

「いい、ですけど……」

「それからファルオーネさん」

「んむ?」

「どうにか古代帝国の文字がいっぱい書かれたものを用意できませんか?」

「それなら簡単だ。古代帝国時代の聖典の写本がある」

「なんでそんなの持ってんだよ」

ルアーノの突っ込みに、ファルオーネは肩をすくめる。

「異端審問に追われることが度々あったからな。お守りだ。私は古代の教会のことを研究しているのであって、怪しいことなどしていない、これを見よと言って、その聖典を出すのだよ。聖職者などたいがい無学だが、異端審問官くらいになれば、古代の文字でも定型の祈り文くらいは読めるものだ。それで孤高の神学者だと言い張れば、案外押し通せる。我々みたいな者たちの常とう手段だな」

そう言ってわははと胸を張って笑っていた。

はったりで煙に巻くのは、情報の流通に限りがあるこの世界では有効なのだろう。

「ではその古代帝国時代の文章に対しても、同じように文字を数えて、多い順に並べてください」

そこまで言うと、さすがに彼らは賢かった。

四人ともに、虚を突かれたような顔でこちらを見ていた。

「まさか……?」

「そのまさかです。言語というものには、ほぼ普遍的な特徴があるんです。暗号文の特徴がそれに似ていれば、大当たりです」

完璧に一対一で文字が対応するには、膨大な量の平文と暗号文と、それから幸運が必要になるだろうが、ある程度の量があれば、手掛かりには十分なる。あとは出現頻度が似ている文字同士をひとつずつあてはめて、矛盾を潰していけばいい。

ただ、もちろんこれが単なる署名という可能性も十分にあるし、そもそも頻度分析への対応をされていたら、解読は無理だ。

あまり期待させてもあれなのでそこを注意したのだが、すでに彼らは聞く耳を持っていなかった。

◇◇◇◆◆◆

それから四日後の、風が強く吹く真夜中のこと。

寝不足でやつれ、けれど目だけをギラギラと輝かせた吸血鬼のようなファルオーネが、魔石工房にやってきた。

そして対応に出た住み込みの小僧が、絹を裂くような悲鳴を上げたのだった。